◆Sweetest Coma Again ◆
亜麻色の髪がふわり、ゆれる。
「アスリア」
回廊を歩きながら青年の姿を探すのはこの国の女王。
魔法国家サマルトリアの正当な王族。
「女王様、アスリア様なら先ほどムーンブルクに御帰還なさいました」
「そう。だったらいいんだけども……忘れ物していったからね」
聡明な女王はあの戦い以後、国家を統治し復興に努めてきた。
王族不在のローレシアとは和睦を結び、デルコンダルには妹姫が在住している。
遥かなるロトの故国アレフガルドはいまや小国となった。
残るムーンブルクはサマルトリアに攻め入る必要性が無い。
「届けて差し上げたらよいのではありませんか?」
「甘やかすと付け上がるんだ」
事実婚同様の二人でも、彼女はまだそれを認めようとはしない。
「どうせ明日も来るんだろうし」
随分と穏やかに笑うようになった女王の姿。
旅立ちの日、頼りなかった背中はもうない。
たくさんの傷を、仲間の思いを、別れを。
「ムーンブルク公国にはしばらく伺ってませんね。王様に顔を出しに行くのも悪くは
ありませんよ。リトリアさま」
昔ながらの教育神官の言葉にリトルは苦笑した。
「この爺やの無事なうちに、御婚約くださいませ」
「そのうちに考えるよ。わかった、忘れ物は届けてくる。あとは頼んだよ」
宵闇迫る公国は、水が護る美しい街を持つ。
テラスでぼんやりと洛陽を眺める青年の視界に飛び込んでくる小さな影。
(あん?…………ってリトル!?)
煙管を慌てて唇から離して呼吸を整える。
煙草臭いキスは嫌だと、先日強烈に突っぱねられたばかり。
「禁煙中じゃなかったのかい?」
「き、気のせいです」
「忘れ物だよ。ムーンペタの予算表。まったく……」
スカイドラゴンに慣れた手つきで括られた轡。
のんびりと空の旅を楽しんできた少女の笑み。
「じゃ、またね」
「帰るのかよ」
「そんなに暇じゃないんだ」
手を伸ばして、そっと引き寄せる。
「晩餐会でも待ってんのか?」
「爺やの説教かな」
深紫の髪が風に泳ぐ。
落ちた影と重なった彼の表情が叙情的で息が詰まる。
「たまには我が国をご案内したいと思いますが?女王リトリア」
先にサマルトリアではリトルが女王として正式に即位した。
アスリアはいまだ皇大使として即位を拒む。
絡ませた指先から伝わる体温。
いまや見慣れたはずの司祭服も、あの頃はどこか滑稽に見えていた。
「いや……よかったら一緒に空の散歩に行かないかい?アスリアーナ皇女」
「喜んで、サマルトリア国王」
引き寄せて飛竜の背に飛び乗って。
あの頃と同じようにして二人で夜空へと飛び出そう。
「どこに行くんだ?」
後ろから女の腰を抱いて、肩口に青年は顔を埋めた。
「どこだろうね。ただ……君と行きたい場所……」
短く切られた亜麻色の柔らかな髪。
まるで禊のように彼女は伸ばすことはしなかった。
「綺麗な海だね……」
どこまでも沈んでいきそうな闇の青に重なる燃え行く紫。
近付く夜の気配は世界を一層美しく染め上げていく。
「ああ……海賊船とかが似合いそうな感じだな」
「うん」
背中越しに重なる二つの心音。
「あ、見えてきた」
「………………………」
切り立った岩山。彼の地、ロンダルキア。
死闘を繰り広げた神殿は今や荒廃し、原形をとどめてはいない。
「降りようぜ」
ブーツに感じる乾いた砂の感触。
すべての命がここでは乾燥して消えていく。
砂の世界にある二つの鼓動。
「座らねぇか?」
石段に腰を下ろして、二人で並んでみる風景。
頭上に登った月が、乳白色の光を優しく降り注ぐ。
俯いたまま歩く二人を見守ってくれるこの世界。
「どれだけ時間がたってもさ……俺はやっぱ忘れられねぇんだよな……」
肩を抱き寄せれば、預けられる細い身体。
「俺たちは確かに戦ったんだ。この場所で」
紡がれる言葉に込められた意思。
この身体に、心に残る傷が風化する日などありはしない。
「みんなで守ったんだ。この世界を…………」
いつかこの地にも新しい命が芽吹くだろう。
人が希望を捨てずに来たように。
「これ、植えたらどうなるかな?」
手のひらには命の木の実。
「育つんじゃねぇか?それなら」
「そうだね」
砂の中にそっと埋めて、魔法を注ぐ。
生まれた小さな光があたりをぼんやりと照らした。
それはあのときに感じた希望にも似ていて。
「なぁ、あいつら元気……だよな。心配する必要なんて無いよな?」
いつも喧嘩ばかりしていた。
それでも理解しあえた大切過ぎる仲間。
もう会うことはできないかもしれない。それでも、また会えると信じて。
「当たり前。君も僕も元気なようにね」
重なる右手と左手。
「傷……消えないね……」
深々と彼の手を貫いた剣の痕。
「消す必要がねぇよ。格好いいだろ?」
そうやって笑う君を愛しいと思えるような感情の行方。
「そうだね」
頬に触れるこの手のぬくもり。
重なった唇が甘くて泣きそうになる。
身も心もゆっくりと女性に変わっていくのを、必死に押さえ込んで。
いつまでも育ちそうなこの胸の膨らみが。
「こんな場所で言っていいもんか、わかんねぇけども……」
彼の手から生まれた焔が月を燃やすかのように天へ駆け上がる。
「サマルトリア国王、リトリア二世」
跪く青年の背に掛かる、緩やかな影。
「我が国、ムーンブルクと正式な公約を。そして…………」
掌に触れる唇。
「私と婚姻を」
交わされる視線はどこまでも真摯で。
逸らす事さえ思いつかなくて胸が痛くなる。
「あなたの笑顔を一番近い距離で見ていたい。この先もずっと、同じ世界を見ていたいのです」
「……プロポーズって、男からしたほうが何かと縁起がいいんじゃなかった?」
「したかったからしたんだ。嘘なんて一個もないさ」
「いいよ。君がきちんと即位したらね」
「少しだけ先伸ばしだな…………」
小さな頭をそっと抱き寄せてあの時とおなじように壁に凭れた。
瀕死の彼女が差し伸べてくれた手。
先に進まずに自分のところに戻ってきてくれたときの言葉にできないうれしさ。
「あん時……俺は行けっていったじゃねぇか……なんで戻ってきたんだ?」
時計の針を戻すかのように逆行していく時間。
血が、惹かれあう。
「言っただろ?お姫様一人残していくのは男じゃないって」
「………………………」
「君の気持ちはよく知ってる。けれども、僕はやっぱり男なんだと思うよ。これだけ
体が女になっても。君の内部にある光が女性のように」
その翠の瞳。
小さな唇が囁く言葉の一つ一つ。
「ねぇ、アスリア」
「ん?」
「このロンダルキアの地に花を咲かせたいね。そうだ……ほら、ぺルポイから少し離れた
あの島の世界樹。あの木の実をここに植えたらきっと、何百年後には立派な世界樹に育つよ」
思い描く未来図は、遠すぎてその形さえも見えないのに。
愛を請う人はまるでみえているかのようにそれを語る。
「そのころにはロトはみんな……忘れてるんだ」
君に降る光がこの先も絶えることがありませんように。
祈りの言葉は遥かなる天空へと運ばれていく。
けれども。
人は何度も歴史を繰り返してしまう。
竜神が望んだような人との共存は難しく、彼女が願った魔族との共存もまた同じ。
「あの馬鹿さ……ロトの剣、持ってっちまったもんな……」
右手と左手を絡ませて。
「信じよう。この先の未来は僕たちじゃない誰かが見てくれる」
「ああ………………」
触れる唇を嫌だと思うこともなくなった。
初めのころは恐怖の対象でしかなかった行為。
「俺の願いは今でも、お前が本当に笑ってくれりゃそれで良いんだ……」
「随分と殊勝になったね。昔は自分に惚れない女なんかいないって豪語してたのに」
「俺が惚れちまったのは仕方ねぇだろ」
向かいあって笑いあえる。
それがどれだけ幸せなことなのかを人は忘れてしまう。
「明日、世界樹の種を取りに行こうぜ」
「うん…………育てばきっと……レイたちの所からも見えるようになるよ……」
ロンダルキアの麓の町。
ペルポイは今でも地下都市としてその栄華を誇っていた。
並ぶ屋台と人ごみにまぎれて、王族であることを隠してしまえば。
意外と自由は得られるものだと青年は満足げに煙管を咥えた。
「煙草、止められそうにないね」
「口寂しいもんでね。リトルがずっと俺にちゅーしてくれたら吸わな……」
「肺が腐るまで吸って良いよ」
昨日の夜は夢の中に閉じ込めて、星が降る様なこの町に溶け込んでしまおう。
「おやじさん、これくれねぇか?」
七色に輝く硝子球が嵌め込まれた金色の指輪。
翠の光を中央に抱いて、楚々と煌く。
玩具にしては上等な細工と内側に刻まれた古代文字。
「兄ちゃん、べっぴんさん連れてんねぇ!!」
受け取って金貨をその手に握らせる。
「まってな、こんな大金に出せる釣りは……」
「いらねぇよ。連れをほめられて俺は機嫌良いんだ」
そのまま人ごみにまぎれてしまう二人。
後にその二人が王族だと知り、男は驚愕することとなる。
「アスリア、少し休もうよ。歩き疲れちゃった」
「晩飯食ってねぇもんな……どっかに宿とって……」
この街に共に来た仲間は、離れ離れ。
「……リトル……」
「あの頃はつらい事もたくさんあったけども、楽しかったね……」
ロトの血など絶えてしまえば良いと何度願っただろう。
役立たずの王族と詰られながらの旅だった。
「今だって、つらいことはいっぱいだけども楽しいと思うんだ」
「ああ…………」
その笑顔のためにならば何を厭おうか。
「雨だって、嵐だって……魔神官だって乗り越えてきたじゃない」
いつも隣り合わせ、背中合わせ。
剣と魔法を携えて走ってきたあの日々が今は愛しくて愛しくて。
「だな……俺らにできねぇことなんざねぇってことよ!!」
満たされた食事とのんびりとした空間。
普段は王宮に閉じ込められてばかりだと青年は愚痴をこぼす。
「俺もさ、リトルみてぇに外交してぇのよ」
「うちに毎日来るじゃない。あれだって立派な外交だよ」
注がれたワインに口をつけて、くすくすと笑う。
「いや、だからさ。ほかの所とかと……あー……即位かぁ……面倒なの俺嫌なんだよねぇ……」
ベッドの上に体を投げ出す。
天蓋のない風景はどれほどぶりだろう。
あの頃は暖かな寝床など贅沢以外の何物でもなかった。
「…………………………」
「思い出した?」
「ああ」
「僕はたまにロンダルキアに来るんだ。今を当たり前だと思わないために」
「……そっち行っても良いか?」
「どうぞ」
ベッドに座り込む女の膝に頭を投げ出す。
「うわ、至上の幸福」
「野宿も楽しかったねぇ。リラと出会って、ベレッタとであって……モハメさんにびっくりして
ラゴスたちとか……何一つ、無駄なものなんてなかったね……」
今はたった二人になってしまった。
けれども、二人ならば何とかなるかもしれない。
「あいつが竜と人との架け橋になるって旅立ったんだ。俺だって負けられねぇ」
意志の強い瞳と煙草の香り。
「ムーンペタ……君に出会ったときびっくりしたなぁ。ラーの鏡が割れて君が現れて……」
真白の犬は青年にその姿を変え、何よりも心強い仲間になった。
三人でいつも、喧嘩ばかりしながら前に進んできた。
二本の剣と魔道師の杖。
頼りなかった三人の王族は、立派なロトの血を持つと証明するように。
「俺もやっと嫁に逢えたって……はは……ほんの少し前のことのはずなのにな……」
この空間に二人だけ。
それがどれだけ希少な物なのかも知っている。
「済し崩しじゃ駄目だよな……やっぱ……」
「明日、一緒に世界樹にいってくれる?」
「ああ……喜んで」
希望も絶望も、両手で抱きしめてこの空を歩いてきた。
翼は無いけれども君のところまで飛んでいける。
「すっげ眠い……けど、寝たくねぇ……」
青年の額にふる唇。
そのまま引き寄せて今度は深く重ね合わせた。
絡まる舌先と何度も分け合う呼吸。
甘さと苦しさを混ぜ合わせて劣情を引き出す。
「……っは……」
「時間は無駄にしたくねぇよな」
「甘やかすとつけあがるだろ?君の悪い癖だ」
対等にありたいから、君と同じ世界を見るために。
「世界中の種で勘弁してくれ。城じゃ落ち着いて抱けねぇ」
月を包むあの日の光。
二人に降る甘い奇跡。
1:14 2008/03/24