◆種◆





「お父様……南の空が燃えてます……」
サマルトリアでは姫君が、胸で指を組んで南方の空を見つめていた。
あの空の果てでこの国の王子は命がけの戦いを繰り広げている。
「リラ様もお帰りになりません。兄さまは……」
考えてはいけない。それはわかっているのに。
「レム。信じよう、この国を護るために旅立ったロトたちを」
騎兵団も魔導師たちも、今では誰も王子のことを笑うものなど居ない。
「ルビス様……どうか、兄様たちをお守りください……」
この空を護るために、その狭間で戦うものたち。
そのものたちを敬意を込めてロトと称した。
ロトは一人に贈られるものではなく。
彼らに関わった全ての人に対する敬称なのだから。
もうじき来る朝焼けを、みんなで迎えるために。
この世界に光を再び取り戻すために。




ロンダルキアは地下迷宮。迷い込む魂を捕らえて生き永らえてきた。
「ネブラスカ!!右と左どっちだ!!」
先頭に立って死霊の騎士たちを撃破するのはラゴス。
「左です!!」
幾重にも張り巡らせた魔力の壁を突き破って、三人は最下層を目指す。
伝説に聞く「死のオルゴール」を手に入れるために。
おそらくはそれがハーゴンとその子供を眠らせることの出来るたった一つのもの。
「走ってたんじゃどうにもなんねぇか……」
指笛を一吹き。ぎゃあぎゃあと喚きながら現れた翼竜に乗り込む。
光の轡を噛ませてラゴスは手綱を握った。
「最下層目指すぜ!!」
自分たちにできることは小さなことかもしれない。それでもここが希望の最果てではないと
信じながら進むしかできないのだ。
「ベレッタ起きろ!!出番近いぞ!!」
身体を起こす女を支える青年の手。瞳をしっかりと開いて剣を構える。
襲い来る魔物たちをなぎ払い、霞む目を擦った。
「精霊よ!!ロト!!お力を!!」
剣先に炎が宿りあたりを切り裂く。
たった一つの光を守るために。





ぎりぎりと剣が交わりあい、女二人は死闘を繰り広げる。
サマルトリア王国を背負ってここまで来た少女と、魔界一の剣士の称号を得た女。
「ベリアルのように私は女に甘くはないっ!!」
振り下ろされる破壊の剣は少女の肋骨を狙う。
どうにか受け止めて切り返すものの重圧のある剣は一掠りだけでも傷が深い。
「ボクだって……ボクだってここまで来たんだ!!負けるわけには行かない!!」
たとえここで得る平和というの物が一瞬だけのものであっても。
信じて待っていてくれるたくさんの仲間のために。
「我らは負けるわけには行かぬ!!積年のこの思い……ハーゴン様の世界のためにも!!」
魔族はそれだけで迫害されてきた。彼らにとって唯一つの希望がハーゴンなのだ。
アトラスが女ながらにしてこの位置にいるのはハーゴンの理解が大きい。
今まではどんな実力者でも家柄でも『女』と言うだけで下官に甘んじるしかなかった。
そんな彼女を側近に引き上げたのが当時まだ魔神官になりたてのハーゴンだったのだ。
アトラスを妹のように可愛がり、どこに行くにも引き連れる。
そしてハーゴンが大神官として頂点に立ったとき、アトラスを側近として名指しした。
「ハーゴン様のためなら……この命などいらぬ!!」
約束の日はもうすぐそこに。
この手を伸ばせば触れられる場所まで来ているのだから。





初めて彼女を見たときに、すべての生命で最も美しいと終えるほどだった。
「お隣、よろしい?」
形の良い唇とどこか柔らかな笑みは少女特有のもの。
前髪を上に結んだ神官は剣士の隣に腰を降ろした。
「さっき、衛兵の訓練が見えたの。その中でもあなたが一番綺麗な太刀筋だったわ」
「…………どんなに腕が良くたって、女は騎士にはなれない……」
うな垂れる横顔。そっと少女の手を女は取った。
「そんなことない!!あんなに綺麗なのに……絶対にそんなこと無いわ!!」
重なる手の肌理の細かさ。おそらく剣など一度も握ったことなど無いだろう。
薄い爪はほんのりと色付く若草。光加減が歌う茜色。
「私、ハーゴンジェルジュ。ハーゴンで良いわ。あなたは?」
「……アトラス・ディロウ……」
「いつもここにいるの?アトラスは」
深緑の髪に猫目の剣士は小さく頷く。
「じゃあ、私も礼拝が終わったらここに来ようっと。新しいお友達もできたし」
そばかすだらけの顔と、筋肉質の身体。
短く切られた髪は癖でそちらこちらがぴんぴんと跳ねてしまう。
化粧などしたこともなく、肌は日に焼け小麦色。
「いいなー。そばかすと笑窪が可愛い」
「え…………」
男でもよろめく様な剣を片手で操る彼女にとって、可愛いなどという言葉は縁遠いものだった。
疎ましがられることはあっても好まれることは無い。
鏡を見るのは憂鬱と隣り合わせ。
家柄は良くともその外見は女らしさとは相反するものだった。
「でも、私……あなたみたいに綺麗じゃない……」
「綺麗よ。剣を振るってるときのアトラス、すっごく綺麗だった。だから見惚れてたの」
胸に抱く逆ルビスの紋章は、彼女が大神官であることを証明する。
下士官の自分とは開きすぎる格差。
「ハーゴンでいいのよ。アトラス」
「でも…………」
「私たち友達でしょ?」
少しだけ膨らむ頬の色は薄桃。
「じゃあ……ハーゴン姉さま……」
「それでも良いわっ。私、妹が欲しかったの」
この人の笑顔は世界で一番綺麗なものだと思えた。
この人のためならばこの命など惜しくないと。




それからどれほどの月日が流れたのだろう。
ハーゴンの部屋に出入りするようになり、夜な夜な二人で夢を語り明かした。
髪を梳くこと、頬に乗せる柔らかな魔法の粉、乾いた唇には優しいクリームを。
一つのベッドに並んで眠り、同じ夢を重ねた。
急速にその魔力を強め、ハーゴンは神官たちを総括する司令官となる。
そしてその朝に、アトラスを大神殿へと呼んだのだ。
「ハーゴン姉さま、何用ですか?」
「あ、良かった。アトラスも早くこっちに来て」
つれてこられた部屋には複数の侍女。それぞれが手にブラシやら硝子の瓶やらをもって
にこやかにわらっている。
「みんな、私の可愛い妹よ。でも、今日は特別な日だからもっともっと可愛くしてあげてね!!」
「ね、姉さまーーーーっっ!?」
跳ねた髪は綺麗にセットされ、華美過ぎぬように凛と化粧を施す。
稽古着は礼拝用の正装に。
何も分からないままにアトラスはハーゴンを見つめた。
「はい。これは私からのプレゼント」
緋色の袱紗に包まれた一振りの剣。
そっと開けばそこにはハーゴンの紋章が記されていた。
「私を守る剣士として、傍に居て。私……ただ一人の神官になるわ」
魔族は人間に追われ今はこのロンダルキアの裾野に僅かに生息するばかり。
ハーゴンを含む純潔魔族は数えるばかりとなった。
「ずっとこの日を待ってたの。私たちだって生きる権利があるはず……力をつけて
 全ての魔物たちを目覚めさせるだけの魔力を得る日を!!」
崩れ落ちる父母を見たのはいつだっただろう。
あの日に誓った復讐を形にするために、彼女は階段を駆け足で上った。
踊場で見つけた少女と手を繋ぎ、今度は二人で高みを目指す。
「ジェルジュ、いい加減にしないと式典に……あれ?この子がうわさのアトラス?」
「そうよ。私の自慢の妹なんだから!!グルーベル、何かしたら怒るからね!!」
グルーベルといわれた青年は目の前の少女と同じ顔。
一つの卵から生まれた二つの命はこのロンダルキアに革命を起こした。
ハーゴンを頂点にして築かれた若き命の軍は次々に各地への進軍を開始する。
その中でも彼女が手を焼いていたのが魔法国家ムーンブルクだった。
「ハーゴン様、アトラス参りました」
深々と礼をとり顔を上げる。
剣士としてはハーゴンの側近となったアトラスは、これで名実ともに最高位に就いた。
もう誰も彼女を笑うものは居ない。
ハーゴンに異を唱えた老魔道士たちは首を刎ねられ皆、死霊魔術軍として動いている。
暗殺者はアトラスの剣の前に露と消えた。
「アトラス!!ちょうどお茶が入ったの。さっき、クッキーを作ったんだけども……久しぶり
 だったから形が不恰好になっちゃった。でも、味は美味しいわよ」
「お茶で……私をお呼びに?」
「だって最近忙しくて、一緒に本を読んだりもできないじゃない。それに……」
玉座から降りて、少女の元に駆け寄る姿。
「私たち、友達よ。一緒にお茶を飲んだりお菓子食べたっておかしくないじゃない」
冷酷無比と言われる彼女も、アトラスの前では穏やかな笑みを浮かべる。
「ハーゴン姉さまったら……言って下されば美味しいジャムの一つも持ってきたのに」
「あはは。だって時間ができるなんて思わなかったの」
テラスからはロンダルキアのふもとが一望できる。
お気に入りのこの場所であれこれと会話をするのがハーゴンの楽しみの一つだった。
普段ならば侍女たちに入れされる紅茶も、アトラス相手の時は自らの手で。
それだけ少女は大事な存在だった。
「アトラス、聞いて」
ほろほろと甘いクッキーを一口齧って、アトラスは女を見つめた。
「私、子供ができたの」
「ええっ!?」
「すごく楽しみ……もう名前も決めちゃった。シドーっていうの。伝説の破壊神から
 もらっちゃった」
しかし、今まで彼女に浮ついた話など一度も無かった。
むしろ高貴すぎるが故に誰も近付くことなどできなかったのだから。
「え……でも……誰の……え……!?」
「グルーベルよ。神官同士の血を合わせればより強い命を産む事ができる。私一人では
 この世界を動かす力が足りないの……でも、今の私にはこの子が居る!!私は………
 …神を産むの…………」
近親間での妊娠は人も魔族も禁忌とされている。
「グルーベルもきっと喜んでるわ……この中で」
大事そうに腹を摩って、微笑む唇。
「今の私には恐れるものなど何も無い……この子が私に力をくれる」
その言葉の通りにハーゴン軍は各地で次々と領地を広げていく。
そして運命の日はやってきたのだ。



その日も何時ものように謁見を済ませ、軍議が開かれていた。
法衣を纏った女を中心に、地図を広げて次の狙いを定める。
「一番の厄介なのはこの国……魔法国家ムーンブルク」
ロト三国でもムーンブルク公国はハーゴン軍と熾烈な戦いを繰り広げていた。
国王を頂点とする魔道師たちはどれも自軍と引けを取らない。
皇太子となったアスリアも今やその名を知らないものは以内ほどの実力だ。
「ハーゴンさま。私が行きます」
名乗りを上げたのはアトラス。
「頂戴しましたこの剣とともに」
「いいえ。アトラス……あなたはここに居て頂戴。剣士であるあなたでは相性が悪い……
 ムーンブルクは魔法国家。剣をも封じてしまう」
憂いは花となって宙を舞う。
そのため息さえも美しい魔性の女。
「ベリアル、あなたに命じます。ムーンブルクを殲滅しなさい」
「…………分かりました。ベリアル、参ります」
その言葉を面白く思わないのが、同じ魔道師として三巨頭に名を置くバズズだった。
血筋と家柄も由緒正しいのがベリアルならば、己の力一つでこの地位を射止めたのはバズズ。
実力に差は無い二人の男。
「ハーゴン様。何故俺では駄目なのですか?」
「これは、ロト三国への宣戦布告……ひいてはこのハーゴン軍の力を見せ付けるための大事な
 一戦なのです。礼を欠く戦いは許しません」
騎士道精神を持つベリアルを彼女が選んだのはその考えの差からだった。
勝つだけではなくいかに美しく魅せるか。
「命令違反は許しません」
その言葉の通りにムーンブルクはベリアルの率いる軍によって滅ぼされた。
唯一つの命を残して。
それが、全ての始まりだった。




「お前だけは……絶対に許さねぇっ!!」
自分に向かってくる青年は、あの日の幼さはもうない。
ぶつかり合う呪文と追い詰められる精神。
支えてくれる仲間が隣に居る喜び。
ともに笑って泣いて、そして夢を分け合った。
生まれてきたことの意味を知り、その全てを恨むことをやめた。
歩ける足と見える目。未来へ進むためのものは何一つ欠けてなどいないのだ。
「お前たちでは未来は作れん!!我らがハーゴンさまにのみ、この世界を浄化することができるのだ!!」
全ての命を破壊し、もう一度生みなおすための神を腹に宿す女。
「これが……最後だぜ……」
始まる呪文の詠唱が重なる。おそらくどちらも最後の一撃となるのは明白だ。
そして、同じように女二人の戦いにも幕が下りようとしていた。
「うぁああああああっっ!!!!!」
振り下ろされる剣が右肩から斜めに少女の身体を切り裂く。
それと同時に光の剣が女の心臓を貫いた。
「……っ…は………」
よろめきながらゆっくりと後ずさりする。
震える指先から落ちた破壊の剣が、からら…乾いた悲鳴を上げて床を這った。
剣先が引き抜かれると同時に噴出す大量の血液。
「ハ……ハーゴン……姉…さ…ま……っ……」
零れ落ちる体液をそのままに、猛烈な勢いで腐食の始まる身体もそのままに。
アトラスは扉に指先を伸ばす。
この扉の奥に、ただ一人自分を認め必要としてくれた人がいる。
「……姉……さまぁぁああああっっっ!!!!」
髪が抜け落ち、ただれた皮膚は崩れ落ちる。
そこにあるのはただ、非業の死を遂げた戦士の骸だった。
「早めにけりつけねぇと……嫁が死んじまうもんでな」
霹の杖を振りかざし、青年は狙いを定めた。
唯一つ、男の首だけに。
「行くぜ!!これで終わりだっっ!!」
ぶつかり合う爆風をまともに受けて吹き飛びそうな身体をどうにかその場に留める。
(親父……みんな……俺に力を……っ!!)
床に突き刺さった光の剣を引き抜き、爆風の中を走り抜けて。
壁にたたきつけられて身動きもない男の首にその剣先を突きつけた。
「言い残すことは……ねぇか……」
「……やれ……俺の最後の相手がお前ってのも皮肉なものだ……」
ただ一度だけ生涯で彼が悔いたのは。
理解し合えたかもしれない相手の首を切り落としたことだと後に小さく呟く。
それは歴史の間に埋もれた昔話。
「リトル!!」
抱き起こして傷口に手を当てる。ぼんやりとした優しい光が少女の傷を縫い合わせるように
して閉じていく。
「……っ……た……」
「良かった……生きてんだな……」
「酷い顔だよ……煤だらけだ」
指先が青年の頬を拭って。
「大丈夫。まだ行ける……早く、レイたちのところに」
「ああ」
 



誇りまみれの回廊を抜けて、たどり着いたのは小さな部屋。
漆喰の剥げた壁と鼻を突く黴の匂い。
「あったぞな……これが……」
朽ちた札をそっと外せば、悲しげな音色が微かに響いた。
「全てを眠らせる……死のオルゴール……」
「行きましょう。いつまでもここにいるわけにも行きません」
両腕を前に突き出して、風の刃を生み出す。
壁を崩しながら今度は一気に上昇しようという算段だ。
「ここからまっすぐ上にいければ、大神殿にたどり着くはずです!!」
ネブラスカの風に乗るようにして、翼竜をラゴスは上昇させる。
降り注ぐ破片を払いながら、ただ上を目指して。
「ネブラスカ、少し休むぞな。あちきがやる」
ラゴスの隣に立ち、女は静かに呪文を詠唱した。
その声に反応するように空気がざわめき、女の姿が変化していく。
「……古の呪文……ドラゴラム……」
美しい飛龍に姿を変え、乗れと促す。
『あとはあちきが運ぶ。お前は家族を連れて早くお逃げ。もうじきこの城は崩壊するぞな』
翼竜を逃がして、今度は桁違いの速さで上昇を始めて。
襲い来る魔物はその炎の息吹で焼き払う。
古い魔法書に残された最初のロトたちが記した呪文。
呪ったはずのメルキド族の血が、この魔法を現実に変えてくれた。
「急ぐぞ!!ベレッタ!!」




女の指先から炎が生まれ、二人の身体を包み込む。
「レイ。儂が龍になって援護しよう」
「頼んだ!!俺は……あの女の首を狙う!!」
稲妻の剣を一振りして、火球を切り裂き大地を蹴る。
剣先を同じように長剣で受け止め、今度はハーゴンが切りかかった。
大神官としてロンダルキアの生命全てを統括するもの。
その強さに偽りは無い。
「うあああああああっっ!!!!」
「斯様な下賎な剣……私の相手ではない!!」
襲い来る龍の息吹は炎となる。しかし、それさえも粉砕する女。
「私は神の子を生んだ。そして……今度は私が神となる!!」
「それは……どうかな……」
「!?」
誇りまみれのローブを引きながら、影が動いた。
「リトル……アスリア……」
「僕たちは仲間だよ。旅の終わりまで一緒にいるって言ったじゃないか」
三つに分かれたロトの血が今、一つになろうとしている。
「うふふ……三人そろったところで私に勝てるわけがない……」
徐に赤子を抱いて、ハーゴンはその柔らかな喉に短剣を突き刺した。
そのまま引き裂けば、赤子はただの肉と化す。
「な……なんてことを……」
ごくごくと血を啜り飲み、肉を食い散らす。
我が子を食らうその姿はまさしく悪霊の神そのものだった。
「!!」
その姿がゆっくりと変わり始める。
肩口と肋骨から生える二対の腕。伸びた牙と額に現れた三つ目の瞳。
先ほどまでの秀麗な姿はなく、おぞましい魔物がそこに生れ落ちた。
『私はこの世界の神になる!!お前たちは私の腹に入るのだ!!』
まるで蜘蛛のようになった脚と、膨らんだ腹。
「……やるぞ!!これが最後だ!!」
これが最後の戦い。
そして、始まりの終わりだった。



この世界に生れ落ちた種。
芽吹きの季節を静かに待つ。




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21:31 2006/02/21

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