◆月光蟲◆
これが迷いならば、永遠にさまよっていよう。
この恋が間違いだと言うのならば、正しさなど――――――要らない。
「王子の御帰還です。サマルトリアのリトル様、ムーンブルクのアスリア様も
ご一緒の模様です!!」
兵士の声に、場内は俄かに色めき立つ。
出国してから、レイは一度も帰国した事は無い。
リトルのように近況を報告することも無く、伝聞で来る武勇伝ばかりがローレシアには
溢れていた。
「親父、何の用だ?」
居並ぶ四人の姿に、衛兵達のざわめき。
それは、彼女に向けられたものだった。
「馬鹿息子が。魔族を連れての帰国とはな」
「魔族?老眼でも来たか?クソ親父」
彼女を庇う様に、リトルとアスリアは前に出た。
「お久しぶりです。ローレシア王」
「これはこれは。サマルトリア王子。ムーンブルクのアスリア殿も」
一国の王というにも拘らず、アスリアは呑気に煙管を咥えたまま。
法衣のヨレも直さずに、汚れたままの姿。
「我が息子は、役に立って居るかな?」
「それなりにはな。魔法の一つくらい憶えさせてやったほうがコイツのためだったんじゃ
ねぇのか?おっさん」
アスリアの腕を掴んで、リトルは首を振る。
ロト三国と称されても、お世辞にもムーンブルクとローレシアは友好的な関係では無い。
片や武力で制する国、そして一方は魔法国家。
どちらも国王が統治する国である。
女系国家サマルトリアは二国の橋渡し。
先代のサマルトリア女王は、二国の王達を一喝してはその平定を保ってきた。
「馬鹿息子が。魔物に絆されたか」
「だから、魔物なんていねぇだろーが。誰か親父に老眼鏡持ってきてやれよ」
「その女は、魔族だろうが。わしとてこの国の王だからな」
「リラのどこが魔物だってんだよ。タコ親父が」
罵倒には慣れている。罵詈雑言にも。
その程度の言葉では、薄皮一枚傷つけられない。
「んで、何の用だって?」
「これをくれてやろうと思ってな。だが、まさかお前が魔物を連れてくるとは思わなかったが」
「しつけぇな。リラは魔物じゃねぇって」
押し問答は終らない。
「儂が、魔物と?人間の王よ」
それを止めたのは、女の静かなる声。
銀の髪が光に踊り、まるで糸のように煌く。
「儂は竜族の長。一介の死神風情と一緒にはされたくないな」
「竜も魔物も変わらんだろう。竜王は我らが祖先のロトに殺されたはずだが?」
「竜神を愚弄するな、人の王よ」
女の指先が円を描き、そこに灯る小さな炎。
一つ。二つ。次第に増えてローレシア王の眼前に。
「理解しあえること、嬉しいな。人の王よ。そなたの息子は儂の話をきいてくれた」
「その身体で我が息子を取り込んだか?」
「何言ってんだ!!親父っ!!」
リラは小さく首を振る。
「儂が何を言っても、人間の王は聞き入れぬだろう。我が竜族、サマルトリアは警護しても
こちらまでは手は回せぬぞ」
「魔物の加護など要らぬ。サマルトリアも落ちたものだな、王子よ」
ゆっくりと前に進み出て、リトルは小さく頭を下げた。
そして、力いっぱい王の胸倉を掴んで言い放つ。
「その宣戦布告、受けますよ。我が国に対する侮辱だ」
霹の杖をその喉元に突きつけたのはアスリア。
「ムーンブルクとサマルトリアは同盟国だ。ついでに言えばこいつは俺の未来の嫁なんでね。
嫁の実家、馬鹿にされりゃ黙ってるわけにゃいかねぇな」
「魔物に守られる国と、すでに亡国となったもの。傷の舐め合いか。愉快なことだ」
王は、怯む事無く笑う。
それが軍事国家ローレシアを作り上げた男だ。
「親父!!」
「哀れだな、人の王よ」
小さく、小さく、彼女の声が紡ぐ言葉。
「そなたの息子は、そなたには似なかった。我らを認め、尊重してくれる。ロトとは
かようなものだと思ったよ。王子も皇女も、我らを認めてくれた。この忌まわしき
呪いも、何もかもを直視してくれたよ」
空気がざわつき、女の身体がゆっくりと変貌して行く。
褐色の肌に、靡く金の髪。
赤い瞳の長く伸びた耳。
肌に浮かんだ鱗と、唇の端から覗く鋭利な牙。
「本性を現したか、魔物め!!」
「人の王よ。話は後だ」
窓辺に立って、リラは水晶の笛を吹いた。
程なくして現れたスカイドラゴンに飛び乗って、剣を構える。
「リラ!!」
「来るぞ。さっきも言った通り、我が騎士団はサマルトリアの援軍に出ている。
今、動けるのは儂だけじゃ」
「我がローレシア軍は魔物如きに屈することは無いぞ」
王の一声で、兵士達は一斉に持ち場へと走り出す。
その動きたるや、軍事国家の名に相応しい。
「……そうか。儂の力は要らぬのだな?」
竜神は剣を下ろし、竜の背の上で優雅に足を組んだ。
「ここに向かっているのは魔神官どもよ。人間であることを放棄し、その力のみを
求めた者たち。剣で叶う相手ではない」
光る銀の爪と、小さな指。
どれだけローレシア軍が強力でも、人間を捨ててまで力を得たものとでは比較にはならない。
「レイ、リトル、アスリア。来るが良い」
それぞれがスカイドラゴンに騎乗して、ローレシア城の上空を旋回する。
「リラ、どうするの?」
「人の王がああいうならば、儂には何もできぬよ」
少女二人は向かい合って、腕組み。
「ガキ。お前の親父、超性格曲がってんな。流石はお前の親父だ」
「うるせぇ!!俺は御袋似なんだよっ!!」
言い合う男二人は無視を決め込んで、竜を操作して行く。
数の上ではローレシア軍が上だが、魔神官達はそれをも粉砕する力を持つ。
「このままじゃ、全滅だな」
首をこきり、と回してアスリアは霹の杖を構えた。
「こいつらの親玉はベリアルだろ?だったら……俺が行く」
「勝てると思うのか?ロトよ」
「例え馬鹿なおっさんの国でも…………国が滅ぶのを、もう見たくねぇんだよ」
国を失い、全てを失う。
その悲しみは、自分ひとりだけでいい。
「…………そうか。ならば」
赤い瞳が小さく光り、女の身体が変化して行く。
「!!!!」
それは一匹の美しい銀竜。
『乗るが良い。ロトよ。儂がそなたの翼になろう』
「すまねぇ。エロガキ、リトル……援護頼んだぞ!!」
リラは上空を旋回して、一気に急降下する。
「はいはいはい……大地の女神ちゃんたちよ。俺にちょっとばっかその力を貸して
くれやっっ!!」
頭上から落下する火玉に、魔神官達は応戦してくる。
数を物ともしない戦い方。
魔法国家ムーンブルクの血脈。
「んじゃ行きますか……息衝く大地の精霊たちよ。ルビスの御名に於いて我にその力を!!」
銀の鳳凰の爪。それが護する紫水晶が光り輝く。
極大爆発呪文イオナズン。魔道士の最高位の呪文の一つだ。
「レイ!!僕の後ろに!!」
余波は容赦なく二人を直撃する。
リラの吐く吹雪とアスリアのイオナズンの混合技を回避できるほど魔神官たちも力は無い。
あくまで彼らは人形なのだ。
かつては人間だったが、それを捨てて力にとらわれてしまった故に。
「!?」
人差し指の先端から生まれた光が、二人を包み込む。
強くなったのはアスリア一人だけではなかったのだ。
「隠し玉持ってんのは俺だけじゃないってことか」
左手に剣を構え、レイは腰を低めに下げる。
「リトル、ベギラマを俺の剣にぶつけてくれ」
「ええっ!?」
「雑魚は纏めて一掃してやるぜ」
ロトの剣に炎を従えて、レイは鮮やかに空を斬る。
曲者揃いのロトの子孫たち。三人寄れば不可能なことなど無い。
「親父!!兵を引けぇっっ!!!」
「みんな、撤退して!!」
二人の声に、兵士達は城へと我先に戻って行く。
『やっぱし、俺が出ないとダメかな?』
空間の歪みから、響いてくる声。
悪魔の目玉を従えて、その中央で笑う青年の姿。
「…………嫌な事、思い出してきた」
「あのときはいい物見せてもらったよな……がっ!?」
無言で入る肘打ちに、レイが身体を丸める。
「人の嫁にちょっかい出してんじゃねぇぞ、コラ」
「ベリアルから聞いてるけど、お前らがロトの子孫?なんだか貧相な子供ばかっかりだな」
バズズ、と名乗る男は犬でも愛でるかのように悪魔の目玉を撫でた。
「俺も居るんだけどな」
「暇人だな、アトラス」
ハーゴンを守る三人の魔族。
ムーンブルクを落城させたベリアルをいれたこの三人が、ロンダルキアの城を守護するのだ。
「竜神まで揃ってな。面白いものを見せてもらったよ」
「女が俺とか言わないほうがいいぞ、アトラス」
「んー……どうでもいいけどさ」
深緑の髪をかき上げて、アトラスはくすくすと笑う。
「暇人だけど、野暮用があるから帰る。ただ、ロトを見に来ただけだし。ベリアルの人形
またつくってやらないと。人形作りは楽しいからね」
アトラスの視線が、ふい…とリトルに向けられた。
「いいネ。すごくイイ。あの子も飾っておきたい」
「大層な趣味だな」
「早くロンダルキアへおいで。ロト」
背に負う剣からして、アトラスは剣士。
そしてバズズは魔道士だろうとリトルはレイに目配せした。
ベリアルを討つのはアスリア。
ならば自分が向かうのはおそらくこの男、バズズ。
「またね。ロト」
「本当に顔見せだけかよ……あいつ……」
ぱちん、と片目を閉じてアトラスの姿が消える。
それと同時に現れたのはべビルの大群だった。
「げっ!?可愛い顔してても食えねぇってかぁ!?」
飛び交うベギラマの炎に、防戦一方の三人。
ぎりぎりと歯軋りして、アスリアは呪文を唱える。
「にーさまぁ!!レムリア、ただいま参りましたっ!!」
その声に振り向けば、妹の姿。スカイドラゴンを操って、単身サマルトリアから駆けつけてくれたのだ。
「リトル様!!」
「リトル王子!!我らも参りました!!」
サマルトリアの精鋭部隊。それぞれが武器を持ち、隣国であるローレシアに援軍に。
「リトル様、我が祖国は大丈夫です。リラ様の騎士団と……国王が結界を生み出してくれました!!」
そばかすだらけの女神官は、幼馴染の一人。
巨大な弓を構えて、次々にべビルを射ち落としていく。
「大神官さまも前線でがんばってくださいました。レムリアさまも」
二刀流の剣士は、兄のように接してくれた衛兵。
まるで皆、家族のように過ごしてきたあのかけがいの無い日々。
「アスリアさま!!リラ様の変身を解除してくださいませ!!それまでは私が代わりますっ!!」
「レム、君だけじゃ不安だ。僕も一緒に」
兄と妹。呼応する魂の二人が一人の男を見据える。
「兄弟。いや……姉妹とでも言おうか?サマルトリアのお二人さん」
全身を黒衣に包んだバズズはレムの顔を覗きこんだ。
「君のお兄ちゃんをやっつけて、いけ好かないバケモノ倒したらお嫁さんにしてあげるよ」
「妹には指一本触れさせない。君と戦うのは僕だ」
「元々女の子だったら良かったのにね。可愛い顔してるのに」
バズズの鼻先を掠める弓矢。
「サマルトリアの女の子は皆、強くて可愛いね。ますます気に入った」
わらわらと群れてくる目玉と、夥しい触手に走る悪寒。
ドラゴンの角でのあの忌まわしい記憶が、鮮明に蘇る。
(あんな思い……僕だけで十分だ!!)
槍先が次々に巨大な眼球を貫く。
それでも、目玉は無尽蔵に湧き出してくる。
「!!」
手首に絡みつく触手と、襲い来る恐怖。
「!?」
それと同時にみしみしと槍に皹が走り出す。
手入れを怠ったことなどなく、むしろ長い戦闘に耐えてくれた戦友のような存在。
「う、嘘だっ!?」
「人間の作るものには限界があるからね。それはこっちも同じだけど……」
ばきん!と悲鳴を上げて槍が砕け散る。
「させるかぁっ!!」
レイの剣がバズズ目掛けて斬りつけ、同時にアスリアの呪文が炸裂した。
ロトの剣にイオナズンを従えた高等剣術。
いがみ合っても見つめる未来は同じなのだから。
「まぁ、いいや。ロンダルキアで待ってるよ。俺も」
一斉に襲いかかった男二人の剣と杖を、バズズはそれぞれ受け止めた。
「!?」
「嘘だろ!?おいっ!?」
砕け散るそれらを笑うかのように、バズズの姿も消えていた。
負傷者で溢れかえった城内と、祈りの声がこだまする礼拝堂。
従者と共に、レムはサマルトリアへと戻って行った。
「ロト、顔色が優れぬ」
「……大事な友達をなくした気分だよ。この槍とずっと一緒に旅をしてきたんだ」
項垂れるリトルの両隣で同じように、肩を落とす男二人。
「霹の杖はよー……ムーンブルクから持っていた唯一のものだったんだぜ……あの
バケモノ、絶対にブチ殺す」
たった一つの、祖国との絆を失って、アスリアは苛立ちと焦燥を抱えて煙草に火を点けた。
「リラ、ごめんな。馬鹿な親父で……しかも、俺まで剣折られちまったよ……」
項垂れるレイとアスリアの頭に手を置いて、ぽふぽふと子供あやすようにリラは撫で擦る。
「ロトが三人揃って酷い顔じゃぞ。しっかりせい」
ばらりと一枚の紙を広げて、三人を呼び寄せた。
「これは?」
「地図じゃ。船を進めるにも便利だろう」
「……世界は、こんなにも広いんだね……」
まだ見ぬどこかの街で、魔物と必死に戦いながら明日を請う人が居る。
「わしは、此処を守る」
リラの指先が示したのはサマルトリアを基点とした一帯。
そこにはローレシアも含まれていた。
「ロト、人の王は寂しい人だ。だからこそ、力に頼る」
「お袋死んでからだもんな……親父の馬鹿に拍車が掛かったのは……」
誰も一人ではない。
それでも、傍にいてくれる優しい誰かが居なければ、人は簡単に狂ってしまう。
「今日はゆっくり寝て、明日また考えようぜ」
大きく伸びをして、レイはリラの手を取った。
「見せたい物があるんだ。来いよ」
「儂に?」
「リラにな」
大聖堂の裏庭。ほんのりと月光を浴びて輝く小さな花。
「ロトがアレフガルドから持ってきた花だぜ」
「これが……」
指先を伸ばせば、夜露が零れる。
「リラ。この花の名前だ」
「御父様はこれを我が名にしてくださったのか……」
初めて目にする同じ名を持つその花に、リラは唇を噛んだ。
楚々として凛と背を伸ばすリラの花。
竜神となり、気品高く生きて欲しいと願い、両親はその名を付けたのだ。
「何か、やっぱし似てるよな」
「綺麗……」
「本当はさ、摘み取って髪にでも挿してやりたいんだけど……この花が可哀相だからさ」
花一輪でも、懸命に生きている。
この花を見て、癒される誰かが居るかもしれないからと、少年は照れくさそうに笑った。
「十分だよ、ロト」
「俺、ロトじゃねぇよ。レイアルドって言う名前だぜ」
見上げた月は、十六夜の美しさ。
どこか恥ずかしげに笑うような光。
手を繋いで見上げるこの月を、美しいと感じられることがきっと幸せなのだろう。
「リラ、目ぇ瞑って」
「こうか?」
抱き締めて、触れるだけのキス。
少年は駆け足で、大人への階段を登り行く。
ただ、誰かを守り幸せにしたいという願いを抱き締めて。
「俺が王位継承したら、まずはアレフガルドとの国交を復活させて、それからリラたち
にの偏見を何とかしてぇよな。あとは、橋とか一杯造って色んな所と行き来できるようにも。
スカイドラゴン量産して、空中移動なんかも楽しくないか?」
銀の髪が、さららと揺れる。
「かーちゃんが生きてたら、リラ見て喜んだだろうな。竜神の御伽噺で俺を寝かしつけてた
からさ。かーちゃんはアレフガルドの方の出身だったらしいし」
人間は優しくて悲しい生き物。それは彼女の母も呟いていたこと。
「あんまり憶えてないんだけどな。ちっちぇころに死んじまったから」
「御母堂は、今もここに」
少年の胸を、そっと指先で押す。
「生きておられるよ。レイ、そなたと共に」
月光は、優しい幻を生み出してくれる。
故に、人は満月に囚われてその心を狂わせるという。
「んー……そっか。んじゃ、親父もそのうち思い出すことがあるかもしんねーよな」
同じように恋をして、同じように笑ったあの日々。
「俺の部屋行こうぜ。とっておきの風景があるんだ」
「嬉しい。人の城は美しいね。レイ」
この指先で確かめられる真実を。
一つずつ、探していこう。
この旅の終わりには、きっとそれが見つかるはずだから。
「いい加減に顔上げなよ」
「だってよ……この先俺にあいつ以上の武器なんて出逢えねぇよ」
「君らしく無いね。いつもの自信はどこに行ったのさ」
腰に手を置いて、リトルは首を捻った。
物事を即決で決められるリトルに相反するように、アスリアは一つの事に囚われ過ぎる。
「霹の杖は、全部で三本あるはずだよ。もしかしたら此処にもあるかもしれない」
「……そうかもな。明日、エロガキに城案内させながら探すか……」
のろのろと立ち上がって、リトルの隣に座る。
「ありがとうな。少し滅入ってた」
「ここいらで武器を新調するのは悪くないと思うんだ。いずれにしても寿命は近かっただろ……」
不意に触れた唇にと、押さえつけられる手首。
「んーーーーーっ!!」
歯列を割って入り込む舌先と、押し倒される身体。
「夜は長いよな。じっくりと傷心の姫を慰めてもらおうかと思いまして」
「こういうときだけ自分を姫扱いするのはおかしいと思わない?」
「男でも女でも、俺たちは婚姻結ぶ予定だったからな。別段おかしくもないさ」
柔らかい胸を、布腰に掴む手。
「か、勝手ないい分通すなーーーーっっ!!」
「王子、大声を上げては傷に響きますわよ?」
悪戯気に閉じられる片目と笑う唇。
夜道に灯る小さな光。
その名は―――――『希望』と言う。
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0:57 2005/03/23