◆甘い夢◆





精霊ルビスはロンダルキアを心の迷宮と称した。
その言葉の意味を三人は知ることとなる。



「アスリアーナ、支度は出来たか?」
「はい、お父様」
知的な光りを称えた瞳。薄い唇をほんのりと彩るルージュ。
ムーンブルク皇国の王位継承者、アスリアーナ皇女。
「お前よりも聊か年下だが、王子は聡明な人物だ。わが国に新たなる光りを呼びこんでくれるだろう」
父王の言葉に、彼女は静かに頷いた。
幼い頃から許婚とされてきた二人だが、王子の元服を機に正式な婚姻を前提とした関係に
発展させるのが今回の訪問の目的だった。
サマルトリアは王子と姫の居る唯一のロト三国。
「以前に舞踏会でお逢いしましたが……少しはしっかりとしたのかしら?」
あの日に見た少年はどこか頼りなくて、物腰が優しい。
たどたどしい手つきで自分の手をとって、ためらいがちに腰を抱いた。
それでも何よりも穏やかな海を称えた瞳の色と、耳に優しい声。
「男は急速に成長するからな。お前の予想を裏切るかも知れんぞ」
「まぁ、嬉しい。粗野な男は嫌いだけれども、野性味のある男は大好きですわ」




テラスに出てのんびりと階下を眺める少年の姿。
亜麻色の髪が光を受けて穏やかに光る。
「にーさまぁ!!」
「レム、どうかしたの?ああ、また髪の毛はねてる。今日はお客さんが来るから綺麗にしてないと
 笑われちゃうよ?」
妹姫の頭にそっと手を置いて、少年は目線を彼女の高さに合わせた。
サマルトリア王国の第一王子リトリア・ガーディ。それが彼の名前だった。
「さっき!!にーさまが結婚するって!!」
その言葉に少年は首をかしげた。
確かに自分には幼少の頃から決められた許婚がいることにはいる。
しかし彼に言わせればろくすっぽ逢った事もない相手と結婚する義務はない。
お互いを理解しあうことが出来なければ破談にしてもいいのだから。
「あはは。そりゃあいつかはするだろうけど、今すぐとかはしないよ」
「だって、お城の皆が!!」
「今日はムーンブルクのお姫様が遊びに来るんだ。ただそれだけだよ。それにお互いが
 駄目だなって思ったら結婚なんかしないし。父上と母上みたいな恋をしたいからね」
彼の理想は自分の両親。
それもあってか少々恋に恋する傾向がある。
「あっちからことわるかもしれないし。僕はしばらく結婚はしないよ」
「本当に?」
「うん。約束する」
小指が絡まってそっと離れる。
幼くして母をなくした妹に寂しい思いはさせないように彼は常に傍に居た。
「さ、寝癖直して着替えようね」
「うん」
優しい兄が居れば、それだけで小さな姫の心は満たされる。
水と緑の魔法国家は今日も優しい風に包まれていた。




ムーンブルクとサマルトリアの急接近に眉をひそめるのは軍事大国ローレシア。
元々ムーンブルク公国とローレシアの仲は良いほうではない。
サマルトリアは両国の間に属し立場も中立。
王子と皇女を抱え、唯一王位継承者が二人居る国でもある。
「あちらの姫とお前が婚姻を先に結べばいいだけの話だ」
「俺の代にあほな喧嘩しなきゃいいだけの話だろ、親父」
ローレシア王国の後継者はこの王子レイアルド。
魔法さえも剣で跳ね除ける力の戦士。
まだ若年ではあるがこの国を良いほうに導くであろうその瞳の光り。
「大体、サマルトリアの姫さんって俺より何個下だ?それに、あいつ敵にまわすようなことしたく
 ねーもん」
隣国ということもあり、サマルトリアの王子とは面識はある。
うかつに最愛の妹に何かすれば即日叩きつけられるだろう宣戦布告。
魔法国家サマルトリアを甘く見ることは出来ない。
「ムーンブルクだって話つければそんなに悪くも何ねーだろ?俺の好みじゃないけど
 戦争むやみにふっかけるほうでもないだろうし」
後に彼は父と同じようにロトの故郷の女性を娶ることとなる。
まだこのときは誰も予想すらしなかったが。





謁見の間に通されたのはムーンブルク国王とその愛娘。
サマルトリア国王の隣に佇む王子と、不安げに王子の手を握る小さな姫。
「若者通しの方が話もしやすいだろう。リトリア、アスリアーナ皇女を案内してやってくれ」
「はい」
静かに歩み出て、手を差し出す。
それを受け取って彼女は彼の隣に並んだ。
「にーさま……」
「お客様を案内するだけだよ。部屋に戻ってて」
「はぁい……」
項垂れる妹の額に小さなキスを。
それだけで彼女は笑顔を取り戻してくれる。
「後でね、レム」
「はーい」
小さな背中を見送って、皇女と城内を歩き出す。
その土地柄によってつくりの違う内部はある意味新鮮だ。
「幸せな妹姫ね。大事にされてるのが良く分かるわ」
「過剰だっても言われるけれどもね。僕にとってはったひとりの大事な妹だから」
兄として王子として、彼はこのサマルトリアを背負っている。
この間あったときよりもずっと伸びた背丈と、少しだけ低くなった声。
「そんな風に私も思われてみたいわね」
紫色の瞳が風を追う。
「君なら望めばどんな男だってその手中に落ちそうだよ」
「そう?」
「うん」
「あなたでも?」
視線が重なってじっと見つめられる。
それを外すことなく同じように見つめ返して。
「僕?」
「そう。あなたがムーンブルクにきてくれればきっともっと素敵な国になるわ」
アスリアの手をとって、王子は首を振った。
「国のために結婚なんかしちゃ駄目だよ。国を思うのも大事だけども、君は君の一番
 だと思う人と結婚しなきゃ。もし、その結果が自分なら嬉しいけれども、国の繁栄や
 発展のためなんて言葉は要らないよ。それじゃ君が幸せになれない」
皇女の政略結婚は、どこでも当たり前に行われてきた。
それが間違いであるなどと考えたこともなかったし、それを指摘するものもなかった。
「小さい頃から婚約者ってなってたけど、いやなら断っていいんだよ。幸せになれるほうが
 大事だからね」
「………………………」
自分よりも年下の彼は、何時の間にかずっと大人になっていた。
幼い頃の泣き虫の彼の姿はもうなくて、そこにあるのは丹精な青年の姿。
自分のことを思って、紡がれる温かな言葉の数々。
「ねぇ、国なんていらないわ」
「え…………」
「私、あなたとならこの先もずっと一緒にいられると思うの。その結果、私たちの国が
 もっともっと良くなれば嬉しい。でも……あなたと一緒にいられるほうがもっと嬉しいの」
ぎゅっと握られる手と、笑う瞳。
「結婚しましょう。幸せになるために」
「ええええええええっっ!!??ちょ、ちょっと待って!!」
今がこの恋の盛りなら、咲き乱れて破裂しても構わない。
王子の手をとって皇女は走り出す。
扉を蹴り上げて二人の王の前へと踊りだした。
「お父様!!決めましたわ!!私、王子と結婚します!!」
「唐突だな、娘よ」
「こんなにも私のことを考えてくれる方はこの先現れません!!私、幸せになりますわ!!」
晴天の霹靂、突然の大発表。
皇女の隣で王子は小さく「いますぐじゃないけどね」と呟いた。






「うひゃー!!気持ちいいぞなねーっ!!」
スカイドラゴンに騎乗したのは二組の男女。
竜神リラと海賊神官ベレッタ。ロンダルキアの魔神官ネブラスカとホビットのラゴス。
目指すのはハーゴンの神殿だ。
「あそこです!!リラさま!!」
青年の指す方へとドラゴンを旋回させて、降下させていく。
「ん?なにやってんだあの三人。固まってんぞ?」
「本当だな……」
「なんか回りに変なものでてきてるぞな」
武器を手に狙いを定める。魔物に囲まれながらも三人は動く気配すらない。
「ハーゴンの幻術かもしれません。今、僕たちが行けば同じことになります」
「じゃあ、どうすればいいぞな!!このままじゃみんなが死んじゃうぞな!!」
ここから何かで彼らに気付かせるだけのきっかけ。
それがあればいいだけなのに。
「……なぁ、これは駄目か?」
ラゴスが取り出したのは銀の竪琴と精霊の笛。
魔物を眠らせる音色とルビスの声を封じた音域。
「だが、誰が使うのだ?」
「あんたとベレッタ。女じゃなきゃ駄目なはずだ」
メルキドの街に眠っていた琴はベレッタが、精霊の思いを封じた笛は竜神が。
静かに奏でられる音楽が階下の地獄へと響き渡る。
それは過去からの思い。
それは昨日からの優しさ。
それは未来へのいざない。
それは明日への光――――――――。
重なり合う音色は光の渦となって三人を包み込んだ。





時間は瞬く間に流れてしまう。
宝物庫で古びた鏡を手に、王子は指先でその誇りを拭った。
「どうしたの?明日の式に響かないように早めに寝るって言ってたのに」
「母上の形見なんだ。太陽の神様をかたどったラーの鏡」
隣に座って二人で鏡面を覗き込む。
「曇ってるわね。貸して」
絹織りのハンカチで誇りを拭きとれば光りを称える。
「ほら、綺麗になったわ」
「ありがとう」
二つの国を挙げた挙式だというのに、当人たちはのどかなもの。
サマルトリアの王位は妹姫が継承することなり、久々の女王誕生に国民も色めき立っていた。
「ん?」
「なに?」
「見て」
そこに写るのは三人のロトの姿。
剣を持ち傷つきながらも進み行く自分たちの姿。
「え……これ、何……?」
「きゃあ!!」
あふれ出す光の渦とな鳴り響く喜びの歌。
「!!」
砂が崩れるように世界が壊れ始める。喜びの歌は終焉の音色。
甘いだけの幻では誰も幸せにはなれないのだから。





「なんだ……いい夢だったな……」
霹の杖を構えなおして青年は天を仰いだ。
「アスリア!!前っ!!」
襲い来る死霊の騎士団を爆発呪文で一掃する。
「続きは自分で叶えろってことか……」
甘い夢に溺れてしまうのは簡単なこと。そしてそこから出れなくなることも。
頭上から降り注ぐ援護に青年は目元の涙を払った。
(俺も女だったんだよなぁ……懐かしい……)
あれは自分たちにあったかもしれない未来。
「オカマ!!後ろ頼んだ!!」
どんな形であれ今生きているこの世界は過酷で優しい。
夢なんかよりもずっとロマンティックでドラマティック。
「任せろ!!」
幸せは誰かに与えられるものではなく自分で掴むもの。
それを分け合えるからこそ優しくなれる。
「精霊ルビスよ!!その力を!!」
光りだす護符とひび割れる空。
「よっしゃ!!これで中に入れる!!」
「ロト!!」
「あちきたちも加勢するぞな!!」
飛び降りてくる仲間たち。
夢ではなくこれが本当の世界。
今を精一杯に生きて、共に戦って笑いあえる掛け替えの無いもの。





幸せは優しい罠。
今を生きて、それから旅立とう。





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23:14 2005/11/11





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