◆彼女◆






祖先である勇者ロトはなんとも不思議な女だったらしい。
伴侶は大賢者。並べば背丈のそう変わらない二人だと文献は語る。
銀の髪を結い上げて、身の丈のほどの剣を振り進む姿。
じぐざくの道を、気の合う仲間と彼女は進む。
虹の橋を架けて、この世界に光を取り戻して。
そして、彼女は自分の足跡さえも消してしまったのだ。
「ご先祖様はたいした女だったらしいな」
アスリアは文献に目を通しながら、愛用の眼鏡を手の甲で直す。
「そうみたいだね。魔法と剣の両方が使えたみたいだし」
色あせた頁に残る肖像画は、あだけなさをのこした少女。
「ジェシカ・バーツ?男みたいな名前だな。ご先祖様」
レイは指先で彼女の記録をなぞる。
勇者ロトは子供を一人産み、その子孫が百年前に竜王を討伐した。
竜神を斬ったのもまた、少女であったと記録されている。
ロトの血は、代々女に色濃く出るらしい。
「そうなると、本当はアスリアに一番強く出るんだよねぇ」
しかし、皇女は今や王子としてその人生を歩んでいる。
「かといって、リトルは本来は王子だしな」
レイは卓上に突っ伏して、リトルのほうをちらりと見る。
「じゃあ、お前のところの妹だな。色濃く出てるっていうんなら」
「レムに?だったら安心して旅が続けられるよ」
三人が身体を寄せたのは水の都ベラヌール。
噴水のモニュメントと水の女神を称える美しい街。
史書室には上質なものばかりで、リトルとアスリアは半分にやけ顔でそれらを読み漁る。
普段はそんなに目を通すほうでもないが、剣術の本には惹かれるものがあるらしい。
「借りてって、宿でじっくり読もうか」
「異議なし」
「ぼちぼち晩飯の時間だしな」




魚料理と果実酒で体力を回復させて、三人はそれぞれの部屋へ。
アスリアは地酒を片手に抱えて鼻歌交じり。
レイはあれこれと体術の本を抱えた。
リトルは勇者ロトに関する文献。
三者三様で夜は更けていく。
「勇者ロトって……俗称だったんだ。本当は違う名前……」
目をこすりながら、指先は次の頁へと。
朧気ながらも見えてくるのは、等身大の少女。
同じように泣いて笑って、幾多の苦難を超えてきた。
建前も何もかもを取り払って、ロトとあがめられるのが嫌で彼女はひっそりとこの世界を捨てた。
いや、世界ではなく『ロト』を捨てたのだ。
子を育て、一人の女として残りの生涯を過ごす。
彼女は勇者と呼ばれることを嫌い、夫と共に密やかにその人生に幕を引いた。
大賢者としてその名を後世に残した彼女の夫の名は『バーツ』という。
晩餐会に呼ばれる夫の隣にたたずむことはあっても、自ら『ロト』の名を使うことはなかった
らしい。子供と共に、あるがままの流れを受け入れ、そして命を全うしたのだ。
(普通の人になりたかったんだな……ご先祖さまも)
文字をなぞればうとうととしてしまう。
(僕も……元に戻りたいです……)
思っても、思っても、現実は何時だって過酷。
アスリアのように昇華して生きることはまだ出来ない。
心にあふれる思いは、郷愁に胸を締め付ける。
(レム……元気かな……父上、みんな……)
思うは祖国。守るのは幼い妹。
サマルトリアの軍を率いて最前線で王女は剣を取る。
十三になったばかりの少女。
(早く……なんとかしなきゃ……僕が……やらなきゃ……)
閉じた瞼。この先に起こる騒動など彼女には予想もつかなかった。



「参ったな、こりゃ」
いつまでったってもおきてこないリトルを案じて、二人は彼女の部屋の扉を蹴り上げた。
目にしたのは熱で苦しみ、汗にまみれた姿。
「此処見ろよ、レイ」
アスリアが指すのはリトルの首筋に浮き出た文様。
ハーゴンの印が細い首にしっかりと浮かんでいる。
「期限付きで解除しねぇと……死ぬってわけか」
「どうすんだよ」
「まぁ、任せな。適任者に手紙を書く」
さらさらと文字を認め、ムーンブルクの押印を。
アスリアの手の中で書間は一瞬にして灰になった。
「リトルみたいなことすんだな」
「実際これはリトルにおそわったからな。後は時間がたつのを待つしかない。呪いには薬も
 効かないからな。俺らには何も出来ないってわけだ」
煙草を取り出して口にする。
いらつく気持ちを抑えるときにアスリアがとる行動の一つだ。
「いるか?」
「いらねぇよ。しかし……なんでリトルが?」
「…………女、だからだな。本来なら俺がそうなってもおかしくはなかったんだ」
本来の『性』は生れ落ちてから失った。
自分のようには未来を決めることを躊躇する彼女。
呪いは強い意思の前にはその効力を失う。
迷いを持つリトルにハーゴンの呪術が出てしまうのも、アスリアから見れば納得の行く事だった。
「援軍は……もうじき来るさ」
「誰だよ」
「レムリア・ガーディ。リトルの妹君だ」
噂に聞くサマルトリアの王女は、魔道士たちを率いて国を守る。
緑色の外套を翻し、小竜に乗り兵を率いる姿。
それはかつて王子として同じようにリトルが通った道でも在った。
「夜には……来るだろ。それまでは待つしかねぇ」
「冷静だな。お前、リトルのこと心配じゃないのかよ」
小さな手を、レイはぎゅっと握る。
「焦ってもどうにもなんねぇ。焦ってどうにかなるんだったら親父たちは死なずに済んだ」
一つの国と引き換えに守られた命。
アスリアは唇を噛んで、悟られないように声を殺した。
守るべきものを失っても、進むしかない運命。
「悪ぃ…………」
「気にするな。罪があるのは馬鹿な神官だけだ。そいつをぶちのめせばいい」
窓に掛かる陽も、ゆっくりとその色を変えていく。
空と夕日が融和し始めるころ、扉を叩く音がした。





少女はベッドで眠るリトルの手をとる。
「兄上、しっかりなさってください。明日には私が世界樹の元へ行ってきます」
ハーゴンの呪いを打ち消すことが出来るのは万能の樹、ユグドラシル。
世界樹の葉は、破邪の守りとして重宝されてきた。
精霊たちやホビット、そして人間と魔物。
生あるもの全てに、世界樹は平等にその力を分け与えるのだ。
「レイさま、アスリアさま。明朝、世界樹の島へ参りましょう」
短く切られた栗色の髪。
翠色の瞳。
サマルトリアの紋章の入った外套を翻し、剣を取る少女。
「噂に聞く姫君……このような事態ではないときにお会いしたかった」
「逢った瞬間に口説くクセは治せ、オカマ。それは病気だ」
こめかみに指を当てて、レイは頭を振った。
目指すのは南東の小さな島。
伝説の樹、ユグドラシルがあるというその場所。




見上げる、という言葉では言い表せないほどそれは神々しく。
そしてまた、慈愛に満ちたものだった。
小さな種は、確かに息衝き大地に根ざした。
「凄い……話には聞いてましたがこんなものだったなんて……」
少女は感嘆の声を上げた。
ただそこにあるだけで、樹は確かに語りかけてくるのだ。
「世界樹、お願いです。私の一番大切な人が病に伏しております。どうかその葉を一枚、
 お譲り願えませんか?」
手を伸ばして、レムはその幹に触れる。
流れる水の清流たる音。そして、暖かな光。
勇者ロトの祈りが注がれたという何千年もの時を生きてきた大樹。
「そうかんたんにくれてやると思うか?小娘」
聞いたことのある声に、アスリアはレムを後ろに下げた。
「……レイ。俺がひきつける。世界樹から一枚譲り受けたら王女とベラヌールへ戻れ」
「どういうことだよ」
「あいつは……親父を……ムーンブルクを滅ぼした。俺の獲物だ」
魔道師の杖を構えなおして、アスリアはベリアルを睨み付けた。
「それもさせない。ね、ベリアル」
レムとそう変わらないような外見の少女。
「ロード。危ないから帰れといっただろう?」
「ベリアルが一緒なら帰るよ。それに、サマルトリアの王女なら……あたしが殺らなきゃね」
透けるような肌と、ゆったりと着込んだローブ。
「そろそろ、陥落したかなぁ?ドラゴンをいーーっぱい送っておいたの」
けらけらと笑う声。
無邪気であるが故の、罪。
「させない!!そんなこと!!」
「あは。あたしに勝てるわけないでしょう?あたし強いよ」
ロードと呼ばれた少女の指先が、レムの喉を指す。
「!!!」
「レム!!」
突然現れたマドハンドが、その細首を締め上げたのだ。
引きちぎって、レイはそれを打ち捨てる。
「やん。そのまま死なせてあげたほうがいいのにぃ。おうちがなくなったこと、
 知らなくてもいいでしょ?」
黒藍の髪は二つに結わえて。短く切られた前髪が形のいい額を強調する。
「わかったから、帰れ。邪魔だ」
「やーーーー!!!あたしが残り二人相手にするから。ね?」
剣を翳して、レイは立ち位置を決める。
「俺はお前と違って女に優しくねぇからさ。あのガキは俺が相手する。レム、お前は隙を見てベラヌールへ向かうんだ」
小さく頷く少女を見て、男二人は顔を見合わせた。
「さぁ、行くか。相棒」





先に襲撃されたリリザに派兵しているといのも重なって、サマルトリアは数え切れない魔物の群れと熾烈な攻防を強いられていた。
朽ちた兵士はそのまま取り込まれ、仲間を殺していく。
魔法国家サマルトリアの血を引く王子も王女も居ない状態だ。
「大神官さま!!このままでは、時間の問題です!!」
急襲するドラゴンの群れは、確実に追い詰めて来る。
あちこちで上る硝煙。そして血の匂い。
(リトリアさま、レムリアさま……この命に代えてもサマルトリアは守りましょうぞ)
二人の教育係として、老人はずっとその成長を見守ってきた。
「下がっていなさい。この群れは儂の命で消して見せよう」
「そんな……っ!!」
「老い先短いこの命。ならば国のために使いたいのですよ」
「大神官さま!!外を!!」
その声に老人は窓から身を乗り出す。
「これは……」
銀の髪を優雅に靡かせて、華麗にドラゴンを操る一人の少女。
見習い時代に読んだ書物に描かれた絵に、瓜二つのその姿。
「……竜神……」
放たれる光で、魔物たちは次々に姿を消していく。
「大丈夫か?私も力を貸そうぞ」
きらめく水晶の耳飾が、光を受ける。
この国を加護するように。
「あなた様は……」
老人の言葉を塞ぐように、少女はにこりと笑った。
「リラ・アージェ。王子リトルの友達じゃ」
竜の騎士たちは鮮やかに魔物たちを切り裂き、民を救助していく。
「そなたたちは、怪我人を受け入れよ。私はもう少し掃除を続ける」
竜王の血を引く証拠の爪痕は、二の腕にしっかりと刻まれて。
見るものが見れば、彼女の身分がすぐにでもわかる。
それでも、あえて友のためにと笑ったその気持ち。
彼女が形ばかりの援軍ではないことを、証明していた。
「大神官様……」
いくら味方と言っても、相手は竜の騎士団。
神官たちは疑心暗鬼でその行動を見つめてしまう。
「王子の仲間です。さぁ、我らも!!」





衝撃波と、爆発音が小さな島に響き渡る。
ようやくの思いで手にしたその御葉をしっかりと握り締めて、レムはルーラで高く飛ぶ。
「あ!!やだ!!逃がさないもんっ!!」
「させるかァッ!!」
剣先がロードの手首を切り裂く。
流れる黒い体液に汚れていく肌。
「ロード!!」
「よそ見してしてる暇はねぇぜ?ベリアル」
飛んでくるナイフで散る紫の髪。
どちらも一歩も引かない状態だ。
「痛ぁ〜〜〜い!!やだぁ、こいつ嫌い!!」
巻き起こる複数の竜巻。それをロトの剣でレイは鮮やかに切り砕く。
この剣には、遥かなる思いが込められているのだから。
(そうだ……確か、あれがあったはず……)
上着のポケットの中に眠る宝玉。
「頼んだぜ!!リラ!!」
玉が砕ける音。それと同時に現れたのはリラ本人だった。
「これで一気に形勢逆転だな」
スカイドラゴンに騎乗して、少女は空中で足止めされていたレムをベラヌールへと飛ばす。
「サマルトリアは無事だ。親友殿の国を守るのは、当然の行為だからな」
「竜神か……人間はお前を蔑み、罵るだろうに」
ベリアルの言葉に、リラは頭を振る。
「かまわぬよ。私が好きでやっていることだ」
「お前も魔族の端くれならば、何故ハーゴンさまの求婚を退けた!!」
「好きでも無い男と婚姻は結べぬ。それだけだ」
リラの指先が円を描き、二人の体を包み込む。
「リラ!?」
「おぬしらもリムルーダルへ。儂もすぐに向かうよ」
ベリアルと向かい合い、リラはまっすぐに視線を向ける。
本来ならば、彼女も人間とは敵対する間柄なのだ。
「ハーゴンに伝えよ。サマルトリア、ローレシア共に、竜神が守護すると」
「……くっ……ロトにでも絆されたか!!竜神よ!!」
「好きで絆されておる」
びしびしと空気が張り詰める。
竜神の出撃はハーゴン軍にとってもひとつの脅威だからだ。
中立を保つことはあっても、人間に手を貸すことなど無いだろうと、ハーゴンは踏んでいたのだ。
「ここで、私とやりあうか?ベリアル」
魔法対決になれば勝ち目は無い。
それだけ純粋なる竜の血脈は強いものなのだから。
「……撤収だ。ロード」
「うん」
少女の肩を抱き寄せようとした瞬間だった。
まるで人形の首でも落とすかのように、ロードの首は転げ落ちた。
何もわからずに、目を見開いたまま。
その唇は今にも何かを語りそうなままに。
「ロード!!」
「こうでもせねば、ハーゴンには伝わらないだろう?ベリアルよ」
大地にしみこんで行く黒い液体を見つめて、リラはそう紡いだ。






リムルダールの宿屋に立ち込めるにおいは緑。
世界中の葉を煎じて、それを静かにリトルに飲ませる。
「兄上!!」
「……レム……?」
抱きついてくる妹を優しく抱きしめて、リトルはゆっくりと体を起こした。
「良かった。間に合ったな」
「……え……?」
レイは、簡単に事の詳細をリトルに告げた。
それを真剣に聞きながら、彼女は眉を寄せた。
「ごめん……そんなことが……」
「いや、でもさ。俺らもわかんねーんだ。リラにここに飛ばされてさ」
それなのに、件の女の姿はまだ無い。
それが返って、不安にさせてしまう。
「やたらめったら強いお姫様だから、大丈夫だろ」
かつん、かつん、と響く靴音。
「ロト。具合はどうだ?」
扉をずらして、ひょん、と顔を覗かせる。
手に持った籠には零れそうなほどに盛られた果実。
「祖国のものを食せば、身体に良いだろう?」
事のついでとサマルトリアに立ち寄り、かつての、ムーンブルク城の跡地を旋回してきたのだ。
スカイドラゴンは竜族でも指折りの早さ。
世界巡るにはもってこいだ。
「預かりものだ」
皮布に包まれたものを、レイに手渡す。
「俺に?」
「サマルトリア王からだ。ロトに渡して欲しいと」
「父上が?」
それは一枚の美しい盾。
刻まれた不死鳥はロトの紋章。
「すげ……持ってるだけで力が沸いて来る……」
「お前のは力っつーより、エロ心だろ。ガキ」
煙管を咥えて、アスリアはリラに目線を向けた。
疲労困憊の自分たちに対して、この女は呼吸ひとつ乱れていない。
(腐っても竜神か。いや?男で変わったか……)
以前よりも優しくなった瞳の色。
(まぁいい……敵に回さなきゃそう、害も無いだろう)
「一度、ローレシアに帰還せよと。言付けじゃ。急ぐならば、私が送るぞ?」
ざわつく空気を諌めて、アスリアは火を点けた。
人間と交流を持とうとする竜神を受け入れるほど、ローレシアは開放的な国家ではない。
ましてや、この二人の関係を知ったならば勘当は必至だろう。
「ちょうどいいな。親父に一回会ってみるか?リラ」
サマルトリア、ムーンブルクは魔法国家。
ある程度だが、魔族に対しては寛容な部分がある。
対するローレシアにはそれが無い。
(さて……俺も見させてもらおうか?ローレシア王の本性を)




ざわめきを殺して。
息を殺して。
その眼で見つめるものは―――――。




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1:37 2005/01/02

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