◆HOME SWEET HOME ◆
「ひでぇな……あれじゃローレシアのほうは……」
剣を腰に収め、アレックは天を仰いだ。地形にも守られたデルコンダルは他の諸国
よりも被害は圧倒的に少なかった。
ハーゴン軍の侵攻が激しくなってきてからはアレックも前線に出ることが多くなっていた。
腑抜けの国王の名を返上するべく、彼は危険な戦に何度も出兵する。
過去は拭えなくとも未来は誇れるようにと。
「アレックさま!!サマルトリア王国、皇女レムリアさまがお見えです!!」
「こんな危険な中よく来てくれたねー。通してあげて。あ、おいしいケーキも」
「いえ……それよりも、今日はムーンペタのことで参りました」
若年の皇女はサマルトリア軍を率いてその先頭に立つ。
自分が戦わなければ兵士がひとつになることはない、と。
「我がサマルトリアはローレシア大陸で戦ってます。アスリアさまの母国、ムーンブルクと
その港町ルプガナまでは手が回りません。デルコンダルは城砦王国……どうか、ムーンブルクに
兵を遣わしていただけませぬでしょうか。もちろん、我らサマルトリアも向かいます。
しかし、現状ではハーゴン軍によってルプガナは落城寸前です」
神官ではなく皇女自らの口上に、青年は息を飲んだ。
まだあどけなさを残したこの少女がここまで戦いの意思を固めているのだ。
「アレックさま、どうか御決断を」
その姿は、かつてこの地に来た彼女の血縁を思わせた。
瞳の奥に宿る光の強さ。
「分かった。ムーンペタには俺が行くよ。ルプガナのほうにもうちの神官たちを派遣する。
問題はアレフガルドのほうだな……」
刻々と増していく戦禍に、青年は眉を寄せる。
「大丈夫です。アレフガルドはリラさまの竜騎士たちが守っております!!」
すべての生命が理解しあえる世界など存在はしないのかもしれない。
それでも、理想の名の下に行われる虐殺を許してはいけないとロトは立ち上がった。
「君は今から?」
「私はサマルトリアに戻ります。兄さまが帰る家をなくすわけにはいきません!!」
これ以上の悲しみは要らないと小さき姫はつぶやく。
ロトの最後の戦いが、この戦乱なのだ。
竜神の加護を得ながら三人のロトは天を舞う。
その美しさは戦場に輝く一輪の花とでもいうべきだろうか。
しかし、その花は血を吸い赤く咲き乱れる。
光ではなく剣の輝きを受けて。
「レイ!!右から入って!!」
左右に分かれた二人を援護するように青年の魔法がハーゴンに降りかかる。
「リトル!!」
痺れきった腕と感覚のなくなった脚。引きずるようにしながらここまで来た。
例え、願う未来がただの理想だとしても。
少年の剣が魔物の肉を切り裂くたびに響くおぞましい咆哮。
噴出す体液もそのままにハーゴンはその牙を三人に向ける。
「……っち……斬っても斬っても蘇生しやがる!!」
厄介だと呟いて少年は剣を構える。
切り落としたはずの腕もすでに何もなかったかのように自由に動くのだ。
竜神の炎を盾にしながらレイはハーゴンの喉笛を狙う。
与えられた道を歩くだけの人生はもう彼らには無い。
自分の意思でここまできたのだから。
護られたまま、幸せな箱庭に住んでいた。
それが全てで正しいと思っていた。
幸せは誰かに与えられるものではなく、誰かと育む物。
傍らの小さな光は、世界を変える希望だった。
「アスリア!!」
壁に叩き付けられる青年を抱き起こして、少女必死に呪文を詠唱する。
それでも傷口は見る間に腐食して行く有様だ。
「……アスリア、僕が囮になる。その間に君とレイでハーゴンを討つんだ」
たった一つの光のために、犠牲は山となる。
それがわからないほど子供でもない。
けれども、それを受け入れられるほど大人でもなかった。
「馬鹿言え……言ったろ。全員揃って、生きて帰るって……誰が欠けて良いわけでもねぇんだ」
竜神の炎を従えて、少年は魔物の腕を切り落としていく。
その姿はどこか光にも似ていて眩しくさえ思えた。
その光に憧れて集まったのは哀れな夜光虫だったのだろうか?
いや……同じように惹かれた『ひかりたち』だった。
「諦めるってのは……仲間たちに悪ぃだろ……」
彼もまた、たくさんの仲間を失った。国を失っても……その瞳の光は消えなかった。
祖国の復興を。わが故国を。
「手、借してくれ。行くぞ!!」
崩れ落ちてくる壁を潜り抜けるようにして現れる光。
「リトルーーーーー!!!!あちきたちも来たぞなーーーーっっっ!!!」
「アスリア様!!ただ今参りました!!」
「ロト!!マスタードラゴン!!手ぇ貸してやっぜ!!」
たくさんの仲間が支えてくれた。
世界中の人々の祈りが今、重なり合う。
人間(ひと)もエルフも竜もホビットも。
生きとし生けるもの全てが光を失わない限り、倒れても立ち上がることができるのだから。
「これでハーゴンの動きを止めるぞな……」
静かに響く音色は、海の底に沈む宝石の様。
安らかなる眠りと永遠に続く闇の暖かさを刻む。
アレフガルドの民とホビットが導く夕闇の月の光。
しんしんと降り積もる雪のように神殿の中を侵食していく。
「行こう!!」
箱のそこに最後まで消えることなく残った光。
それを人は『希望』と名付けた。
竜神の光とロトの血が重なり合う。
それはきっとすべての歴史が変わる瞬間だったのだろう。
少年の剣先が魔物の心臓を突き破り、少女の剣が同時に首を切り落とす。
青年の呪文に竜神の炎が絡み合いその動きを封じた。
響き渡る呪の様な咆哮と飛び散る赤黒い体液。
悪霊の神がその鼓動を止めた瞬間だった。
崩れ行く神殿の中でただその身体を抱いた。
痛みなどすでになく、誰もが小さな笑みを唇に浮かべるだけだった。
「……ル……トル……」
瓦礫に埋もれそうな少女に手を伸ばして、青年はその指先を掴む。
この手を離してしまったら、きっともう二度と逢えない。
「……やあ……無事みたいでよかった……」
その視界に入った姿。
それはお互いの本来の姿だった。
傷ついた身体を引きずり、手を伸ばす皇女と穏やかな笑みを浮かべた王子。
最後の光が見せてくれた優しい幻だったのかもしれない。
震える指先を絡ませて静かに瞳を閉じる。
「悪くない人生だったね……アスリアーナ……」
「……ええ……王子……」
ただ一度だけの永遠。
潰れないようにただ、抱きしめた。
同じように神官は主を守るように最後の魔法力を振り絞って光の壁を作り出す。
もうそんな必要はないと、女は静かにその結界を解除した。
少年を庇う様にして女はその上に覆い被さる。
背を打つ瓦礫は彼女の肌を切り裂き、流れ落ちる血が少年の頬を染めた。
「……儂が盾になる……早く皆と……」
言い終える前に少年は彼女を抱きしめ、その唇を塞いだ。
広がる血の味ですら二人には甘く思えて。
何も言わなくとも彼の気持ちが胸の奥まで届いた。
「竜は空に還るんだろ?リラ……だったら、俺も連れてってくれよ……」
誰にも縛られること無く、その翼でどこまでも飛べるのならば。
血に縛られた自分をその大空へと導いて欲しいと思った。
「どこまでも…………行こうぞ…………」
壊れたオルゴール箱から流れてくる鎮魂歌。
魂をゆるりと溶かして全てを無に還してくれる。
胎内に戻るかのような暖かさと耳の奥で聞こえる誰かの声。
その声にこたえるだけの力はもう残ってはいなかった。
『みんなお疲れ様……本当によくがんばったね……』
脳裏に直接響く最初のロトの言葉に、涙が零れて止まらない。
冷たくなり始めた身体がほんのりと温かさを取り戻すかのように光に包まれた。
『さぁ、家に帰ろう。ただいまって言って、笑ってドアを開けなきゃ』
始まりのロトは別の世界に住んでいたという。
アレフガルドを闇から救うことと引き換えに、彼女は二度とその地に帰ることはできなかった。
『ただいま』も『おかえり』も少女にとっては夢。
同じ血を持つものにその願いを託して、その思いの中で生きたいと。
「ご先祖様…………僕たちは…………」
『ルビス、みんなを家に送ろう。この世界の光と一緒に!!』
広がる空の蒼さに、風の優しさに涙が零れる。
懐かしさは胸に去来しただ、大地に立つことのよろこびを感じた。
「サマルトリア…………帰ってきたんだ!!」
旅立ったときは頼りなかった細い背中。
今は比べ物にならないほど、少女は大人へと変貌した。
呼吸を整えて、ゆっくりと前に進む。
「リトリア様!!おかえりなさいませ!!」
神官達の出迎えとサマルトリアの国民たちの大歓声に少女は恥ずかしそうに笑う。
「王子の帰還だ!!サマルトリア万歳!!」
「兄様!!おかえりなさいませーーっっ!!」
抱きついてくる妹を受け止めて、そっとその背を撫でる。
「ただいま!!みんな!!」
この空の色を彼女は生涯忘れることは無かった。
見上げた碧すぎるこの空を。
「父上、今帰りました!!」
亜麻色の髪を揺らして、傷だらけの手を伸ばして。
どれだけ焦がれただろう懐かしい我が家。
優しい誰かの「おかえり」が、耳の奥でこだました。
「…………嘘だろ…………おい…………」
青年の眼前に広がるのは在りし日の祖国。
崩れた城壁を直す音と、民の暖かな声。
「アスリアーナさま!!」
「我らが皇子の御帰還だ!!」
沸きあがる大歓声に、青年の目尻に涙が溜まる。
指先でそれを払って彼は一歩一歩、城へと進み行く。
まだ癒えぬ傷は至るところに見えても、人々は活気にあふれ誰もが彼を祝福した。
「父上、アスリアーナただ今戻りました!!」
ムーンブルク公国のただ一人の王位継承者として、散っていった全ての祈りを抱いて。
そして、彼は再びこの国へと帰ってきたのだ。
「よくぞ戻った、わが息子よ」
豊穣なる水の国、ムーンブルク。
新しい歴史が刻まれた瞬間だった。
「……御心配を……お掛けしました……っ……」
深々と頭を下げるアスリアの姿に、見守るすべての人が涙をこぼす。
亡国を背負って旅立った青年は見違える程に成長を遂げた。
頬を撫でる風までも凛として、新しい国を祝うかのようだった。
「御頭が帰ってきたぞーーーーー!!!!」
響き渡る怒声と沸き起こる祝福の声。
鳴り響く楽器の音と祝杯の準備に女は目を瞬かせた。
「お爺様、ただいまかえりましたぞ」
「無事で何よりだ、孫よ。もう一人お前の帰りを待ってたのがいるがな」
神官とホビットを引き連れて、ベレッタは首を傾げる。
「!!」
目にしたのは遥かに別れたはずのその人。
救えなかったと何度悔いたことだろうか。
「お…………お袋さまーーーーっっ!!!!」
「おかえりなさい、ベレッタ。あなたの好きなパイはもう少しで出来上がるわよ」
「お袋様、ご無事で、ご無事で……」
泣き出す娘の背中を抱いて女は海の神に感謝した。
そして、全ての命を守るロトとルビスに。
ドラキーの金切り声と慌てだすキメラ。
死霊の騎士たちはグラスを手に、魔女たちは勢い良くシャンパンをぶちまけた。
「リラちゃんが戻ってきたよ!!戻ってきたよ!!」
主の帰還に場内は一斉に歓声に包まれる。
はにかみながら笑って、肩にドラキーを竜神は乗せた。
「みな、今…………帰ったぞ!!」
全ての命は等価値であると知ったこの旅路。
無事にまた帰れたことを天空の神に静かに祈った。
「今日は酒蔵にあるものを全て空けてしまえ!!新しい世界の始まりの日だ!!」
竜神は人の温かさを知り、人は魔物にも心があることを知った。
「リラちゃん、おかえりっ!おかえりっ!」
続く宴は対岸のアレフガルドからもはっきりとわかるほど。
しかしそれに眉を顰めるものなど誰もいなかった。
旅立ちを躊躇した人間よりも、竜神は人間を愛した。
かつて虹の橋がかかった様に、彼女は人と魔物を繋ぐ何かに成ろうとしていた。
やさしさは風となりこの大陸を走り行く。
それは別れのまえのほんの一時のことだった。
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23:16 2007/01/15