◆神とは天空に住まうもの、人とは愛を請うもの◆
「リトリア、ムーンブルクへ行ってきてもらえぬか?」
神官たちとの会議のために、文書を綴っている少女に国王はそう告げた。
「ええ、構いませんが……いったい何のために?」
「いや、先方もこの縁談には乗り気でな。なので……」
「だったらほかをあたってください。僕は忙しいんです。それに、まだまだサマルトリアも
やらなきゃいけないことだっていっぱいあるんですよ?」
あれから数ヶ月。人々は復興のために日夜汗を流している。
それはリトルも例外ではなく、寝る時間など殆ど無いほど。
まるで全てが夢だったかのように。
それでもあの戦いにも犠牲は多すぎた。
「結婚なんて考えられません。やることが山積です」
伸びた髪を一纏めにして、少女は黙々と筆を滑らせる。
「第一、こっちから行かなくても……勝手に来ます」
うんざりしたようなため息と入れたてのミルクティー。
「アスリアは純粋な魔道師。それでに……僕よりもずっと術に関しては上を行ってます」
少女の言葉通り、青年は日に一度必ずサマルトリアへと姿を見せる。
ふらり、と現れ二、三話をしてはムーンブルクへと帰っていく。
今までが一緒に居すぎたせいで、離れているのが妙だといわんばかりに。
その証拠に、青年はローレシアにも細かに顔を出していた。
「これはこれは、サマルトリア王。ご機嫌のほどは?」
「ほら来た。アスリア、僕は治水工事の計画やってるんだ。遊んであげられないよ」
「んじゃ、俺もついでにムーンペタの水田計画完成させるかな」
差し向かいに座って、青年も持参した書簡を広げる。
慣れた手つきで紐を解き、言葉少なにそれに目を通し始めた。
「さっき、リラのところによってきたんだけど、あっちもあっちで大変みたいだ。
かといってあのガキがおっさんを説得できるとも思えねぇしな」
竜神とロトは、恋に落ちた。
その障害の多さはいまだ健在。心を許せる仲間は離れ離れ。
「ムーンぺタはだいぶよくなったの?」
「見てくれは……まずはできることを精一杯にやらねぇとって。ルプガナの方にも
まわんねぇとなんねーし。忙しいにもほどがある」
カップに口をつけて、少女は小さなため息。
「だったら、こんなところでサボってないで、早く行きなよ」
疎ましいという感情ではなく、彼をどこかしら思う口ぶり。
まだまだ濃いには遠いこの距離。
少しでも詰めたくて青年は必死に手を伸ばすのに。
空回るこの思いはまるで風見鶏を見上げているかのよう。
こっちを見てもすぐに向きを気まぐれに変えてしまう。
「んー、なんかこう……離れると寂しいもんだな……また来るわ」
痛々しい傷は大分癒えた。しかしそれは体だけのこと。
出会った頃の、またはしゃぎあえていたあの日々が今は愛しくて、愛しくて。
「前より顔色よくなったな。良かった」
「………………………」
「俺もあせんないで、じっくりと攻めるからさ。魔道師は体力勝負できねぇし」
「待って」
自然に伸びた手が、成年のそれを捕らえる。
「どうした?」
「明後日は……僕も仕事を休もうと思うんだ。だから……っ……」
「あいつらも誘ってみっか。竜王の城なら誰も文句はつけられねぇだろうし」
どうしても最後の言葉が出てこない。
この扉は押してしまえば簡単に開くのに。
彼は彼であることを受け止めてもう遥か前を歩いている。
なのに自分はいつまでもこのまま立ち止まっているだけ。
どれだけ願ってもこの体が男に戻ることはないのだろう。
それでも。
何もかもを受け入れて女になるにはまだ時間が必要だった。
この恋は決して成就させてはいけなかった。
叶わないままならば美しく終われた。
片道の恋はそれだからこそ美しい。
「久しいな、みんな」
ドラキーを肩に乗せ、竜神は穏やかに笑う。
いまだ人間への感情は拭えないままだが、前よりもずっと笑えるようになった。
「毎日それなりには忙しいよ。リラは元気だった?」
「儂もな。この間、ホビットと海賊がきた。流通の基点にここを使いたいとな。
儂がいる間に全部準備は終わらせてくれと言うたのだが」
その言葉に三人は顔を見合わせる。
「レイ、お嫁さんにもらうの?」
「馬鹿言え、まだプロポーズもしてねぇっつーの」
「甲斐性の無い男に嫁ぐと、結構後悔すると思うぜ」
相変わらずな三人の言葉。懐かしいと思えるほど離れてしまっていた。
「もう、この世界に竜神は要らぬ。儂は天空(そら)に還る事にした」
唐突な言葉に一斉に視線が竜神へと向かう。
人に触れて、人と出会い、そして、自分が人ではないことを認識する。
「天空には翼をもつものが住まう城がある。そこには竜もいる。儂がいるべき場所じゃきっと
そこなんだろう」
「ちょ、ちょっと待てよ」
「先に来た連中にも話はした。人間に混じったまま生きるか、儂と天空に行くか」
ベレッタ、ネブラスカ、ラゴスも完全なる人間ではない。
それでも彼女たちはこの世界に残ることを選んだ。
この美しくも儚い世界が、どうなるのか見つめるのも悪くはない、と。
「死に別れるわけでもない。ただ……住まう場所が違えるだけ」
祈りは光となって地上に降り注ぐ。
どんなに離れても君への思いは変わらない。
春が必ず来るように、木々が芽吹くように。
「ぬしらはここに残り歴史を刻む。竜は天空(そら)に還る。人は愛を紡ぐことのできる
生物……全てを託すのも悪くはない」
一握りの灰にさえ、想いを乗せることのできる種族。
それが人間。
「待てよ、姫さん。こいつはどうすんだよ」
アスリアの言葉にレイは何もないかのように淡々と答えた。
「ん?俺も行くよ、リラ。そんなすげぇ場所なら俺も行ってみたい」
流れ行く風と輝く緑。大地はこんなにもやさしく清清しい。
竜神が望むような分け隔てのない世界になるには、もっともっと努力が必要。
自分たちが生きているうちにはそれは叶わないだろう。
「そ、そんな簡単に決めていいもんでもっ!!」
「誰かが何か変えなきゃ、世界なんて動かない。それが間違った方にいけばハーゴン
みたいになるんだろ?だったら、俺はどんな風になるのかリラと一緒に見たいだけだよ」
この戦いで学んだものは、大事なものは自分で守らなければいけないということ。
そして、この手に持持てるものの少なさ。
それをこぼさぬように、漏らさぬように。
「旅は終わらない。空の上だってきっと冒険はできるだろうし」
こぼれる涙をそのままに、竜神は精一杯の笑みを浮かべた。
「言ったろ?一緒にいるって」
少年は気付かない間に男になった。君を知ったその日から。
動けないのは自分だけと、少女はきつく唇をかんだ。
結論を出さなければいけないのはわかっているのに。
涙の代わりに毀れた赤い赤い体液。
ただそうすることしかできなかった。
カーテンの揺れる室内は、小さな明かりだけが目印。
窓際に立つ少女の目線は円より少し欠けた月を見上げていた。
「綺麗なもんだな」
「満月じゃないけどね」
煙管を銜えて、青年がその傍らに立つ。
こうして並んで月を見上げるのは、最後はいつだったか思い出せないほど。
「完全じゃないからこそ綺麗なんだろうな。俺はそっちのほうが好きだ」
月光は彼女を照らしてこんなにも美しくてしまう。
「いつかきちんと話をしなきゃなんねぇのは分かってた。だから、俺から先に言うよ」
少女のほうを振り向いた青年の顔は、これほどにも無いほど優しくて。
そして何よりも悲しげだった。
「俺は男のままに生きていく。あの旅で思ったんだ。誰かを守れるってのは幸せなことだって。
だからって同じことを強制なんてしない。リトルの人生はリトルが決めることだから……
でも、憶えててほしいのは……」
小さな手を青年のそれがそっと握る。
「どんな姿でも、どんなに離れても」
それはきっと優しい魔法。
「俺の思いは変わらない。そして、俺たちはずっと仲間だってこと」
彼がもっと自己中心的であったなら。もっと独占欲に塗れた男だったなら。
己の本王と欲望に忠実で嫌味の多い人間だったなら。
嫌いになってこの心の呵責はなくなっていただろう。
「アスリア」
だからこそ、彼の気持ちにも結論を出さなければならない。
「僕は君のことが好きだよ」
「………………………」
「君と一緒に旅をしたのは僕の一生の宝物だ」
喉の奥で詰まる声。
掠れがちなそれを精一杯に振り絞る。
「けど……君も僕も王位がある。どうやったって僕は君の血を残すことはできない。
ムーンブルクとサマルトリア、両方が朽ちる選択はできないよ……っ……」
この恋が本物だからこそ胸が痛くて。
君のために死ねたならいっそ楽になれるのに。
「国なんか捨てちまえって言えたら楽なのにな……俺だっていえねぇよ……」
ただ抱きしめることしかできなくて、この思いをとめることもできなくて。
「なぁ……俺はどうしたら良いんだ?何を信じて誰に従えば良い?」
幸せだったのは君を知ることができたこと。
悲しいのは君を愛してしまったこと。
「何だっていいんだ、俺に理由をくれよ……お前を忘れられるだけの……」
手を伸ばして青年の背をそっと抱く。
彼はこんなにも細い身体で自分を絶えず守ってくれた。
どんなときも怯むことなく自信たっぷりに笑う姿。
その青年が今、涙を殺して泣いている。
「前は良く笑ってたな……でも、あれからお前はぜんぜん笑わなくなった……あれも
俺のせいだよな……」
恋は思いを押し付けるだけではどうにもならない。
互いに努力をしなければ維持もできない。
「君も……笑わなくなってたね……」
似すぎていたからこそ、苦しくて焦がれる。
いっそ鳥かごに閉じ込めてしまえれば楽なのに空を奪うことができないから。
ならばこの空を憎むことを選ぼう。
「好きだけじゃどうにもならねぇんだよな……」
その言葉は紛れも無い真実。
そしてたった一つの答えだった。
「嘘かもしれないよ?」
重なる唇に少女はそんな言葉を吐く。
一枚ずつ法衣が剥ぎ取られて、外気に肌が晒される。
月光の下狂いそうなこの思いを殺しながら青年は首を振った。
「嘘だって構わない。俺にとっては真実だ」
まだ癒えない傷跡を舌先で辿って軽く吸い上げていく。
柔和な肌に咲く小さな花は仮初の支配の証だ。
掌で、指先で、唇で。一つ一つ感触を確かめるように。
乳房に指がかかって先端に唇が触れた。
転がすように舌先が這い回って口中で吸い上げる。
その度に震える肩口を青年の腕が抱いた。
「……ぅ……ッ!……」
柔らかな乳房を揉み抱いて、形の良い口唇が乳首を嬲る。
舌先が離れるときにぬらぬらと光る糸が隠微に繋ぎとめようと足掻いた。
「……っは……あ……」
細い腰を抱いて窪んだ臍に小さなキスを。
なだらかな曲線を描く腹部で青年は手を止めた。
「俺は、ここに命が宿らなくても良いんだ。リトルが幸せだって笑えるならそれで」
子宮の上の皮膚に誓うような接吻をしてそのまま唇を下ろす。
「!!」
舌先が肉芽に触れて小突くように攻め嬲った。
びりびりとした刺激と奪われていく四肢の力。
「んぅ……あ……ッ!!……」
声を殺そうとして両手で口を覆う。
逃げられないように抱いた腰と溢れ出す愛液が青年の唇を濡らした。
唇全体で飲み込むようにして吸い上げればその度にびくびくと震える身体。
くちゃくちゃと響く淫音がこの身体が女だということをまざまざと実感させた。
「……ひ…ぅ……!!……ぅあ!!……」
きつく吸い上げれると一際大きく身体が跳ねた。
放心したかのように蕩けた視線とだらりと投げ出された細い腕。
はぁはぁと荒い呼吸と早まる脈拍。
「指……血、出てる……」
人差し指を舐め上げる舌先の隠微さ。
薄明かりが照らした彼の裸体はどこまでも綺麗で。
「痛い思いするくらいなら、声出したほうがいいぜ」
耳朶を噛まれて耳元で囁く低い声。
うなじに触れた唇の熱さ。
「んんっっ!!」
ぐちゅ、入り込む指先に声が上がる。
「あ、ヤダ!!やだっ……あ!!」
指の付け根まで飲み込まされて掻き回すように踊るそれ。
親指がクリトリスを押し上げるたびにびくびくと肩が揺れた。
亜麻色の髪がシーツの上で乱れ狂うその姿。
今までの人生で見た一番に妖しい絵。
「……ん…ぅ……」
舌先を絡ませて何度も何度もむさぼるようなキスを繰り返す。
重なった視線に少女が目を逸らせば青年は小さく笑った。
「そういや、ちゃんとリトルのこと抱くのって……初めてなんだな、俺」
額に触れる唇にそっと見上げる。
伸びた髪が頬に触れて優しい闇に変わった。
「月光が狂わせんじゃないんだ、その下にいる女が男を狂わせんだ、多分」
濡れそぼった身体を絡ませて脚を開かせる。
片足を肩に掛けて膣口に肉棒を沈ませていく。
「あ……ン……!!」
押し広げられる重量感とそれを絡め取ろうとする本能が交差して。
突き上げられるたびに感じる熱さとこのもてあます感情の行方が分からない。
ぬらぬらと光る愛液が太茎が出入りするたびに絡まってぐちゃぐちゃと悲鳴を上げた。
「やぁ……やだぁ……っ……」
否定するように何度も呟く。
その声を封じ込めるように降るキスがひどく優しい。
「嫌?」
覗き込んでくる赤紫の瞳が。
「……聞いて……どうするのさ……」
柔らかな緑の瞳に重なる。
「俺は嫌じゃないってことさ」
細い身体がきしむほど激しく突き動かす。
結合部から溢れ出す愛液は腿を濡らしてシーツへと零れ落ちた。
分かってるのは互いの身体の熱さとこの鼓動。
「あ、あ……う……!!…ッ!!」
ふるふると揺れる乳房と胸板が重なり合う。
身体の奥から生まれるじんじんとした疼き。
認めたくないと何度も何度も首を振った。
「あー……やべ……俺の方が先にイキそ……」
「……ふ…ぁ……?……」
「好きな抱いてるってだけで、やばいのよ」
どこか泣きそうな笑顔の青年を抱きしめて唇を押し当てる。
とくん、とくんと重なる二つの心音。
「まだ痛い?」
「わかんないよ……そんなの……ッ……」
浮かんだ汗と上がる吐息が室内を染め上げていく。
じゅぷ、ぎゅぷ……繰り返される注入に身体は従順に反応するから。
「ああっっ!!あ……アぅ…!!……」
この腕の中で一枚ずつ剥がれて行く何か。
少しだけ無骨な指が髪を何度も愛しげに撫でる。
耳に、頬に、額に。降り注ぐキスに感じる優しさと暖かさ。
人を狂わせるのは紛れも無く人間なのだ。
「やー……あ……ぅ……」
小さな臀部を掴むように抱いて何度も何度も腰を突き動かす。
数え切れないほどのキスと眩暈がするような抱擁。
「……愛してんぜ……お姫様……」
傷付けないように自分を抱いてくれるのが分かれば分かるほどに苦しくて。
終わらない夜に堕ちて行く様にその瞳を閉じた。
重い身体をのろのろと起こしてぼんやりと月を見上げた。
「眠れないのか?」
細い肩を抱いて額に贈られるキス。
「煙草の匂いがするよ」
「これだけは止められないっていうか、寛容であってもらえると俺が嬉しいんだけども」
肌を染めて長い影を作る優しい光は、心の中までも染み込みそう。
海のそこで眠る小さな誰かの思いにも似ているから。
「もっと違った風に君と出逢ってたら、どうなってたんだろうね」
ぽつり、ぽつりとこぼれる言葉。
「君は綺麗だからきっと引く手数多だっただろうね」
「いーや、それでも俺はリトルに惚れてたと思う」
姿すら知らなかった少女に思いを馳せて、少年は男になった。
「ごめん……君の思いに応えられない……」
二つの国を滅ぼすわけには行かないと、少女は涙を堪えた。
何もかも捨てて逃げてしまうにはあまりにも重過ぎる互いの立場。
「王族の血は……絶やせねぇもんな……」
こつん、と触れ合う額。
「例え誰と一緒になっても俺はお前を愛してる」
「ありがとう……」
テーブルの上、小さく光るルビスの守り。
宝玉から光の粉が生まれて室内を一気に照らし上げた。
「な、何なんだっ!?」
「えええええええっっ!!??」
降り注ぐ光の雨。
『お疲れ様、二人とも』
浮かび上がる少女の姿。
『ま、これは俺たちからの気持ちさ』
その傍らの青年が、少女の掌に小さな木の実を乗せた。
「ご先祖様……これは?」
『命の木の実だよ。これを飲み込めば一度だけ命を宿すことができるの』
そして青年の掌には同じ形をした、もう一つの木の実を。
『こっちは自分の身体を元に戻すためのもんだ。どうやって使うかは任せるさ』
決断は自分で出すしかない。
『ま、いつまでも俺らもこうやっては出てこない。これが最後さ』
『もうあたしたちにも時間は無いみたいなの。だから、これをあげるね』
一番大事なものは一番近くにいて時々見失いそうになる。
砂が崩れるように消えていく姿。
「ご先祖様……っ……」
いつか、あの人のようになりたいと思い描いた遥かなる始祖。
「アスリア……」
「俺はこれは……要らない。リトルが持っててくれば良い……」
何度君を閉じ込めてしまいたいと願っただろうか。
それでも自由を奪った鳥はおそらく本当に自分が欲しがったものではなくなる。
君が思ってくれないのならばいっそ憎んでほしかった。忘れられないように。
それでも、君は優しいからいつも隣にいてくれた。
矢鱈滅多ら晴れた空。少年は何も言わずに天空への旅立ちを決めた。
「ローレシアはどうするのさ」
「もう戦争はおきねぇだろ。何かあったら空の上からどーん!で」
「君らしいね」
渡された書簡には少年の思いがひしひしと記されて。
間違いなく届けると少女はそれを大切にしまった。
「じゃあな、アスリア。しょうがねぇからリトルは譲ってやるよ」
銀の竜の背に乗り、少年は最後に一度だけ振り返る。
もう会えないと分かっているから一度だけだった。
遥か天空に還った竜神とロト。
歴史はゆっくりと動き始めた。
海賊たちは商用として海上都市を作り始める。
サマルトリア、ムーンブルクともに力を注いだ。
「にーさま、いつアスリアさまとご結婚なさるのですか?」
妹の問いにリトルは声を詰まらせた。
「け、結婚なんてしないよ」
「でも、にーさまがご結婚なさらないうちはアレックさまが私と一緒にはなれないと毎晩
手紙を送ってくるのです」
その名前にリトルは苦笑する。
腑抜けとアスリアに称されたデルコンダルの若き王は、サマルトリアの姫君に恋をした。
あの戦いはそれぞれに違った形の花を咲かせたのだ。
「僕のことは気にしなくてもいいんだよ、レム」
静かに自室に戻って、机の引き出しを開ける。
そこに転がる二つの木の実を見ては何度ため息をついただろうか。
掌の上で転がる二つのそれ。
「あ、やっぱりこっちだったか。妹姫に聞いたらどっかいったっていうから」
「やあ、アスリア」
深紫の木の実を取って、光にかざす。
「…………使うのか、それ…………」
それは自分との完全なる決別の儀式。
「!!」
少女は窓からそれを力一杯に投げ飛ばした。
「……リトル……」
「だからといって今すぐ君とは一緒にはならないよ!!まずはあのデルコンダルの男と
サシで勝負してからだ!!妹は渡さない!!」
それからどれだけの年月が流れただろう。
サマルトリアには女王が正式に即位した。
亜麻色の髪を綺麗に切りそろえ、腰に携えた美しい長剣。
魔法国家サマルトリアに相応しい美しい君主の誕生だった。
「父上、先日ムーンブルクでもアスリアーナが即位したそうです」
「そうか。世代交代だな」
「ええ。なので、正式に婚姻を結ぼうと思います」
二つの国の間に結ばれた小さな思い。
それは世界を変える魔法だった。
ドレスの組みひもを結ぶのは青年の指先。
「僕は君と違って、こういうのは着慣れてないんだ」
「俺だってこんな服きたことねーよ。男やってるほうがなげーんだから」
国を挙げての婚儀は三日三晩に渡ることとなる。
テラスから笑顔で手を振る二人を優しい光が包み込む。
「……お姫さんとアイツからの祝福だな」
「うん……そうだね……」
夢のようなお話はまだまだ終わらないと青年は笑うだけ。
ゆっくりと動く歯車の音など聞こえなかった。
「すげー綺麗だよ。俺のお姫さん」
「王子なんだけどねぇ、これでも」
時折デルコンダルから届く手紙に、目を細める。
「妹姫、いじめられてねぇか?あいつ性格悪いから」
「どうかな?君も良い勝負だと思うけれども」
膨らみ始めた下腹部に感じる違和感と重み。
「俺もとうとう父親か。なんていう幸せ」
「馬鹿なこと言ってないで早く書類完成させて宦官に渡して」
良くも悪くも年をとったと女は笑う。
戦友の一人は先日、海に還ったらしい。
最後まで海賊として生きた彼女の意思は小さな命が引き継ぐだろう。
「アスリア」
「んー?」
「その……風邪引くから、あんまり無理はしないで」
「素直じゃねぇな、おれのお姫さんは」
いつまでも彼は彼女を恋人として扱うと誓った。
そのままのありのままの少女を愛したのだからと。
緩やかに時間は流れ行く。
老いには逆らえず、女は病で床に伏した。
「……アスリア……」
少しだけ皺の出始めた手を握る男のそれ。
「僕は……幸せだったよ。君やみんなに出会えて……」
言葉一つ呟くだけで、彼女の命は削られていく。
「ああ……俺も、お前に会えたことが一番の幸せだ……」
二つの国は一つになり、その名を変えた。
いまやこの二人を笑うものも揶揄するものもいない。
「君の事を愛してる。これからもずっと……」
それが最後の言葉だった。
眠るように消えた命を受け取るかのように流れる星たち。
国を挙げての葬儀の間、涙を零さぬ民は誰もいなかった。
それほどまでに彼女は愛されていた。
「リトル、俺も幸せだった。お前のいない一日なんて俺にとって必要ないんだ」
父王と言われた男はその数日後に、静かに息を引き取った。
彼女の後を追いかけるように。
新たに即位した皇女は二人のことを思い出すたびにこう加えていた。
「父は母のこと一度も母さんとは呼びませんでした。その代わりに名前で呼んだり、
お姫さんと呼んだり。いつか、私も二人のような恋をしたいものです」
二人の愛を受け継いで、皇女は世界を飛び回った。
そのうちに出逢った一人の青年と恋をして。
空を泳ぐ船に乗りながら。
――――――――そして、それから千年の月日が流れた―――――
「ばあや、なんでこのお姫様は王子さまなの?こっちは王子様がお姫様だよ?」
子供の問いに老女は苦笑した。
「アリーナさま、このお二人はサントハイムの始祖たるお方。アリーナさまのご先祖
さまにあたる尊きお二人です」
「ブライはあったことあるの?僕もあってみたいよ!!」
アリーナというなの王子は誰に似たのか腕白で城中を走り回る。
その仕付け係として座するのがこの魔道師であるブライ老女だった。
「いえ、私もあったことはございません」
「でも、このお姫様とっても綺麗だね。僕もこんな人をお嫁さんにしたいな。ちょっと
クリフトにも似てるしね!!」
少年の手を引いて、老女は二人の絵画を見上げた。
若くして夭折した二人の死後、サマルトリアとムーンブルクはその名を「サントハイム」と変えた。
「アリーナさまがもっと大きくなったらこの二人のことを教えて差し上げますよ」
「本当!!楽しみにしてるね!!」
繰り返される歴史は、いつも悲劇を生み出してしまう。
天空に住まう竜の血を持つ少女は、人間と恋をした。
生れ落ちた命だけを残して天に連れ戻されて。
竜神だけは少女を責めることは無かった。
自分の祖となった竜もまた、人間を愛したのだからと。
光と影は密接でどちらも一方だけでは存在できない。
「ロザリー、身体の具合はどう?」
銀の髪を揺らして、少女は青年のそばに佇む。
「ピサロ、お願いだから人間を滅ぼすなんて考え直しておくれ。僕はもう気にしてないから」
ピサロと言う名の少女は魔界に君臨する正当な皇女。
妖精族の青年のロザリーと悲しい恋に落ちた。
「ロザリーは何も気にしなくていいの。私が戦う」
「僕は……ただ君と幸せに二人でいられればそれでいいんだよ……」
真っ赤な月が上る夜。
甘い甘いキスを二人で交わした。
王宮に住まう女戦士は神隠しの究明に駆り出される。
ライアンという名の女は長剣を物ともせずに魔物を切り倒していく。
「東の空が燃えるような色……何も無いと良いのだけれども……」
胸騒ぎとざわめきを殺して。
ただ生まれ来る不安を消し去るために何度も頭を振った。
モンバーバラでは二人の兄弟が静かに身を潜める。
錬金術師だった父は弟子の裏切りによってその命を失った。
「マーニャ兄さん、東の空が……」
「だな。やばめな感じはしてっけども……」
双子の弟のミネアは水晶を覗き込んでため息をついた。
「そろそろ潮時か」
「うん」
旅立ちを決める何かを探していた。
それが今になっただけだと青年は小さく笑った。
「レイチェル……ここから出ちゃだめだよ、絶対に」
少年は少女を抱きしめて、そっとキスをした。
「シンシア!!待って!!」
「僕はこの日のために生きてきたんだ。良い?君は唯一つの希望なんだ」
少年は石扉を封じて外へと飛び出していく。
明日への光である血を守るために。
それが最後の別れであっても。
壁を蹴り破って、王子は今日も外へと飛び出していく。
それを追いかけるのは老魔道師ブライと女神官のクリフト。
「ブライさま、アリーナ様は活発ですね」
「あれでロトの血を引かれるお方なのだが……私の育て方が間違ったのか……」
「聞かせてくださいませんか?ロトのお話を」
それは導かれし者たちの物語の序章。
遥か昔の恋のお話。
君と出会えて幸せだった。
この旅に出れたことはきっと運命だった。
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22:28 2007/03/18