◆時間軸上のアリア◆
「それでは行って参ります!父上!!」
翠の外套とローブを纏い、サマルトリアを出発したのは王子。
しかし、この王子には一つだけ秘密があった。
王子であって、王女であるということ。
女系国家のサマルトリアの血を最大限に活かすために、王子を王女へと魔法で変えたのだ。
悩みはしたものの、王子として育てられてきたからにはと彼女は心を決める。
そして、良く晴れた日に城を出たのだ。
長い髪を風に揺らせて。
サマルトリアの西、朽ち掛けた洞窟をリトルはランタンを手に進む。
城の神官たちの話が正しければ、この洞窟に銀の鍵が眠っているからだ。
「えーと、こっちかなぁ……」
松明片手にリトルは迷宮を一人で歩く。
かつん、かつん、とブーツの音だけが不気味に響いた。
すでに数え切れないほどのキングコブラと大鼠を切り倒してきた。
細身といえども正当なるサマルトリアの次期王となる者だ。
皮で出来た鞄の中には溢れんばかりの薬草と毒消草。
薬草を齧りながらリトルはなおも進む。
「うわー……まだ続くよ……」
纏わり付いてくる軍隊蟻を切り飛ばしながら、それでもどこか鼻歌交じり。
面倒な王室での暮らしからの脱出は彼女の憧れだったのだ。
魔物を散らしてどこまでも。
「にーさまぁ……」
「……レムっ!?」
「にーさまぁ……どこですかぁ?」
近付く声に、足を止める。
いくら剣の使い手といえども、危険な状況に変わりは無い。
「にーさま、見つけた」
「どうやって城を……」
サマルトリアは城砦国家の異名を持つ。そう簡単に落城できない造りだ。
抜け出すことも困難な城を、彼女はさらりと抜けてきた。
「二階の窓を破りました!!」
「そう……君らしいね」
「はいっ!!」
妹の手を取って、今度は二人で進む道。
「にーさま、早く帰ってきてくださいね」
自分が居ない間、兵を率いてサマルトリアを守るのは彼女。
まだまだ誰かに守られて当然の子供。
「うん。なるべく早めに帰るよ」
「私も、にーさまと一緒に旅をしたいな。にーさまと二人で世界中を飛び回るの」
海に沈む夕日も、蕩けそうな色の朝焼けも。
虹に掛かる雲も、その付け根にあるという幻の都も。
何もかも、閉じ込められた籠の中では見れないものだった。
光る銀の月、夕闇の先、太陽をどこまでも追いかけて。
「もう少ししたらね。今日は……ここまで」
「はぁい」
「いい子にしてないと、守れないからね」
姉である兄は、穏やかな表情で言葉を紡ぐ。
何もかもを受け入れるには、まだまだ時間も経験も足り無すぎるから。
剣を持つ手もまだ覚束ないままの出撃。
この流れる血が、そうさせる。
漆喰の剥げた一室に鎮座する小さな箱。
古びた封印の書を指先で払う。
「これが……銀の鍵?」
ぼんやりとした光を放つ鍵をそっと拾い上げて、表面の埃を吹き飛ばした。
両手でそっと包み込んで、その中央に埋め込まれた青玉を見つめて。
「………!!………」
視界では無く、脳内に直接流れ込んでくる何か。
それは、古のロトの言葉だった。
『我が子たちよ、そなたらがこれを手にするのは、世界に暗雲が立ち込めるとき。
迷わずに前を見て、おのれの足で進むが良い』
『だいじょーぶよ。難しく考えなくても出来るから』
『こら!ちょっとは子供たちの道を示唆してやれって!!』
『大丈夫よ。あたしにはちゃんと光が見えるから。この鍵は、闇に染まらぬ心の
持ち主しか触れない。あたしがそうしたから』
女と男、二つの声。
(御先祖様って……面白い人たちだったんだな……)
『怖がらないで。あなたのその両足。道は、あなたが作るのよ。あたしたちのように』
見える目も、剣を取る手も、そして、前に進める足がある。
大地を蹴って、遥かなる大陸へと向かうのだから。
『誰でも無く、あなたはあなた。恥じることなどなに一つ無いのよ』
心に響く、優しい声。
まるで両手で抱き締められているかのように温かな感触。
『さぁ、行きなさい。あなたをまってる仲間が居る』
「はい…………御先祖様…………」
中途半端な魔法剣士と罵る神官たちの声。
大義名分を引っさげて、城を飛び出した。
結局は己の心の弱さを認めてしまう結果だとしても。
『怖い物なんてないのよ。この世界には光が満ち溢れてるわ』
その弱ささえ、認められないほど小さかった自分も居たのだ。
強さとは、力だけでも知識だけでもない。
己の弱さを認めて、目を反らさずに見詰めること。
「あなたの光のあるアレフガルドへ……かならず……」
「リトルさまが御帰還なさいました!!」
衛兵の声に、国王は小さく笑う。
「我が息子は、お前ら見れば愚息の極みだろうな」
居並ぶ神官を舐めるように見据えて、扉へと視線を戻した。
「父上、レムを連れてまいりました」
「そうか。ご苦労だったな」
「いえ、僕の不注意でもありましょうし。それに……」
サーベルを抜いて、リトルはそれを天に翳した。
「中途半端な魔法剣士のままで居るのも、飽き飽きしました」
結わえた髪の根元に剣を当てて、一気に引き抜く。
ばさり、と亜麻色の紙が赤絨毯の上に、乱れ散った。
まるで、何かの紋章のように。
「リトリア、これよりアレフガルドへと旅立ちます。留守の間、サマルトリアを
頼みます、父上」
凛とした声と、はっきりとした眼差し。
逃げるように生きていた愛娘はそこには居なかった。
ロトの血を引く、一人の剣士。
たたずむ姿に、品格さえ漂う皇太子の姿が確かにあった。
「王子!!王子が御帰還なされるまで、我ら騎兵団、全力でサマルトリアを守ります!!」
「ありがとう」
「リトル様、私たち魔道士もこの命に代えても国を守りますわ」
「ううん。何かあったらすぐに撤退して。そうならないように僕もがんばるよ」
左手に剣を。
右手に希望の光を。
血を言う因縁を捨てて、この旅は自分で選択したものなのだから。
これは、自分自身との戦いの旅。
「みんな、死なないで。命あってこそのものだから」
「王子……」
「リトル様……」
翠の該当を翻し、穏やかに彼女は笑う。
「生きて、生き残って……皆で祝杯を上げよう。悪霊に神なんてないもの」
ブーツの踵を鳴らして、大神官の前に進む。
「御爺様。暫く城を空けます……サマルトリアの名に恥じないよう、戦ってまいります」
大神官はリトルの教育係だった老人だ。
愛称を込めて御爺様と兄弟揃って呼んでいた。
「王子……」
「ロトに言われました。この世界には光が満ち溢れている、と。本当に悪い人なんて
居ないのでしょう?だって、みんな……この国を愛してる」
そして、他の誰でも無く自分自身も。
この魔法国家サマルトリアを愛しているのだから。
「みんな、サマルトリアの神官を討ち取れる魔道士なんてそうそう居ない。それが
僕の自慢だよ。留守の間、リリザ周辺の警護も頼んだよ」
深々と頭を下げる姿。
本来、皇太子であるリトルが頭を下げる由縁は無い。
「僕は、皆よりまだまだ経験も力もない。男でも女でもない、中途半端な存在だ」
「……王子……」
「でも、この旅路の果てに何かを見つけられるなら。僕は、負けずに進む。必ず、
帰ってくるよ」
もしも、風が想いを伝えてくれるのならば。
心の欠片を、届けてくれる。
「父上、行って参ります。サマルトリアの名に恥じぬよう、戦ってまいります」
「我が子よ」
「はい」
「私を恨まぬのか?お前の運命を変えたことを」
それは、胸を締め付ける言葉。
「恨んだ事もありました。けれども、それが我が定めならば……サマルトリアのために
その御心がございますならば」
この手も、この足も、授かったもの。
誰かのおかげで、誰もが存在するのだ。
「父上を恨むことなど、出来ません」
「そうか……我が子よ、行くがいい。お前はこの国の最後の光だ」
その言葉にリトルは首を振った。
「いいえ、世界は光に満ち溢れております。その光を絶やさぬためにも、行って参ります」
一礼して、ゆっくりと背を向ける。
「我らが王子に勝利を!!」
「ルビス様の加護を!!」
静かに、一歩ずつ進む姿。
誰も、視線を外せないままただ見詰めていた。
「偉大なる我らがロトと、我が最愛の妻レミアの守護を!!」
父王の声に送られて、扉に手を掛ける。
振り返ることも、出来ないまま。
唇を噛んで、声を殺した。
今振り返れば、きっと泣いてしまう。
それは、王子として出来ないことだから。
「……行って来ます!!我らが祖国サマルトリアに栄光あれ!!」
飛び出すようにして、扉を閉める。
小さな少女の大きな一歩。
旅立ちの日だった。
「お互い、面倒な身体だもんな……サマルトリアも封建体制残ってんのか?」
「神官たちにはね。でも、今は大丈夫だと思うよ」
宿の一室、響くのは青年と少女の声。
お互いに数奇な運命に踊らされてきた。
叶わぬならば、いっそ楽しんで踊ればいい。
青年は少女にそう笑った。
「君が居てくれて良かった。アスリア」
「お世辞でも嬉しいね。可愛い子に褒められんのが一番嬉しい」
深紫の彼の髪。鋏を入れれば魔法力が下がるから、と言って。
であったころよりも、ずっと長く伸びた。
「この後どうすんだ?ガキはカジノ行ってっし」
「手紙を出して、その後はお酒でも呑みに行こうかな」
指先で印をして、そっと念じる。
掌の中で手紙は一瞬にして消えていくのに、アスリアは声を失った。
「どこで憶えた?そんな高等魔法」
「御爺様に教わったんだ。妹に近況を伝えられるように」
祖国にも、遠くはなれたこのアレフガルドにも。
昇る太陽と掛かる月の光は同じ。
「部屋酒でいいなら、付き合うぜ?」
「その下心、寝かせてくれるならね」
「未来の嫁に、先に手ぇつけちゃダメなのか?」
ヘッドゴーグルを外して、それを机の上に置いて。
少しだけ窓を開けて、空気を吸い込む。
「どうぞ、王子様」
グラスに注いだ琥珀色の液体。
どこか懐かしいような味に、瞳を閉じる。
「美味しいね。なんて名前なの?」
「アリア。名曲と一緒だな」
グラスの端が触れ合って、まるでキスでもしているかのよう。
「我らの血の根源の地、アレフガルドに乾杯」
「あはは。そうだね。乾杯」
少しだけ強めの果実酒は、それにそぐわない甘さ。
濡れた唇がやけに蠱惑的だ。
「眠くなってきた……部屋、戻るね」
「キスくらい、してくれもいいんじゃねぇの?」
「君が、キスだけで離してくれるとは思ってないからね」
後ろから抱き締めてくる腕を払いのけようとする。
耳に触れる唇。
「ちょ……っ……やめ……!…」
サイドファスナーが下げられて、するりと脇から進入する手。
「痛いだけじゃないって、知ってるだろ?」
深紫の髪が、頬に触れる。
上着と前垂れを剥ぎ取って、壁に押し付けて。
「俺じゃ嫌なのか?」
「僕は……女の子じゃないよ……」
首筋に唇が降りて、甘く噛跡を残していく。
柔らかい肌と、折れそうな腰つきの身体。
「触られれば感じるのにか?」
「…君が……ッ……」
少しだけ膨らみを増した乳房に掛かる指先。
やんわりと布地越しみに揉み抱いて、距離を詰める。
「や……ッ!……」
尖り始めた先端を、衣服ごと吸い上げられて、腰が大きく揺れた。
「やめろって……言ってんだろうがっ!!」
回転を効かせた拳が、思念の顎を下から打つ。
「リ、リトルさんっ!?」
「精霊ルビスよ、我にその力を!!」
「俺が悪かった〜〜〜〜〜っっ!!待ってくれっっ!!話を……!!」
手の中で生まれる、熱波とゆらぎ。
次第にそれは大きさを増し、空気の流れすらを変えて行く。
「ベギラマ!!」
「!!!!!!」
「んで、俺が大勝してきたっていうのに、修理費で消えるってか?」
金貨の入った皮袋を宿屋の主に渡しながら、レイはぶつぶつと呟く。
「まぁ、珍しくまだ手元に残ってっからいいんだけどよ」
じゃらじゃらと歓喜の声を上げて、金貨は少年の掌で誇らしげに笑う。
今宵、ルビスの加護を受けたのは黒髪の少年。
その手に剣を抱き、迷いながらもまっすぐに進む。
「せ、せめてホイミくれぇかけてくれたって……」
「僕は、君よりも回復魔法が上手じゃないからね。不満があるなら薬草でも齧ってたら?」
「好き嫌い無くなるかもな、オカマ。香草食えないとか一々騒がれてもうるせぇし」
「人間、一個くらい食えないもんがあんだよ」
じんじんと痛む顎を擦りながら、ぶつぶつと呪文を唱える。
「リトル、これやるよ」
「?」
「景品の中で、一番綺麗だったからさ」
金細工の施された、小さな首飾り。
「ここを、押すとな……ほら」
かちり、と金具が擦れて流れ出す音色。
それは、王宮でずっと聞いていた懐かしいものだった。
「……アリア……」
「俺、音楽とか詳しくないけど、この曲は知ってるんだ。かーちゃんが好きだった」
帰るべき家のあるもの。
帰るべき家を求めるもの。
帰るべき家を作るもの。
三人の道は、それぞれに違う。
それでも、重なった『現実』を生きて進む事を止めようとはしない。
「ありがとう」
「ぼちぼち出発すっか」
明けない夜は無いと、信じて。
この道を進もう。手を繋いで、ゆっくりと、ゆっくりと。
(星一つ無い夜ってのも、いいもんだな……)
舳先にしゃがみ込み、青年は煙草を燻らせる。
深淵の闇に溶けていく煙の美しさ。
(帰る場所の無い、俺みたいな空だ)
風に揺れる濃紫の髪。
「風邪引くよ。中に入ったら?」
「頭、冷やしてるんで」
「ふぅん……反省出来そう?」
「検討中です」
くすくすと笑って、彼女は青年の手にそれを握らせる。
「ペンダント?」
「ここを押すと……ね」
何もかもが、幸せだったあのころの音色。
全てを失った青年の心に灯る、小さな想い出。
「貸してあげる。明日になったら返して」
「……ん……」
曇った声に、振り返らずに少女は姿を消した。
それは、彼女の優しさの一つ。
泣き顔を誰にも見られたくない夜もあるのだから。
「……アリア……」
あのころの光よりも、もっともっと眩いものを。
愛して止まない祖国に灯そう。
(……親父……みんな……)
思い切り泣いて、思い切り笑って、自分を取り戻すために。
「うあ、先客……」
頬を擦りながら、レイはアスリアの隣に腰掛ける。
「何しに来たんだよ、お前」
「夜這い掛けたら往復ビンタ食らった上にギラと来たもんだ」
「好成績じゃねぇか。大したもんだ」
二本目に火を点けて、アスリアは大声で笑った。
ありのままの自分を、そのままに見てくれる仲間。
同じ血を持ち、同じ目線を持つ。
「何か、お前見てると笑いがとまんねぇ……っ……」
「失礼なオカマだな」
「うははははは。飲めよ、くれてやる。俺様と同い年の赤だ」
懐から取り出したのは小さなボトル。
一つをレイに手渡し、もう一つの栓を魔法力で弾き飛ばした。
「とりあえず今日は……」
「一時休戦ってこったな」
グラスも無しに無作法に口を付ける。
それでも、これが今の自分たちにとっては一番ふさわしいような気がした。
流れるのはアリア。
それぞれに大事なメロディー。
流れる季節の真ん中に。
一つだけ、大事な色を加えた。
願わくばその一筆を。
君と共に。
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22:47 2005/04/11