◆そばかす◆



「ローラ様、疲れませんか?」
青年の手を引くのは、そばかすの可愛らしい少女。
鎧に身を包み、軽快な足取りで草地を進む。
「君が……ロト?」
「いいえ。ロトは私のずっと前の人です。私はマイラの田舎娘ですわ」
栗色の髪を二つのおさげに。ほんのりと春色の頬は柔らかい桃。
「怪我はしてません?」
「うん、大丈夫だよ」
「良かった。洞窟は辛く無かったですか?遅くなってしまって……」
兜から覗く細い首。左手には鋼の剣。
鼻歌交じりで青空の下、少女はラダトームへと向かうのだ。




少女の名は「デイジー」と言うらしい。
マイラの村の出で、趣味は菓子作り。
正当なるロトの子孫だが、誰にも言わずに静かに生きて来た。
そんなある日、彼女の夢枕に立ったのは伝説のその人。
「起きて。竜王を倒さなきゃ。あなたはあたしの血を引いてる」
その声を機に、デイジーは剣を取り旅立った。
「ローラさま、今日はどうしても野宿になってしまいます。ごめんなさい」
「構わないよ。元々、僕が弱いのがいけないんだ。簡単に捕まったし……」
項垂れる王子に、デイジーは首を振った。
「ローラさまは、剣など握らなくてもいいんですよ」
目の前にいるのは、御伽噺に出てきたような本物の王子その人。
自分のような田舎娘が、本来目通りできる相手ではない。
魔物を狩りながら、彼女は前だけを見つめてきた。
「けど、僕だって王子だ。国を、民を守る義務がある」
「十七年間、ロトである事を放棄してきました。私にその罪滅ぼしをさせてください」
枝葉を集めて、火を灯す。
マントを敷布代わりにして、デイジーはローラにそれを勧めた。
「パンと、干し肉くらいしかありませんけども……」
傷だらけの指先が、炎に小枝をくべる。
割れた爪、皸と瘡蓋。
膿んだ傷口には、まだ乾かない血。
「夢みたいです。本物の王子様に逢えるなんて……」
何度も繰り返し読んだ物語。
「ローラ様。お休みになってくださいませ。私が番をいたします」
枯葉が燃える音だけがが響く。
彼は、彼女の心を知るにはあまりにも世間を知らな過ぎた。






銀色の琴の悲鳴は、魔物にとって甘美なる音色。
群がる魔物を切り倒して、彼女はここまで来た。
(神様、ルビス様……私の罪をお許しください……)
胸の前で組まれる指先。
彼女が斬り付けた魔物の影から出来てた、小さな影。
「破ッ!!」
金属を割ったような甲高い悲鳴。
それは、彼女が殺した魔物の子供だったのだ。
正義の名の下に、行われる大量虐殺。
この手は、絶えず何かの命を奪っていく。
(神様、私はこの先どうしたら良いのですか?)
繰り返す祈りの言葉と、胸を刺す小さな痛み。
迷いと戸惑いをこの手に抱いて、デイジーはただ前へと進む。
自分にとっての正義は必ずしも正義ではないということを。
(古のロトも、同じように思ったのかな……あたしにはロトなんて務まらないわ……)
笑うそばかすと、小さな唇。
ドラキー達が興味深げに少女の周りを飛び交う。
魔物にも、強者と弱者がある。
スライム、キメラ、ドラキーはその中でも迫害され食料とされる立場の生き物達だ。
「あはは。どうしたの?」
葉を擦り合わせたような声で、ドラキー達は何かを囁く。
その中の一匹がちょこん、と肩に乗った。
「なぁに?一緒に居てくれるの?」
たった一人で、彼女はこの闇夜の道を歩く。
小さな灯を頼りに、覚束ない足取りで。
「ねーぇ……王子様を助けたら、あたしでもお姫様になれるのかな?」
絵本の最後の頁は、幸せそうな王子と姫。
ふわふわの癖毛と頬のそばかす。
御伽噺のお姫様のような顔など、持ってはいない。
「お姫様になりたいわけじゃないのよ。あたしだって自分の顔くらい分かってるもん」
おもちゃの指輪を大事にしていたころのようには、いられない。
「皆の命も、あなたたちの命も同じように大事なのにね……」
一人で眠る夜にも、もう慣れた。
きらら…と光る星だけが、彼女の心を知っている。
ライ麦のパンと、食べかけのクッキー。
「おやすみ……今日は一人じゃないのね……」
キスをくれる人はいないけれども、不思議と寂しさはなかった。






「ローラさま、どうかお気をつけて」
ラダトーム城の付近まで来て、デイジーはそう告げる。
平民の出である彼女は、城に入る事は本来許されない身分だ。
「君は?」
「あそこに参ります」
指差すのは対岸の竜の城。
この手に抱くはずの幸せは、どこかうつろな色にさえ思えた。
「竜王を倒すために」
「その後……どうするんだ?」
兜を直して、デイジーはその視線をローラに向けた。
「神の導いて下さるままに。私が今からする事は…………」
小さく呟く声。
「神殺し、です」
竜神は水を司る。その神の首を刎ねる事が、自分の運命。
多数の幸福のために、一人の幸せを奪うこと。
そんな自分が勇者などと称される事自体、おかしな事だと彼女は言った。
「竜神の呪いは、私が受けます。それがロトの役目」
「呪いを受けるべきなのは僕だよ。デイジー」
いいえ、と横に振れる首。
「きっと、私はこのために生まれたんです。お父様も、お母様も、大事にしてくださいました」
命を慈しみ、全ての物に感謝の気持ちを持て。
母なるルビスに忠誠を、祖なるロトに敬意を。
「お元気でローラ様」
頭を下げて、彼女はゆっくりと歩き出す。
細い背中、やせた腕。
「邪神など、神には入らないよ。君は神殺しをするんじゃない」
青年の声に、少女はただ首を振るだけ。
もしも、竜神に伴侶とするものと子供がいたならば。
自分は一つの家庭から光を奪うのだ。
「私は、よほど人間の方が恐ろしゅうございます。ローラさま」
マイラの村は、ルビスの寵愛を受けた特殊な土地。
人間よりも精霊、魔族との由縁の深かりし一族。
ロトはその地に身を置き、静かに余生を過ごした。
ひっそりと生きて来た少女の運命は、一瞬で変わってしまった。
「竜神を倒し、私も一緒に朽ちようと思います」
「それは、王族でもある僕が……」
「王族?私たちの苦境も救ってくれない王族など……なんの足しになりましょう」
デイジーは皮袋から鹿の干し肉を一欠片取り出した。
「これが何だかお分かりですか?」
「干し肉だよ」
「この鹿一頭で、私たちは十日間飢えを凌ぎました。水害の際にラダトーム王はマイラを
 見殺しにした。妖精族の住む村など、気味が悪い……と」
口に含み、咀嚼する。
「人間は我らマイラの民を救ってはくれなかった。マイラを救ったのはこの干し肉と小さなパン」
祈りだけでは人は救われない。
思うだけでは気持ちは得られない。
「私が贖罪をするのは……我らがルビスとマイラの民にです」
風に揺れる解かれた三つ編み。
「ごきげんよう、ローラさま」
力無き物の理想よりも、小さなナイフの方が余程役に立つ。
王族の誇りよりも、剣を持って立ち上がった少女の方がこの世界を救えるのだ。
勇者と言われる人間に頼りきり、人間は戦うことをあきらめてしまった。
マイラと同盟を持つのは、同じように妖精族と魔族と円滑な関係を築いてきたメルキドのみ。
竜神の呼び掛けに魔物達は呼応したが、二つの街の彼らは最後まで抵抗を示したほどだ。
「……君も、僕と同じ人間だ」
「ええ。だからこそ…………」
剣先が、少女の頬に触れる。
「この血が、狂おしいほどに憎いのです。人のために死ねと叫ぶこのロトの血が!!」
この命をかけて、自分達を見捨てた人間を救え。
それが自分に課せられた言葉。
「アレフガルドに光を。ごきげんよう」
その頼りない腕に、世界は委ねられる。
本当に無力な者は、覚悟を持つものの前では言葉さえ出せない。
小さな後姿。
それが、彼女の最後の姿だった。





竜神はその後に姿を消す。
果敢なる勇者ロトの子孫が、その首を切り落とした。
対岸から上がる炎と断末魔の悲鳴に、人々はただ呆然とするしかなかったという。
「……あたし、がんばったよ……」
崩れ行く城の中、少女は肩に乗るドラキーに微笑む。
完全勝利ではなく、まさに相討ちだった。
腹部を貫通した竜の爪と、肩口に食い込んだ鋭利な牙。
流れる血を止める術など無く、ただ彼女は死を受け入れようとした。
「……ロト……よ……」
臓物を露出させながら、竜王が腕だけの力で少女の方に這い出す。
「……ごめんなさい……あなたの……幸せを奪って……!!…」
ごふごふと咳き込んで、噴出す赤黒い血。
手で口元を押さえても、その隙間からぼたぼたと零れ落ちる。
「…ル……ビス……さ、ま…ぁ……」
震える指先が、祈りの形を。
「わた、し……の…罪…を……」
「…ロ…ト……」
最後は言葉にもならないほど、細い囁きだった。
『罪を、お許しください』
誰かの幸せのためには、誰かの幸せが消えて行く。
命は等価に美しいもの。
それを破った人間のために、この命を捨てる事。
不思議と、恐怖は無かった。
ただ、どことなく悲しいと思ったくらいで。
「……竜…神の……力、を……」
指先が青白く光り、少女の身体を包み込む。
「そなた、の……家に……帰るが……い、い……」
彼女は子供には手を出さなかった。
本来ならば、竜神の血全てを根絶やしにするべきなのに。
無益な殺生は好まず、あのゴーレムさえもその歌声で手懐けたのだから。
ならば、せめて父母の待つ暖かい家に。
その身体だけでも帰してやりたいと、同じ親として考えたのだろう。
『違う時代だったならば、我らとロトは、友好な関係になれたのだろうな』
『そうね。それはきっと、あたしたちじゃない誰かが……あの子がそうしてくれるのよ』
それは、無意識下の会話だった。
もう、誰も動くことすら出来なかったのだから。
『ロトよ。次に生まれるならば……我が竜族と手を取り合おうぞ』
『うん……きっと、仲良くなれるよ……』
崩れ行く城から飛び出す二つの光り。
アレフガルドの空を、流れ星が二つ走った。




「おばちゃーん!!!お姉ちゃんが!!!」
子供が駆け込んでくるのと同時に、女が外に飛び出す。
「デイジー!!!!」
村の中央の湯治場。その湯の中に少女の身体は静かに横たわっていた。
胸で組まれた傷だらけの指。
瘡蓋だらけの頬。
手足は赤黒く腫れあがって、無残な姿を晒していた。
「デイジー!!デイジー!!」
どれだけ抱きしめても、止まってしまった心臓は再び動く事は無く。
村中が一人の少女の死に、涙を零した。
「みんなのために……よく、頑張ったね……」
旅立ちの日、お気に入りのゴムを選ぶのに手間取った姿も。
菓子の焼き加減を間違えて落ち込む姿も。
笑うと少しだけ見える笑窪も。
もう、会えない。
「クルル。デイジーを天に還そう……私たちの誇りだ」
「ええ……ええ……我が娘は、勇敢に戦いました……ルビスさま……」
純白のローブに身を包み、花に囲まれ少女は硝子の箱の中。
解いた三つ編みは美しく波打ち、まるで聖女のようだった。
「待ってください!!」
息を切らせて青年が飛び込んでくる。
「僕の名前はローラ。ラダトームの王子です」
マイラに向かった光を見て、彼は馬を駆って城を飛び出してきたのだ。
その光が、少女だと信じて。
「娘を見殺しにした男など、興味も無い!!」
「我らマイラを、精霊を救うためにロトはその命を賭した!!」
「立ち去られよ、王子。ここはあなたのいるべき場所ではない。ことによってはマイラ、
 メルキドを敵に回すことになりましょう」
罪は、誰にあるわけでもない。
ただ、皆が幸せになることを望んでしまっただけ。
どこかでずれてしまった歯車が、ぎりぎりと悲鳴を上げる。
「僕は……どうやって彼女に償えばよいのでしょう……」
「何も望みません。我らも精霊も」
少女の頬に、落ちる涙。
乾いた唇に、一度だけ小さなキスを。
「…………だ、れ…………?」
「デイジー!?デイジー!?」
「おかあ、さん……おとう……さん……」
青年を突き飛ばして、女は少女を抱き締める。
「デイジー!!デイジー!!」
「おかあさんだぁ……ただいま……」
沸きあがる歓声に、デイジーは目を白黒させた。
「みんな……ただいま……」
次々に伸びてくる手で、ぐしゃぐしゃに乱される髪。
笑い声と涙声が混ざり合って、温かな空気を生み出す。
「ローラさま……」
「王子は、もう辞めることにしたんだ」
魔道士の杖が、きらりと光る。
「今度は魔道士として、ロトに従うよ。マイラには優秀な魔道士が多いし」
「……………………」
「今度は、君を守れるように強くなるよ。デイジー」




しあわせは途切れながらも、続くから。
君がここに居て、今日も笑ってくれるこの世界を守れたことを誇りに思う。






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0:15 2005/05/28



               




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