◆Honeyberryな雪の夜―手を繋いで微笑んで―◆
「すっごーい。きれーい」
「はしゃいでる場合じゃねーだろ。ノアニール行って、イシス行くんだぞ」
冠を触りながらジェシカは目を瞬かせる。
「ルーラで一発さ。流石、大魔道師エース様ってね」
「自分で言っちゃ世話ねーな。ガキ」
鉄の爪を磨きながら、レンはげらげらと笑う。
(カンダタ、いい男なのよね。がさつじゃないし、どっか可愛いし)
それでも、重ねた時間が愛しいと思えるように。
この男のことを愛しいと思ってしまうのだ。
(うかうかしてると、盗られるわよ。アタシ、倍率高いんだから)
飄々と生きる男は、気まぐれに女を抱く。
決まった相手ではないとお互いに豪語しても、どこか割り切れないままの関係だった。
「夜明けと共に、ノアニールだな」
「わーい。お父さんが近くにいるんだ!!」
それぞれの思いは交差して、零れるのはため息ばかり。
「アタシ、先に休むわ。おやすみ」
自分に当てられた部屋に戻り、髪を梳かす。
この一瞬だけが、自分に戻れる瞬間だった。
「おい、起きてんだろ?開けろや」
「やぁよ。今夜は一人で眠りたいの」
「ドアぶっ壊すぞ」
「……入りなさいよ。開いてるわ」
夜着を纏って、ベッドに腰掛ける姿。すらりと伸びた脚がまぶしい。
「どうしたの?」
「んー……なんか様子がおかしいってかさ。気になって」
柄にもない言葉を言ってる自覚はあるらしく、彼は照れくさそうに笑った。
自分の隣を指して、ホーリィはレンに座るように促がす。
「おかしかった?アタシ」
「ちょっとな」
素のままの色の爪は、どこか宝石のようで。
包み込んで、接吻したくなる。
「さっきねー、可愛い男の子に『俺のところに来ないか?』って誘われたのよ。
柄にもなく、嬉しくなっちゃってね。だから、一人で寝ようと思ったの」
「何だ?そりゃ」
「いいでしょ、コレ貰ったのよ」
畳んだローブの上に載せられた、甘い色の真珠。
「……まぁ、いいけどよ。俺はオッサンだしな」
その背中が、声が。
酷く遠く思えた。
手を伸ばして、そっと抱きしめる。
「アタシだって、いい年増よ……」
布越しに感じる暖かさ。見えないはずの表情が、ありありとわかってしまう。
酒場で気まぐれに声をかけたのは男。
その誘いに乗ったのは女。
ただ、それだけだったはずなのに。
「ね、寒いと思わない?」
すり寄せられる頬の感触。振り返って、両手で包み込む。
「そうだな。もうじき雪が降る。俺の故郷(さと)じゃガキが喜ぶ季節だ」
ゆっくりと近付いてくる唇。
「あっためてよ。寒いのは、好きじゃないのよ……」
雪は、忌まわしい記憶に彩られて。
あの、白の中に零れた赤を忘れる日など生涯ないだろう。
降り積もる白い白い雪。
革命の日を染め上げた赤と白。
「どうした?お前らしくねぇ……うわっ!!」
押し倒されたのは、男のほう。女は少しだけ泣き出しそうな顔をしていた。
「理由とか、こじ付けとか、そんなの要らないから。寒いのが嫌なのよ!!」
頭を振って、痛みを打ち消す。
「荒れてんなぁ……余裕綽々、天下無敵のホーリィさまはどこ行ったんだ?」
「……雪なんか、大ッ嫌いよ……」
サマンオサの冬景色は、美しく何物にも代えられないと謳われるほど。
しかし、その光景も変わり果ててしまった。
毎日のように断頭台に誰かが消える。
首のない死体は晒され、野鳥がそれを啄ばむのだ。
「綺麗じゃねーか。真っ白でよ。ガキ二人なんかおおはしゃぎしそうだ」
暢気に男は女の頭を抱く。
子供にでもするかのようにわさわさと髪を撫でて、目を閉じた。
「おっかねぇ過去は忘れちまえ。お前が光を信じねぇでどうすんだ」
男の唇は、少しだけ乾いていて―――――なぜか、甘いと思えた。
「俺の名前ってよ、花からとったんだってよ。蓮の花って……ああ、サマンオサには
そんな花ねぇか。白と桃の間で、俺の国の神様が手に持ってんだ」
昔を懐かしむような声。
「蓮の花のように、己に誇りを持て。じーさんの教えだ」
「アタシは……導かれし光よ。どこまでも行ける様にって……」
「上等だ。花は光を受けて大輪と成す。全ての命の源になるべく、天より注ぐもの。
お天道様に顔向けできないようなことだけはすんなってのが師匠の口癖さ」
傷は、この先も増えていく。心にも身体にも。
男はその背に光を受けて、まるで羽根でもあるかのように宙を舞うのだ。
己の肉体ひとつだけで、この道を進むために。
「寝ろ。こうしててやっから」
「温かいわね……」
「笑ってろ。湿ってんのは好きじゃねぇ」
少しだけ厚めの唇と、薄い唇が触れて。
恋を覚えたてのころのような、キスをした。
それだけで、暖かくなる心。
「ねぇ……」
「あん?」
「キスって甘いのね……忘れてたわ……」
体勢を変えて、女の身体を組み敷く。
「慣れてるようで、どっか慣れてねぇよな。俺ぁ、そういう女好きだぜ」
首筋に、鎖骨に。触れるだけでそこがほんのりと熱くなる。
柔らかい金の髪。それは彼の故郷には存在しないものだった。
その肌に、一つ一つ咲く花の色は赤。
「…ぁん……」
男の頭を抱いて、少しだけ腰を浮かせる。
つ…と指が下がって、なだらかな腹を撫でながらその下の入り口に触れた。
「……灯り……消してよ……」
「あ?顔見えねぇだろ。消したら」
舐めるように、乳房を這う唇。
両手でぎゅっと掴まれて、息が上がる。
「…ふぁ……っん!!」
ほんのりと染まっていく肌と、上がっていく心拍数。
ちゅ…離れる唇が糸を引く。
(やだ……どうして……)
零れてくる涙。気付かれないように、そっと指で払った。
「やっぱ、やーめた」
「?」
「泣いてる女とはしねぇ主義なんだよ。俺」
からからと笑って、レンは煙草に火を点けた。
「泣いてなんか……」
「へいへい。分かったから、寝ろ」
毛布を掛けなおして、レンは身体を起こす。
暗がりに灯る小さな火。それはどこか命に似ていた。
同じように身体を起こして、男の胸に凭れて。
その大きな手を取って、自分の指を絡めた。
「蓮の花。きっと綺麗なのね……だって、あんた、綺麗な目してるもん」
切れ長の目は、その眼力だけで魔物を竦ませる。
それなのに、笑えば目尻に笑い皺が出来るのだ。
「ジパング行けば見れるの?蓮(レン)の花」
「今だって見てんだろ、お前」
「俺を。枯れない分だけマシだろ?」
男は、時折そんなことを言う。何も見ない振りをしながら、瞳は未来を捕らえる。
枯れない花は無いけれども、花は何度でも生まれ咲く。
どれだけ魔物に蹂躙されようとも、太陽に向かって誇らしげに顔を上げるのだから。
「……温かいわね……」
「雪、降ってっけどな。あったけーな」
解かれた黒髪は、女の肩に触れて彼の体温を近づけてくれた。
重ねた時間と身体は、新参者には太刀打ちできない。
(繊細な男もいいけど、野性味溢れてるほうが合ってるわ。やっぱり)
くすくすと笑って、男のほうを向き直す。
「アタシね、今の名前になる前はスティラって名前だったの」
「結滞な名前だな。舌噛みそうだ」
「故郷の昔の言葉よ。『雪』って意味なの……」
懐かしいあの国は、凄惨たる有様。
彼女のその手には、数え切れない命が宿っている。
退くわけにも、負けるわけにもいかない。
「儚く溶けちまいそうだな。お前の名前が『ホーリィ』でよかったと思うぞ。俺ぁな」
掌で雪は儚く消えてしまう。
彼女の声が、幾度と無く彼を救った。
「地獄の果てまで、行こうぜ。大神官さんよ」
「やーよ。そんな野蛮なところ行きたくないわ」
膝を抱えて笑う顔は、普段よりもずっと幼いから。
仮面を外したその笑顔を、守りたいと思わせてしまう。
「お、そうだ。ちょっといいか?」
皮袋の中から、レンは冠を取り出す。
そして、それを彼女の頭に。
「雪の女王って感じだな。姫じゃねぇや」
少し伸びた顎鬚を摩りながら、一人でうんうんと頷く姿。
思わず噴出して、男の頬に手を当てた。
「親父くさい男に言われたくないわ」
「丁度いいだろーがよ。年増同士仲良くしよーや」
流れる金の髪を、武骨ながらも優しい指がすり抜ける。
ノアニール近辺は冬が早い。
冬の次には春が訪れる。同じように、彼女の重い心にも。
いつか、暖かな光が溢れるようにと。
「無理、すんなや?食って、飲んで、寝て、忘れろ」
「…………………」
「積もったら、ガキ二人と遊んでやれ」
傷だらけの身体と、くしゃくしゃの笑顔。
「あたしね、お金持ちと美形が好きなのよ」
「ほー、そりゃいい趣味だ」
「でもねー……野性味のある男はもっと好きみたい」
「そりゃ、いい趣味だな」
重なる心音は、安らぎを与えてくれるから。
悪戯に誰かを誘うことも無くなった。
世界は回り続ける、自分たちを飲み込みながら。
「レン」
「んあ?」
「いつか、アタシと一緒にサマンオサに来てくれる?」
過去との決別のために。
前に進むために。
「ああ。大変なことになってんだ。いかねぇわけにはなぁ……」
不意に手が伸びて、わさわさと前髪をかき上げる。
「ちょ……何すんのよ!!」
「よっしゃ。それくらい気が強くてこそ、ホーリィさんだ。なぁ?」
呆れ顔で女は笑って、一度だけ頷いた。
「だから。寝ろ。スティラ」
「…………うん…………」
弱い顔をみせるのは今夜だけ。
明日には雪の中、妖精の村へと向かうのだから。
その背中に、刺さるのは悲しみに近い感情でも。
それを羽根にして、彼女は大地を蹴る。
「ああ、そうだ。コレ、やるわ」
掌に乗せられたのは小さな宝玉の付いたペンダント。
碧玉を猫の足のように包み込む銀と、伸びた鎖。
「大勝してな。たまにはオメーに何かやろうかと思った。だから寝……」
「ありがとっ!!!」
ばすん、と勢いよく男の身体を押し倒す。
その上に覆い被されば、胸を飾るようにそれが妖しく輝いた。
「まずは、エルフの村ってとこまで大人しくすっかと思ってんのにな」
「匂いに敏感な種族だからね……いっそ、あの村で派手にやろっか?レン」
「恐ろしい女だなぁ。オメーは」
情愛を絡めたキスを繰り返して、灯りを消す。
目指すはノアニール西北。
人を嫌うエルフの村。
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22:58 2004/10/25