◆Honeyberryの憂鬱な夜―じゃれあいのキス―◆
「ホーリィは?」
伸びた髪を二つに結わえ、ジェシカはあたりをきょろきょろと見回す。
「姐さんなら、闘技場行った。おっさんは酒場。年寄りは夜早いはずなんだけどな」
ロマリアの夜は更けて、それぞれの思いは交差する。
宿の一室、エースはだらりと腕を枕にしてベッドに寝転んだ。
「エース、寝煙草はダメだよ」
「まだ寝ねぇよ。俺も外行くもん」
結わえた髪を団子にして、ジェシカは小首を傾げた。
「ジェシもいくだろ?今、ロマリアは謝肉祭だ。出店も並んでるしな」
「うん!!」
少し身体を起こした魔道師の腕に、少女が抱きつく。
ふにゅん、と触れる柔らかい胸の感触。
(うーわ……なんか外出たくなくなってきたよ)
そのまま片手で抱き寄せて、額に唇を当てた。
「花火、見ようぜ。俺らは俺らで楽しむ」
「うん」
青年は、少女の手を引いて明かりのあるほうへと向かう。
シャンパーニの塔に居る盗賊団を叩きのめし、一行は一度ロマリアへと帰還したのだ。
しかし、肝心の金の冠はどこを探しても見つからない。
挙句、カンダタには逃げられてしまう始末。
「なぁ、ここのおっさんさー。金の冠はダメだったけど、カンダタぶちのめしたから
いいってことなんだよな?」
「殴ったのはレン、蹴りいれたのはホーリィ、ボディーブローはあたし。エースは……」
「へいへい、殴られて気絶してましたよ」
「そんなつもりじゃないよ、エースはあたしを守ってくれた」
にこり、と笑う顔。きらきらと光る瞳は、あの海の底に眠る宝石のよう。
「いこ、エース」
「おう」
ブーツを鳴らして、絡まる影二つ。
そちらこちらに見える恋人たちに紛れてしまえば、幸せの鐘の音が聞こえてくるから。
詰まれたコインを眺めては、優美に笑う女が一人。
法衣を脱げば、彼女が僧侶であるとは誰も想像も出来ないだろう。
大きく胸の開いたドレス、その谷間に掛かる真っ赤な宝玉。
同じように濡れた唇が、コインを一枚挟み込む。
「大勝してますね」
「まーね。今日のアタシにはルビス様がついてるからね」
「俺と勝負したときもですか?」
その声に、はっとなって振り返る。
「……あんた、カンダタ?」
「ええ、憶えてもらえて光栄ですよ」
赤茶の髪が、光に透けてストロベリーブロンドに。
「終わったら、俺と勝負しませんか?」
「やーよ、これは旅の資金にするんだから」
「まさか。もっといいものをあげますよ」
皮のトランクから覗かせたもの。
ロマリア王家の秘宝、金の冠それだった。
「賭けますよ。貴女が勝てば、貴女に」
「アタシが負ければどうする気?」
「そのときに考えますよ、今日の貴女には精霊ルビスがついてるんでしょう?」
ホーリィの手を取って、カンダタはそこに小さなキスを。
「冷えますよ、着替たほうがいいでしょう。真夜中、教会の前でお待ちしてますよ」
盗賊を纏める男は、紳士的に笑う。
穏やかな物腰、とても大斧を振り回すようには見えない外見。
年のころは三十の頭といったところだろう。
頬に走る十字傷だけが、彼が盗賊であることを小さく語る。
「その姿も素敵ですよ。ではまた後で」
去り際、その豊かな谷間に差し込んだのは大粒の真珠。
悪戯気に閉じられた片目。
(困ったなぁ……アタシ、こんな風に扱われたことないのよね……)
気の合うパーティは、いつの間にか女である意味が薄れてしまって。
こんな風に一人の女として扱われることに、酷く心が臆病になってしまった。
(金の冠、返してもらわなきゃね……)
キスを受けた手の甲が、まだほんのり熱い。
その手を自分で、包んで同じようにキスを重ねた。
「エース、これおいしそう」
クリームと果実を焼いた薄皮で包み、そので描かれる絡めるシロップの優美な舞い。
二人分の金貨と引き換えに、それはジェシカの口に。
「端にクリーム付いてるぞ」
「ウソ。エースだって付いてるよ」
くすくすと笑いあって、木陰に座り込む。
銀の髪はどこに居ても人目を引いてしまうらしく、振り返る男たちが口笛を鳴らす。
それをかわして、ジェシカは空を見上げた。
「ねー」
「あん?」
「旅って、いいね。あたし、エースと一緒に旅が出来るのが嬉しいよ」
手袋の下の小さな手は、世界を守るためにいつも傷だらけ。
今はまだ、幼いこの女勇者がこの世界を救うのだ。
そのための、小さな休息。
「この先も、ずっと……一緒に居てくれる?」
「俺がお前を守んなくて、どーすんだよ。世界一の魔道師さまだぜ?」
ばん、と胸を叩く。
まだ少し薄い胸板。それでも、少女を抱きしめるだけの度量はあると自負したい。
「ありがと……」
目を閉じて、身体を預けてくる。
「花火、まだかな……」
「……花火なんて、見れなくてもいーよ。もっといいもの見てっからさ」
重ねた手。
この手が、全てを変えていくとはまだ二人には分からないままに。
ゆるりと着込んだローブと、鉄の槍。それが彼女のここ最近の定番。
「来たわよ。カンダタ」
夜風に揺れる金の髪は、男の赤と対を成すようで。
「そんな物騒なもの、似合わない。これを」
魔術師のように取り出した一輪の薔薇。
白く気高いそれを、彼女の細い指に。
「……アタシ、こーいう事されるの、慣れてないのよ。山猿みたいな男とパーティ組んでるから」
御丁寧に棘まで抜かれたそれは、月明かりと夜露に彩られて。
上等な真珠のようにくすくすと笑う。
「あなたのお名前を……」
「昔の名前は捨てたわ」
「世界に愛されるために?」
「まさか。世界を顎で使うためによ」
跪いて、盗賊は女の手を取り――――小さなキスを送った。
「なら、俺もあなたに使われるのですかね」
「さぁね。アタシは博愛主義者よ」
「あんた、いい女だな。うちに欲しいくらいだ」
頬の傷に手を伸ばして、傷をたどる。
男には男の、女には女の歩んできた人生の重みがあった。
「こんな冠、持ってても何にもならねぇ。けど、これがあるから貴女は俺に逢いに来た」
カンダタは金の冠を、女の頭上に。
ロマリア王家の王子よりも、よほど王族の気品が漂うその姿。
それでも、どこか卑猥なのが彼女の魅力。
「いいの?アタシにで」
「俺らが持ってても、役には立たない代物ですよ。こんなもの。俺らが欲しいのは……」
一呼吸置いて、カンダタは続けた。
「不死鳥の卵です。貴女が持っているオーヴでよみがえるという」
「玉子焼きにでもする気?」
「世界を空から眺めるんですよ。全部、海も、大地も、人々も。誰も盗めなかった景色を
盗めるんだ。盗賊冥利でさぁ……こんな大物はきっと未来永劫ないって思える」
その瞳は、子供のような光。
傷を負っても、罵倒されても。
彼は、自分に誇りを持っているのだ。
『大盗賊カンダタ』の名を知らないものはいない。
少しだけ高くなった、教会の裏手の丘。
距離を僅かばかり縮めて、昔の話をした。
最初は、使い走りの小さな窃盗がきっかけで。どうせなら世界に名を響かせてやろうと
目論んだらしい。
善行でも、悪行でも、己の名を歴史に刻み込む。
憎まれることなく輝ける命などないのならば、いっそ憎悪の矛先になろう。
世界一の大悪党になって、半端ではない盗賊になろうと考えた。
「世界一にはなれそう?」
取り出した煙草に火をつけて、女はそれを口にする。
「どうだかなぁ。自分で世界一なんておもったらそこで終わりさ」
高みを目指すなら、己を上だと思ってはいけない。
金の冠も、あれだけ強固だと言われたロマリア城からあっさりと盗み出せた。
いや、城門を潜り堂々と出た。
盗みというにはあまりにも美しすぎる光景だった。
「欲しいもんは一杯あって。ネクロゴンドの奥にある剣、魔物に守られた魅惑の剣も。
あと、そうだな……あんたかな。姐さん」
「やだ。アタシまだ二十七よ」
「俺、二十一でさ。あはは。やべ、訛が……」
ノアニールを十二で飛び出した少年は、戦いながら男に変わった。
傷は、彼の存在証明。
「これも、あげる」
きらきらと輝く真っ赤な宝石。周りをぐるりと水晶が飾り立てる。
「何これ?」
「夢見るルビーでさぁ。妖精の娘と男の駆け落ち助けたら貰ったんで。まぁ、そのおかげで
故郷(くに)は眠りの村になっちまって」
盗賊がエルフの村に入れば、ノアニールは業火に見舞われるだろう。
どれだけ話をしても、通じない部族はあるのだ。
「あんた、色んなもの持ってんのね」
「オーヴは、おっさんにもらったものでさぁ。たしか……オルテガとか言ったかな」
それは、ジェシカの捜し求める父、その人の名前。
カンダタの指す男が本物ならば、彼はまだこの近くにいることとなる。
「何時!?何時逢ったの?その人、ジェシカのお父様なのよ!!」
「はぁ?あのちびっ子の!?」
「あの子……お父様を探してこの旅に出たのよ」
カンダタは腕組みをして、首をかしげた。
「イシスに行くって言ってたさね。あのおっさん。あんなでかい娘がいる風に見えなんだけど」
「ありがと。アタシ、ジェシカに教えてくる。イシスならここからすぐだもの」
立ち上がる女の手を取る。
「待って」
引き寄せて、触れるだけのキス。
「またね。レディ。あんた限定で助けに行くよ。俺、世界中を飛び回ってるから」
緋色のマントを翻し、カンダタの姿はあっという間に消えてしまう。
大人びて見えた男は、まだ少年を卒業したばかりだった。
(……キスは、有望株ね)
くすくすと笑って、冠を外す。
「さて、エルフの村行って、イシス行って……その前に、これ、返してからかな」
この先の道が、交差して。
運命は悪戯に彼らを結びつける。
恋は、強い味方をつけてくれた。
大盗賊カンダタ、猫目の笑顔の青年だった。
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0:12 2004/10/09