◆道行天尊の昔話〜守るべきもの〜◆






太乙真人は太公望の左腕を作る。
宝貝ではなく、精巧に作られたカラクリ義手とでも言おうか。
比較的短時間ですむ外科手術を終え、慣らしの時間も兼ねてのんびりと太乙と世間話をしていた。
なぜか一緒に道徳と普賢までもその中に混ざって久々に話に花を咲かせる。
この四人は比較的良好な友人関係だ。
普賢と太公望、太乙と道徳。
それぞれが同期に仙界入りしている。
「なにやら楽しそうじゃのう、儂もまぜでもらえんか?」
真っ白な防護服に包まれて、道行が顔を出す。
「珍しいね、ここに来るなんて」
「太公望が来ていると聞いたからな」
道行は人懐こい顔でニコニコと笑う。
(ああ、一度で良いから、僕に逢いたいから来たとは言ってくれないだろうか……)
太乙真人はそんなことを思いながら道行の分の茶を入れる。
甘く香り立つそれは普賢の持参したもの。
「かたじけない」
「そういえば、ボク……道行に聞きたいことがあったんだけど」
「なんじゃ、普賢」
「前の十二仙ってどんな人たちだったの?ボクの前任の人のことは聞いてはいるんだけども」
道行は少し、考える。
どこから話したよいか分からないほど、長い年月を崑崙山で過ごしているからだ。
「まぁ、原始天尊もそうじゃが、少し昔の話でもしようか?」
思わず四人は身を乗り出す。
普賢を含めて現在の十二仙は八人が新たに加わっている。
道行を含め四人が前時代からの十二仙だ。
そのなかにおいて道行天尊のみ、まるで時間を止めたかのように年若く、その麗しい姿を保っている。
仙人はゆっくりと年を得て、容姿も変わるのが常のはず。
道行は先の大戦から肉体的退行を失っていた。
「まぁ、そう急かすでない、長い話になるからのう」
出された茶に口をつけ、道行は目を閉じた。





道行天尊が仙界入りしたのは彼女が十七になった歳だった。
教主原始天尊の手によって発掘され、その才気を生かすために仙人の修行を積んでいく。
何人か仙女もまだ見られる時代、道行は着実に自分の位置を作り上げる。
「道行」
「原始か、何用か?」
短く切られた黒髪に、同じ闇色の瞳。
中肉中背の風貌。
口元はなにか嬉しいことでもあったのか綻んでいる。
原始と呼ばれた男は崑崙山の教主であった。
若き教主は何かと道行に構いたがる。
亜麻色の巻き毛を指に絡め、軽く引き寄せて原始は笑う。
「用は無いよ。ただ、お前の顔を見に来ただけ」
「なら、その手を離してくれ。邪魔だ」
胸元まで伸びた流麗な巻き毛は飛に透けて、金色に輝いた。
少し大きめのその瞳は、栗色の硝子玉の様。
「なら、用を作るか。それならばお前も文句は無かろう」
「教主なら、教主らしく仕事でもしてこんか」
「そう可愛い声で怒鳴られても、迫力に欠けるな」
原始は腕組みをしてそんなことを呟いた。
「からかうのも…」
振り上げた手を掴み、道行の身体を抱き寄せる。
抵抗する間もなく、唇を奪われ呼吸を奪われた。
僅かに角度を変えたときにのみ、許される呼吸に身体の力が抜けていく。
唇が離れる時にちゅっと音がし、名残を惜しむかのように糸を引いた。
「な…なんのつもりだ……」
肩で息をしながら、道行は原始をきっと睨む。
「そう怖い顔をするな。せっかくの可愛い顔だ」
「だから……」
言いかけた言葉を唇で塞ぐ。
「隙だらけってことさ、道行」
原始はにやりと笑って教主殿に戻っていく。
ひらひらと後姿が手を振り、道行は憮然とした顔でその姿を見送った。






長く伸びた巻き毛は二つに編まれ、その先は胸で踊る。
毛先を止めた組紐は彼女が暇つぶしに編んだものだ。
紅と桜色が絡み合った花飾りは、柔らかく波打つ髪に彩を添える。
「道行」
「またおぬしか…暇つぶしなら他を当たってくれ」
房を取り、口付ける。
「何のつもりだ」
「求愛」
「冗談を……」
「本気だ」
いつになく真面目な声で言われ、道行は動けなくなる。
何時ものように、からかい半分だと思っていたのだが、今日の原始は何かが違っていた。
真摯に見つめられて、どうしたらよいか分からず、彼女は目を逸らした。
指を絡ませて、そっと抱き寄せる。
「教主がなにを戯れる……」
「戯れではない。本気だ」
原始天尊には正妻はいない。
ここで道行に触れても誰も咎めるものいないのだ。
もっとも、妻があったとしても側室とすれば何の問題も起きないのだが。
「俺が相手では不満か?」
「そうではないが……」
「ならば、合意と見るぞ。道行」
そういわれ、言葉も出ない。
どの道、教主に逆らうのもばかげた話だと道行は覚悟を決めた。
膝に手を入れられ、道行の身体が浮かび上がる。
「なっ!?」
「お前の気持ちはすぐに変わるからな、早速行動に移させてもらうぞ」
「せめて夜まで待って……」
道行の言葉は最後まで発せられることなく、原始の唇に消えた。





忙しなく道衣を剥ぎ取られ、道行は寝台の上に裸体を晒した。
解かれた髪は美しく波を描く。
「やっ……」
首筋に降る唇に道行の身体が震える。
他人に触れられること自体が、彼女にとっては初めてのことだった。
「やめ……」
抵抗する声は全て奪われていく。
唇を吸われ、胸を揉みしだかれる。柔らかな乳房に沈む指は、他人を知らない身体に一つずつ教授していく様。
腕で顔を覆う道行には構わずにその舌先はゆっくりと下がっていく。
「…あっ……ん……」
初めて漏れる嬌声。
その声に応えるように原始の指は道行の身体を焦らすように愛撫して行った。
形の良い柔らかな乳房を掴み、甘く吸い上げる。
赤く残るその痕は否が応でも自分の身体が女であることを知らしめた。
自分が抱かれていることに対する想い。
そして、裸体と痴態を晒している羞恥心に道行はきつく目を閉じた。
「…やぁっ!!……っ…原始…やめて……っ…」
秘部を舌で嬲られて、道行が涙声で言う。
それでも、憶えたての快楽は彼女の身体を蝕むように染め上げた。
「道行……」
名を呼ばれ、潤んだ目が原始を見つめる。
「怖いか?」
手を取り、原始は自分の胸の当てさせた。
青年の身体と胸板。
そのままその手を下げていく。
「…嫌……っ…怖い……」
「少しだけ、我慢してくれ……」
足首を掴まれて、膝を折られる。
深く唇を重ねると、男は少女の肉壁に己自身を沈ませていく。
「!!」
思わず唇を離す。
鈍い痛みと、激痛が交差しながら繋がった部分を中心に広がっていく。
「…った…い…!……っ…」
涙目ながら、道行は必死に堪える。
「止めるか?」
「……止める気があるならこうなる前に言え!!」
破れかぶれに放たれた言葉に原始が笑う。
「よかった…いつもの道行だ」
その顔を見て、なにか急に気が抜け、釣られて笑った。
「なんだそれは…力抜けた……」
「そりゃ良かった。まだ半分しか入ってないからな」
「なっ……!」
そんなことをいってくる男が急に愛しくなる。
互いの胸が重なるほど、抱き合って。
「〜〜〜〜〜っ!!!!!」
唇の端を噛んで破瓜の痛みを紛らわそうとする。
「…大丈夫か?」
奥まで繋がった感触は痛みと、圧迫感が混在していた。
血が逆流するような熱さと、愛しさ。
強張った身体に優しい雨のような接吻。
伸ばしたては、男の背にたどたどしく回され、突き動かされる度に、小さな爪が悲鳴を上げた。





そうして道行は教主の側女となった。
無論、道士としての修行も怠ることは無く、念願かなって仙人としての位にも付く事が出来た。
弟子たちの面倒を忙しく見る彼女の元に教主は足繁く通う。
その数ヵ月後に、彼女は己の身体の変化に気付くことになる。
同じように抱かれたはずが、胎の底の方がほんのりと熱いのだ。
いや、暖かいといったほうが正しいだろうか。
そのまま日々を過ごしていたが、慢性的な気だるさ、眩暈、何時もより激しい感情の起伏。
たった一つの可能性を、道行は頭を振って打ち消す。
(そんなはずは……いや、そうなのか?)
襲い来る吐き気と眩暈に、立っているのも困難なほど。
少し痩せたその姿に口を開いたのは原始のほうだった。
「道行、痩せたな……大丈夫か?それに顔色も悪い」
「…ああ、少し休めば落ち着く……」
そういうや否や襲ってきた吐き気に道行は口元を押さえる。
背中を摩られて、苦しそうに気をする姿は痛々しいものだった。
「もしや……お前子を孕んでいるのではないか?」
「…いや、そんなはずは…仙道同士の間に子を孕むことなど無いに等しいはず……」
ぐったりと原始の腕の中、その身体を投げ出して道行は持ち得る限りの知識を手繰り寄せた。
仙人同士の間に子を孕むことは可能性として無い訳ではない。
だが、それを数字に置き換えるならば限りなくゼロに近く、前例が無いのだ。
「しかし、どう見てもそうとしか思えん…どっちにしろ俺にも責任はあるな」
「責任?随分な物言いだな、原始」
「いいとしないか?この仙界の次の教主を育てるのも悪くは無いだろう」
原始の手が、髪をなで上げる。
少しだけ治まった吐き気に、道行も小さく笑った。





膨らみ始める自分の腹を見て、彼女は夢にうなされる。
前例無き出産は人のそれとは違うように思えて、未知への恐怖心が支配するのだ。
そして、内側で育ち行く生命に不思議な愛しさを感じ、腹を摩る。
ゆっくりと話しかけ、生まれてくることを望むようになっていった。
目立ち始めた身体で過ごすには勇気が足りず、道行は教主殿に居を移した。
万に一つのことを考え、破邪の呪符に守られた部屋に身体を預ける。
幼い顔に不釣合いに膨れた腹は見ようによっては異様にも感じられた。
「苦しそうだな」
「…重い……かな…」
目を細めながら、道行は自分の腹を撫でる。
道衣の下、膨らんだ腹。
原始の手が同じように触れ、ゆっくりと摩った。
「道行、落ち着いて聞いてくれるか?」
「何だ、急に」
「先に言わねばならぬことがある……」
原始は沈痛な面持ちで言葉を紡いだ。
仙人同士の間に生まれる子供は、強大な力を持つ。
両親の能力を余すことなく受け入れ、あらゆる宝貝を使いこなせるのだ。
名実共に、仙界の覇者になるに相応しい器。
生れ落ちた時から備わる力。
だが、全てが完璧なわけではない。
その力と濃すぎる血によって短命になる恐れもあると言うのだ。
「…そんな……死なすためにこの子を産むのではない!!」
「道行、落ち着いてくれ」
ヒステリックに叫ぶ道行を抱いて宥め、原始は続けた。
「俺は…この子を死なせたくはない。生まれてくることを祝福したやりたいのだよ……だが、俺たちが
この子の親だと知らせることは……出来ない……」
「…何といった…今……」
「この子は仙界の中の奇跡。俺たち二人だけの問題ではないのだよ…」
大きな瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。
母と名乗ることも、育てることも出来ないというのだ。
自分がこの子の母でいられるのは腹の中いる間だけ。
あまりにも残酷な宣言に道行の涙は止まることを知らなかった。
「わしは……どうしたらいいのだ……?」
「……どんなことがあっても母親はお前だ……」
「触れることも、名乗ることも出来なくてもか……?」
「ああ……その子の親は俺とお前だ」
顔を両手で覆い、声を上げて泣いた。
「俺たちがただの男と女であったら……」
「…原始……」
「すまない……俺のわがままでお前とその子を傷つけた……」
胸に顔を埋めて、道行は必死に笑おうとした。
同じように、痛む彼の胸で。
封じ込めていた感情が一斉に彼女を襲った。
「……いつか、この子が母を求めたらどうするれば良い……」
「………」
「わたしのことを……母と呼んでくれるのか……?」
日が沈むまで、二人抱き合った。
言葉も交わさずに。
寧ろ言葉は邪魔だった。
いま、こうしていることだけが真実だと信じていた。



そして、道行は一人の仙女を産み落とす。
出産は極秘に行われた。
産声を上げて泣く我が子に、そっと手を伸ばす。
真っ赤になりながら、赤子は必死に生きることを選んでいた。
「…道行!!」
肩で息をしながら、原始がその手を握る。
「よくやってくれた……その……ありがとう……」
照れながら笑う顔に、道行は静かに微笑む。
純潔の仙女の誕生した瞬間だった。
「名前を……付けてあげなければ……」
「ああ、そうだな……」
その名は『竜吉』
二人が親として与えることが出来たたった一つのものだった。





何度か母乳を与えた後、道行と娘は引き離された。
連れ去られ、浄室の中で育てられる娘を道行は遠くから見守るだけだった。
まだ、張ったままの胸が痛む。
赤子を求めるように。母でありたいと叫ぶかのように。
しかし、外界は空気でさえも娘の身体には毒でしかない。
(竜吉……)
そして、仙女は教主に成り得ることは無いのだ。
(ごめんなさい……あなたの人生を苦境たるものしてしまった母を許して……)
少しずつ成長する娘を見守りながら、苦しみを忘れるかのように道行は修行に明け暮れた。
そして、晴れて十二仙に昇格したのだ。
(十二仙でいられれば、あの子に会うことも出来る……)
名乗ることは出来ない。
それでも、その手に触れることが出来るだけで十分だった。
同じように原始も名乗ることが出来ないのだから。
まるで罪を共有するかのように、道行に与えられた名前。
仙人名『道行天尊』崑崙十二仙の一人である。
近しいものは誰一人、彼女を問い詰めるものはいなかった。





道行の身体はその後、子を孕むことはなく、教主は同じく十二仙の一人と子を設ける。
同じ父を持ち、異なる母を持つ子供たち。
道行は原始を責めることも詰る事もしなかった。
嫉妬心すら、湧かなかったのだ。
そして、彼女の身体は成長することを拒むように、その時間を止めた。






「道行、どうしたの?」
「いや、色々なことなあったな…と思っておった。仲間の多くは戦いで散って逝ったよ…原始もわしも老いたものだ……」
長い睫が伏せられる。
「あのじじい……若い頃があったのか?」
「望ちゃん、じじいだなんて……せめてご老人とか」
「普賢、大差ないと思うぞ」
少しずれた思い人の言葉に道徳はため息をついた。
「あれでも昔はいい男だったぞ。おぬしが爺といっておる連中もな」
「ってことは俺たちもゆっくりと歳をとるってことか……」
喧々囂々と盛り上がる四人を見ながら道行は笑う。
(あの子が今日も元気に過ごしているなら、それでいい……)
これからはゆっくりと年を得ていこう。
いつかこの身体が、塵芥になる日を夢見ながら。




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