◆武王即位◆


聞仲の攻撃により、西岐では俄かに好戦ムードが漂う。
先に逝去した姫昌を文王と送りなし、その息子である発が武王として即位し、殷討伐の宣言をしたとことだ。
当然、朝歌の聞仲の耳にも入り、これによって明確な対立図式が完成する。
武王対紂王。
太公望対聞仲。
崑崙対金号。
ただ一人微笑むのは優雅に空の人となる申公豹ばかり。





即位宣言と殷討伐を観衆の前で終えて、発はため息をついた。
堅苦しいことは苦手な男だ。
その思いをそのまま皆に伝えた。
「だりぃ……」
欄干にもたれて座り込む。
「武王」
その目の前には姜族の頭領服に身を包んだ軍師。
解かれた髪と、薄っすらと施された化粧。
「どうしたんだよ…その格好……」
のろのろと身体を起こして凝視する。いつもとは打って変わったその姿。
太公望は膝を付き、深々と頭を下げる。
それは王に対する臣下の礼のように。
「姜族頭領、呂望姜子牙。心よりご即位をお祝い申し上げます」
たった一人になっても、この身体に流れるのは戦士の血。
太公望にしてみればそれは至極当然の行為だった。
殷によって迫害された姜族。その一族を束ねる者の血が流れるこの身。
もしも、他のものが残っていたとしても同じ行動を取ったであろう。
「お、おい……」
「もう、おぬしを発などと気軽に呼ぶことは出来ぬな……」
発の手が頬に触れる。
「なに言って……」
「おぬしはこの国の王。わしは姜の頭領。おぬしの臣下の一人に過ぎぬ」
小さく笑って『道衣を着ていない時は』と加えた。
「武王、これから忙しくなるぞ。なにせやることがたくさんあるからのう」
「……なぁ、その武王って呼ぶの止めてくれねーか」
「おぬしはこれから皆にそのように呼ばれるのだぞ。少しは慣れておけ」
「そうじゃなくてよ、その、俺……お前にだけは発って呼ばれていたいんだ」
「…………」
目の前の少女は悲しく笑うだけ。
「俺がさ、調子に乗り過ぎないようにお前には発って呼んで欲しい」
「臣下に示しがつかぬぞ。軍師は王の配下じゃ」
「……じゃあさ、配下ってことは俺の言うことはきかなきゃなんねーんだろ?」
発は笑いながらその唇に自分のそれを合わせた。
「なら、命令だ。俺のことは発でいい。この先もずっと」





いつもの道衣に着替えて、纏め上げた要塞の設計図を抱えて太公望は旦のところに向かう。
第四子の旦はこの国の財務大臣のようなものだ。
その能力は発に足りないものを補佐するに必要不可欠。
太公望と二人、周を擁する幹部である。
「旦、どうにかなりそうかのう」
「なんとかしましょう」
「すまぬのう。おぬしには面倒をかける」
旦は『小兄さまの面倒を見るのは自分だったから』と笑う。
彼もはじめはこの少女がこの国の軍師だといわれた時は我が耳を疑った。
賢君として名高い父もとうとう落ちたのかと。
しかしそれは懸念に終わる。
その鮮やかな手腕は殷全土を探しても匹敵するものは居ないと思えるほどだったからだ。
「太公望、少しだけいいですか?」
「どうかしたのか」
「小兄さまのことです」
旦は発と太公望のことを理解しているつもりだった。
王となるものが仙道である太公望に入れ込んでいても目を瞑った。
それはあくまで即位前までの事情である。
しかし、王としての名乗りを上げた今、このままで居ることは好ましくない。
一国の王にはそれ相応の正妻が必要なのだ。
「あなたと小兄さまのことは分かっているつもりです。敢えて、あなたに頼みたいのです」
「………」
旦は告げた。
「小兄さまは今や周の武王です。それ相応の相手を見つけなければいけません」
「…わかっておるよ。わしはいずれは仙界に戻る身じゃ……何時までも発の傍にはいられぬ」
子供を宿すことの出来ないものは王の側室にさえなれない。
それは熟知していることだった。
いつまでもこうしていられるはずはない。
それでも、あの人に似ているその手を離すことが出来なくて……今も同じようにここに居る。
「あなたにばかり辛いことを強いてしまいますね」
「いや、わしも悪いのじゃ……」
少し俯いて、小さく笑う少女の顔を旦は生涯忘れることは無かった。
それ程その顔は悲しく、そして全てを受け入れたものにしか出来ないものだったからだ。
「朝歌を制圧したら……発にもそれ相応の相手を当てねばならんのう」
「ええ……」
「そしたらわしの役目も終わりだ。おとなしく仙界に帰るよ」
空を見上げて、少し震える声。
見えない表情(かお)でも、泣きそうなのは感じられるほど。
「もしも……貴女が仙道では無かったならば小兄さまにとってこれほどふさわしい相手は無いと思います……」
「……いや、道士であったからこそ、わしはそなたの父君に出会うことが出来たのだよ……」
姫昌亡き後も彼女は軍師として周に居る。
まるでこの国を守るかのように。
彼の人の志をもっとも強く受け継いでいるのは血を分けた息子たちよりも彼女であった。
「わしは出来ることをするだけだよ。後のことは旦、おぬしらに任せる」
「すみません……貴女ばかりに……」
「わしが自分で選んだことじゃ……」
それは強く在りたいと願うものの美しい顔。
思いは石動無く。
吹き抜ける風のように。





それから太公望は少しずつ発との距離を置くように勤めた。
不自然にならないように。
軍師として王の傍に付くことは多かったが夜も自室に施錠をして一人で筆を進めた。
持て余す時間を仕事に変え、連日の徹夜についうとうととしてしまう。
「御主人、大丈夫っすか?顔色が悪いっすよ」
「心配は要らぬよ、スープー」
諌めてくる四不象の鼻先を撫でる指先。
「心配っすよ。ご主人は無理をしすぎっす」
「今は大事な時なのじゃよ。もう少しだけ頑張らねば」
四不象は離れることなく太公望のそばに居る献身的な霊獣だ。
彼女にとっても四不象はかけがえの無い存在。
「もし、わしがどうにかなりそうなときは助けてくれ、スープー」
四不象はここ数日誰も寄せ付けない太公望の姿を見てきた。
痛々しいまでの表情。以前よりも道士としての強さも器も大きくなった。
だが、寂しげに笑う姿は一人の少女だった。
「御主人〜〜〜〜〜」
「大丈夫じゃよ。そう悲壮な顔をするではない」
筆を進める手を休めることなく太公望は再び書に目を戻す。
一段落付く頃には窓から月明りが零れていた。
(少し休むかのう……)
首を回しながら風に当たる。
疲れた身体にしみこむような虫の音に目を閉じた。
(秋か……季節のことなど忘れたおったな……)
命あるものは必ず終焉を迎える。
老いることを失ったこの身体は一体何になるのであろうか。
「おい」
「………」
聞き覚えのありすぎる声を敢えて聞かない振りをする。
「なんで最近俺のこと無視してんだよ。俺……お前に何かしたか?してたら……謝るからよ」
「何もしてはおらんよ…」
顔をあわせないように、太公望は自室に戻ろうとした。
「待てよ。だったらなんで俺のこと避けてんだよ」
「避けてはおらぬ。わしは軍師としての務めは果たしているつもりだが?」
「じゃあこっち向いて言えよ」
渋々と振り向く。
「理由も無く避けられんのは嫌なんだよ」
「避けてなど……」
逸らされた瞳。いつもならば真っ直ぐに見つめてくるはずなのに。
「おぬしは自分の立場を理解しておるのか?」
「なんだよ、それ」
「おぬしは今やこの国の王。いずれはしかるべきものを妻にせねばならぬ」
「だからなんだってんだよ」
「わしなど相手に遊ぶならば諸侯の娘を娶れと言っておるのだ」
一つ一つ、自分に言い聞かせるような声。
「俺は……」
「旦にも言われた。わしとおぬしは一緒に居るべきではないと」
「そんなこと……」
「朝歌制圧後は仙道はみな崑崙に帰還する。無論……わしもじゃ」
明確すぎる未来は残酷過ぎて、目を逸らしたくなる。
「わかったなら早く部屋に戻れ」
「わかんねーよ、そんなこといわれて俺がはいそーですかって納得すると思ってんのかよ!」
「納得するもしないも……道は決まっておるのだよ」
その声は消え入りそうで、今にも目の前かその姿が消えそうな錯覚さえ覚えさせた。
背を向けて、自室に戻ろうとする太公望の腕を取り、力任せに抱き寄せる。
「…痛っ……」
じんじんと痛む腕。それ以上に軋む胸の内。
「あ、悪ぃ……」
はっとなって腕を放すと細い指がその腕を摩った。
「発、わしはおぬしが武王として朝歌に立つまでしか居られぬ……わかるか?」
唇が微笑む。
「あとどれだけだろうな、おぬしとこうして居られるのも」
「……お前無しでどうやって国を建てろっていうんだよ」
「仙道が摂政にかかわることは好ましくない。旦や優秀な宰相がこの国には多く居る。心配は要らんよ」
「俺の気持ちはどうなるんだよ」
わざと答えに困るような言葉を口にする。その答えは彼女をこの地に縛り付けるだけの力を持つと知りながら。
困ったような顔で太公望はため息をついた。
「我侭を言うでない」
振り切るような声。
「…………」
「わかっておったのだ。おぬしとわしは触れ合ってはならんと。わしは……」
「もういい、言うな!!」
駆け出して、その身体を抱きしめる。
「なんでだよ、なんで……」
「……発……」
震える手を、その背に回す。
慣れ親しんだ匂いと、暖かさ。
「俺はお前が好きなんだよ。それも駄目だって言うのかよ……」
寄せられる好意は心を縛り付けるから。
同じように愛したあの人の言葉は今も彼女を支配したまま。
顎に手をかけて、唇を合わせる。
荒々しく吸われて、離れると端から涎が零れた。
耳に降る唇に身を捩る。
「やめ………」
「言ったよな、お前。軍師も俺の配下だって」
再度唇を吸われて、力が抜けていくのが分かる。
「だったら、命令だ。俺を拒むな」





乱暴に剥ぎ取られた道衣は床に散り、細い裸体の上に男は覆い被さる。
細い手首を押さえつけて、首筋に噛み付く。
小さな悲鳴は聞かない振りをした。
零れる涙も、見ない振りをした。
愛してもらえないならば、せめて憎まれたかった。
そうすることで自分を忘れることが出来ないように。
「…やめ……」
拒絶の言葉は唇で塞いだ。
聞くのが恐かったから。
やがて諦めたかのように太公望は逆らうことを止めて目を閉じた。
「……好きにするがよい……」
空っぽの身体はただの入れ物。欲しいのはその心と無垢なる魂。
「…こんなことがしたったんじゃねぇ……」
嗚咽するような声。
「なんで駄目なんだよ!なんで……っ」
きつく抱いてくる腕が愛しくて。
分かっているはずなのに離れることが恐くなる。
指先がその目の涙を優しく払う。
「…発、泣かないでくれ……」
頬に手を当てて、そっと唇を合わせる。
触れるだけの掠めるような接吻。
その口付けは酷く遠くて悲しい味がした。
「今すぐに消えるわけではない……ただ、いずれは仙界に戻る……それだけじゃ」
「嫌なんだよ……なんで居なくなるって分かってて手を放さなきゃなんねーんだよ!」
もう一度、こんどは軽く重ねた。
「道士なんか辞めちまえよ!」
「封神計画はわし一人の意思ではない……」
運命は彼女を選んだ。
そして同じように男を王として選んだ。
「聞き分けの無いことを申すでない……」
しがみつくように抱いてくる。受け入れるように手を伸ばしてその頭を抱く。
柔らかい胸に沈むのは身体ではなくてその心。
「考えれば発はわしの息子や孫のようなものだのう……」
「なんだよ、それ」
「わしはこれでも百近い。おぬしが老いてもわしはこのままじゃ……」
仙道は人である事を捨てた者たち。
「そんなの分かってる……」
「発、おぬしもわしを置いて……逝くのじゃよ……」
「呂望……」
「それとも、わしを一人にしないといえるか?誓えるか?」
悠久の時を過ごすものは、あまりにも短い人間に心を奪われた。
同じ過ちを繰り返さぬように、自分の心に鍵をかける。
時を止めた少女は永遠にその姿のまま。
「置いていかれるのはわしじゃ……」
逃げることさえ出来ない明日を消せたならば。
心の中は雨で一杯のこの人を守れたならば。
「…呂望……」
全てを知りながら、彼女は自分と関係を持った。
拒むことも無く、ただ、流れに身を任せるように。
「俺じゃ親父を超えられねぇか?」
「………」
発は知っていた。太公望の心はここには無いことを。
「今は……おぬしのことを思っておるよ……それでは駄目か?」
嘘に溺れてしまいたいから。
でも、その言葉は嘘では無くて。
ゆっくりと過ぎ去る夜を二人で見送った。
離れることを拒むように抱き合った。
今、分かることはここ居るということ。
ただ、それだけだった。




「小兄さま、何度言ったら分かるのですか。太公望は道士です」
「んな事は百も承知よ。朝歌制圧したって軍師は必要だって言ってんだよ」
発は旦の真向かいで珍しく真面目な顔で言葉を選ぶ。
「道士は子供を残すことは出来ません。王には正当な跡継ぎが必要なのですよ」
「あー、だったら宝貝人間みたいな感じだったらあいつの腹借りてなんとかなるだろ」
男二人の声に太公望が顔を出す。
「なにを騒いでおる」
「呂望、お前はずっとここにいろ!旦にはさっきちゃんと言ったから!」
「小兄さま!!」
「王様の言うことは絶対命令なんだぞ!!」
喧騒の中、彼女は静かに笑うばかり。
今日も、風は穏やかに。



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