◆雪降りし夜に、君と春を待ちながら◆





「ご主人、首でも痛いっすか?」
いつものように肩を押さえながら、少女はこきん、と首を鳴らす。
「ん……そうでもないよ。心配は要らぬよ、スープー」
休暇は自分のためよりも、誰かのために費やしてしまう癖はそう簡単には取れない。
少しだけ疲れたような顔で笑うばかり。
「僕、何か厨房からもらってくるっすよ!!」
「あ、これ!!スープー!!」
言う間も無く霊獣の姿は消えてしまう。
厨房にいる給仕娘たちは、太公望のことを快く思わないものが多い。
同じような年端にしか見えない少女が国の重鎮の一人というのは面白いものではないのだ。
けれども、それは建前であって本音は違うところ。
西周の主である国王の寵愛を受ける軍師の姿。
美麗な道士に愛される少女。
名家の息子に持て囃される頭領の娘。
どれに当てても納得がいかないらしい。
(わしと給仕場の連中はそう仲良くも無いからのう……)
軍師に何かを、と言われてもそっぽを向くものが殆ど。
たまに出されるのは腐りかけの果実と色の悪い薄めの茶。
それでも太公望は何も言わずに黙ってそれを口にする。
自分が何かを言えばそれを行ったものに対する厳罰が処されてしまう。
そんな軍師の性格を知ってか否か娘たちはやりたいほうだい。
仕舞いには食事の皿には華一輪、という有様。
「面倒なことにならんといいのだが……」
窓の外にちらつく雪に、綻ぶ唇。
少しだけ腕を伸ばして、少女は再び書簡に目を通した。





「四不象!!」
回廊を勢いよく走ってくるのは太公望の一番弟子を名乗る少年。
「どうしたの?」
「これからご主人のおやつになるものを貰ってくるっすよ」
その言葉に武吉は、首をかしげた。
太公望と給仕場の官女たちの仲は良い方では無いと彼も耳にはしていたのだ。
「僕も一緒に行くよ、おっしょーさまにおいしいものもっていきたいし」
少女は男たちに愛される。
しかし、少女の信頼を勝ち得ているのはこの二人。
「寒いから、葛湯とか薬湯のほうがいいよね。おっしょーさま、少し疲れてるみたいだしね」
太公望という名の道士は不思議な存在だった。
かなわない相手でも引くことだけは決してしない。
殷の皇后である妲己に正面から向かったのも彼女一人。
同じ策士として、女として対照的な二人。
「こんばんわー。何か暖かいものをお願いしたいんですけど」
武吉の声に、給仕場の笑う声が止まる。
この少年は太公望直属に値するからだ。
使いようによっては目当ての相手に取り計らってもらうこともできる。
しかし、失策は己の首を絞めることになるのも明白だ。
「あら、こんばんは。それは軍司様に?」
「はい。おっしょーさまは今夜も寝ずに仕事をしてますから」
「うふふ、眠れないようにさせるのは今夜は誰かしらねぇ?」
その言葉にくすくすと零れる声。
「おっしょーさまを眠らせないのはあなたたちです。そんなこともわからないんですか?」
武吉は声色一つ変えずにそう答えた。
「あらら、どういうことかしら?」
「道路を作って、水を引く。その道をたくさんの人が歩いて国は栄えます。栄えれば綺麗な
 宝石もいいにおいのお化粧品も入ってきます。みんなが身につけてる綺麗な服も」
けれども、どれだけ栄華を誇っても少女は変わらず道衣を纏う。
飾り一つつけずに影の存在としてそこにたたずむだけ。
「そんなにおっしょーさまの悪口を言うんなら、おっしょーさまの代わりに道路の
 地図を作ってください。葛湯は勝手に作らせて貰いますね」
厨房に立って手際よく少年は葛湯を入れる。
事のついでだと林檎の兎と焼き餅も。
「あなたのお父様も、あの人の失策でお亡くなりになったんでしょう?どうしてそんな
 人のそばに居れるの?」
盆に載せて退室しようとしたときに投げられる声。
「本当に悪い人が誰だか知ってるから。おっしょーさまは逃げずに戦ったんだ。
 僕はおっしょーさまを悪いなんて思えない。だって、こんなに国のことを愛してる」
ちらつく雪を見て『綺麗』と言う彼女の横顔を。
一番に近くで見れること。
「冷める前にもっていこう、四不象」
「武吉くん……」
「おっしょーさまを悪いって思うのはきっと、悪い人たちだけだよ。僕はそう思う」






扉から零れる灯りに、そっと覗き込む。
「武吉、冷えるぞ。入れ」
「はい」
夜食を少女の傍らに置いて、小さな椅子を引きずって。
「おっしょーさま、今度は何を書いてるんですか?」
「ん?これか?これはのう…………」
静かに、静かに紡がれる言葉。
まるでしんしんと降り積もる粉雪のように優しい音色。
ほんのりと染まる頬の赤み。対になる肌の白さ。
こんなに目の前にいるのに、瞬きをした瞬間に消えてしまいそうな気にもなってしまう。
「おっしょーさま、肩凝ってませんか?」
「ん?少しのう……」
「僕、前にマッサージのバイトもしてたんです。そこにうつぶせになってください」
寝台を指されて太公望はちょこん、と腰掛ける。
「ああ、これは邪魔か」
上着を抜いて頭布を外す。解かれた黒髪といつもよりも優しい色の視線。
「これで良いか?」
枕に顔を埋めて言われたような姿勢をとる。
肩口に触れる指先に力が入り、ぐ…と押さえ込まれて。
「んー……っ……」
「痛いですか?」
「いや……気持ちいい……」
的確につぼを押していく指先に、うっとりと眠りが舞い降りて。
小さな疲れも相まって半分夢の中。
ゆららと揺らめく灯りと壁に伸びた二つの影。
「本当は香油(オイル)とか使って、直に筋肉を解してあげたほうがいいんですけどね」
「なら、頼むかのう……ヨウゼンたちと違って、おぬしならわしに無体もすまい」
肌着を脱いでさらしを解く。
人形のような体つきと上向きの丸い乳房。
薄明かりの下に晒された裸体はお世辞にも豊満とはいえないもの。
刻まれた傷跡と浮いた肋骨。
ごつごつとした骨の感触と薄い筋肉。
「おっしょーさま、痛くないですか?」
「ん……平気……」
彼女の好む甘い匂いと優しい指先。
傷を少しでも癒せるように。その心を温められないなら、せめて身体の疲れくらいは取り去りたい。
閉じた瞼に宿る穏やかさ。
「貧相な身体じゃろ……?」
この細い腕で大きすぎる敵と彼女は戦う。
「いいえ……とっても綺麗です……」
少し力を入れれば折れそうな首と、背中に走る大きな傷。
「武吉……」
「はい」
「すまぬ……おぬしの父親をわしは……」
「おっしょーさまは何も悪くありません。悪いのは皇后です」
見えないはずの涙と唇を噛む姿。
その心の呵責を取り去りたいのに。
あまりにも無力な自分に感じる憤りと不甲斐無さ。
「僕はおっしょーさまが大好きです。世界中の誰よりも大好きです」
「武吉、その言葉はもっと大事な相手ができたときにとっておくのじゃ」
「嫌です!!僕がすきなのはおっしょーさまだけです!!」
零れる涙を払うのは少女の優しい指先。
こんなときにさえも、器が大きいのは彼女のほうなのだ。
「おっしょーさまが、心が痛いときに僕は何もできない……せめて、疲れくらい取りたい
 んです……」
「おぬしとスープーが、隣にいてくれれば……わしは案外幸せじゃよ」
「おっしょーさま……」
ちゅ、と頬に触れる柔らかな唇。
「わしの弟子はおぬしだけじゃよ、武吉。後にも先にもな」
いずれ仙となり、彼女は天界の住人になるのかもしれない。
そのときは彼女を守るものとして共に仙道となろうとぼんやりと思った。
もしも、霞のような世捨て人を選ぶのならば。
彼女をおぶって世界中を歩こうと決めていた。
「おっしょーさまの手……ちいさい……」
「?」
「ずっと、もっと大きいと思ってました」
彼女の姿を知らぬ官僚は、大半が剛毅な男を想像していた。
その実はか細く儚げな少女が指揮をとっている。
風の加護を受けた国は、いよいよ狂い行く大国との戦いを控えて。
その中で少女は鮮やかに咲き乱れる。
「おっしょーさまに初めてあったとき、驚きました。僕とそう違わない女の子だったから」
想像した仙道とはあまりに違いすぎたその姿。
それでも彼女が太公望だとわかったのは周囲との空気の違いからだった。
「わしもおぬしもそう変わらんよ」
そっと抱き寄せられてこつん、と触れ合う額同士。
間近で見る瞳はいつもよりもずっとずっと魅惑的。
「春まではまだまだ時間がある。雪が解けたらまたわしをおぶって走ってくれるか?」
「雪が降ってても、おっしょーさまが見たいところまでならどこまでも走ります」
錯乱していくこの世界を、共に駆け抜けることができるなら。
きっとこれが至上の幸せ。
「この冬の寒さ、一人では越せぬのう……」
「何かあったかいものをもって……!!??」
ぎゅっと抱きしめられて息が詰まる。
「要らんよ。こうして暖めてくれればよい……」
迷い、立ち止まる自分を暖めてくれるこの心と。
どこか無垢なる君がここにいてくれるならばこの寒さも乗り越えられそう。
「おっしょーさま……」
理解しあえるほどの知識も度量もないけれども、彼女が欲するときにこの手を差し伸べることが
できるのならば。
いや、彼女の小さな手を握ることができるのならば。
「冬が来れば春もそう遠くあるまいて……」
古傷にしみこむこの雪の冷たさに震える夜に。
ただ一人灯りに影を落とす真白のそれを見上げるばかり。
何十年目かのこの冬なのに、己の姿は十七で止まってしまって。
自分だけを取り残して季節は残酷に通り過ぎてしまう。
「難しいことは僕にはわからないけども……おっしょーさまが嫌だって思うことはできるだけ
 取り除きたいんです……」
いつの日か、彼女の望む世界が実現するとき。
それはもしかしたら離れ離れになるその日なのかもしれない。
「僕、おっしょーさまとずっとずっと一緒にいます」
「おぬしと、スープーとどこまでも行ける様な気がするよ、武吉」
手を離して「また明日」と言える関係ならばどれだけ安心できただろう。
その明日さえ保障の無いこの世界で出会ってしまったから。
戦乱の中の恋は錯覚の一つ。
それでもその恋を離さずにただただ一緒にいたいと願う。
「風邪引く前に寝るとするか。武吉」
「はい…………」
よしよし、と少年の頭を撫でる小さな手。
「わしのことを庇ってくれたらしいのう……」
「………………………」
「わしは果報者じゃ。こんなにわしのことを理解してくれる者がおる」
まだ夢の場所までは飛べないけれども。
「明日積もっておったら雪だるまでもつくろうぞ、武吉」
「はいっ」
はらら…と舞い散る雪は風花。
七十余年前と何も変わらない。
彼に降る雪も、彼女の降る雪も、そして離れて眠るあの人にも。





白銀の世界に響き渡る大きな声。
「おっしょーさーまーーーっっ!!」
見ればぶんぶんと手を振る少年の姿。
作り上げられた見事な雪だるまに太公望は目を細めた。
「天化さんと作りましたーーっっ!!かまくらもありますよーーっっ!!」
「師叔!!一休みしてこっち来るさ!!」
霊獣に飛び乗って欄干から急降下。
「師叔、甘酒と小豆餅もありますよ」
「太公望、蜜柑とかもあっぞ」
敵もたくさん、味方もたくさん。
間違いだらけとわかっていても、こうして歩くことができるから。
「小兄さま!!こんなところでサボって……」
「旦、おぬしも一緒に食わぬか?」
軍師も国王も宰相も、そして仙道も。
昔はみんな子供だったから。
「まあ……太公望がそういうなら……」
「旦さんもどうぞっ!!」
見逃してしまうような些細な優しさを教えてくれるこの雪の日に。
まだ遠い春を思いながら。




この雪降りし冷たい日々も。
君を春を待てるのならば悪くは無いと思えるから――――――。





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13:17 2005/12/15

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