◆東の国の眠らない夜◆






「照星さーん、防人しらねぇ?」
頭頂部で無造作に結ばれた赤毛がふわ、と揺れて。
「任務で遠征させてますよ」
「なんか、俺といっつも離れてね?気のせい?」
詰め寄って前髪をぐい、と引く。
錬金戦団最強の攻撃力を持つ女は意外にも小さかった。
再殺部隊を纏めるその手腕は、曰くと理由がありすぎる集団を力でねじ伏せる。
「君も帰ってきたばかりでしょう。少し休みなさい」
天使さえ殺せそうな慈愛の笑み。
この上司には逆らえないことを彼女はよく知っていた。
「そーさせてもらうぜ」






どこに居ても目立つ銀色のメタルジャケット。
戦場に於いてもそれは同じで生存確認は容易にできた。
あらゆる攻撃を遮断すること事のできる男。
(電話してもでやしねぇし……)
忌々しくベッドに携帯を投げつければその瞬間に鳴りだす。
慌てて拾えば予想していた通りの声に安堵して。
「なんだ、生きてんのかよ」
それでもその言葉は彼が生きてるから伝えられるものに他ならない。
一度たりとも彼の死など望んだことなどないように。
「お前の奢りだろ?」
少しばかりそんな会話をしてぱちん、と電話を閉じる。
結び上げていた髪を解いてベッドに寝転んでもう一度言葉を反芻するように瞳を閉じた。
脱ぎ捨てたジャケット、握りつぶされたシガレットケース。
同じ銘柄の煙草がこんな時はやけに苦しい。
悪戯で覚えた煙草は二人で共有できるものが丁度よかった。
同じ日に引き合わされた少年と少女はゆっくりと男と女になっていく。
胸に抱く六角形の呪い。
百番目を飾るそれは離れた場所で息衝いて、思わず手を伸ばしてしまいそう。
届かないほどに求めるのは人間の本能なのだから。






煙草の匂いで眼が覚める。
身体を起こしてあたりを見回せば夕闇に染まり始めた室内が何ともロマンティックだった。
「起きましたか?」
「……勝手に吸うなよ」
彼かと思って期待してみればそんなものは甘い考えでしかないと打ち砕かれて。
つまらなさそうに俯く姿に、男の手が彼女の髪をそっと梳いた。
「そう心配しなくても防人なら帰ってきますよ。こっちに向かってますし」
「別に……」
それでも命の保証がないのは同じで、彼女も死線を潜りぬけてきた。
この生活を今更変えることもできなければ変えるつもりもない。
「もう、あんなロクデナシに私のかわいい火渡をさらわれるなんて」
「ロクデナシって……まあ、そういっちゃそうだけど……」
「心配ばっかりさせる男なんてロクデナシですよ」
ぽふ、と髪に置かれる右手。
昔そういわれたと付け加える唇。
「ああ、もうこんな時間。火渡もシャワーでも浴びて早く寝なさいね」
「泊まってく?」
「セックスの最中に防人が帰ってきたら、壁紙が赤く染まりますよ?」
女の唇に指先を軽く当てる。
子供にするように髪をなでて彼は司令室へと帰ってしまった。
残された空間は一人には少し広い。
手を伸ばしても掴んでくれる人がいないことを考えるのが嫌だった。
その手に触れる温かな何か。
それが彼の手だと解るまでにそう時間はかからなかった。
「何やってんだ?」
「……帰ってきたのかよ」
「誰かさんが電話口で寂しそうな声してたからな、全速力で帰ってきたぞ」
目に映る銀色はどこまで綺麗で、光にもよく似ていた。
その光は希望に似ていてどれだけ胸を締め付けるだろう。
手を取られてようやく彼の帰還が現実なのだと感じられるように。
「ただいま」
「……おう……」
「お帰りのキスとか無いのか?」
「はぁ!?」
じっと見つめられれば胸が締め付けられる。
どちらか先に恋に落ちたのかなんて覚えても無かった。
「……してぇの?」
「うん」
ジャケットの胸元をきゅっと握って軽く押し当てられる乾いた唇。
触れるだけのキスは重ねるたびに深くなりぬれた音を立てる。
背中を抱かれて入り込んでくる舌先が心地良くて。
「……何考えてんだてめー……」
「考えてみろ、二週間だぞ。二週間!!やーもう、溜まりに溜まって」
「風呂くらいはいれ馬鹿」
「んじゃ、一緒に入るか。いやー、やっぱ仕事明けは愛情確認が大事だしな」
布地越しに感じる心音と温かさ。
「……んな簡単にヤらせるわけねぇだろ……」
手を伸ばして広い背中を抱きしめる。
確かに彼がここに居る感触を確かめて肩口に顔を埋めた。
真夜中を少し過ぎた眠れない時間は時計の針だけが静かに囁く。
重なる視線と唇。
「んー……」
愛しげに頬に触れた手が輪郭を確かめるように頭を包む。
額同士がこつん、と触れる。
「……おかえり……」
「ただいま」
当たり前の言葉さえも重すぎて、呼吸ができなくなる。
祈りの言葉の様に絡みつくのは互いの感情。
少しだけ笑う彼女の声とためらいがちに絡みつく腕。
「やっぱり火渡はあったかいな。冬にも重宝できる」
「殺すぞ」
「望むところだ。俺はお前に殺られるなら悔いはないぞ?」
何時、彼は帰らない人になるのかもしれない。
彼岸花の赤は彼女の髪に似すぎていてその呪いを強めてしまう。
眠り眠らぬ東の国の恋人達は迷い惑いて進み行く。







それは歪な羽を持ち、人間の首をこよなく愛した。
銀皿に乗せられた恋人の頭部に微笑んで自らの腹の中に収めるように。
「煙草あるか?」
無言で投げつければ受け取る手。
「火は?」
「ほれ」
彼女の指先に灯る赤と交わる紫煙。
「どこまで行ってきたんだよ」
ベッドの上に並んで座ってそんなことを聞く。
「んー……沖縄……」
「沖縄ぁ!?」
「ん。だからマッハで片付けて帰って来てこの時間になった」
ばふ、帽子を被せればそれも投げ返されて。
「んで、どーだったんだよ」
「水着のおねーちゃんがいっぱいいて中々にブラボーだったな」
面白くないとそっぽを向く顔。
その表情が見たくてわざといつもそんなこと言ってしまう。
少しだけ頬を膨らませて剥れる顔を見れるのは本当に限られた人間だけ。
「んでも、お前の水着が一番いいな、俺は」
「……………………」
「明日休みだろ?どっか行こうぜ。どこが良い?」
「……沖縄……」
「オッケー!!水着だな!!ブラボー!!」
「冗談だ、馬鹿」
薄くて形の良い唇と憂いがちな赤い瞳。
少し伸びた髪を指に絡ませる仕草。
「それすったら風呂入ってこいよ」
「え?一緒に入んじゃないのか?」
「んな広い風呂じゃねぇだろ」
「俺がお前を抱えれば何の問題も無いぞ!!」
「風呂でヤりてぇだけだろ……防人……」
「まあ、そうとも言うな」
擦り寄せられる頬が痛いと押しのけようとする腕。
煙草と彼の匂いが混じり合えば現実を確かめられる。
ぐしゃぐしゃと髪をなでられて思わず目を閉じてしまう。
「火渡?」
無意識にジャケットの裾を握る指先。
不安な夜は呼吸さえも拒んで生きることを放棄してしまいたくなる。
だからとめてほしいと叫ぶ言葉を飲み込んで。
平気な振りをして手首をきつく噛む。
脳裏によぎるのは消したはずの記憶。
弱さを飲み込むために彼女は強さを欲した。
「……なよ……」
「?」
「……一人で逝くなよ……絶対に……一人で逝くなよ……」
自分だけが生き残ってしまった記憶は鮮烈な赤。
目の前で肉片と化していく人間。
体液は生暖かい。
「……ああ……」
震える体を抱き寄せて何も見えないように。
「電話くらいよこせよ……どこにいるかも教えてくれないんだぜ……あの人……」
吐き出すようにして紡がれる言葉たち。
両手で唇を押さえて呼吸を整えようとしてもそれさえ儘ならない。
ひゅるひゅると掠れた息と短い呼吸。
涙が零れない代わりに体中に走る停止信号。
「…………………」
ばさり、とかけられるメタルジャケット。
「……防人……?」
不安交じりに見上げてくる瞳。
「電話しなくてごめん……俺、そう簡単に死なないしお前もそれはわかってると思って……」
その匂いに包まれて感じる安堵。
「死なないで戻った。ちゃんと生きてる」
彼女の手をとって自分の胸に押し当てる。
「……………………」
銀のジャケットにかかる緋色の髪。
時折見せるひどく疲れた顔。
「まだ……苦しいか?」
横に振られる首。
「もう……大丈夫……」
空気におぼれるような錯覚と眩暈の夢。
夕べ見た夢のまた繰り返しが明日の二人さえ縛り付けるけれども。
「なあ」
「ん?」
「もう一回……キスしようぜ……」
終わらない夜の真ん中でキスをしよう。
眠り眠らぬ東の国で。







0:06 2009/05/07


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