◆仄薫るは水の匂い◆
『水の匂いがするね、レオナルド』
九の村周辺の機械を一掃して、少年はバンダナをたくし上げる。
足元に転がる機械の破片を蹴り飛ばし、風に髪を泳がせて。
「水の匂い?」
『そう。私には水の匂いがするけど』
護神像の中に見える女の笑みに、少年は小さく笑う。
膝を抱えて、宙に浮かぶ褐色の美女。
さららと揺れる黒髪と真紅の瞳。
腕輪、足輪がしゃらんと奏でる音色は耳に心地良い。
『いつもの歓迎が待ってるよ。お行き、レオナルド』
アシャに背中を押されるようにして、九の村へと足を向ける。
それはいつもの見慣れた光景のはずだった。
「防人様は世界中を旅して回ってるというのは本当ですか?」
腕に刻まれた薔薇の刺青。
一見すれば少女のような柔らかな外見。
「ああ。機械退治だけどな」
「僕の……弟を見てください……」
はらはらと涙をこぼして、その場に少年は泣き崩れてしまう。
「分かったから、泣くな」
「…っく……はい……」
護神像と顔を見合わせて少年に誘導されるままについていく。
そして目にしたのは衝撃的な光景だった。
「……これ……は……機械病?」
ベッドに横たわる少年は、両足が機械に侵食されている。
いずれは全身にそは及ぶだろう。
残酷なのは、脳神経と心臓だけは最後まで狂わないということ。
自分の身体が機械に侵されていくのを、最後まで見届けなければいけないのだ。
「どうか、僕たちにお力を……防人様」
「しかし、機械病を治す事なんて……」
有効な治療法は無い。
それが現実だ。
「僕はノールといいます……弟をどうにかして助けたいんです……」
「できる限りのことは俺も手伝おう。ただ、今のところ有効な治療法は……無い」
ふわりと浮かぶ護神像。
少年三人を見つめて、小さくため息をついた。
「だから、なんで俺がこんな滑稽な風呂に入らなくちゃならないんだ」
バスタブに浮かぶ薔薇の花弁。
立ち込める甘い匂いに、レオは眉を顰めた。
「さっきの子だろう?いい子だけどね」
珍しく今夜のバスタイムは女も一緒だ。
肌に張り付く花びらを指で剥がして、息を吹きかける。
「粋な計らいじゃないか、こういうのは嫌いじゃない」
少年の頬に濡れた手が触れて。
「薔薇風呂かよ……アシャも女だもんな」
「失礼な子だね、レオナルド」
鼻先をきゅっと摘む。
「痛ぇ!!」
「訂正をし。レオナルド」
「アシャは世界一いい女だよ」
「……そこまで褒めなくても、良いんだよ。レオナルド」
花瓶の中の白薔薇を一輪とって、翳して見る。
御丁寧に棘は全部抜かれていて、観賞用に作られていた。
「アシャ」
その花を、そっと髪に挿す。
褐色の肌と対になる乳白色の花。
「似合うよ、アシャ」
「ありがとう。レオナルド」
女の身体を後ろから抱きしめて、うなじにキスを降らせる。
柔らかな乳房を抱いて、もっと近くに感じたい。
「アシャ……」
耳に、首筋に。すこしだけかさついた唇が触れては離れる。
ぎゅっとと乳房を掴む両手。
「…っは……ぁ…!…」
腰骨に当たるのは、反り勃った少年のそれ。
指先で乳首を挟んで、そのまま少しだけ力を入れる。
「こら!」
「好きなんだろ?こういうのが」
笑う少年に、頭から甘い香りのする湯を掛けて。
濡れ鼠におなり、と女は笑う。
「疲れを取るための入浴だろう?レオナルド」
ちゅ…頬に触れる薄い唇。
「なぁ、機械病ってのは治るのか?」
「あの子は先天的なものだろう?なら命を落とすことは無い」
「まぁ、なんかほっといてもいい感じはしたけどな」
痛むこめかみを押さえて、レオは首を振る。
「痛むのかい?」
「ちょっとな。いつものことだ」
どれだけ忌まわしい機械を一掃しても、痛みが引くのはほんの僅か。
取り払うように、何度もそこを指先が上下する。
「うわ……ああああ!!!!!」
「レオナルド!!」
「痛ってぇ……ッッ!!!」
悲鳴を塞ぐ様に重なる唇。
小麦色の肌が、少年をあやす様に抱きしめる。痛みを取り去るために。
刺すような痛みと、圧迫感。吐き気と眩暈の混濁。
「…っは…ぁ……」
柔らかい胸に顔を埋めて、どうにか呼吸を整える。
「…ア……シャ……っ…」
「いい子だね……レオナルド……」
この痛みを取り払うために、必要な何か。
それが何なのかはまだわからないままに、少年は進み行く。
縺れた糸を断ち切るために。
「私のような者を、親馬鹿と言うらしいよ」
膝の上に少年の頭を乗せて、指先は額に触れる。
「ああ、なんとなく分かる気がする。アシャは俺には甘いから」
誰かの肌の暖かさは、痛みをやわらげてくれるから。
心細さと寂しさを埋めてくる、優しい麻薬。
「なら、もう少し厳しく行かせてもらおうか?」
「勘弁してくれよ。非行に走るぜ、俺」
女の頭を抱いて、口唇が触れ合う。
ちゅ…と音を立てて離れて。
人間(ヒト)為らざるものであるはずの護神像(アシャ)は、人間よりもずっと暖かい。
心音も、体温も、囁く声も。
どれが、人間と違うと言うのだろう。
「何を言ってるんだか、この子は」
「アシャが、居てくれりゃ俺はそれでいいんだ」
時折伏せられる長い睫。長い長い時間を、たった一人で彼女は過ごしてきた。
命は永劫なる物ではなく、限りあるからこそ美しい。
「おいで、レオナルド」
伸びてくる手を取って、引き寄せる。
アシャの身体を覆う絹を剥ぎ取って、その肌にそっと唇を当てて。
腰に回す手も、だいぶ慣れてきた。
上向きの乳房にキスをして、少しだけ力を入れて揉み抱く。
「……ん…っ……」
舐めるようなキスを繰り返して、悪戯に時間を受け入れる事。
それが、楽しいと感じられるくらいに二人で過ごしてきた。
「アシャ」
歯先でピアスを外して、耳朶を噛む。
ちりり…と走る痛みは、少年特有の独占欲の生み出すもの。
「さ、防人……さまっ!!??」
「……何しに来たんだよ、お前」
組み敷かれたアシャに目を向けて、ノールはぶんぶんと首を振る。
「だ、誰ぇっっ!!??」
「だから、お前何しに来たんだよ。いい加減にしねぇとぬっ殺すぞ」
「レオナルド、手を」
レオの手を制して、アシャはそっと衣類を手繰り寄せた。
胸元を押さえて、にこり、とノールに投げる笑み。
(あ……綺麗なヒト……)
ほんのりと染まる頬。
しかし、それを見逃すほど少年の心は広くは無い。
「ひっ!!」
音も無く喉元に突き付けられる剣先。
「ぬッ殺す」
「レオナルド!!」
その剣を押さえようとして、身体を起こして。
ぱらり、と布地は落ちて豊満な乳房があらわになる。
「あ……いやぁあああああっっ!!」
「勘弁ならねぇ!!死ね!!!」
「およし!!レオナルド!!」
「俺のアシャの乳見て、何がいやあぁあだ!!嫌なのはこっちだ!!」
怒り心頭のレオを宥めて、アシャはノールの頬に手を伸ばす。
「悪い子じゃないね、ノール」
「ご、護神像が人間になるなんて……」
「驚かせてしまってすまない。この姿も何かと便利でね。乳恋しい子供には特に」
くすくすと笑って、口元を押さえる。
「アシャ!!」
「私の自慢の防人だよ。この子は」
腕に刻まれた護神像03の文字。
定められた運命を、彼女は受け入れてきた。
「ノール、お前の願いがどれだけ強いかは分からないけれど」
「…………………」
「この近くに、私の仲間が居る。老いたる防人ならば後任が必要だ」
その願いの匂いに、護神像は反応する。
それがどんな願いであっても。
「機嫌をお直し、レオナルド」
「邪魔されりゃ、不機嫌にもなるだろ」
どうにかノールを追い出して、レオはため息を零した。
「アシャ」
「何だい?」
躊躇いがちに触れた指が、そっと絡まってくる。
痛む頭を振って、今度は少しだけ強く。
「いい子だね。私のレオナルド」
レオの頭を抱えて、その額に触れる唇。
静かに少年の身体を倒して、覆い被さる。
「ア……シャ……」
入り込んでくる舌先を受け入れながら、手を伸ばして乳房を掴む。
張りのあるそれは、永劫の時を過ごした事を微塵も見せない。
焼けた素肌と折り重なる身体。
喉仏に小さなキスが降って、唇はゆっくりと下がって行く。
「くすぐって……アシャ…ッ……」
肌に触れる黒髪が、くすくすと笑う。
指先が立ち上がったそれに掛かって、唇が触れる。
包み込まれるような温かさ。
「…う……ぁ……」
鈴口に差し込まれる舌先と、口中で転がされる感触に身を捩る。
荒い息と舐め嬲る音が室内に響く。
幹を唇で挟み込んで、そのままぬるぬると上下させる。
猫が指先を舐めるように、絡まってくる女のそれに。
ただ、喘ぎ声しか生むことが出来ない。
痛みを消してくれるのは、誰かの温かさ。
ちゅぷ…ぢゅぶ、唇が上下するときにこぼれる音と、光る銀の爪。
「――――――ッッ!!!!」
褐色の肌に散る、白灰の体液。
ぐったりと四肢を投げ出して、レオは大きく息を吐いた。
子供を寝かしつけるように、女は少年を抱き締める。
何かのまじないの様に、歌う声。
「元々、私たちには性欲も食欲も無いからね。あるのは……誰かを欲するくらいだな」
「あるんじゃねぇか」
「何十年に一度さ。我らを扱うものをね」
忘れないで、どんな姿になっても僕は君を愛してる。
繰り返し、彼女が歌う言葉。
「俺だけすっきりしてもなぁ……」
「今度、倍にして埋め合わせでもしてもらおうか。此処は落ち着かないからね。
水辺は得意じゃ無いんだ。まだ、砂の方が良い……」
焔の女神は、少しだけ疲れた表情で瞳を閉じる。
「アシャ?」
水は、そこにあるだけで彼女の体力を奪って行くのだ。
聞こえてくる寝息と、少しだけ開いた唇。
こうして、彼女の寝顔を見つめるのは初めてかもしれない。
いつも、自分が抱かれて眠る形が多いからだ。
(睫とか……長いよな……護神像だなんて、誰もわかんねぇよ……)
幼いころから、ずっと見上げてきたはずの炎の護神像。
そして、今は自分が彼女を駆ってこの砂漠を走り行く。
(……アシャ……)
少年はゆっくりと男への階段を昇る。
今はまだその途中の踊場。
美女の絵画に見とれながら、差し込む光に照らされながら、一歩ずつ昇っていくのだ。
(……でも、一回くらいはやっとけばよかった気も……)
そっと手を伸ばして、アシャを抱き寄せる。
まだ薄い胸板も、少しだけ頼りない背中も。
彼女は、厭う事無く愛してくれる。
(俺……死ぬまでアシャと一緒なんだもんな……)
孤独ではないという安心感。
この先に待つ運命など、彼はまだ何も知らない。
(……アシャ……)
抱き締め合って落ちる夢は、現実の世界ではありえないこと。
深い深い碧の水と小波。
水の中で静かに抱き合う夢だった。
落ちるならば、朽ちるならば。
離れないように、この指を絡ませていこう。
「もう、行かれるのですか?」
「アシャに水はあわねぇからな。それに、また偏頭痛がしてきた」
こめかみを押さえて、レオは首を振る。
「アシャさん」
護神像はレオの隣に静かに佇む。
無機質な光と混ざり合う、どこか温かなもう一つの光。
「いつか、僕も……貴女を駆る防人になりたいです」
『おや?珍しいこという子だね。ねぇ、レオナルド?」
携えた剣を引き抜いて、レオはノールの喉元にそれを突きつけた。
「ぬっ殺す!!」
『レオナルド!!』
剣を振り回しながら、追うものと追われるもの。
呆れた様に女はため息をついて、二人の後を追った。
まだ、果てぬ旅路の途中。
その終着点が、きっと大人になるべき場所。
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22:18 2005/03/08