◆ベイビー・シェイクスピア◆
少年の剣先を見ながら、ふわりと漂うのは炎の護神像。
「もう少し腰を引け。その脚ではふらついて満足に樹も斬れないよ」
「俺は樵じゃない」
「剣士になりたければ、私の言うことにも耳をお貸し。レオナルド」
炎玉を従えたアシャの声が直接脳裏に響く。
火艶と刻まれた美しい刀身。
「アシャ、この文字の意味は?」
「ああ、お前は古代語が読めなかったんだね」
「悪かったな」
「そう拗ねるでないよ、レオナルド」
年相応の少年のような表情。
アシャが人型だったならばその薄い唇でくすくすと笑っただろう。
「お前のことだよ、レオナルド」
「俺のこと?」
「そう。誰よりも気高い炎を持て。レオナルド」
鮮やかなるその赫き炎。二千年もの間、彼女はずっと守り続けてきた。
赤い瞳は、流れるような有給の歴史を余さず刻み込み。
憂いも歓喜も全てを飲み込んできた。
彼女の見てきた風景を受け入れ、変わりすぎてしまった風景を瞳に写す。
「アシャ、昔はワークワークも違っていたんだろ?」
「そうだね。けど……人間は機械を生み出し、機械は人間と遜色違わぬようになってしまった。
私たち護神像は機械と人間の間に存在するもの。お前たち防人を介して、人間の
心を読む。けれど……」
風は砂を攫って、軌跡を描く。
生まれては壊れるこの世界を、彼女はずっと見つめてきた。
「レオナルド。太陽は好きか?」
「あ、ああ……」
「太陽を背に立つことができるのが防人だ。お前の剣にはこのアシャの魂が宿ってる」
防人は、人間と外界を繋ぐ橋。
いつのまにか人は太陽を見ることすらなくなってきていた。
「今宵は月が綺麗だろうね。レオナルド」
日が高いうちは、アシャは決して人型を取らない。
レオの隣でゆらゆらと、炎と一緒に揺れるだけ。
熟れた苺のような月は、どことなくアシャに似ていると少年は呟いた。
「レオナルド、頭が痛むのか?」
「……ああ……割れそうだよ……アシャ……」
心配気に触れる指。
そのまま、少年の身体を女は抱きしめた。
薄絹を纏った焔神は、まだ未完成の少年の心をそっと暖めてくれる。
しゃらん…響く腕輪の擦れる音色。
スリットから覗く艶かしい脚。
膝を付いて、頭を抱える少年に目線を合わせる。
「レオナルド」
ちゅ…音を立てて唇が重なった。
首を抱いて、重ねるごとに深くなっていく。
舌先を吸いあって、絡ませあう。
「……っふ……ぁ……」
最初の夜よりも、ずっと甘くなったキス。
アシャを強く抱いて、噛み付くようなキスを繰り返す。
知識でしか得られないもの、経験でしか得られないもの。
そして、他人の肌に触れることでしか得られないもの。
「レオナルド!?」
アシャを横抱きにして、レオはそのまま歩き出す。
「砂の上じゃ、アシャが怪我するだろ?」
「……何時の間に、そんなことを憶えたのかね、この子は……」
砂漠に降り注ぐ月光は、砂をも宝石に変えてしまう。
指先に感じる冷たさと、肌で感じる温かさ。
「二千年以上いろんな防人を見てきたけれども」
懐かしむように、目が伏せられる。
「お前が一番良い男かもしれないね、レオナルド」
上唇を挟み込むようなキスと、絡ませた指先。
月明かりを受けた爪は、甘い色香で少年を惑わす。
耳飾が、ちりり…と掠れて、その肌の色と対を成す美しさ。
女は何時の時代も男を惑わせる。
それが、年若い者であればあるほどに。
「俺のほかの防人も、アシャを抱いたのか?」
「何人かはね。お前のように不安定な子が居たから」
その声に、レオは唇を噛んだ。
わかってはいても、自分以外の誰かが彼女に触れている事実。
それが、許せない。
「レオナルド?」
覆い被さってくる少年の身体。
荒々しく布地を剥ぎ取って、引き裂くように広げる。
ふるる…揺れて誘う乳房に噛み付いて、小さな歯型を残して。
「…痛ッ……レオ……!」
言葉を封じるように、重なる唇。
押さえつけられて言葉さえもままならない。
「!!」
まだ、濡れてもいない入り口に入り込む指先。
抵抗しようにも、押さえつけられて身動きが取れない状況だ。
「……っは……やめ…ッ……」
どうにか体勢を整えて、少年の胸を押し返す。
「……アシャ……」
布切れを集めて、肌を隠す。
「レオナルド、お座り」
不貞腐れた顔で、その言葉に従う。
「二千年も生きてくれば、お前みたいな子だって何人かはいるよ?」
「…………………」
「けれど、こんな乱暴なことをする子は居なかった。レオナルド」
いつもよりも少しだけ厳しい声。
それは己の未熟さを痛感させた。
「……けど……俺は……」
「?」
「それでも、アシャに誰かが触ってることが嫌だったんだ」
その言葉に、アシャは少しだけ困ったような表情を浮かべた。
少年の持ち得た感情は『嫉妬』であり、それは故意に付随するもの。
護神像は願いをためる器。
自分に囚われてはいけないのだ。
「レオナルド、お前は防人だよ」
「わかってる」
「今の私を扱うことができるのは、お前だけだよ」
「けど、俺の次の防人もアシャを抱くだろ」
頬に手を当てて、アシャはレオの顔を押さえつけた。
「こっちをお向き」
「アシャ!!」
「馬鹿な子だね、レオナルド。お前は私が選んだと言ってるだろう?」
褐色の肌に降り注ぐ、銀色の月の音。
「次の防人はお前が選ぶのかもしれない。お前が見つけて私に教えるんだ」
「けど!!」
少しだけ翳る紅い瞳。
口を噤んでアシャはそれきり、背中を向けてしまった。
月光が照らす出すその肌は、まるできらめく粉でも撒いたかのよう。
細い背中は、どこか寂しげで。
手を伸ばさずには居られない。
「……アシャ、怒ってるのか……?」
「あきれただけだよ、レオナルド」
振り向こうともしないその姿勢で、アシャの気持ちが本物であることを知る。
叱咤することはあっても、あきれ果てることなど今までは無かった。
頭痛に悩む夜も、寒さに凍える朝方も。
アシャはまるで母親が子供を守るかのように、レオを抱いて眠った。
護神像を纏い、剣を振るう時もアシャがしっかりと自分を抱いて守ってくれてるのが
はっきりと感じられた。
「……アシャ……こっち向いてくれよ……」
「嫌だね。少し、頭を冷やしなさい。レオナルド」
護神像とは言え、人型を採っている今、アシャにとってもこの夜風は身体に障るものだった。
かすかに震える肩と、冷え切った肌。
その身を包む絹は、先程に自分が引き裂いてしまった。
護神像の持つプライドが、レオのほうを向かせようとはしないのだ。
「アシャ」
後ろから、そっと抱きしめる。
左胸から感じる心音が、とくん…と甘く響いた。
そして、自分の上着を脱いでその身体に静かに掛ける。
「……寒いからさ、その……」
少し照れがあるのか、もごもごと口篭る姿。
強がって大人びてみせても、まだまだ子供だから。
嫉妬も込みで、ありのままの気持ちをぶつけてしまう。
「だから、その……」
「ありがとう、レオナルド」
ちゅ…音を立てて頬に触れる唇。
「おかげで凍えなくて済みそうだ。けど……」
優しく額に触れる指先。
「お前が凍えてしまうよ、レオナルド。困った子だ」
レオの身体を抱き寄せて、その背中に手を回す。
彼が自分を抱きしめることができるように。
強がりな少年が、プライドを傷付けずに済むようにと。
「暖めておくれ。私もお前も凍えなくとも良いように」
細い腰に手を回して、きつく抱きしめる。
舐めるようなキスを何度も繰り返して、意識を分け合った。
「……ぅん……っ……」
上向きの乳房に、手が掛かりやんわりと揉み抱く。
両手で押し上げるようにして、その先端をちゅぷ…と舐め上げる。
ちろちろと舌先が這い、弧を描くように動いて。
はぁ…と零れる吐息がレオの神経を昂らせた。
左右を交互に吸い嬲って、その谷間に顔を埋める。
「…ふ…ァ……ッ!…」
ぎこちない指先が、じんわりと濡れた入り口にちゅ…と入り込んでいく。
くちゅ、じゅく…零れてくる音が耳を支配して。
指先に絡まる体液が、身体を熱くしてしまう。
「あ…ん!!」
指を奥まで飲み込んで、びくびくと震える肢体。
不意に伸びた指先が、同じように昂ったレオのそこに触れた。
「アシャ!?」
布地越しに撫でさすって、器用にファスナーを開ける。
反り勃ったそれに、指が触れて優しく扱き始めた。
ぬるつく亀頭を指先が摘んで、幹を上下していく。
「…っは…あ……アシャ……」
いつの間にか、自分が攻められていることに気付き、レオは苦笑した。
自分よりもずっと年上の魅惑的な女。
アシャの愛撫を受けながら、再度覆い被さっていく。
互いの指が体温を上げて吐息を絡ませる。
「……アシャ……」
手首を取って、指を外して。
膝に手を掛けて、そのまま押し割って開かせた。
とろり…零れる体液が合意の証。
「んんっっ!!!」
内側を抉るように入り込んでくるそれに、震える身体。
「…ア!……レオ……ッ!!」
突き動かすたびに、襞肉がレオ自身に絡みつく。
「アァっ!!」
擦り合わせるようにぴったりと重なる二つの肢体。
少年と女の肌は、真逆の色。
「……アシャ……っ…」
切なげに眉を寄せて、自分の名を呼ぶ少年を。
愛しいと思うこの気持ちに、恐らく理由など無い。
薄い胸板と、豊満な乳房が隙間無く触れ合って。
何度も何度も答えを探すようなキスをした。
「……レオナルド……」
喉元に触れる唇に、レオは目を閉じる。
繋がった箇所がじんじんと熱くなって、『もっと』と互いを急かす。
膝を折って、最奥まで貫きたいとばかりにレオは腰を動かしてくる。
「あ!!あんッ!!」
ぬるつく体液は、どちらのものかは判別不能で。
考えるよりも、身体で確かめたほうが確実で正確だろう。
「……っふ…ん!!…ッ…」
レオの手を取って、親指をアシャは口に含む。
舌先がぺろ…と上下する感触は背筋に甘い痺れを走らせた。
「…ぅ…ぁ……ッ……!…」
ちゅぷん、唇が離れて手の甲に降る優しいキス。
先日の戦いでできた傷を消したいとばかりに、アシャの唇がそこに触れる。
「痛かったろう……レオナルド……」
「……これくらい……平気だ…ッ……」
飛びそうな意識を、唇を噛んで繋ぎ止めて。
深く深く繋ぎとめた。
彼女が、どこにも逃げてしまわないように。
細腰を抱いて、狂ったように何度も何度も突き上げる。
絡まってくる脚と、交じり合う匂い。
自分の下で喘ぐ姿が扇情的で、理性など吹き飛んでしまう。
「あ……っん!!」
腕に刻まれた文字を舌先でなぞって、消したいとばかりに歯を当てる。
護神像が、人と赤き血の神を繋ぐものならば。
それを手にかけることは罪として罰せられるべきもの。
それならばその罰を受けようと、少年は不適に笑う。
「……く…ぅ……」
自分の上で目を閉じる少年の首を抱いて、唇を絡ませて。
体液を交換する悦びに瞳を閉じた。
レオの腕の中でゆっくりとアシャの瞳が歪む。
仰け反った喉に甘く噛み付いて、その果てる姿をどうにか見届ける。
「……ッ!!…っふ…ア…シャ…ッ!…」
吐き出す直前に引き抜いて、褐色の肌に飛び散る白濁の体液。
それが触れるだけで、びくんと震えるのが見えた。
折り重なるように崩れた身体を抱きしめて、啄ばむようなキスを繰り返す。
「……何か……夢みたいだ、こんなことしてるなんて……」
胸に顔を埋めれば、とくん…と心音が心地よく伝わってくる。
「ずっと、このままの姿で居られないのか?アシャ」
「我儘、言わないでおくれ……レオナルド……」
アシャの腕の中に居るときだけは、防人を辞めてレオナルド・エディアールという
一人の人間に戻れると言うこと。
防人として日の浅いレオにとって、まだ機械との戦いは余裕のあるものではなかった。
アシャの指導で剣を取り、足を踏み出す。
頭痛を抑えながら、どうにか切り裂くので精一杯。
「もっともっと、強くおなり。レオナルド。お前は世界一の剣士になれるよ」
「……ああ……」
柔らかい胸のぬくもりから離れることができないまま。
いつまでもこの身体を抱いていたかった。
救援信号の狼煙があれば、避けて通るわけには行かない。
ずきずきと痛むこめかみを押さえながら、アシャを従えてレオは機械の群れを待つ。
「アシャ」
左腕を前に突き出す。
「合体だ」
「ああ、レオナルド」
緋色の炎がレオの身体を包み、大地を蹴って少年は前へと進む。
大きく剣を掲げ、頭上から急降下。
黒い体液と耳を劈くような悲鳴が当たりに飛び散っていく。
怯む事無くレオは降ってくる機械を次々に薙ぎ倒す。
切り倒すごとに、痛みが退き唇に浮かぶ笑み。
「アシャ!!俺に力を!!」
少年が強さを望めば、護神像はその願いを受けて彼を抱きしめる。
その指先が剣先に触れて、紅蓮の炎がそれを包んでいく。
「さぁお行き。レオナルド」
巨大な機械の塊を一刀両断するその鮮やかさ。
その姿からは年若い少年を想像することは不可能に近かった。
機械の欠片を爪先で蹴り上げ、レオは満足気に笑う。
「アシャ、俺の剣も大分良くなっただろ?」
「そうだね。けど、まだまださ。レオナルド」
護神像の中に浮かぶ、女の姿。
「とりあえず村に戻ろう。これだけ汚れちゃ流石の俺でも気持ちが悪い」
真っ黒に染まった上着を指して、レオは苦笑した。
避けきれずに、レオは頭から機械の体液を被ってしまったのだ。
「詰めが甘いね、この子は」
「うるさい。子供扱いするな、アシャ」
「私から見れば長老だって子供だよ?レオナルド」
砂の上にできる足跡は、一人分。
できれば二人分を並べたいと、少年は願った。
村人からはいつも通りの喝采を受け、当てられた部屋へ身体を寄せる。
油塗れの身体を何とかしたくて、バスタブに身体を沈めた。
猫脚のバスタブはレオよりも寧ろアシャに似合いそうな一品。
「なんだってこんな滑稽な風呂に入んなきゃなんねーんだ」
ついでにとアシャが入れたのはバスソープ。
泡だらけの少年は骨まで石鹸になれそうだと呟く。
「アシャは入らないのか?」
バスタブの淵に腰掛ける女に手を伸ばす。
「そんな趣味は持ち合わせていないからね」
「ふーん……」
手首を掴んで徐に引きずり込む。
「うわっ!!」
ごほごほと咳き込んで、同じようにアシャも泡塗れに。
「見物してると、そうなるってことさ。隙があれば掛かって来いって言ったのは
アシャだぞ?隙があったから狙っただけだ」
「レオナルド!!」
じゃれあう声は二人分。はたから見ればまるで姉と弟のような二人。
結びつける糸の色は、万能なる神の血と同じ赫。
耳に光る小さな紅玉にキスをして、少年は女を後ろから抱きしめる。
「何をするんだか、この子は」
「俺はガキだからさ。いつも子ども扱いするだろ?子供は悪戯するもんだ」
「随分と都合のいい子供だね、レオナルド」
くすくすと笑って、大きな泡玉をアシャはレオの頭に乗せた。
「似合うねぇ、レオナルド。立派な飾りになる」
「アシャ!!」
肌に張り付く布地が、その身体の線を顕にする。
無駄な脂肪も無ければ、不必要な筋肉も無い。
二十代と思えるその肉体は、老化など微塵も感じさせないほどだ。
「ゆっくりと浸かりなさい。休息も必要だからね」
ふわり、とアシャの身体が宙に浮かぶ。
爪先から零れる泡の名残に、レオは大声で笑った。
濡れた髪をタオルで拭きながら、アシャはため息をつく。
「だからって、ふやけるまで入ってることも無いだろう?」
「うっせー……」
「だから子供だと言うんだ、レオナルド」
ぐったりとベッドに倒れこんだレオの唇に、そっとアシャのそれが重なる。
「……私が、水の護神像だったならどうにかしてやれたのだけれども」
「あー……いい……ここに、アシャが居てくれれば……」
人型を取って、アシャはふらりと何処かへ消えていく。
半刻ほど置いて、何かを持って帰ってきた。
「レオナルド」
「……?……」
口移しで入り込んでくる小さな氷。
ひんやりとした小さな冷気は、身体の隅々まで染み込んで行く様にさえ思えた。
その心地よさに、表情が和らいでいく。
髪に指が触れて、優しく撫でてくる。
「なんか……母さんみたいだ……」
自分を守り、その命を落とした彼の両親。
愛刀に刻まれたエディアールの文字。
形あるもの全てを切り裂けるようにと、アシャはその剣に己の魂の欠片を封じた。
三つの願いが、レオの刀を守り前へと進ませる。
「……アシャ……」
女の手を握って、少年は深く瞳を閉じた。
程無くして聞こえてくる寝息に、アシャの目が細まる。
「おやすみ、レオナルド」
まるで我が子を慈しむかのようにアシャはレオの手を握り返した。
空気の冷たさで目を覚まし、傍らにアシャの姿が無いことで身体を起こす。
(……アシャ……?)
誰かの声と混ざるアシャの声。
そっと扉をずらせば、村人の一人との会話が耳に飛び込んできた。
「先ほどの礼を……」
「いえいえ。しかし、貴女は?」
「あの防人の侍従とでも思ってもらえれば」
氷が玻璃とトレイを受け取り、アシャは扉に手を掛ける。
「防人様はお休みになってらっしゃるのでしょう?ならば我々と……」
「いや、傍に……」
どうにか振り切ろうとするアシャに業を煮やしたのか、男は彼女の手首を掴む。
人間相手にどうにかするわけにもいかず、アシャはその手を振り解こうとした。
「!!」
男の喉元に向けられる剣先。
「離れろ。手を離せ」
少年とは思えない凄みのある声と目線に、男は足早に立ち去っていく。
鞘に収めるのを確かめてから、アシャは頭を振った。
「その剣は、人間に向けるためのものではないよ」
「けど、俺のアシャに……」
「それでも、その剣はそんなことのために使うものじゃない」
生まれた嫉妬を押さえ込めるほど、彼は大人ではなく。
けれども、泣き喚くほど子供でもない。
揺れる心は幼年期の終わりの少し手前。
「でも!!」
「場所を移そう、レオナルド」
少年の手を引いて、砂漠へと向かう。
足に絡む砂を払いながら、並ぶ足跡は二人分。
大きな月を追いかけるように、手を繋いで砂丘を登った。
「レオナルド」
自分の隣を指して、座らせる。
小高い砂丘に並ぶ二つの陰。
「お前の剣は、誰かを守るためのものだろう?」
「…………………」
「ちゃんと私の方をお向き、レオナルド」
薄い唇が自分以外の誰かと言葉を交わすだけでも。
胸が締め付けられて、苦しくなってしまう。
「別に、そんなの知ったことじゃない」
「レオナルド」
ぷい、とあらぬ方向に向けられる目線。
「聞き分けの無い子は、嫌いだよ」
「俺のアシャが、誰かと一緒に居るのが嫌なんだ」
「私を扱えるのはお前だけだよ。それは何度も言ってるだろう?」
諭すような声。
砂漠で二人きり、月だけが証人。
「嫉妬でもしたのかい?レオナルド」
「そうだよ。嫉妬した。他の男なんか口利かせてやりたくない。アシャは、
俺だけのアシャだ。誰にも渡さない!!」
認めてしまえば、気持ちよりも先に身体が暴走してしまう。
砂の上に女を押し倒して唇を塞いだ。
「…っは…レオ……待て……!!」
「アシャ……アシャ……ッ……」
縺れて絡まって、抱きしめあって。
「困った子だね……」
胸の痛みを越えて、少年は男に変わっていく。
今、こうして抱き合っていることさえ、砂塵の夢なのかもしれない。
人間の命には限りがあり、護神像との時間の流れの差を止めることは不可能。
それでも。
彼が自分の手を取って、どこまでも走るというのならば。
その手を決して自分から離すことはない。
同じように感じるこの痛み。
それを分け合って、自分たちはここからゆっくりと前へ進んでいくのだから。
「俺が嫉妬したら可笑しいか?」
「可笑しくなんて無いよ。人間の持ち得る正当な感情だ」
「そうじゃない。アシャは……」
言葉を止めるように、砂の中から現れる機械の群れ。
舌打ちして、レオは腰の剣に手を掛けた。
「レオナルド」
「アシャ。この程度なら俺一人でも十分だ」
アシャを背後に護り、レオは砂を蹴る。
まるで背に翼でも生えたかのように、優美に宙を舞う姿。
鮮やかに剣を振るう姿にアシャは目を細める。
防人としても、男しても彼は確実に成長を遂げているのだ。
確実に仕留める為の剣舞。
誰かのために、あなたのために。
その気持ちが、少年を大人に変える魔法なのだから。
「完了」
剣を下ろして、月を背に振り返る。
その姿はどこか神掛かった美しささえ、感じさせた。
「アシャ、俺も強くなっただろ?どうだ?」
誇らしげに笑う顔。
差し伸べられた手を取って、ゆっくりと身体を起こす。
砂に還りたいと思えるような月夜。
恋を自覚するもってこいの夜。
「……まだまだだね。まだ、お前には憶えてもらうことが山のようにあるんだ」
強がりで意地っ張りなのはどちらも同じことで。
笑う月と一組の男女。
「けど……良い太刀筋だった。レオナルド」
素直になれなくても、君がここにいてくれるならば。
怖いものなど、恐らくは無い。
「……まぁな……もっと強くなって……」
アシャの手にそっと触れる唇。
膝を付き、古の剣士がするように。
「惚れた?」
「このアシャを惚れさせるには、まだまだ修行不足だよ。レオナルド」
並んで見上げた月の甘さは。
この砂漠を全て砂糖に変えてしまえそうで。
「私が創られるよりもずっと昔の話らしいけれども」
青年は己の人生を振り返り、思い悩む。
信じられるものは唯一つ。それをみつけるために。
有か無か。生か死か。
彼も同じようにその瞳で全てを見極めた。
剣を手に進む姿。
「お前と同じような男の話があったらしい」
「俺と?」
「人間が作った物語の一つ。美しいものはどれだけ年月を経ても変わらないものだね」
繰り返すキスがくれる答えも。
きっと、何千年も昔から変わらないもの。
一秒後には死んでしまうかもしれないこの世界。
望むなら、折り重なって朽ちて行きたい。
「ハムレット。そんな名前だった」
「変な名前だな」
絡めた指が、織り成す奇跡。
言葉では簡単でも、奇跡は絶えず努力をするものにしか降りてはこない。
使い古された『愛してる』でも、君がそれを口にすれば。
それは強い気持ちに変わる。
「何千年たっても消えない名前だ。レオナルド、お前もきっとそうなれるよ」
「どーだか。俺はガキだしな」
「可愛くない子だね。そんなことを言うのはどの口だい?」
瞳を閉じて、同じ夢を重ねよう。
この背を抱くあなたの温かさがある限り、どこまでも高く飛べるから。
不意に翳る瞳も、天を仰ぐ姿も、凛とした声も。
自分が一人ではないと教えてくれる。
例えこの気持ちが禁忌と言われても、あなたを失うほうが苦しいと思えてしまう。
「アシャ」
長い長い夜の祈り。
しっとりと舌を絡ませて、何かを分け合うような接吻を。
「合格か?」
「……まだまだ。もっとがんばりなさい、レオナルド」
「ちぇ……今にアシャが驚くような男になんだぜ?俺」
「期待して、見てるよ。レオナルド」
少年の頭を抱くように、アシャの唇がレオのそれに重なる。
そのまま体重を掛けて、砂の上に身体を倒す。
下から仰ぎ見る姿は、焔神の艶やかさ。
「特訓しておくかい?レオナルド」
「お手柔らかに」
うなじに手を伸ばして、布地を止める金具を外す。
作り上げられた肉体の美しさとその芳香。
焔炎を纏う女を抱くのは、細腕の少年。
「ハムレットって男に、恋人は居なかったのか?」
「居たよ。オフィーリアと言う」
悠久の時間を越えて、語り継がれる恋物語
「村に戻ろう。このままではお前が風邪を引いてしまうよ」
アシャを背負って、砂の海を歩く。
長く伸びた影と、小さな歌声。
「軽いな」
「そうかい?どれくらいが丁度いい重さなのか、分からないからね。私には」
伸びた脚と、踝の上で踊る金輪。
忌み嫌われる肌の色さえ、彼女を引き立てるもの変わる。
「アシャ、俺、強くなる。誰にも負けねぇ」
「当たり前だろう?お前は私が選んだ防人だからね。レオナルド」
砂漠に花など、そう咲くものではない。
それが、閉ざされた地下ならば殊更に。
「防人さま、もう出発されるのですか?」
「ああ。やることが山積だからな」
手荷物は僅かな食料と水。
バンダナを直して、少年は扉に手を掛けた。
(……花……?)
すらりと伸びた茎。結ばれた白いリボン。
「これを貰っても良いか?」
「ええ、構いませんが……」
受け取って、器用にアシャに括りつける。
「それじゃあな」
護神像と少年の姿が消えてから、村人は首をかしげた。
花を望んだ防人も、ましてやそれを護神像につけたものなど前例が無いからだった。
「似合うぞ、アシャ」
「私をそんなに笑いものにしたいのか?レオナルド」
「アシャの髪に挿したつもりだったんだ。違うところに付けちまったか?」
その言葉に、アシャはゆっくりと姿を変えた。
首に結ばれたリボンと緋色の花。
「なんだ、似合うじゃないか」
「レオナルド」
「俺だって花くらい贈れるってことさ」
恋は、まるで砂漠に咲く花のよう。
太陽を背負う少年は焔の女神の加護を受けて天を舞う。
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0:30 2004/12/01