◆焼け野が原◆
最後に聞いた音は、誰かの叫び声と何かが崩れる音だった。
「父上、最近はこのあたりも魔物がうろつくようになりましたね」
額の汗をぬぐって、アスリアは国王の隣に付く。
ムーンブルク第一皇女アスリアーナ。それが彼の名前である。
皇女として生まれながら、ハーゴン軍の侵攻に対峙する為に男性化された姫君。
事情を知らないものが聞けば、哀れむことは必至だった。
しかし、当の本人は苦もなくその運命を受け入れている。
どっちにしろムーンブルクの後継者はアスリアしかいないせいもあるのだが。
剣を持つにも、魔法術を体得するにもこの身体は何かと便利なのだ。
精々困ることといえば側仕えの神官たちが揃って号泣したくらいで。
「今として思えば、王子となってよかった気がします。こうして皆のために戦える。
ムーンブルクを発展させ、民を守るのが俺の夢ですべきことだと思ってますから」
笑う顔は、今は亡きムーンブルク王妃の面影。
アスリアはが生後四十日のころに、王妃はこの世を去った。
ムーンブルク、サマルトリアは女系国家。現王も入り婿である。
始祖である勇者ロトも、竜神を斬ったロトもどちらも女性。
ムーンブルク皇女であるアスリアにその魔力が宿るのもおかしくはなかった。
その血のままに、身体を男性として改変する高等魔術をかける。
二つの力を持つアスリアは事実上残り二カ国を牽制するには十分な存在だった。
「東の湖のほうにも、最近は魔物が巣を作ったらしく……駆除が大変ですよ」
伸びた髪を皮ひもで一括り。
静かに微笑む王子はムーンブルクの誇りでもあった。
若き王子は次のムーンブルク国王となり、この国を寄りよい方向に導く光。
誰もがそれを信じ、疑うことはなかった。
時の砂を少しだけこぼせば、あれは幸せだった日々。
「アスリア」
史書室で魔法書を読みふける彼に不意に掛かる声。
「父上、どうかなさいましたか?」
「縁談決めてきたからな。サマルトリアの王女だ」
「は…………ぁっ!!??」
あっけに取られている息子に、王はなおも続けた。
「あちらも元々は王子とした生まれた子を王女とした。サマルトリアもうちと同様に
女系国家だからな。まぁ、似たもの同士だし、サマルトリアとはこれからも友好に
していきたいからな。あちらも異論はないし」
「だって、俺まだ十二……」
「先方は九つだ。少しくらい差があったほうが良い。まぁ、決まったことだから受け入れろ」
ムーンブルク王はおおらかにして大胆な男だ。
王女と出逢った時も同じだった。
『欲しいものはある?』と王女が問えば『あなたの左手の薬指を』と返す。
決めたプロポーズの言葉は『あなたを幸せに出来るかはわからないが、僕は幸せになれる』と
いうもの。
その一言がムーンブルク王女の心をしっかりと掴んだ。
そして二人は、女王と王になりこの国を守ることとなったのだ。
「顔も知らねぇのに?」
「お前と同じように、元の性を失った。いや、それは我らが悪いのだがな」
「いや……それはいいんだ。王子ならローレシアへの牽制になるんだろ?それに……剣を持って
戦うんなら男のほうがいいよ。俺はムーンブルクの次の王だからさ」
紫の髪をくしゃ、と撫でる父親の手。
「同じロトの血を持ち、同じ悩みを抱く。お前なら彼女の支えにもなれる」
「なんかよくわかんねぇ……けど、まぁいいや。結婚とかまだ考えられねーけど、頭に入れとく」
魔道書をぱたん、と閉じてアスリアは笑う。
この先の運命など知らずに。
「嫁さん、そのうち見れるのかな?」
「お前が二十歳。あちらが十七になったら正式に婚姻を結ぶ。それまでしっかりと勉強しろ」
「へいへい」
まだ見ぬ許婚は、水と光の国に住むという。
早くに母をなくしたのは同じで、サマルトリアの次期国王としての帝王学と苦戦しながら
国のためにと走る少女。
(劇的な恋に落ちたりして。それはそれでいいよな。国を持った二人のロマンスってか?)
恋愛小説よりも官能小説。
それでも恋には憧れる年頃だ。
(いいなぁ。ロマンスの神様ってな。あはは)
幸せの空は、抜けるような青。
まだ見ぬ恋人を思いながらアスリアは一人で笑った。
あの日に見た空は、燃えるような紫色だった。
突然の襲撃に、防戦を強いられ兵たちは次々に倒れていく。
階段を駆け登って、アスリアは侍女たちを外へと走らせた。
「ここは俺が何とかする!!早く外へ!!!」
長剣を振りかざし、王子は魔物の群れを切り捨てていく。
悲鳴、硝煙、転がる死体。
目を覆いたくなる景色にも、彼は目を逸らさずに前へと進む。
(一体どれだけの数が居るんだ……きりがない……ッ……)
呪文の詠唱は、精神力だけでなく体力も容赦なく奪っていく。
(頭を叩けば、どうにかなるはずだ。どれが……胴元だ!?)
震える膝。叱咤して、ひたすら前に進む。
城下はもっと凄惨な有様で、吐き出しそうな感情を唇を強く噛んで殺した。
(何のためにロトの血だ!!民を守ることの出来ねぇ力なんて要らないんだ!!)
「アスリア様っ!!早くこちらへ!!」
「俺はいい!!皆、早く逃げるんだ!!」
それが、かなわないことだと知っていても。
逃げるという選択肢はアスリアの中には無く、民を守ることしか頭に無かった。
「ムーンブルク王子……いや、皇女アスリアーナ」
「!!」
アスリアの目の前に降り立つ黒衣の男。
「我が名はベリアル。ハーゴン様の従者の一人」
「お前が……我が国を襲った本元か」
「国?ああ、虫けらの繁殖する場所のことか」
からからと笑う声は、耳障りで。ただ、その心に憎しみを刻み込む。
「絶対ぇ……許さねぇっっ!!!!」
霹の杖を手に、アスリアはベリアルと対峙する。
魔道師二人と言えども、その差は大きなものだった。
片やハーゴン軍の魔道師の最高位に付く男。
そして、ロトの血は引くもののまだ若年の王子。
抵抗する暇もなくアスリアの身体は次々に機能を失っていく。
手も、足も。目も。何もかもが消えて行き、ただ体は肉の塊として存在するだけに。
「ベリアル様。サマルトリアにも?」
女の声はどこか明るく、嬉しそうで。
「そうだな。魔法国家は早めに潰せ。ここと同じように」
身体を起こそうとしても、神経は彼の想いを拒み指先すら自由にならない。
(サマルトリアには……あいつが……)
例え会ったことは無くとも、恋人の国を同じように滅ぼすと笑う二人を。
どうして許すことが出来ただろうか。
この身体など、どうなっても構わない。命なんて――――要らない。
「……る……かよ…ッ……」
「?」
「サマルトリアには……行かせねぇ!!!!」
痛む身体。
(痛みは……邪魔だ!!!消えろ!!!)
霹の杖に魔力を込めて、ベリアルに切りかかる。
「人間の子供に、私が倒せると思うのか?」
肩口から胸にかけて走る刀身。
「……っ……は……」
真っ赤に染まる視界と、口から吐き出される赤い体液。
「……ぅ……ああああっっ!!!」
握り締めた杖で、ベリアルの足の甲を貫く。
「この足だけでも……貰っていくぜ……」
「ベリアル様!!」
動かなくなった手足。それでも、アスリアは満足だった。
国のために、そして恋人のために死ねるならばと。
「気に入った。お前の気持ちに免じてサマルトリアには向かわん」
ベリアルの手の中で生まれる炎。
「だが、ムーンブルクは潰させてもらぞ。アスリアーナ」
耳にはもう声も届かない。
それでも、彼の唇は小さく笑ってた。
崩れ行く城の中で、たった一度だけ絵画で見た恋人を思いながら。
力がほしい、そう願った。誰かを守るための強さを。
「アスリアさま、王子たる貴方をこのようなお姿にすることをお許しください」
神官の腕に抱かれた青年は、虫の息。
「こうでもしなければ、魔物たちから貴方を逃がせない……」
印を結ぶと、光が生まれアスリアの身体を包んでいく。
その光が収束し、姿を現したのは白い犬。
そして、真実を映す鏡を東の湖に飛ばした。
破壊される前に、ムーンブルク王家の秘宝は静かに封印されたのだ。
「早く、アスリアさまを連れてムーンペタに」
「しかし、司祭さま!!」
「王家の血を絶やしてはなりません。王も先ほどハーゴンと打ち合い……崩御なさいました。
ムーンブルク国王を御守りし、この国をもう一度……」
神官は渾身の魔力で兵士を城外に飛ばす。
(アスリア様、あなたが今一度この国を起こせると……信じていますよ……)
生き延びなければいけない運命。
その血が彼を苦しめることもあるだろう。
それでも、彼は生きて戦わなければいけない。
ハーゴンでも魔物でもなく、その身に流れるロトの血と。
(色々ありすぎたぜ……この半年で)
頬杖ついて、こぼれるため息。
ロトの血を引く三人は、喧嘩をしながらも賑やかにその旅路を進む。
生意気だが腕のいい剣士。
可愛い顔をした許婚は予想以上の難易度の持ち主。
(ああでも……こんなのも悪くはないよな……)
西風は、どこか故郷のにおいを運んでくれるようで苦しくなる。
廃墟と化したムーンブルク城。
(皆……必ず帰る。俺は……ムーンブルクの王子だから……)
進む道、一人じゃない日々。
雷の杖の欠片である小さなロッドはあの日の戒め。
(ベリアル……あいつだけは俺がやる。それが俺の……)
ハーゴンの神殿のあるデルコンダルはまだまだ遠く。
それでも、このつかの間の幸せに身を置くのは悪くない。
「アスリア、風邪引くよ?」
「オカマ、腹壊すぞ?」
夜風も、ノスタルジックな気分も。
「わーった、分かった。すぐ戻る」
壊されるのも悪くないと思えてしまう。
(ムーンブルクは……何度でもよみがえる。俺が、あいつらが居るんだから)
どこまでも行けるような気がした。
この背中には魔法の羽があるのだから。
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1:26 2004/08/12