◆七つ海のラプソディア◆





古来の人は赤き血を持ち、神となった。
今の世界に生きる人々は黒い血を持つ。





「綺麗な髪だよな」
なめらかな黒髪に男の指が触れて、すぃ…と流れる。
白衣に刻まれた賢者の証印は赤い糸で織り込まれて。
伏目がちな黒い瞳も愛しいと耳元で彼が囁けば彼女はただ笑うばかり。
薄い唇に浮かぶ笑みは陽だまりに咲く花に似た優しさ。
「邪魔だよ、アル」
赤子を抱いて哺乳瓶を女は頬に当てた。
「えー。ヨキさんはアルさんに構ってくれない」
「シオの方が大事だからね。それにお前はそこそこに強いだろ?」
古代の記憶を持つ未来人は憂鬱交じりのため息を浮かべる。
機械仕掛けのこの街は原始的でいて、地下にエネルギーを抱く。
少しだけ紫の混ざった黒い瞳。
白に対になり互いを引き立てる色合いの美しさ。
「そこそこにじゃなくて、俺は強いぜ」
触れ合う肩先と頬を撫でる少しだけ温かな風。
舞い散る砂が黄昏を終わらせて宵の口。
二つの月と黄砂がまるで螺旋の光のように絡み合い、この世界を彩る。
傍らに置かれたロケットランチャーと古代の弓矢。
いまやは過去は未来となり、かつて最新鋭と呼ばれた科学は過去の遺産となった。
照らされた未来はまだ不確定で彼も彼女もその先を知らない。
わかるのは互いの存在とその優しさ。
「どんな時間が重くても、俺はヨキが好きなんだろうな」
それは過去からの存在の彼女への言葉。
永久の眠りなど求めずに彼女はたった一つの願いを成就させるために存在する。
賢者の名を持ち人間の始まりである存在として。
「……お前は本当に何も変わらないね、アル」
少しだけ毛に陽に焼けた肌、不精髭の生えた精悍な顎。
細い指先がそこに触れて、少しだけ眉を寄せた。
「ざりざりしてる」
「あー、そりゃ髭だもんな。シオもすげーいやな顔すんだよ」
その横顔が笑うたびに、愛しいと思える。
人の恐れた強い存在の彼女が心を許したたった一つの人工生命。
それは後にその思いを写し取り、従者の如く傍に佇むように。
今はただこの風をともに共有できるこの幸福感にただ飲み込まれたかった。






流れた時間は幾年、流れた星も幾万。
相変わらず差し向かいの彼女は穏やかな笑みを浮かべるばかり。
「なぁ、お前の願いってのは何だったんだ?」
砂を掘れば出てくる記憶のかけらを拾い上げる。
それを空に放ればプラスティックの偽物の月に変わるだけ。
人工の月が生み出す柔らかな光はこの埋もれそうな世界を優しく照らしてくれる。
月光を浴びた彼女は、視線一つで相手を発狂させるように優美でおぞましい。
「私の願いなんて、つまらない物さ」
月に手を延ばす様に彼女に恋焦がれた。
この指先が触れれば触れるほどに遠ざかるその存在。
腕に抱いたときに感じた息遣いと確かな体温。
「シオもうまいことやったんだろうな」
「だろうね。だから私もお前もこうして存在してる」
はるか昔、本物の月には兎という生き物が存在したらしい。
柔らかな毛並みに暖かな体温は彼女を思わせると彼は笑った。
それよりも少しだけの未来、太古の人は月に降り立ったらしい。
月に住まうものと人は戦い二つの世界は暗黙の不可侵を結んだ。
真空で生きることのできないが月に向かうのはとても危険なことだったと言う。
故に事故が起これば決して助かることはない。
それはまるで月の呪い、言うなれば天呪という言葉を生んだほどだった。
「綺麗な月だな」
太古の人は強きものを討つために強さを得た。
月に攻め入りウサギを根絶やしにして、月人を殺したらしい。
今浮かぶこの二つの月は人工的に作られたもの。
そして太古の人は赤い神という存在に姿を変えた。
しかし、奢れる者は久しからず。
紅い神が生み出したアンドロイドは意思を持ち、反旗を翻す。
その結果忌まわしい戦争が巻き起こり、赤い神はたった一人を残して死滅してしまった。
神を名乗るべきものではない存在が神になったが故に起きた悲喜劇。
黒い血の神になるべき目覚めた女はそうなることを拒んだ。
それはきっと歴史を繰り返させないための本物の神が仕掛けたものだろう。
そしてそれを太古の人はこういった。
運命、と。
「そうだねぃ……」
月が綺麗だと思えるのは彼女が隣にいるから。
街の灯も二人で見るから美しいと思えた。
あのおぼろげに揺れる光の中に守りたい人がいるのならば、どこまでも強くなれる。
「なぁ、ヨキ」
「?」
「残りの時間、どうやって過ごしていけばいいんだろうな」
掌に触れる砂は細かな星によく似ている。
きらきらと煌いて昔の記憶を呼び覚ます魔法を掛けるから。
「後悔ばっかりしたって疲れるだけだろ?」
あの日、彼がこの腕の中でその命を終えたとき。
己の感情をすべて殺してたった一つの願いのためにもっとも大切なものを失う痛みを知った。
恋人一人救えない賢者は神になどなれるはずがない。
「まだまだ俺もイケるかなー?とか思っちゃって」
「何を言いたいんだい?」
「もう一回、言わせてくれよ」
ぎゅっと手を握られて高鳴る胸。
「俺と心中してくれよ。俺の命が終わるときに」
「ああ良いさ。お前とならば心中するのも悪くない」
触れるだけのキスが甘くて泣きそうになる。
未来から過去に戻った神は、神から少女に戻った。
あるべきものではない小さな存在がきっと未来をまた違った世界に変えてくれるだろう。
もしかしたら変わらないのかもしれない。
それでも、無駄なものなど何一つないのならばこの世界はゆっくりと誰かに優しいものに変わるだろう。
「シオが帰ってきたら、親子三人……いや、しばらくは二人で良いな。折角邪魔なのはいねぇんだし、
 なんにしろ子供が寝た後じゃなきゃ何もできねぇし……あいつも色々と揉まれたから寝ろったって
 寝ないだろうしな……俺は息子に覗かれる趣味はねぇし……」
「アル、そういうことは自分の脳内だけで再生しておくれ」
「大事なことだろ。ああ、今度帰ってきたら一服盛るか!!」
ぺち、と頬を打つ手。
それでも痛みも無ければ彼女の唇もやわらかさを失わないまま。
「ヨキ」
「なんだい?」
「愛してるぜ」
「私もだよ」
たった一つの願いは彼に自分と同じ悠久たる命を与えることだった。
今はその願いなどもう必要は無い。
「太古には桜と言う花があったらしい」
薄紅美しく、四季を彩るその花。
大樹となるものは精霊を宿し、人ならざる妖を生んだという。
人は妖怪を恐れ鬼を恐れた。
恐れるものの無くなった人は神となり、そしてその終焉を迎えた。
神無き世界に生きる人ならざるヒトという名の生命たち。
「その花をお前と見たい。それが私の願い」
「………………」
「その花はもう存在しないのにねぇ」
「よっしゃ。俺はその花を作る。それが俺の人生の次の課題だ」
馬鹿馬鹿しいとおもうようなこの恋が胸を熱くする。
差し込む月の光は深遠たる赤より赫い紅。
繰り返す日々を終わらせてくれた彼を与えくれたのはきっと本物の神様。
「文献も殆ど残ってないよ」
「それを二人で探すのさ。ロマンティックでドラマティックだ」
不可能など無いと思わせるならば。
「なら、海が見たい。湖よりもずっと大きくてその終わりが見えなくて……終わらないから
 奥の奥が線に見えるんだ」
「でけーんだな。ま、それも追々がんばるか」
指先を絡ませて視線を重ねれば笑いあえるこの空間。
「これからも俺と一緒にいてくれるか?」
「お前が飽きるまでなら、考えてやってもいいよ」
七つあったという海を、全部作ることができたのならば。
そのときは二人で神と言う物になればいい。
一組の男女、過ちはもう犯すまいと。
「まずは桜からだな」
「ふふ」





浮かぶ月には偽物の優しさ。
隣にいる君だけが真実。
桜花雪月の言葉を存在させるようにこの世界の螺子を一つだけ引きぬいてしまおう。
「アル、もう風が冷たくなってきたよ」
黒い油に塗れながら彼は額の汗を拭った。
「桜って、どのパーツで作るんだ?ごちゃごちゃしてて……」
有機生命体を無機物から生み出すことはそれこそ神が掌る奇跡の領域。
赤い血でもなければ難しいだろう。
「ああ、そういえば……アル、手がかりかもしれないよ。だから今夜は……」
「だな。暗くなってなんだか解んなくなってきたし腹も減ったし」
こきり、と首を鳴らす。
「どんなもんなだろうな」
春という季節に似合う薄紅の花びら。その香りは柔らかく。
赤というものに神々が惹かれたのはその体に流れるものに似ているのからかもしれない。
ならば人々に流れる黒い血は闇夜に安らぐためのものなのだろう。
夜の海に二人で沈んでこのまま錆びてかたまってしまえば良い。
しっかりと指を絡ませて、唇を合わせたままの姿でいつの日か歴史から発掘されるように。
「桜は花だからパーツじゃないねぇ」
柔らかく、少しでも力を入れれば破れてしまう。
指先にじんわりと感じる水分は生命の根源たるもの。
「難しいな」
「紅茶の葉のように軽いんだ。でもねぇ……」
重なった手と暖かな紅茶の香り。
「私はお前と一緒に過ごせればそれでいいんだよ、アル」
あの時に彼の姿を写し取った護神像は、あの徐の心を忠実に再現した。
最も大切でその心の根幹たる者の姿。
彼女を守り強くもし、最大の弱点になる最強の防人。
「少し伸びたねぃ……」
細い指先が男の顎先を擦った。
身を乗り出して手を伸ばし、彼女の小さな頭を抱きしめた。
「あーったけぇ……きっと桜ってのはこんな感じなんだろうな……」
当たり前の日常がこんなに愛しいと思えるのはどうしてだろう。
君と離れていた時間を取り戻して、今度は新しく刻み始める。
「俺ともう一回、恋しようぜ」
彼の腕の中で瞳を閉じて。
「そうだね……今度は……」
「離さねぇし、離れんなよ」
「ああ……」






額の汗を拳で拭って、空を見上げる。
砂大根も順調に育ち始めその息吹は世界を走り回って行く。
足元の土を蹴飛ばせば感じる芽吹き。
巡る季節に思うは過去と未来への二つの憧憬。
「アルさん!!」
剣を背負って駆け寄ってくる少年の姿。
護神像アシャの防人だった少年は、少しだけたくましくなった。
「おお、レオナルド」
「御久し振りです。この間シオの奴が来たんですけど……ここには来てないんですか?」
わしゃわしゃと少年の頭を撫でる手。
彼の両親はもう亡く、その手は目を閉じれば父親のようにも感じられた。
「少しでかくなったか?」
「そうですね。復興もだいぶ進んで……この間はノールとミールが来ました」
「俺んとこにもアランが来たな。ロリっこ連れて。姐さんはどうした?」
護神像たちも今や有機生命体となり、それぞれの日々を過ごしている。
彼もまた最後まで残ったアールマティの残骸からの蘇生だった。
ゆっくりと培養液の中で育ち、最初に見た光景。
それは自分を見つめて涙を流す恋人の姿だった。
指先がガラス越しに触れあって、唇の動きだけ読み取る言葉。
この身体はたくさんの願いの上に構成されている。
「アシャは子供たちに行かないで!!って言われてしまって……シオのやつ、アールマティ
 連れてましたよ。いろいろと吹っ切れたんだろうな……あいつも……」
戦火の中で生まれた恋は、生死を別つせいか劇的に思えてしまう。
彼もまた一人の少女に淡い思いを抱いた。
しかし、その恋は憎しみの交ったもので今となってようやく昇華できたもの。
本当に大切な人は一番傍にいたのだから。
「カーフも見ましたよ。クシャスラに殴られてました」
「ああ、あいつは馬鹿だからな。あれくらいで丁度良いんだ」
風が前髪を掻き上げる。
「アル!!お茶がはいったよ!!」
「うーい!!レオナルドが来てんだよ!!」
その声に白衣の美女が顔を覗かせた。
胸元のリボンは相変わらず優美で古の字は健在というところだろうか。
「賢者ヨキ」
「その呼び方はやめておくれ。私はこの村の医者だ」
アルの隣に並らべば、どうしてもあの日の光景を思い出さないわけではない。
それでもあの殺意の滲み出た表情はもう無く、穏やかな女がそこに居るだけ。
「ヨキ、シオのやつあちこち回ってるみたいだぜ」
「ここには来ないのにねぃ……お前に似たから放浪癖が発病したんだ。まったく……」
ため息交じりの女にあれこれと言い訳する姿に思わず吹き出してしまう。
賢者と最強と謳われた防人がこんな会話をするとは誰が思うだろうか。
頬を撫でる風の温かさ。
「……春……だな……」
想像してたよりもずっと騒がしい毎日。
それはたった一人の少年がかなえた願い事。
もうこの世界に神様はいない。
「アル!!いい加減にしろ!!」
勢いよく女の左拳が男を殴り飛ばす。
数メートルは吹き飛ばされただろうか。
起き上がって彼は暢気に埃を払っている。
「……いつも、アルさんにはああなんですか?」
「言っても分からないからね。そうそう、護神像にだってそんなプログラムは残ってるはずだよ?」
「うわ!!だから俺アシャから説教されるんだ!!」





春を思えば夢のようで。
夢ではなく現実に変わり始めた未来と過去。
「プラちゃん、どうしたの?」
本来この世界ある筈のない機械生命体は少女の膝の上で訴えるように手を動かす。
「プラちゃん……私ね、学者になるの。そして、シオ君やレオさん……みんながあんな
 思いをしなくていい未来を創るお手伝いをしたいの」
少女はやがて古い文献に名を残すことになる。
「プラちゃん、一緒に来てくれてありがとう」
神様だらけの世界に神様はいない。
埋没してしまう気持ちとあれは夢だったのかもしれない、そんな考えを打ち破る存在。
少年の願いは全てを変えて叶えてしまった。
それは神と呼ばれた少女の運命を言うものを変えて、再び神としての存在を促す。
もう逢うことはなくても彼女は本当の意味でワークワークの神になっただのから。
「いっぱい勉強して、がんばらなくちゃね」
旧型の携帯電話から遥かなる未来に送られるメッセージ。




私は今日も元気です。
みんなも元気ですか?
桜がとっても綺麗です、プラちゃんも喜んでます。
いつか……また会えると良いな!!






11:37 2009/03/17

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