◆プラネタリウム―痛みに耐えるけど、快楽には耐えられない―◆




耳に届くのは誰かの優しい歌声。
遠く離れていても、君は笑っていたから。
泣くほどの恋で二人で溺れたあの日々が今も眩しい。
君に出会えたことが幸せで悲しく美しかった。



「子供って、あっという間にでかくなるんだな」
腕に息子を抱いて、男はのんびりと視線を女に移す。
護神像を駆って世界を飛び回る防人の、一時の休養。
「お前はいつまでも成長が無いけれどもねぃ」
入れたてのコーヒーが二つ。カップの淵が触れ合って小さなキスを。
隣に座る女の手が、男の頬の傷をなぞる。
真新しいそれはまだ乾いておらず、ほんの少し力を入れただけで体液が流れ出してしまう。
「手、真っ黒んなるぞ」
「医者が血を見るのをためらったら終わりだろう?アル」
触れただけで痛みが引くようなこの気持ち。
その指の柔らかさは女であることと彼を愛するからこそ。
「白い指、汚すことはねぇかなってさ……」
男は時折そんなことをつぶやいて、遠くを見つめる癖があった。
その瞳に写るのはどんな未来なのだろうか?
「シオも、幸せになるんだぞ。俺みたいに生きるなよ」
きっと、息子も誰を愛しそのために命をささげるだろう。
そんな不安が彼にはあった。
君の行く道を最後まで見届けることは、おそらくは不可能で。
それでも君に流れる己の血を大事にしていたいというこの気持ちも嘘ではない。
裏返しのこの気持ちはきっと、赤い血を持つ神も感じたことなのだろう。
人間と神に何の隔たりがあるのだろうか。
「なぁ、ヨキ」
その手をきつく握った。
「辛かったか?二千年間」
その瞳の色をどうやってこの記憶から消したらいいのだろう。
見つめられるだけで動けなくなるのに。
「…………たくさんの仲間が散っていった……あっという間だったのかもしれない……」
寂しいと叫ぶこの魂が、自分たちが独立した生命体だということを証明する。
誰かの人形のままだったあの日はもういらない。
はらはらとこぼれる涙。
機械仕掛けの花は散るらむ。耳元を吹き抜ける風のように。
手を伸ばして触れることのできることがどれだけ幸せなのかを考えるための時間。
「愛してる。この先どんな風になっても、俺がガラクタになっても……この世界を
 捨てても神を殺しても……お前だけを愛してる」
何も繰り返されるのは悲しいほどの愛の言葉。
幸せになれないからこそ、言葉だけでも君に届けたい。
「アメシャスプンタ……悲しい言葉だな」
君のその手が離れてしまうその前に。
伝えたい言葉を喉の奥から。







作っては壊す砂の城。
それは人の一生にも似ていて悲しい虚ろさ。
ふらりと現れた男はまたどこかへ行ってしまった。
それを止めるだけの力は自分にはなく、彼はこの世界に愛されてしまった選ばれし者。
「シオ、今度はどこに行く?七の村以外だけどな」
この思いは風に乗せて、あの人の元まで届くだろうか?
ガラクタの神様に支配されたこの世界で。
『アル、あなたにだって幸せになる権利はあるんだよ』
護神像の声に男は小さく笑うだけ。
「なぁ、アールマティ……俺はどうでもいいんだ。ヨキが苦しくない世界になってくれれば……」
君をこの小さな籠に閉じ込めることはできなかった。
君はそれを望んだとしても。
その羽は遥か高みを目指すためのもの。
明日君が自分を忘れてしまっても、君を愛してるから。
「俺は最後、お前の中で朽ちるんだろ?」
『ああ、そうだよ』
「俺、ヨキの腕の中で死にてぇな……ヨキのためなら死ねるから」
この命はきっとあなたに出会うために生れ落ちてきた。
何千年前から決められていたならば。
「アールマティ」
『なんだい?』
「機械に心臓があるだろ?同じように機械にも恋人がいるのかもな」
彼の言葉は彼の血を継ぐ者に。
腕の中で寝息を立てる小さな魂はまだ未成熟過ぎて。
砂の上に残す足跡のように、人の寿命は短く消えてしまう。
「真っ赤な月の下でさ……」
涙が見えないように上を向いて歩こう。
君がいないこの空間でも、君が困らないように。
「一番好きな女とキスできたんだ。それ以上望んじゃいけないよな」
頼りなかったから二人で走ってきた。
今度は離れ離れになって一人で生きていく番。
痛みを抱えて生きていくことも、快楽におぼれてしまうことも。
根本にあるものは何も変わらない。
「アル!!」
耳に飛び込む声に足が止まる。
誰よりも聞きたかったその愛しい音色。
「……なんで、お前がいるんだよ……」
風に揺れるローブと黒髪。結ばれたリボンは祈りの記。
「……ヨキ……っ……」
震える唇と零れ落ちる涙。
彼の左手は何も変わることなく自分の頬に触れた。
「一緒に、一緒に行く……行けるところまで、一緒に!!」
立ち止まる後悔はもうしたくない。
だからこそ、同じように君のためにこの命をかけよう。
君のためなら死ねるというのは彼女もまた同じなのだから。
「何度でも言うよ、アル……私もお前を愛してる……」
「ばっかやろ……んなこと知ってるよ、ヨキ……」
いつも一緒に居た。隣で笑っていた。
それが当たり前だと信じていたあの日と何が違うのだろう?
この手が、その声が、自分を求めてくれる。
一本の煙草を二人で吸ったことも。
その煙の苦さに咳き込んで笑いあったことも。
初めてキスをした夜も。
あのときからずっと二人だった。






機械の山の中から顔を出す男と、小型の銃で浮遊物を打ち抜く女の姿。
防人が二人並ぶことなどあまりないこと。
「油まみれだよ、アル」
「すっげ気持ちわりぃ……この先にオアシスあったと思うんだけどさ」
荷物の中から地図を取り出して二人で覗き込む。
ぐるりとまわれば近場にオアシス。
少しだけ歩けば伍の村へ。
「悩むな」
「悩むねぃ……でも、凄い匂いだ」
べっとりとつなぎを汚した黒い液体はお世辞にも綺麗なものではない。
「汚ねぇ男は嫌われるよな。オアシスで決定!!」
「シオもぐずりはじめたからねぃ。それでオケイ」
この足跡さえも愛しいと思えるように。
君の隣にいられることを誇りに思う。
あの日、目覚めてしまったたった一人の人形の自我。
それは今や世界を生み出すほどになった。
狂っていたのは自分たちだったのか古の神々だったのか。
いや、この世界には神など初めから存在しなかったのかもしれない。
人はただ寂しかった。
だから同じ形をしたもう一人の人を作った。
原始、アダムの肋骨から女を生み出したように。
いつになってもこの世界から恋は消えることなどない。
「あ、あそこだ!!ヨキ、早く行こうぜ!!」
この手を引いてくれる誰かの存在。
幸せの歌を歌いながらどこまでも進もう。
どこだって地の底だって君と行くから、素敵さ。
古びたラジオから流れるそんな歌がやさしい。
「待って、アル!!シオが起きてしまうよ」
ありきたりな恋をしよう。
愛し合って、一緒に背伸びして明日をつかめるように。






それから何度季節は巡っただろう。
赤子は立派に意思を持つようになった。
危惧することが少なくなったのか、男が七の村にくることはめっきりと少なくなった。
いや、機械たちの反乱が多発し始めてそれどころではないのが実情だ。
ヘッドゴーグルに刻まれた皹と傷だらけの身体。
「とーちゃん、それなんすか?」
半円球の中に浮かぶ光の玉。
それは小さな図形を描くようにして星の瞬きを映し出す。
「んー……見よう見まねで作ったんだけどな」
「綺麗すねー……お星様……」
本で見た星座を準えて男は思いを紡いだ。
星座の片隅、実在しない星の位置をひとつ加えて。
この小さな星に君の名を付けよう。
一番やさしいこの星の名前は自分しか知り得ることはない。
(なぁ、ヨキ…………おれたちはいつまでたってもかわんねぇなぁ……)
君を閉じ込めたいと何度願っただろう。
そのやわらかい首に手をかけて、その命を絶ってしまうように。
「とーちゃん、このお星様はなんて名前?」
「んー……この星の名前はとーちゃんだけの秘密さ」
いつか君が大人になって守りたい誰かが生まれたならば。
きっとそのときにこの星の名前をもう一度問うだろう。
願わくば、その姿を見れますようにと星に祈る。
君の名前を付けたこの、一番まぶしくやさしい星に。





写真の中の君はいつも笑っていて、くじけそうなときに叱ってもくれない。
それでもその残像すらなかったらどうやってこの日々を過ごせただろうか?
耳元で囁く「愛してる」の心地よさ。
それはきっと君の声だったからに他ならない。
(アル……今頃どこにいるんだい?)
どんなに遠く離れても、この瓦礫の街から君への思いを。
立体映像でロケットから浮かぶ姿は、今にも動き出しそうで胸が苦しくなる。
離れていても気持ちは変わらない。それは真実だった。
けれども。
その手を、声を、鼓動を知ってしまった。
今や君無しでどうやって生きていけばいいのだろう?
(元気でいるかい?ちゃんとシオの面倒を見てるかい?)
七の村は自衛団が強固で防人の力を借りることは少ない。
事実、アルが来なくなってから訪れた防人はアラン・イームズのみ。
護神像フォフ・マナフを駆り、宙を舞う。
その彼にしても男の行方は知らないとのことだった。
「ヨキ先生ーーーーーっっ!!!!機械の群れが!!!!」
「わかった!!すぐに行く!!」
弓矢を持って外へと駆け出す。
医師としてよりもここ数年は守衛としての役割のほうが強くなった。
機械の心臓を狙い定めて打ち込むパナームの矢。
砕け散る爆音に耳を塞ぐ。
「!!」
「先生っっ!!上ーーーーーっっ!!」
巨大な機械が女の頭上からその腕を伸ばす。
至近距離からの矢に効力は無く、女は静かに瞳を閉じた。
「………………………」
みしみしと聞こえてくる機械の悲鳴に、そっと目を開ける。
「じゃーん♪カッコヨク正義の味方登場♪」
「……アル……っ……」
「ほれ、シオ。ヨキ先生とあっち行ってな」
どんなに離れていても彼はいつも自分の声を聞いている。
まるですぐ隣にでもいるかのように。
「恋人のピンチには必ず来るもんさ」
その横顔が前よりも精悍になっていて、時間の流れを感じさせた。
いつだって男は女を守ってきた。
それは自らの肋骨から女を生み出したときに定められたことなのかもしれない。
ナノから生まれた有機生命体。無機質をも取り入れながら自分たちは生まれてきた。
そのときもきっと、先に生まれたのは男だったのだろう。
心臓を噛み砕き、護神像と分離する。
夢でもない君がそこにいる。
「ただいま」
「……おかえり……っ……」





君の声が呼ぶから。
君のところに間違えずにいける。
君を忘れないように。
あの星に君の名を付けた。





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22:31 2007/03/22

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