◆Strawberry Moon―悲鳴を唇で覆って消すのは残酷?―◆




「おい、なんだそれは」
「アールマティーっていうの。よろしくネ♪」
裏声でアルはそんなことを口走る。
「だから、なんでお前が護神像を持ってるんだと聞いてるんだ!!」
「お前、興奮してしゃべると高血圧で血管切れて死ぬぞ?」
ヘッドゴーグルを直して、煙草に火を点けて。
「譲り受けた。先の防人から。大地の護神像アールマティー。俺の相棒だ」
まるで祈るようなその護神像はアルの隣にふわり、と浮かぶ。
咥え煙草の青年は、ただぼんやりと灰色の空を眺めるばかり。
大地の防人として、彼はこの先ずっと自分の命が尽きるまで人を守らなければならない。
「カーフ」
「何だ」
「重てぇ……護神像を引き継ぐって事がさ……」
他人のために全てを捧げる。
それが防人の務め。
彼の手の甲にはしっかりと防人としての印が押されているのだ。
献身と敬虔の名を持つ護神像を従えて、この先の残りの日々を生きる。
それがどれだけあるかとう確約など無い。
一分後には死んでいるかもしれないのだから。
小さなボルトが、掌で何かを囁く。
このボルトのように、自分も明日には朽ちているのかもしれない。
この砂漠に朽ちることさえ許されない身体。
預言者の声が脳内でこだまする。
頭を振って打ち消して、来るはずの明日が見えないままでいた。





「アル、一体どこに行ってたんだ?心配したよ」
ぱたん、と閉じる扉。
護神像を引き継いでから、男はどこか思い悩んだ表情を見せることが多くなった。
ベッドに腰掛けて、俯いたまま。
「アル」
「……ヨキ……俺、いつまで生きてられんだろうなぁ……」
それは、彼の正直な気持ちだった。
機械に食われるのか、護神像に食われるのか。
土に返れることだけは、叶わない。
「馬鹿なことを……アル、お前はそんなに弱くは無いよ」
「死んじまったらさぁ……もう、ヨキとキスできねーじゃん……」
触れることも叶わない。
どれだけ手を伸ばしても、抱きしめることすらできないのだ。
死というものを間近で考えたことなど無かった。
精々ありきたりな老後が待っているものだと思っていた。
喧嘩をしながら、ひたすらに日々を甘受する生活。
けれども、それは一転して先の見えないものに変わって。
憂鬱と不安は蝶を織り成し。
それが目の前でひらひらと羽ばたく。
「馬鹿……」
「大事だろ。俺、お前のこと愛してんだもん」
あなたの唇に触れて、あなたの盾になりたい。
できるだけその唇が、悲しい言葉を紡ぐことが無いように。
その言葉を封じる優しいキスをして。
「守れってんなら、守るさ。人だって、誰だって。けど……」
力なく笑う唇。
「俺が守りたいのは、お前だけなんだ……」
護神像は、願いを叶えるという。
彼の願いはただ一つだけ。
彼女を守り、その傍に居たいということだけなのだ。
他に、何も要らない。
「……ヨキ……」
抱きついてくる男の表情は見えないはずなのに。
どこか泣きそうなのが、はっきりと見えた。
その背を抱いて、肩口に顔を埋める。
「俺が死んでも、俺のこと忘れないか?」
「……忘れるわけが……ないよ……」
「……ん……」
少しだけ、強く抱かれて。
同じように、背中を抱きしめる。
嗚咽を噛み殺すかのように、彼は彼女を抱きしめた。
「アル」
少しだけ身体を離して、頬に手を当てる。
同じ色の瞳の目線が重なって、小さく微笑む。
掠めるように、触れた唇がほんのりと熱い。
乾いた音を立てて、ゆっくりと離れた。
「泣かないで……アル……」
「泣くわけねーだろ……俺、男だもん」
痛いのは、声無き悲鳴。
心の中で繰り返される言葉は、喉で痞えて発せられることはない。
涙を流せないことのつらさ。
言葉は、発することで束縛を解除してくれる。
しかし、胸に溜めればいつまでもその鎖で縛り付けるのだ。
「嫌だったら、嫌と言ってもいいと思うよ、アル」
「……んー……」
自分たちはめぐり合ってしまった。この砂の世界で。
確かなものは、こうして感じられる体温と息。
すれ違うだけの日々ではなく、自分の手で掴み取ったもの。
「アル」
襟元を掴んで、軽く引き寄せる。
軽く唇が触れて、静かに離れた。
「外に行こう、アル」
珍しく、彼女が彼の手を引いて扉を開く。
うなだれたままの彼を連れて、砂丘の一番高いところを目指した。
砂の海から浮かぶ、熟れた苺の月。
男の身体を抱くように支えて、その月を眺めた。
「アル、月が綺麗だよ」
「んー……だな……」
子供をあやすように、背を摩る白い手。
ぽふぽふと優しく叩いて、抱き寄せられる。
「アル」
「んー……?」
「お前は、私のことが好きかい?」
こくん、と頷く姿。
「私もお前が好きだよ……アル」
耳に響くのは、煙に溶けてしまうそうな愛の言葉。
たった一つ、この世界で信じられるもの。
「お前となら、心中しても良いって言ったのは、嘘じゃないよ」
絡ませた指先。
きゅん、と伝わる互いの気持ち。
心の欠片をキスで分け合えるから、人は誰かのために強くなれる。
「ヨキ」
「ん?」
「俺も、お前のこと好きだ」
その日、初めて見た笑顔は少しだけ疲れた優しい笑み。
ふわりと漂う護神像を一撫でして、ヨキも同じように笑みを浮かべた。
「アールマティー、ちっと向こうに行っててくれや」
護神像を少しだけ遠ざけて、アルは女の肩を抱き寄せる。
触れた肩口から、伝わる温かさ。
砂漠の中で見つけた本当の気持ち。
「綺麗だよなぁ……」
「まるで蕩けそうな苺だ」
「いや、お前がだよ。ヨキ」
耳に触れる唇と、閉じた瞳。
額が触れ合って、そっと離れる。
甘い甘い、二人だけの空間。
「ふふ、いつものアルに戻ったね」
「んじゃ、いつもの俺らしく……」
きゅ、と鼻先を摘む白い指。
「調子に乗るな」
「俺が乗りたいのはヨキだけだって何回も言ってるだろ?」
笑い合えるこの時間が、愛しくて、自分たちを縛り付ける。
この手を離すことなど、どうしてできようか。
「ヨーキ」
寄せられる頬。
「好っっっきだせぇっっ♪」
「分かったから離せ!!それから、髭くらい剃れ!!」
「髭も込みで愛して♪」
「痛い!!アルっっ!!」
「はぁ〜〜〜〜い。何かなぁ?ヨキ〜〜〜〜」
君の事を、忘れたりはしないから。
君の言葉だけが、自分にとっての真実。
この血の色が、罪だというのならば。
どこにでも二人で堕ちて行こう。
「俺、お前を守れるんならそれでいいよ、ヨキ」
君を好きで、君のが望むなら、君のために。
この世界を守ろう。
数え切れない人間の中に、君がいるから。
「ヨキ」
舐めるようなキスを繰り返して、互いの身体を抱きしめあう。
そのままゆっくりと唇は下がって、ボタンに指が掛かる。
ぱらり…落とされる上着。
白い肌に、浮かぶ月の赫色が描く淫猥な艶色。
「ここで……?」
「ダメ?」
肌に吸い付いて、小さな歯型を刻み付ける。
「…ァ……っ…」
半裸の身体が、男を誘う。甘えたいなら、ここまでおいでと。
「……ちっ……邪魔が入りやがった」
ヨキから身体を離して、アルは斜め後ろを見やった。
砂の中から這い出るように現れた機械の頭先。
「アールマティー!!合体だ!!」
護神像を纏い、男は砂を蹴る。
躊躇う事無く左手でその心臓を掴み取り砕く。
ぐちゃりと生暖かいのは、それが命を伴うからなのか。
「!!!!」
ずきん。走る激痛。
頭を抱えるようにして、ヨキはその場に座り込む。
耳に響くのは機械の断末魔の悲鳴。
「う…あ……あ!!」
心臓を直に掴まれ、締め上げられるような感覚。
(……機械の……痛み……?)
「ヨキ!!」
合体を解いて、アルが駆け寄ってくる。
抱き起こして、身体に纏わり付く砂を払いながら心配そうに覗き込む黒い瞳。
「顔、真っ青だぞ。大丈夫か?」
「あ……ああ……平気だよ……」
額に浮かぶ汗を拭って、呼吸を整える。
それでも、この動悸は治まりそうに無い。
(君は、黒き血の賢者。いずれ我らと共に動くこととなる)
脳内をよぎるのはキクの言葉。
(私が……賢者……?)
落ちる汗が、感覚を呼び覚ます。
「ヨキ?」
「……アル……」
男の胸に顔を埋めて、ヨキは目を閉じた。
「何があっても、私を離すな」
その言葉の意味を理解してしまうことは、キクの存在を認めてしまうことだった。
「当たり前だろ。絶対に離さない」
震える身体を抱きしめて、同じように瞳を閉じる。
この恋を抱きしめて、離さないと決めたのだから。
「例え誰が相手でも、絶対に」
二人が不幸だったのは、その運命に魅入られてしまったこと。
そして、幸せだったのはその運命を見据えることができたこと。
(機械の賢者……だったらその心臓、抉り出してやる……)
痛むのは、胸の奥。恋人と共に居る限り、悲鳴は彼女を締め上げる。
その痛みを抱いても、二人でいたいと願う気持ち。
護神像が願いと祈りを溜めるための器ならば。
この心を、全部閉じ込めてしまいたかった。
「ヨーキ、泣かない、泣かない。綺麗な顔がぐちゃぐちゃになるぞ?」
涙を払う指先の優しさ。
舌を絡ませて、温かさを分け合うための接吻。
「大丈夫、アル様が全力で守ってみせっから」



手を繋ごう。手を。
ずっとこうして居たいから。
お願い―――――強く抱きしめて。
もう、泣かなくていいように。





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1:26 2004/11/26

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