◆車輪の歌―無理やり犯し尽くせば―◆





雑音交じりの路地裏は、なぜか心が安らぐ。
だから、彼は一人でここを訪れたのだ。
さび付いた車輪が糸巻きのように回るこの部屋。
「アル、久しぶりだのう」
「おやっさん、生きててくれて何よりだ」
「この間機械は一掃したからな。ここもちったぁ安全になった」
老人はからからと笑う。
「物騒になったよなぁ。昔はもっと歩きやすかったのに」
「俺がお前くらいのときはもっと歩きやすかったがな」
皺だらけの手が、アルのそれに触れる。
小さなボルトを握らせて、離れた。
「?」
「昔、俺が若かったころの記念品だ。老い先短いからな、お前にくれてやる」
護神像を従えた男は、糸巻きに絡んだそれを指で弾く。
規則的に動く糸は、まるで世情のよう。
「まぁまだまだ俺も現役で行けるだろうけどなぁ」
「おやっさんには勝てねぇよ」
深い皺は、重ねた年輪の美しさ。
この男のように老いて行きたいと、アルは感じていた。
護神像を従えてのらりと機械を追い払う姿。
誇示することも、誇張することも無く男はそこに居るのだ。
人を守る存在として。
「しばらく居るのか?」
「いや、二、三日にした出発するよ。蜘蛛の糸を目指すんだ」
「難儀だな。そいつは」
「けどさ、惚れた女を守るのは男の役目だろ?あんたも良く言ってたじゃねぇか」
アルの頭に手を置いて、男は目を細めた。
「そうだな。それが男だ」
「だろ?」
糸は時間を刻みながら、ゆっくりと紡がれていく。
アルを見送って、男は傍らの護神像に笑いかけた。




「こんにちは。ご機嫌の程は?」
「失礼だが、貴方は?」
伸びた髪が、ゆらりと風を生み出す。
「私はキク。参賢者の一人。黒き血の賢者、ヨキ」
「何故、私の名前を!?」
指先が額に触れる。
「ぁ……!!あああああっっっ!!!」
体中に電流が走るかのように、痺れが広がっていく。
キクと名乗る男の指先から。
「これで、じきに思い出すよ。ヨキ」
指先が離れて、形の良い額に残された小さな封印。
「……ぅ…ぁ……」
男の唇が、掠めるように触れて。
そして、次第に深く重なっていく。
無機質の瞳は閉じることなく、苦悶の表情の女を見つめたまま。
規則正しい数字と螺旋系、そして何かの欠片。
流れ込んでくるそれは深まるごとに痛みが増していく。
「アアアああっっ!!!」
「ヨキ」
だらりと投げ出された腕。
血の気の失せた顔。
「さぁ、あなたの役目は?」
「……私…の……役目……?」
舌先が唇の線を丹念になぞり上げる。
「そう、あなたの役目」
耳の奥で何かが回り始める音。
「ヨキから離れろ」
低く響く声。
「おや、予定よりも早く来たね」
「?」
「アル」
「……なんで、俺の名前を……」
生まれた疑問符に、暇も与えずにキクの声が直接脳内に響く。
「みせてもらったよ、全部。彼女から」
キクの腕の中、ぐったりとしたままのヨキを奪い取って。
「君と、彼女がどんな間柄なのかも」
「……失せろ、変態が」
「おや?私と君はこれからも顔を会わせることになるんだよ?大地の護神像の防人」
意味深な言葉と笑みは、心をざわつかせる。
何よりもキクの声は耳ではなく、脳内に直接響いてくるのだ。
ずきずきと痛む耳を片手で押さえ、アルはキクを睨んだ。
「お前が何だろうと、関係ねぇよ。俺のヨキに酷い事したっての以外」
いまだ目覚める気配の無いヨキを抱いて。
青年は宙に浮かぶ男を目線だけで威嚇する。
「私はキク。機械の賢者。君が抱くその人は」
雑音交じりの声は、まるで壊れた蓄音機。
形の良い唇が、ゆっくりと歪む。
「黒き血の賢者、ヨキ」
「ふざけんな、ヨキはガキのころから一緒だったんだ。賢者とか言う奴じゃねぇ」
「いずれ分かるよ。君も、彼女の傍にいられるようにしておいた」
言葉の一つ一つが、神経を刺して眉を寄せさせる。
「また、会おうか。アル」
唐突な言葉を残して、キクの姿は一瞬で消えてしまった。
残されたのは行き場の無い感情。
唇を噛んで、アルは天を見上げた。






「目ぇ、覚めたか?」
最初に視界に飛び込んできたのは、見慣れた男の顔。
そして、一番安心できる恋人の心配しきった表情だった。
「ああ……酷く頭が……」
手を貸して、その身体を抱き起こす。
汗ばんだ肌と、乱れた黒髪。
どこか憔悴した表情と、力の抜けた四肢があの出会いが夢ではないことを互いに知らしめた。
「ヨキ、キクに会ったよ」
「!?」
「わけわかんねぇこと言ってさ、賢者とか防人とか」
この街を守る防人は、まだ健在だ。
先刻ものどかに近況を伝えたばかり。
その傍らには、ふわりと漂う護神像も確かにいた。
「馬鹿みてぇ。黒い血の賢者だとか」
「キクの事を悪く言うな!!」
それはとっさに出た言葉。
何かが、あの男を守るために発動したのだ。
内蔵されたプログラムが、キーワードで解除されたように。
「……そんなに、キクって奴が大事?」
掴まれた手首が、じんじんと痛む。
穏やかだった瞳は、瞬時にきつく変わった。
「だから、キスされた?」
「ち、ちが……」
「何が違うのか言ってみろよ」
ぎり、と捻り上げられた細い手首。
痛々しいまでに白く、悲鳴を上げるかのように軋む。
「ヨキ」
無機質な声が耳に響く。
それは静かに、感情を殺した声。
「しよーぜ、セックス」
抵抗できないほど、静かにベッドへと倒される。
本当の恐怖を感じるとき。
悲鳴など、上がりはしないということ。
そして、ただ、されるがままになるしかないということを。
ゆっくりと服を脱がされ、外気に晒される柔肌。
「邪魔だな、手」
鈍く光る手錠が、彼女の動きを封印した。
伸びた鎖がベッドの端に繋がれ、もがけばもがくほど痛みが走る。
「アル!!」
「すっげー、綺麗。ヨキ」
首筋に触れる唇。ぎり…と歯型が付くほど強く噛まれて。
うっすらと滲んだ血の黒。
型通りの愛撫。冷たい指先。
「やっぱ濡れねぇな……薬使うか」
細いゴム状のチューブを取って、ヨキの腕を縛り上げる。
鞄の中から取り出したのは銀色のケース。
親指で蓋を押し上げて、中身を取り出す。
「や……嫌だっ!!」
取り出された注射器に、竦む身体。
じゃらじゃらと手錠が錆びた悲鳴を上げる。
何も言わずに針先をライターで炙って、小瓶の中の液体に沈めていく。
ぎりぎりまで吸い上げて、銀の口が女の肌に触れた。
「やだ!!アル!!やめて!!」
「暴れると、針折れっぞ」
ぷつ…沈む針先。血管の中に流れ込んでくる異物の感触。
全部抽入して、同じように男は己の腕を縛り上げる。
チューブの先端を咥えて、浮き出た動脈に針先を沈めて。
湧き上がる甘い眩暈に、小さく笑った。
「んじゃ、続けっか……ヨキ」
膝に手を掛けて、脚を大きく開かせる。
ふ…と掛かる吐息だけでもどかしげに腰が揺れた。
柔らかい恥丘をなぞる指先。周辺を撫でるように指が這う。
とろとろと零れだす愛液を無視して、焦らしながら。
「…ふ…ぅ…ッ!…」
声を出すまいとして、強く唇を噛む。
口中に広がる鉄を砕いた味。
流れ出た体液は腿を伝ってシーツへと零れていく。
それを目を細めてアルは見つめていた。
「ア!!」
ぴちゃり…舌先が濡れきった秘裂に触れた。
太腿に指を掛けて、丹念に舐めあげていく。
奥から溢れてくる愛液に濡れる唇。
花弁を飲み込むように、唇全体で包み込む。
「あああっっ!!」
声一つ掛けずに、続けられる愛撫。
身体は残酷にも反応してしまう。
嫌だ、と頭を振っても意味を成さない。
それでも、一番触れて欲しい場所には触れてはくれないのだ。
「……ふ…ぁ……」
ぬらぬらと光る糸を従えて、唇が離れる。
親指で唇を拭って、それを断ち切った。
全裸のヨキと対照的に、アルは上着一枚脱いでいない。
「前だけ開けりゃ、十分だろ?淫乱娘」
見下すような視線と、吐き出される言葉。
違うと否定しようにも、身体は反応してしまう。
つぷ…先端が入り口を捉えて沈みこむ。
肉襞を押し広げながら、それはゆっくりと奥を目指す。
「あ!!あぁんっぅ!!」
腰を抱いて、ぐい!と引き寄せる。
根元までくわえ込ませて、ぐりぐりと腰を動かせば絡むように内壁が締め付けてくるのが分かった。
互いに薬の効果も相まって、普段よりも神経が鋭敏に。
それでも、男は眉一つ動かさずに腰を規則的に進めていく。
ぐちゅ、ぎゅぷ…構ってくるのは淫水の音。
「…ひ…あ!!あ!やぁ…ッ!!」
ぶるぶると揺れる二つの乳房。
尖った乳首に吹きかけられる息だけでびくびくと肩が揺れた。
「嫌!!アル…ッ!…や、やだ…っ!!」
「だったら腰なんか振らねぇこったな」
「違っ…んんんっっ!!」
もがく指先は、むなしく宙を掴むだけ。
ぽろぽろと零れる涙が頬を伝った。
それを払ってくれるはずの指先も、優しい声も。
酷く遠い場所にあると感じられた。
「あ!アルっ!!あああっっ!!」
この身体は人形なのだと思い込もうとしても。
間近にある顔が、それを許さない。
他人になりきるには、多くを知りすぎていて。
拒絶することができなかった。
何度も、何度も、解けかける意識を揺さぶられては引き摺られて。
「あ…っは…!!ああアアっ!!」
一際きつい締め付けに、ずる…と引き抜く。
「…ひゃ…ぅ…っ……」
飛び散る飛沫が、頬を、唇を、胸を、腹を。
白く汚していく。
「…は……ッ……」
荒い息と覚めていく体温。
同じように放心状態の女に視線を向けた。
体液に犯された身体。
(……別に、こんなことがしたかったわけじゃねぇ……)
「……アル……」
自分を呼ぶ、弱々しい声。
手錠を外して、赤くなったそこをなぞる。
「……何だってんだよ……急に出てきて、はい、そーですかってお前を渡せって言うのかよ!!
 賢者だか何だかしらねーけど、猫でも渡すみたいに渡せって言うのかよ!!」
生み出された感情は『嫉妬』と言う名。
「ずっと一緒に居たんだ、色んな所に行った。色んなものを見た。なのに、なのに……」
顔を覆って、アルは頭を振った。
ずっと、一緒にいられるものだと信じていた。
喧嘩をしながら、文句を言い合いながら、それでも手を繋いで。
重ねてきた時間はそれだけ大きなものだった。
けれども。
ほんの僅かな時間を過ごしただけの男を彼女は庇った。
まるで、恋人を庇うかのように。
「……ヨキ……俺、お前のためなら死んだっていい」
それは、彼が立てた誓い。
重すぎる言葉に、返す言葉が見つからない。
「……アル……」
さび付いた車輪のように、軋みながら心が悲鳴を上げる。
涙の雨に濡れているのは女ではなく紛れも無く男。
濡れた肩を抱きしめて、温めたいのに。
手を伸ばすことが、できないまま。
「……!?何だっ!?」
唐突に響く爆音と何かが崩れる音。
急いで服を着させて、アルはヨキの手を引いて外へと飛び出した。
「……なんて数だ……」
数え切れない機械が街中を侵略する光景。
その先頭で戦うのは護神像を纏った防人だった。
「ヨキ、早く逃げろ!!」
「アル!!」
駆け出す男に少し遅れて、女はその後ろに。
「おやっさん!!」
鉄パイプを持って、周辺の機械を跳ね除ける。
圧倒的な数の機械を押さえるには、彼は老い過ぎていた。
いや、それは最初から決まっていたことなのかもしれない。
誰かが敷いたレールのように。
「!!」
機械は防人を飲み込み、ばりばりと何かを砕く音が響く。
「アル!!」
「馬鹿!逃げろって言ったろ!!」
「アルがここに居るのに……私だけ逃げるなんてできないっ!!」
転がる武器を拾って、必死に応戦する。
背中合わせ、離れないように。
「ヨキ」
「何だ!?」
「俺と心中、それでもオケイ?」
飛び込んできたのは会心の笑顔。
「オケイ」
「サンキュ」
君のためなら、死ねるのは。
同じ気持ちだから。
二人でこのまま機械に飲み込まれて、噛み砕かれるのならば。
それも悪くないと思えた。
「ああっ!!」
ひゅん!と伸びた鉄の触手が女を縛り上げる。
「ヨキ!!」
「あ!…く…ぅ…!!」
細い首を締め上げるそれを、引き剥がそうとする。
後ろから襲い来る同じそれが、男を羽交い絞めにして。
それでも、指先を必死に伸ばしてどうにか呼吸だけでもできるようにとそれを掴んだ。
(…っぐしょう……!!俺がヨキ守んねーでどうすんだよ…っ!!)
『次の防人はお前か?』
頭の中に響く声。
「!?」
『我が名はアールマティー。大地の護神像』
「ご、護神像!?何でもいいからヨキを助けろ!!」
『その願い、聞き入れた』
アルの身体を光が包み込む。
脳内に流れ込んでくる記憶。
一番最後に見えたのは老いた防人の最後の姿だった。
(おやっさん……)
手を伸ばす。
指先まで流れ込む力。
「ヨキ!!」
左手が機械を引きちぎり、その核となる心臓を摘み取る。
ぐちゃり、と生暖かい液体の流れを感じながらそれを握りつぶした。
「……アル……っ」
身体から護神像が離れ、アルは大きく息を吸った。
「俺が……次の防人だってさ……」
「アル……」
細い身体を抱きしめて、男は目を閉じた。
電気仕掛けの預言者の言葉は、成就されてしまったのだ。
「蜘蛛の糸、行こうぜ……あの男、ぶちのめす」
大地の護神像、アールマティー。
防人のアル。
黒き血の賢者ヨキ。
機械の賢者キク。
絡まった糸は、きりきりと心を縛り上げる。
運命を蹴り飛ばして女の肩を抱いて。
男は曇った空を睨み付けた。



この運命は降りしきる雨のよう。
その色は――――――黒。



  

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22:48 2004/11/21

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