◆CLASSIC AVEの飛べない鳩◆
「とーちゃん、お疲れす」
荷物を降ろして、男は首を捻る。
「ん?これがとーちゃんの仕事だからなー。疲れてなんか、無いぞ。シオ」
防人として、人間を守る男を父に持つ少年。
明日には無いかもしれない命を武器に、男は村から村へと渡り歩く。
「でも、さっきの機械の群れはすごかったす」
「ああ。防人ってのはそれが仕事だから」
くしゃくしゃと息子の頭を撫でて、穏やかに笑う。
そう、笑えるようになるまでどれだけの時間を要しただろう。
男は素知らぬふりで旅を続けるばかり。
物心が付いた時から、彼には母親は存在しなかった。
それを補うように、父は息子に愛情を注ぐ。
生きとし生けるもの全てに対する恩恵。
砂の中で生きるものの宿命。
そして、防人と言うものの存在。
「とーちゃん、もれのかーちゃんてどんな人だったす?」
「んー……黒髪の綺麗な人だった」
男は多くを語らない。それとなく息子も察するのかあまりしつこく聞くことも無かった。
「シオももう、四つかー……俺もおっさんになるわけだ」
息子が寝付いてからだけ、男は煙草に火を点ける。
傍らでぐっすりと眠るこの命を守れるのなら、なんだって出来るような気がした。
口にするのは二本まで。
それ以上は匂いが残るから、と笑う姿。
防人と父親。どちらも消すことなど出来ない。
(シオ、かーちゃん欲しいか?)
片親を嘆くことはないように育ててきても。
(かーちゃん、恋しいか?)
埋められない何かを抱えて、二人は眠りに付く。
「シオ、ほらヨキ先生に挨拶」
「ヨロポコ」
深々と頭を下げることが出来るのは、彼の教育の賜物。
「幾つ?」
「うい。四つす」
柔らかい手が、擦るように小さな頭を優しく撫でていく。
「良い子だね、シオ。ゆっくりしておいき」
優しく微笑むその瞳。
(かーちゃんって……こんな感じす?とーちゃん……)
その指先の細さと暖かさに眼を閉じる。
母親が恋しいわけではない。
恋しいという感情すら、知らないのだから。
「眠くなったかい?シオ」
「うい…………」
言う間に、垂れ下がる頭。
「ヨキ、部屋あっちでオケイ?シオ寝かせてくるわ」
いつの間にか、男はすっかり父性を蓄えた背中に変わっていた。
その背を見て、少年は育つのだ。
おそらく、彼と同じような男に。
まっすぐと未来を見つめながら。
「やっぱ。母親居たほうがいいのかねー」
項垂れる男に、暖かなカップを差し出す。
ため息とミルクを溶かし込んで、口にしては再度項垂れる。
「まだ、小さいからねぇ。シオも」
「でも、かーちゃん欲しいとか言わねーの。なんか、それがかえってさ……」
男の手では、柔らかさまでは補いきれなくて。
寒い夜には、暖めるのが精一杯。
「ここに、ずっと居れれば……お前に母親になってくれって言えるけど、そうもいかねぇだろ?」
余程の理由が無ければ、防人が一つの村に在住することは無い。
それだけ、この砂の世界は凄惨たる空間なのだから。
「ちゃんと寝たかな?」
「私も行くよ。アル」
静かに扉を開いて、眠る少年を見つめる視線は二つ。
寝息と穏やか表情に生まれた笑みも二つだった。
「ちゃんと寝てる……良い子だね、シオ」
額に触れる指先。
「……かーちゃん……」
「……シオ……」
どれだけ強がっても、まだ四つの子供。
必死に頭の中で作り上げる母親の姿。
それでも、その顔だけが思い浮かばないまま。
「かーちゃん、欲しいか?シオ……」
指先を握る小さな手を、どうして振り解くことが出来よう。
「……ごめんな……とーちゃんだけで……」
もしも、たった一つ願いが叶うならば。
一瞬だけで構わない。この子に母親を与えて下さい。
「ヨキ、悪ぃ……もうちっとだけ、シオのかーちゃんやってくれないか?」
「構わないよ。私にとっても息子のようなものだから……」
彼と彼女の間には、重ねた時間がまだ残っている。
出来るならば、このまま時間を止めてしまいたい。
「かーちゃん♪」
「こら!!アル!!」
「シオのかーちゃんってことは、俺の嫁じゃんか♪」
いろんな壁を二人で乗り越えて、今の二人になれたから。
過ごした時間は、何一つ無駄ではなかった。
「俺もさ、かーちゃん恋しいよ。ヨキ」
ヨキの膝の上で、アルは目を閉じる。
額に触れる指の感触の心地よさ。
「キスしてくれや、ヨキ」
「恋しいのは……人肌だろう?」
「何千年生きても、変わんねーだろ。一人じゃ生きられねぇってのはさ……」
男に覆い被さるようにして、女の唇が触れる。
伸びた手が頭に触れて、より深くに。
「私の願いを知っても、お前は私の事を愛してくれるのか?」
「ヨキ」
息が掛かるほど、近付いて。
目と目が、重なり合う。
「俺にもっと力があれば、お前をあそこから連れだせるのにな」
「…………………」
「俺たちゃ、死ぬために生まれてきたんじゃない。この気持も、全部、自分で生み出したんだ。
プログラムミスでも、エラーでもない。俺もお前も、人間だよ」
この身体に流れる血の色が、自分たちの存在を否定する。
誰かに作られた生命体だと。
けれども、立ち上がって前に進むための力はある。
そして、誰かを護るための腕も。
「な、ヨキ。違うのか?」
「……………………」
「もし、この気持が間違い(エラー)なら、俺はガラクタのままで構わない」
目を閉じて、その背の翼で。
この灰色の空を飛べるのならば。
「私も、この気持が嘘だなんて思わないよ……アル……」
「ああ……」
だって、涙が流れる。
暖かい肌も、優しい声も、柔らかな祈りも。
これが、偽物だなんて思えない。
「キスしたいって気持ちは、俺たちの特権だろ?」
「そうだね……アル……」
身体を起こして、ヨキの顔を覗きこむ。
「俺は、ヨキの事愛してる。ヨキだってそうだろ?」
大きな手が、頬を包む。
「二千年とちょっと待った甲斐はあったろ?俺に出逢えたんだから」
「……アル……っ……」
「時期が来たら、俺も戦う。俺だって防人だからな」
「でも、私はお前とは……ッ!!」
「ヨキ」
この壊れ掛けた世界で、君と出会えた事。
それこそがきっと、自分に与えられた運命。
「続き、しちゃだめか……?」
どくん。胸を打つこの痛みとせつなさ。
これが、偽物だというのならば、この世界など要らないと思えた。
心細さを抱えて、この世界に生まれてきた。
「ヨキも、あちこち怪我してんな……」
少しだけ腫れた傷を、唇がなぞっていく。
「防人がいないときには、私が村を守るしかないから……」
包帯を唇で外して、肌を外気に晒す。
震えをかき消すように体を抱かれて、瞳を閉じた。
「俺、ずっとここに居てぇ……そんで、シオに弟か妹、作ってやりてぇな……」
押し当てられる唇の熱さ。
首筋に小さな跡を残して、ゆっくりと下がっていく。
「DNAなら、たぁーーっぷり提供出来るぜ?」
「私のした事を責めないのか?」
「責めたって、どうにもなんねぇだろ」
忌まわしきこの流れる血。
一握の望みを掛けて、彼女は策を練った。
必要だったのは、忠実なる駒と正確なシナリオ。
「……ぁ……っ…」
揺れる乳房に、ぢゅぷ…と吸いついて、細い腰に手を添える。
指先でその先端を摘んで、当てられる歯。
「…っは…!……」
両手で包み込むようにして、柔らかい乳房を揉み抱く。
「張ってんな……弓、合わなくなってきたのかも……」
どれだけ離れていても、些細な変化にも気付いてくれる。
自分でも分からないはずの事にさえも。
少しだけ日に焼けた、精悍な肌。
頼りなかった背中も、今は父親のそれに変わっていた。
「口、開けて」
開いた唇に自分のそれを押し当てて、舌を捻じ込む。
欲しいのは、唯一つのはずだった。
「んぅ……」
互いの舌を絡ませて、何度となく吸い合う。
ぴちゃ…離れても、まだ足りないと再び絡ませて。
薄かったはずの胸板も、いつの間にか逞しく変わった。
時間の流れとは、斯くも残酷で優しい。
「あ…アル、待っ……んんっ!!」
ぐりゅ、指先が膣口に入り込む感触に、身体が震える。
根元までくわえ込ませて、ぐい…と掻き回して。
湿った息が耳に触れるだけで、びくびくと肩が揺れてしまう。
「何を、待てって?」
意地悪な唇が額に触れて、ちゅ…と離れた。
「イキそうな、顔してんのに?」
違う、と揺れる首。
「……シオが……っ……」
「起きやしねぇよ。一回寝たら朝までぐっすりコースだ」
指を引き抜けば、追いかけるように体液が零れる。
膝に手を掛けて、ゆっくりと開かせて身体を滑り込ませた。
「――――ッッ!!!!」
内壁を隙間なく生めて、奥を抉られる。
収縮と微温。この身体は、紛れもなく『人間』のはずなのに。
「あ!!アルッ!!あ……んっ!!」
何度でも、何度でも、この願いの行方を。
「……俺……一人でも、蜘蛛の糸(あそこ)にはいけるだろ……?」
「アル……?」
「俺らは異分子(エラー)でも故障(バグ)でもねぇ。この世界で生きて、戦ってんだ。
誰かに従うために生まれてきたんじゃない」
震える手で、アルの頬を包む。
「だから、お前も俺を選んだんだろう?ヨキ……」
「……アル……」
「作られた者にも、意思が……あったんだから」
いつもよりも、優しいキスは。
この鎖を溶かしてくれそうな気がした。
「あ!!アんっ!!」
繰り返される注入に、追い詰められていく意識。
「行けるならば、どこまでも一緒に行こうぜ……ヨキ……」
誰に罪があるわけでもない。
彼と彼女の運命は未だに絡まったまま。
それを責める由縁も無い。
「なんつーか、ヨキ、痩せた?」
「そんな事もないよ」
腕の中でくすくすと笑う女を抱き寄せて、その耳朶をぱくり、と噛む。
「くすぐったいよ、アル」
「んーあ……俺も、かーちゃん恋しーな」
甘えたいとばかりに頬をすり寄せれば、細い指がそれを制した。
「アル」
「ん?」
「本気で、蜘蛛の糸に行くのか?」
「最終決戦はそこだろ?大丈夫、俺強いから」
別室で眠る息子と、同じ顔でアルは笑う。
それが、酷く胸を締め付けた。
「私とも、戦える?」
「それが、望みなら」
「この世界を…………」
「ヨキ」
大きな手が瞼を覆う。
「余計なもの、見んな。俺だけ見てて」
「もしも、もしもだけれども……願いが叶うのならば……」
薄い唇が、刻む言葉を。
彼は、最後まで忘れる事はなかった。
彼女も、彼以外を選ぶ事はなく。
細い糸が、二人を絡める。
そう、まるで蜘蛛の糸のように。
「アル……お前とシオと、三人でずっと過ごしたいよ……」
「と、とーちゃん!!あれ!!」
並んで歩く機械を指差して、シオは口を開く。
「かーちゃん機械と、子供機械だなー。いくぞ、シオ」
息子の手を引いて、反対の方向へアルは歩き出す。
「退治、しないす?」
「悪いことして無いだろ?それに、一緒に居るんだ。とーちゃんとシオみたいにな」
大きな手が、頭を撫でる。
この手は人間を、恋人を、そして―――息子を守るのだ。
「とーちゃん」
「ん?」
「もれ、おっきくなったら、とーちゃんみたいな防人になるす!!」
息子は父に、尊敬の念を抱く。
「そっか。とーちゃん、嬉しいぞ。シオ」
それは、父親にとっても誇らしいこと。
「さっきの機械は、きっと、とーちゃん機械と子供機械す」
「だな。家族、だもんなー」
並ぶ足音の大きさは、まだ不揃いでも。
いつの日か、同じようになると信じて。
「さて、日が暮れる前に寝泊り出来そうなとこ探すか。シオ、乗れ」
背中を指せば、息子はそこに飛びつく。
小さな身体を背負って、男は砂漠を大疾走。
「しっかり捕まってろよーーーー!!!」
「うい!とーちゃん!」
首にしがみつく小さな手。
「とーちゃん、もれ、かーちゃんいらねすよ」
「シオ?」
「とーちゃんと、ヨキ先生がいてくれれば、もれ、それがいい」
この子の見る未来が、色のないものであってはならない。
勝ち取るべき自由のためには、力が必要だ。
「そうだな。とーちゃんも、お前とヨキ先生と三人で一緒に暮らせるようにがんばるよ」
「うは」
「また、七の村行こうな、シオ」
羽を斬られた鳥のように、ただ自由に焦がれるだけの日々は要らない。
それぞれが、それぞれの願いを抱いて生きている。
(カーフ、アラン……あとヨキ……)
ざわつく風も、乾いてしまう。
(俺の狙いは……あの男だ。機械の賢者……キク……)
この罪は、ここで断ち切るべきもの。
子供にまで、足枷を付けてはいけない。
「シオ、とーちゃん頑張るぞー」
「うい!!がんばれー、とーちゃん」
月明かりの下で。
君の夢を見た。
いつでも、どこでも、どんなときでも。
君のことを思わない日などないから。
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23:15 2005/02/25