◆二千年のキス―優しい歌―◆




「アラン、どうしてもうあの機械は使わないって言ったの?」
胸元の紐を解く男の手を止めて、少女はその瞳を覗きこんだ。
「気になりますか?」
鼻先に唇が触れて、そっと頬に下がって行く。
舌先が何かを確かめるように口中へ入り込んで、舐めるようなキスを繰り返した。
「だって……」
ゆっくりと夜着を落として、少しだけ膨らみの増した乳房をそっと掴む。
「あれは、元々君一人を再生するために作ったんです。私の最初で最後の最高傑作
 でしょうね……まぁ、君は試作なので後付けで色々とかかりましたけど」
例え未完成でも一人で過ごすことにはもう疲れ果てて。
縋るようにその光を抱き締めた。
「まさか、子供まで授かれるとは思いませんでした」
「あたしもびっくりしたよー。でも、ちゃんと人間の身体になれたんだね」
柔らかい肌に指が触れて、そっと下がっていく。
幼い身体には不釣合いに膨れた下腹部が、もう一つの生命の存在を物語る。
「大事にします。一生掛けて」
「……待って。アルが起きた」
「え?」
「ラボに行かなきゃ。ヨキも……」
薄手の上着をもう一枚羽織って、マナフはアランの手を取った。
何かの異変に気付くのは、まだ彼女の方が格段に優れている、。
「……多分、彼女もラボにいますよ。あの人は私たちとは違いますから」
まだ肌寒い真夜中の真ん中。時計の針だけが狂おしいほどに、静けさを彩る。
大地を歩くことも、ナイフとフォークを使うことにも。
そして、自分が人間になったという事実にも、ようやく慣れてきた。
「アラン、待って……そんなに早く歩けないよ」
無意識に腹部に触れてしまう手。
それが、そこにある違う生命の小さな主張のようにも思えた。
「ああ……すいません。つい、急いでしまう癖が」
「あたしも早くアルに逢いたいけどね」
伸びた髪がくすくすと笑う。
けれども、彼にとって自分以外の男の名を耳にするのは本意では無い。
「それは、私よりもアル・イドリーシの方が良いということですか?」
眼鏡の奥で、寂しげに瞳が曇るのもまたこの二人の日常。
「どうして?あたしが好きなのはアランだけよ」
愛の言葉はどれだけ聞いても、心を完全に満たす事など無いから。
だからこそ、毎日に必要な物に成り得る。
「アルは、アランの御友達でしょう?マティもあたしの友達よ」
寂しいと叫ぶ声を受け止めた、たった一人の恋人。
小さな身体で、全てを包み込む。
「行こう。ヨキもまってる」





硝子越しに、重なる視線と痛む胸。
「……アル……」
指先が、近いのに遠い。
「ヨキ!!アル、起きた?」
こくん、と頷く女の手を引く。
「アラン、アル起きたよ」
培養液の中の男が、こちらに視線を投げて来る。
少女を後ろに従えて、青年は硝子箱の中の男の状態を確かめていく。
器は一瞬で再生できる。今まで何体も作り上げてきた実績がその証明だ。
「まだ、早いような気もしますけれども……本人が出たいと望むのなら仕方ないでしょう」
男を引き上げるための準備をしながら、アランは眉を顰めた。
「柔らかいの?」
「君と一緒です。引き上げて、身体が持つかの保障はありません」
「大変なのね。みんな良い子なのに」
二つに結わえた髪がふわんと揺れた。
「上げますよ、マナフ」
「はーい」
生命維持機能を解除して、男の手をつかむ。
確かな力強さで男は外界の空気を吸い込んだ。
「……やっぱ、身体があるっていいな!!ヨキ!!」
何一つ変わらない姿とその声。
止まっていた時間がゆっくりと動き出す。
「……アル……っ……」
「心配掛けたな、ヨキ」
頬に触れる手に、堪えていた涙がこぼれてしまう。
何度この手の夢を見ただろう。どれだけこの暖かさに焦がれただろう。
「今夜は頑張っちゃおうかなっ♪」
「アル!!」
「やべ、勃ってきたか……ぐはっ!?」
頬に決まる見事なストレート。
「ついでに前くらい隠したほうがいいよ、アル」
ひらり、とハンカチを一枚落として女二人は顔を見合わせた。




「まぁな、俺が死んだ後のこともちょっとはわかるんだ。全部じゃねぇけど」
沸かしたてのコーヒーに口をつけて男はそんなことを呟いた。
「悪ぃ、マナフ。砂糖とミルクくれ」
「はい、どーぞ」
受け取って混ぜ込み、満足気に飲み干す。
「甘いほうがいいや。この身体には」
見回してやっぱり息子の姿は無いなとアルは笑った。
夜光虫みたいだと己の身体を実感しながら。
「アランちゃんに感謝しねぇと。ちゅーでもしてやっか?」
「お断りです。それと人の妻を勝手に使わないでいただけますか」
どれだけこの日を待ったことだろうか。君がここにいてこうして他愛も無く笑ってくれることを、
「ヨキ?」
「お前がこうしてここにいることがまだ信じられないんだ、アル」
「今からゆっくりと確かめていこーぜ。もう機械も人も喧嘩しなくていい世界なんだからさ」
機会も人も守るべきものがあるからこそ戦ってきた。
ただ笑うだけの赤き神に従うのは嫌だと立ち上がった彼女を先頭にして。
その長い長い戦いもやっと終わった。
「一緒に老後は楽しく暮らそうや、ヨキ」
ぼんやりと三人の会話を聞きながら、これが夢ではありませんようにと祈る。
残像が次第に立体になるように、彼が今この瞬間を生きていることを理解して。
「ヨキ?」
ぼろぼろとこぼれる涙を止める術などわからずにただそのままにした。
震える肩を自分で抱く日々も、これで終わるのだ。
「おわ!!泣くな!!」
この世界でたった一つの真実。
君がここにいて瞳を見ていること、そしてまだ見ぬ世界を心に宿していること。
ようやく始まりが終わって、ここから二人で進むことができるのだから。




砂漠に浮かぶ月はいつもと変わらない優しさ。
つないだ手を離したら彼がまた消えてしまいそうな気がしてぎゅっと絡ませた。
「ん?」
「……………また、勝手に死なれても死なれても困るからな……」
肩を抱いてくる手と、額に触れる唇が彼が生きていることを伝えてくれる。
この腕の中で看取った命を、もう一度生み出すこと。
それは禁忌として封じ込められてきたことだった。
「私がしたことは間違っていたのだろうか」
何度偽者の彼を作り上げただろう。
人間を示す護神像を駆る白き防人として。
「俺に似ちまったからなぁ……シオのやつはどこを歩いてんだか」
「まったくだよ……お前も一箇所には納まらない男だったから」
「もう動かねぇよ。ずっと、ヨキと一緒に居る」
壊れかけの世界に生まれた小さな命。
次の世代を担う少年たちは立ち止まることなく進んでいく。
砂だらけだった荒野にも、少しずつ緑が萌え始める。
「なぁ、俺が見たあの女の子はなんだったんだ?」
彼がその命を掛けて守った少女。この世界の争いの始まりであって終わりであった赤き血の神。
防人たち全てが少女をめぐって壮絶な争いを繰り広げた。
「赤き血の神……だったよ」
「……そっか……」
彼にとって大事なのはこの世界よりも全能なる赤い血よりも彼女に他ならない。
「俺の神さまが無事で笑ってくれるなら、俺は他に何も要らないよ」
二千年目に貰ったキスよりも、ずっとずっと甘いキス。
この背中を抱きしめることの喜び。
「身体があるって良いな……こうやってヨキを抱いたりキスしたりできる」
もう寒いなんて思わない。
彼がこうしていてくれるのだから。
「七の村帰ったら今までの分取り返すくらい大事にすっから」
この月の美しさを、二人で分け合えること。
ようやく手に入れた暖かさをつぶさないように、消さないように、そっと抱きしめた。




「アラン、だっこ」
手を伸ばして、少女の身体を静かに抱きしめる。
「だいぶ大きなお腹になってきましたね」
「パパになれるの、嬉しい?」
ベッドにぺたんと座り込む少女の頭を優しく撫でる手。
その手を取ってちゅ…と唇を当てた。
「人間の身体って大変なのね。どんどん大きくなるし、気持ち悪いときもあるの」
護神像として二千年を過ごしてきた彼女にとって、人間としての生活は困難の連続だった。
大地に両足を着けて歩くこと。ナイフとフォークを持つこと。
なによりも、血を流せば死んでしまうことを理解し痛みを感じる。
自分の身体がどれだけもろくやわらかいかを知ることから始まったのだから。
「明日は美味しいパンを焼こうと思うの」
「楽しみですね。君と過ごすこのたくさん日々がずっと続くなんて……」
夢のようなばら色の日々とはいかないけれども、光に包まれたこの毎日。
誰の目を憚る事も無く二人で過ごせることの喜び。
「アランと同じ色の目だといいなぁ。きれいなきれいな青」
青年の頭を抱いて、少女は嬉しげに笑う。
この世界で幸せになるための魔法の呪文。
それを形に代えればきっと『愛』になる。
「あたしが見てきたいろんなことを、この子にも見せられるかな?」
何一つ無駄じゃないと手をつないでくれる君がいる。
同じ視線で未来を見つめ、一つの事を分かち合えるこの愛おしさ。
「あたしは何をすればいいの?」
「君の友達みんなを呼んでください。シオ君がここに着く前に」
七つの護神像の核が無ければ奇跡は起こせない。
「みんなに伝えればいいのね」
人工で作り上げた肉体の基盤としたのは護神像の核。
その偶然の産物して彼女たちはそれぞれの能力を残して人間の身体を獲ることとなったのだ。
「あたしもみんなに会いたい」
小さく「それでも一番逢いたい人はずっと一緒に居るけどね」と加えた。





男の腕を摩りながら少女は銀の瞳で天を見上げた。
「キク、外に出よう」
少女の体を抱いて、男は天窓を開く。
大地の護神像アールマティと人間を示すスプンタ・マンユの二体は人間の身体を獲ることを拒んだ。
「ねぇキク」
「何だ」
「お互い失恋しちゃったね」
自由の利かなかった身体をここまで修復させたのは他ならない彼女。
朽ちても核がある限り護神像は何度でも蘇る事が可能だからだ。
アールマティは他の護神像を取り込んだ分だけ再生能力が強い。同じくスプンタ・マンユも。
パーツを拾い集めて二千年分の知識で彼女は男の身体を作り上げた。
「キクのお願い、私知ってるんだよ」
少年の願いを聞き入れるときに見た小さな光。
「神様も神様の世界できっと幸せになってるわ」
「だろうな。私のようなポンコツにまで気を使うような女だ」
静かに膝立ちになって、少女はキクの頭を掻き抱いた。
「キクはポンコツじゃないわ……だって、涙がでるもの……」
例え身体が機械であろうとも、血が流れていなくとも。
彼は意思を持ちコトに向かった。
何よりも自分たちを生み出したのだから。
「私も、もう一度神様に逢えたら……もっと優しくなれるかしら?」
最愛の男を奪った赤き血の少女。
彼の血を引く少年は、誰よりも彼女の幸せを願った。
「キク、世界が終わる日まで一緒にいようね……」
夜空に浮かぶ黄金の月が、二人を優しく見守ってくれるから。
「マナフがみんなに集まってって言ってるわ」
「そうか……」
「キクも一緒に来てって」
その言葉に男は顔を上げる。疎まれることはあっても慕われることなど無いからだ。
末娘として作り上げたかわいい人形。
「一緒に行こう、キク」
両手で頬を包んで、そっと唇を重ねてくる小さな身体を抱きしめる。
瞳を閉じて思う相手が違っていても。
これが傷の舐め合いでしかないとしても。
今はこの関係が二人にとって一番だと思えるのだから。
いつか、かなわぬ思いを感じないようになれるその日まで。
思う存分悲しい恋に浸ればいい。





甘い果実をジャムにして、小瓶に移し替える。
「アムルタートさま、俺らがやりますぜ」
「大丈夫。それに友達の所に持っていくのだから自分でやりたいの」
丁寧に紙で包んでリボンで縛り上げていく。
「ドレクはもう寝ちゃった?」
三つ編みを解いて指を滑らせていく。緑色の瞳の彼女が護神像だったなどと誰が思うだろか?
「へい。アムルタートさまが言ったように農地水路の工事をずっとしてやしたから」
「六の村もだいぶ良くなってきたわ。暫く干ばつも来ないだろうし」
「アムルタートさま」
「何?」
かつて防人と護神像だった二人は、人間としてそこそこにぎやかに暮らしている。
少女は天候や水の流れを感じ取って村人はその指示を仰ぐ。
理解と和解、そして協調。
「二千年間、どんな気持ちでした?」
「そうね……たくさんの命を見てきたわ。人も機械も護るべきものためにそこ在る。
 生かされて生きている。でも……神様に従う謂れなんて無いのよ」
右の脇腹にはまだ護神像としての印がりっかりと残っている。
「明日、ここを出発しようと思ってるの。壱の村にいる友達のところに行って来るわ」
小さな小さな幸せの種を、暖かな大地で育ててきた。
「私もそろそろ戻らないと。不機嫌な目覚めは避けたいしね」
不器用でまっすぐな青年の隣にたたずむ少女。
それぞれが大地に根を下ろし始めていた。




薔薇を浮かべた湯船の中でくすくすと笑う声が泡になる。
七色のそれはぱちんとはじけて名残惜しげに消えていく。
「ノール、ありがとう」
「どうしたの?急に」
指先が黒髪に触れてその泡を払った。
「前にシオと戦ったときに、あたしの心配をしてくれたでしょう?」
自分の身体よりも彼女を護るほうを優先した青年。
泣き虫といわれた彼も今では九の村の警護班の筆頭になった。
まだ時折暴れる機械を相手に、手製の銃で立ち向かう。
頼りなかった背中もずいぶんと逞しくなった。
「マナフたちに会えるの、楽しみだなぁ。アシャも元気かな?」
金色の髪を揺らして、遠くまで走る姿。
彼女のおかげでこの村の復興は早かった。
水と緑を操り、医学に長けた少女は今では村の医師も兼ねている。
一日の大半を子供たちに混ざって遊んではいるものの頼れる存在だ。
「ハルも、お疲れ様」
「?」
「二千年頑張ったでしょう。だから」
浮かべた薔薇を一つとって小さく息を吹きかける。
そこから生まれる虹色の泡がバスルームを魔法の世界に変えた。
「ありがと。ノール」
細い身体を寄せ合って甘い甘いキスを繰り返す。
「もっともっと頑張ってね、パパ」
「パ……パ……?……パパ!?」
「そーよ、赤ちゃんできたみたい」
ばら色の頬と柔らかい唇。ベビーピンクに染まった肩。
「う……うわぁぁぁああああっっ!!!」
「まだ泣き虫さんなんだから。ノールはしょーがない子ね」
「だって、嬉しいときにだって涙はでるんだもの!!ハルだってわかるでしょう?」
青年の肩に手を付いて、少女はその瞳を覗き込んだ。
闇色と鷲色を合わせたような優しい黒。
「あんまり泣かないでね、赤ちゃんがびっくりしちゃうわ」
「うん……ずっと、ずっと君を護るからね、ハル……」
長い長い夢の途中。
見つけた愛の種を二人で育てることにした。




優しい歌が耳に届く。
月の砂漠で眠る彼の元にも。
「うは、神様のケータイからメェルが!!」
ふたを開いて、その文字を必死に目で追う。
古代語にも大分慣れて今では自分で読み書きができるほどになった。
「元気そうでよかった……」
大事にカーゴパンツのポケットにしまい込んで瞳を閉じる。
(でも……もう一度だけ逢いたいなぁ……神様……)
この命をくれた彼女に、もう一度だけ逢いたい。
その思いでこの世界を彼は歩いている。
古代文明の名残を見つけては独自に解析する日々。
(アランさんの居る壱の村にいけばなんとかなるっすかねぇ……)
ただ一言だけ伝えたい。
この思いを。
二千年前から変わらないワークワークの月の下で見る夢。
遥か遠くの彼女はどんな夢を見ているのだろうか?




耳に届く遥かな声。
小さなキスに似た優しい月光だけが全てを見守っていた。





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21:49 2005/09/17

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