◆二千年のキス◆




どれだけ、君の名を呼んでも、君はここにはいないから。
それでも、君の名を呼ぶ事を止める事はできないから。




「ヨキ先生、いつかまた……ここに帰ってきても良い?」
沢山の日々を過ごして、彼の背は大分伸びた。
父親程ではないものの、かつての彼に大分似てきた。
「いつでも帰っておいで。私はここにいるから」
「うい。たまには、とーちゃんにも逢いに来たいし」
小さな皮鞄に荷物を纏めて、少年は父の残したゴーグルを纏う。
(アル…………この日々を、お前はどう思う?何を思えた?)
風が頬を撫でていく。
「それじゃ、行きます……………………母さん」
「シオ!!」
振り返らず、彼は砂を進み行く。
その姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「アル、聞いたかい?私を…………母と呼んだよ、あの子…………」
『ああ。ちゃんと聞いてるよ、ヨキ』
こぼれる涙をそのままに、女はただ地平線を見つめた。
この先にある何かを探しに出かけた、愛する者の血を引くものの陰を。






「アラン、ご飯出来たよー」
トレイにサラダとスープを載せて、少女は青年の傍らでくすくすと笑う。
「御昼ごはんの御時間ですよー♪」
「ああ、もうそんな時間ですか」
テーブルの上に小さな手が手際良く並べていく。
「早いものですね……流れる日々を一緒に感受できるようになってどれくらいたつでしょうか?」
「そうだねー。アランがあたしの身体を作ってくれたから」
砕け散った護神像を拾い集め、彼は己の知力の全てを投じて彼女を作り出した。
培養液の中で育った有機生命体。その核として、護神像のパーツを埋め込んだのだ。
一種の賭けだったと、男は笑う。
それでも、その賭けで勝者となり彼は彼の願いを叶えたのだ。
「あとは、右腕を作り変えて……」
「痛いのもう嫌だよー。いじわるなパパだねー」
その言葉に、眼鏡が落下する。
「え…………?えっっ!!??」
「御仕事邪魔しないように、あっちに行ってるねー♪」
暖かい陽だまりの下で、やっと笑えるようになった。
この先には、もっと賑やかな日々が待っている。






「そう、もう少し腰を引いて。上手だね」
「ほんとう?」
女は子供の背を押しながら、小さく笑う。
「レオよりも、アシャの方が好き。怖くないもん」
「こら、んなこといってっとぬっ殺すぞ」
剣を磨きながら、レオは目線を小さな集団に向けた。
一体が完成すれば、あとは複製は簡単だった。
同じように護神像は防人の元に還されたのだ。
「レオナルド、あっという間だったね」
まだ、人間としての生活には不慣れなところはあるものの、概ね不満は無い。
ようやく陽の光の下を、二人で歩けるのだから。
誰にも邪魔されること無く、誰にも隠す事無く。
「体とか、おかしくないか?アシャ」
「どこも。アラン・イームズ……腕は確かだね。私だけではなく、きっと他の仲間も
 そうだろう」
細やかな筋肉が構成する身体と、風に揺れる黒髪。
焔の女神は、大地に降り立ち人となった。
「お茶でも入れようか?レオナルド」
「あ……ああ……」
「私が昔見た景色を、お前にも見せてやることが出来そうだよ」
遠くを懐かしむ瞳。
かつて、この砂の果てには広大なる水が広がっていた。
赤き血の者たちはそれを『海』と呼んだらしい。
「水、怖くないのか?」
「もう、大丈夫だよ。それに、お前がいてくれるのだろう?」
心は揺れ惑って、誰かの優しさに助けられて。
そして、彼女の手を取ることが出来るようになった。
まだ、少しだけ隣に並べば気後れしてしまうけれども。
これから重ねていく時間が、きっとそれを消してくれるから。






「ハル!!こっちこっち!!」
高速で飛び回る少年を捕まえようと、少女はその後ろを走り回る。
「ミール!!待って!!」
短く切られた金色の髪と、透けるような雪色の肌。
翠色の瞳が、くすくすと笑う。
「な、ミールはあのとーりだから大丈夫なんだって」
「そ、そうなんだろうけども……けどっ…!!」
ふるふると頭を振って、少年は手で顔を覆う。
「けど?」
「僕のハルワタートが、僕をほったらかしでミールとばっかりくっついてる〜〜〜〜っっ!!」
叫び声にやれやれと、頭を振る。
そうこうしている内に、少年を小脇に抱えて少女が帰ってきた。
「ノール、また泣いてるの?しょうがない子ねー」
「兄さん、また泣いたの?」
ハルワタートの指先がノールの目尻に触れた。
「泣かない、泣かない。ずっと一緒にいられるよ、ノール」
復興した九の村で、彼女は水耕栽培に着手していた。
水の加護を併せ持つ少女は、雨の気配を感じ取る事に優れている。
「ノール、ありがとう。私のことを思ってくれて」
「ハル…………」
「ノールの願いがあったから、私はいまここに居るのよ」
生まれたての雛のような柔らかさ。
それでも、温かな血の流れを感じる事の出来るこの喜びは何物にも代えられないものなのだから。





女の膝の上で、男はただ瞳を閉じる。
白い指先が黒髪を撫で、ただ穏やかな風が二人を包んだ。
「カーフ、ちゃんと御礼、言ってきたか?」
「誰にだ」
「アラン・イームズ」
その名前に、男は顔を背けた。
「あんだけボコっておいて、あたしの身体を作ってくれたんだよ?御礼くらい言わなきゃ。
 それに、あたしもマナフに逢いたい」
伸びた黒髪をうなじの上で軽く結んで、女はただ笑うだけ。
「…………………」
「こら!!カーフ!!大体お前ってば、あたしに好きだとか愛してるとひとっことも無いよね!!
 いい加減にしないと崖から突き落とすからね!!」
誰かに生かされて生きている。きっとその誰かは『神』という言葉に現されるのだろう。
失った物を、与えてくれる誰か。
その神無きこの世界でも、太陽は昇る。
「カーフ!!!」
「うるせぇ!!なんで俺がお前に一々そんな事を言わなきゃならないんだ!!わかり切ってる
 事を言うのは嫌いなんだよ!!」
口が悪いのも含めて、愛は全てを飲み込んでしまう。
「素直じゃない男だね……もう少し落ち着いたら、マナフの所に行こうよ。カーフ」
「落ち着いたらな」
「落ち着いたらね」
この世界で一番大きな力を願った男が手に入れたのは、ただ一つの光。
その光には、全ての力が宿っている。
たった一つ、失ってはいけないもの。
あの時の少年が抱いていた、小さな小さな光。
それを『希望』と、人は呼ぶ。






「どうして、お前はその大きさなんだろうな」
丸眼鏡を拭きながら、少女は首を傾げた。
「多分、ドレクセルが大きすぎるんだと思います」
王座を模した椅子に座り、その頭には小さな王冠。
顔の半分もあるかのような眼鏡と、肩の下で揺れるお下げ髪。
「俺のどこがでかいというんだ」
「態度と身体ですね」
男を相手に、ずばずばと答えていく声。
「きゃあ!!」
片手で抱き上げられて、上がる小さな悲鳴。
「アム、お前が小さすぎるんだ。護神像の時は俺と同じくらいだっただろう」
「あの時は、ドレクに合わせたからです。アラン・イームズは忠実に私を再現してくれました」
六の村の復興に携わりながら、奇妙な二人は少しずつだが村人に受け入れられ始めていた。
少女の的確な指示と、男の行動力。
「人間になるのを拒んだ護神像もいたんだろう?」
「ええ……マンユとアールマティ。色々とありすぎたから」
人になることが、必ずしも幸せであるとは限らない。
七体の護神像のうちの二つが、再生を拒否した。
「マティは……人に溺れた。マンユは……人にだけはなれなかった」
花を一輪、手向けに供えた。
一つの体から生まれた、異なる命達。
沢山の願いと祈り、そして命を飲み込んで生き永らえて来た。
「ドレク、私はちゃんと人間として生きていますか?」
「それ以外の何モンでもないだろう」
「人間は、素敵だわ。けど…………」
風が、少女の前髪をかき上げた。
「いつか、黒い血の神様も現れるのかもしれない。そのときに、私はどうしたらいいのかしら……」
「そのときは、俺たちじゃない誰かがきっとそれを考える。俺にはわからんが」
命は生まれ、やがて消え行くもの。
永遠なるものは、必要など無い。







「なぜ、お前は人間になることを拒んだ?アールマティ」
護神像は賢者の傍ら、ふわりふわりと宙を舞う。
「キクが、寂しそうだったから」
「私が?馬鹿馬鹿しいな」
「それに、人間形態にもなれる。人間は有機物、いつか朽ちるわ」
銀の神の少女は、男の手を静かに取る。
冷たい金属の指先。
「本心を言え、アールマティ」
「そうね。人間になったら、アルが消えちゃうから……かな」
永遠を一人で生きるには長すぎるから。
道連れがいるのは、この先の日々に光を与えてくれる。
「キクだって、ヨキが居なくて寂しいでしょう?」
「賢者も、廃業だ。ポンコツはおとなしく、蜘蛛の糸(ここ)に居れば良い」
冷たい指先を、この先もしかしたら暖め得ることが出来るかもしれない。
「キクが壊れたら、ちゃんと直してあげる」
「お前に直されるほど、私は脆く無いぞ。アールマティ」
この世界は、まだまだ未完成。
ようやく呪縛から解かれて歩き出したばかり。
「キク、外に行こうよ。みんなに会いに」
振り返った少女を、抱き締める腕。
「……キク……?」
「少しだけ、眠らせてくれ。疲れたんだ」
「……うん……」
「お前は、私の子供のようなものだな。いや……お前たち、か……」
賢者が作り出した護神像。そして、赤き血の人間が作り出した黒い血の生命。
命は全てが等価値で美しい。
「キク、ずっとここに居るよ。一人じゃないのよ」
「……………………」
「マンユは、コトの傍に居るって。コトの欠片を、砂に還してあげるって言ってたわ」
この先の沢山の時間を、二人でゆっくりと受け止めて行こう。
「キク」
男の頬に、柔らかな唇が触れる。
他人の温かさなど、知る事は無いと思っていた。
「少し休んだら、みんなに逢いに行こうね……」
「そうだな……少しだけ、休ませてくれ……」
二千年の呪縛が消えて、残ったのは甘い夢。
安堵したかのように、男は瞳を閉じた。
「キク、笑ってるほうがいいよ……私、初めてキクが笑ったところを見た気がする」
全ての機械を統括する男を抱いて、同じように少女も瞳を閉じる。
この閉鎖された空間に、いつか太陽の光が差し込むように。
いつか、笑いあって空を見上げる事が出来るように……と。





ガラクタの山の中で、男はあれこれと頭を捻る。
「赤き血の神が、運ばれた転送装置はこれで全部かな……」
手の甲額の汗を拭って、眼鏡を指先で押し上げる。
瓦礫の山の中から、毎日少しずつ運び出して解析していく。
「アラン、ご飯ー」
「ああ、そんな時間ですか……」
「あたし、先に帰ってるね。少し寒くなってきたし」
昼食の入ったバスケットを置いて、岐路に付こうとする少女の手を掴む。
「一緒に帰ります。身重の君を一人にするのは、私の信念に反しますからね」
「お手伝いするよ。あたしも何かしたいの」
手を繋いで笑い合える事も、誰かを抱しめることの喜びも。
誰かの幸せの犠牲の上に成り立っている。
それを知っているからこそ、ただ感受するだけの日々に埋もれる事が出来ない。
(シオ君……君はまだ君の願いを叶えていないでしょう?)
この手がくれる暖かさ。
本当は、誰よりも欲しがっているはずの彼に。
「アラン、あれを直してどうするの?」
「直すわけではありませんよ。完成させるんです」
「キク、呼ぼうか?」
太陽の下、笑ってくれる誰か。
その誰かのために、全てをささげる事。
散らばる過去を拾い集めて、今の自分に出来ることを見つめる。
この幸せを、永続的なものにするために。
「まだ、賢者の出番はないですよ。それよりも、もう少しちゃんと食事を採ってくれると嬉しい
 のですが……ケーキと果物だけでは、栄養が傾いて……」
「お肉、嫌いだもん」
まだ、人間として生きる事に不慣れな彼女と過ごすこの奇妙な毎日。
「シオ、遊びに来ないかな。おっきくなったんだよね」
「そうですね。君よりも、ずっと背も高くなってますよ」
「あたしが見たときは、すごくちっちゃかったのにね。ヨキも元気かなぁ……」
見上げてくる視線の温かさ。
「アラン、ありがとう。身体を作ってくれて」
「君を、私の所に返してくれたのがシオ君です。彼の願いが……君を造った」
「それでも、ありがとうって言いたいのよー……アラン」
キスをする意味を、二千年掛けて探し出した。
これからは、静かに与えられた生を全うしよう。
「大好き。優しいパパでよかったね」
「今ひとつ、父親になる実感がわかないなぁ……」
「あたしも良くわかんない」
壱の村に居を構えて、もうじき二年。
次の年を向かえる頃には、二人から三人に生活が代わる予定だ。
同じようにそれぞれが、それぞれの日々をゆっくりと受け入れ始めている。
「あ、ヨキだ!!」
少女に向かって、手を振る影。
「ヨキ!!元気だった?シオは?」
「マナフ、ヨキさんから離れて。御行儀が悪いですよ」
マナフの頭を撫でながら、女はくすくすと笑った。
「すっかり保護者だね。アラン・イームズ」
「一応、これでも夫なのですがね。子ども扱いしては自分の方が年上だと文句を言われますよ」
遠くに見える古代遺産。かつて、凄惨な戦いが繰り広げられた場所。
「早いね。あれからもう二年だ」
「ええ。私の願いは叶って……ああ、あなたの願いは……」
小さな箱を袋から取り出して、その蓋を少しだけずらす。
中に見えるのは、数本の黒髪。
「これから、身体を造る事は出来るのか?」
「これは…………」
「ようやく見つけられたんだ……アルの欠片を……」
限られた、残りの日々を一人ではなく。
一番深く愛する事の出来た、あの人と過ごせる事が出来るのなら。
これ以上、この運命を憎む事などしないから。
「出来ますよ。願いは、必ず叶いますから」
「ヨキ、シオは?一緒じゃないの?」
「それが……何日か前に飛び出していったきりだよ。伍の村にも九の村にも行ってない
 らしい。どこに行ったのやらねぇ……父親に似てきたのか一箇所に落ち着くことが
 できなくなってきたようだよ」
母親のように、笑う唇。
賢者でも、防人でも無く、一人の女がそこにいるだけ。
「ヨキ、あのねー。アランがね、神様を運んだ機械を直してるの」
「転送装置を?何のために……?」
「……シオ君の願いを、叶えるために。マナフ、ラボの方へ行きますよ。仕事の依頼です」
「はーーい♪ヨキ、こっち、こっち」





「ここで、彼女を最初に造りました。あとは、簡単なことで、その応用なんです」
培養液の中に、毛髪から取り出した遺伝子をそっと沈ませる。
「赤い血の神は、きっとこんな風にして私たちの祖となる者を作り出したのでしょう」
その領域に踏み込む事は、恐怖にも似ていた。
それでも、この先の日々を思えばその賭けも乗り越えられると感じたのだ。
「試作品……彼女を一体目として、改良を重ねてきました」
「?」
「より、オリジナルに近い物を作り上げることが出来るということです」
大小の泡が生まれだし、まるで生命の咆哮のように幾重にも重なっていく。
その中心に出来た小さな『核』が、次第に人の形を成し始める。
「!!!!」
「貴女も、人間として残りの日々を生きるのでしょう?賢者ヨキ」
硝子越しに、それは見慣れた姿に変化して行く。
胎児は幼児に、少年は青年に。
そして、最後のあの日の彼に。
「すぐには出せません。これはまだ……ただの『器』ですから」
それでも、その姿だけでも。
この心に、光を与えてくれるのだ。
「一緒に老いて……残りの日々を過ごしたい……」
零れる涙と、震える細い肩。
「私がこれを起動させるのも、これが最後です。きっと、ここまでなら神様も見逃して
 くれるでしょう……」
生命を生み出すのは、神の管轄。いわば『禁忌』にあたる。
「心優しい、赤い血の神様なら……ね?」
「ヨキ、アルが育つまで一緒にいるよね?ヨキに見せたい物、いーーっぱいあるの」
静かに閉じる扉。
この闇がこれほど優しいと思えた夜は無かった。







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1:13 2005/05/11

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