◆ヨシュア◆
「アラン、大丈夫?」
連日の機械退治で私の身体は疲労が蓄積していたらしい。
七の村に到着すると同時に倒れこんでしまったのを彼女と村人たちが宿に運んでくれた。
額に感じる心地よい冷たさと彼女の声。
「大丈夫ですよ……」
「全然大丈夫じゃないよー」
頬を膨らませているのはわかっても、それ以上の表情がゆがんで見えない。
「ゆっくり休んで、治そうね。あたし何かお薬作るから」
その言葉に手を伸ばす。
今、「薬を作る」と確かに彼女は言ったのだから。
「……マナ……何もしなくても大丈夫ですから……」
「あたしだってお薬くらい作れるよー。心配しないで。危ないものとか使わないから」
「できれば、そばに居てくれるのが一番嬉しいです……」
細い指先が頬に触れて、丸い瞳が覗き込む。
「ここのお医者さんはあたしの知ってる人よ。つれてくるから待っててね」
囁く声と優しいキス。
遠くなる足音をぼんやりと聞いていた。
「ヨキ、アラン大丈夫?大丈夫?」
七の村でただ一人の医師は一度会ったことのある防人から聞いていた人物だった。
即ち、黒き血の賢者。
透き通る様な肌の美と艶やかな黒髪が良く映える美女。
「過労だねぃ。心配は要らないよ、マナフ」
「本当?良かった……」
ほっと胸を撫で下ろして抱きつく彼女を受け止めて視線を賢者に向ける。
「お世話を掛けました。あなたのことはアル・イドリーシから聞いてます」
「アルを知ってるのかい?どこを歩いているんだかねぇ、アルは」
穏やかな笑みはそれだけ彼のことを知り、信頼しているからこその表情。
「アルもシオもマティも元気だったよ」
「そうかい。それは良かった」
「ヨキに会えて嬉しいな♪」
この世界には三人の賢者が居る。その三賢者が彼女たち護神像を作り出したのだ。
彼女が以前教えてくれたのは黒い血の賢者は穏やかだということ。
「お薬とか要らない?」
「美味しいものを食べて栄養をつければすぐによくなるよ」
「あたしは、何をしたらいいの?」
心配してくれているのが、その声の小さな震えだけでもわかってしまう。
「そうだねぃ……手を握って傍にいてあげるのが彼にとっては一番の薬だろうね」
柔らかな指先が触れて、そっと私の手を握る。
暖かさが触れた皮膚越しに伝わって。
「アラン、ゆっくりやすんで元気になってね……」
頬に私の手をぴったりとくっつけて、囁くように小さい声。
心地よい響きに溶けていく意識。
彼女の指先がくれる安心感に、私は静かに眠りに落ちた。
蕩けるようなチーズの香りと、心地よい足音。
「アラン、ご飯もってきたのー」
くつくつに煮込んだスープを一匙掬って口元に運んでくれる。
言われるままに口を開いて、ゆっくり噛んで飲み込む。
「美味しい?」
「ええ、とっても」
しかしながら……これを彼女が作ったとは信じがたいのもまた事実。
ほんのりと優しい味と内臓まで染み込むよな暖かさ。
「ヨキと一緒につくったの」
目線を移せば少しだけ赤くなった指先。湯気にでも当てられて軽い火傷をしたのだろう。
「ここにアル以外の防人が来るなんて、どれくらいぶりだろうね」
「いえ……一度、あなたには逢いたいと思ってました。賢者ヨキ」
傍らにちょこんと座る彼女の肩を抱いて、視線を重ねる。
私が誰かと話すことは少なからず彼女の機嫌を損ねてしまう。
それがたとえ見知った賢者であっても例外ではない。
「ヨキ、アルは来ないの?」
「ああ、そういえばお前たちのことを言っていたね。今はどこにいるのやら……」
「あたし呼んでみる!!近くにいればマティにあたしの声が届くはずだし」
護神像は互いに共鳴しあう。
機能的ではあるがそれが彼女を人から遠ざけていることが少し悲しい。
「マナフ。そこまでしなくても良いんだよ?」
「アランのお薬作ってもらったもの。それに、ヨキが大好きだから」
賢者と防人は恋をした。
それは優しくて暖かいもの、誰にもとめることのできない感情。
抱いてしまった恋を手放すことほど苦しいものは無いのだから。
「他の防人は、ここには?」
私の問いに彼女は首を振る。賢者がいるのであればこの村には本来は防人は必要ないだろう。
それに……私と彼女はこの賢者がなんであるかもしっていたから。
「ええと、アラン・イームズ?改めて言うのもなんだけだけれども、七の村へようこそ」
アル・イドリーシの自慢の恋人は凛とした瞳の持ち主。
彼が夢中になるのも納得が行った。
私が彼女に興味があったのは、賢者でありながら人間として埋没していること。
そしてそれがなにを意味するかということだった。
「こちらこそ。あなたのことはマナフから聞いてましたので」
おそらくは彼女のも何かを隠してる。私と同じ仄闇の匂い。
憎しみと憤りとそして小さな光にすがる思い。
「ヨキ!!アル近くにいたよ!!もう少しでつきそうって」
「私たちの会話も、賢者には筒抜けですね」
静かにそれを否定する首の動き。
「ここには私がフィールドを張ってるからね。いくら私でも同衾を覗かれるのは好きじゃないから」
忘れてはいけないのは、彼女も賢者の一人。
その心には穏やかで深すぎる闇を抱えているのだから。
「予定よりも早くついちまったな。ひさしぶり、メガネ」
親しみを込めているのだろうが、ちっとも嬉しくは無い。
「アル、マティ、シオ。ご機嫌いかが?」
「ヨキにも会えたし、良好良好♪」
男が彼女の頭を撫でようとする手をそっと払いのける。
彼女の防人は私なのだから。
「アラン、怖い顔しないで」
同じ背格好の愛らしい少女が二人並ぶ。アールマティが手を引くのはまだ幼い子供。
「シオ、おっきくなったね!!」
まだ歩き始めたばかりの名のだろう。おぼつかない足取りで少女の手を支えに立っている。
「アル。シオは風邪なんか引かなかったのかい?」
「いまんとこ大丈夫っぽい。そんかわりに俺が熱っぽいけど」
同じ防人だからこそ分かり得るもの。
きっとそれがこの男と賢者を結びつけたのだろう。
「顔色も悪い。アル、少しお休み。お前が倒れたらシオにまで……」
「ん……そうする……俺のベッドまだある?」
促されながら部屋の奥へと消えていく姿。
「アランもまだ治ってないでしょう?あたし、もう少し機械を片付けてくるね」
「マナフ、私も手伝いますよ」
青い顔をした男二人を残して、彼女たちは外へと飛び出していく。
防人は無くとも、ある程度は護神像だけでも何とかなるのだろう。
「さて、二人とももう少し治療させてもらおうかね。あの子達がいない間に」
くたくたになって帰って来るだろう彼女のために。
この身体を少しでも回復させて抱きしめられるように。
「ここに、傷できちゃった……」
破片が飛んできたのだろう。額にできた小さな裂傷。
リボンが乱れて結い上げた髪が片方解けている。
直すよりも、もう片方も解いてブラシを入れることを選んだ。
「泣かなかったんですか?」
少しだけ膨らむ柔らかな頬。
「あたし、そんなに子供じゃないもの」
二千年の時を生きる彼女と、二十数年の時間を感じてきた自分。
この小さな手は数多くの命を見送ってきた。
「アランはもう大丈夫?」
彼女の声がそばにあることと、その存在。
空気のような存在はそれがなくなってこそ自覚するもの。
けれども、その時にはもう手遅れのことも多い。
「あとはマナ……あなたがここにいてくれれば平気ですよ」
君と二人でこの砂漠を走りぬけながら、明日の尻尾を捕まえるように。
気付いたら君に恋をしていた。
この気持ちをとめるときは、この命がきっと終わる時だけだろう。
「アランとずっと、ずっと一緒に居るの。あたし、強いから大丈夫だよ」
出会ってからどれだけの夜を越えてきただろう。
夜間飛行よりもこの砂の世界を歩くことを選びながら。
春に夏に秋に冬に。
一足ごとに季節を刻む君の後姿を見つめていられることの幸せを知りながら。
「君と一緒に、私も強くなりますよ」
小さな体を抱きしめて繰り返すキスの意味を考えて。
この暖かさがくれる本当の優しさと無垢の意義を思う。
「ヨキはアルと一緒だよ。あたしたちみたいにいつも一緒なの」
この思いを殺しながら生きることも、君の存在を否定することも。
どちらも選択肢に入ることなど無いのだから。
おはようとおやすみのキスをして。
一番最初に見える風景に君が居ることの意味に名前をつけるならば。
二千年以上前から存在して、今も確かに生き続けるこの言葉を伝えたい。
ただ一言「愛している」と。
この腕の中で息衝く彼女が人間でないことなど最初からわかっていた。
ただ彼女が存在して、そこにたたずむだけで満たされるこの感情。
「アラン?」
柔らかな唇が額に触れて、静かに離れる。
下から仰ぎ見る彼女は扇情的で征服欲を掻き立てる。
彼女がもっと穢れていたら、いっそ一思いに犯せただろう。
「マナ……疲れたでしょう?ゆっくりと休んで……」
「ううん……アランのほうが普段いっぱいお仕事してるから」
自分たちを引き寄せた何かの存在。
それをこれ以上憎むことなどきっとできないだろう。
君に出会ったその日から。
すべての歯車が動き始めた。
指先をすり抜けるこの髪の柔らかさ。
砂の世界で見つけたただひとつの真実の光の暖かさ。
「アラン、あっちのほうには何があるのかな?」
指先を絡ませて二人で進もう。どこまでも、どこまでも。
何かを分かち合えることを当たり前と思わずに。
「多分、やさしい太陽がいると思いますよ」
太陽は何よりも隣にいる君の笑顔。
他には何も必要などないから。
月の裏側に住むヨシュアの声。
惑わされないようにこの手を離さないで――――――。
BACK
21:22 2006/05/09