◆幸福論◆



「アラン、眼鏡とってー」
後ろから抱き付いてくる小さな身体。
柔らかい感触と甘い香りには、彼女の存在を私により深く植え付ける。
一緒に過ごすことが当たり前になって、どれくらいの時間が過ぎただろう。
「ねぇ、取ってーー」
「そんなに眼鏡が欲しいのですか?」
「ううん」
背中に当たる小さな乳房。
私たちは一仕事終えて、いつものように当てられた部屋で身体を休めていた。
「じゃあ、どうして?」
私の眼鏡を掛けながら、彼女は瞬きを繰り返す。
「だって、アラン怪我してるもの」
先刻に退治した機械の群れ。
その中心に居た機械の心臓を打ち砕いた時に、生まれた小さな驕り。
それを見透かしたかのように、私の右腕に深々とその欠片が突き刺さった。
出血は治まったものの、醜く腫れた腕はお世辞にも見目が良いものではない。
「眼鏡が無かったら、今日はあと機械退治出来ないもん」
「防人は、それが仕事ですよ」
「たまにはお休みしてもいいのよー」
機械退治を止める護神像など、かつて存在しただろうか?
その判断が正しいか否かは別として、彼女が私を労わってくれていることに間違いは無い。
「アランは良い子ですねー」
子供にするように、抱きしめて頭に触れる小さな手。
外見だけを見れば、私の方が年上に見えるだろう。
それでも彼女は、齢二千を越す。
埋められない時差は、砂塵のように私の心にゆっくりと降り積もる。
「アランの眼も、海の色だね」
この流れ行く時間の中で、彼女はどんな思いで変わっていく景色を見つめたのだろう?
どんな思いで、防人を取り込んできたのだろう。
「マナ、防人は最後は護神像に取り込まれる……それは、昔から変わらないことなのでですか?」
「…………うん…………」
七つの護神像と、七人の防人。
全ての護神像が彼女のように意思を持ち、官女を持つのならば。
「マンユ以外は、みんなそうしてきたと思うよ」
「マンユ?」
「スプンタ・マンユ。あたしたちとは違う護神像」
それは、初めて聴く言葉だった。
「あたしたち六人は人間形態をとったときに女になるけど、マンユだけは違うの。
 マンユは、性別をもってないから。どっちにもなれて、どっちにもなれない」
懸命に言葉を選びながら、彼女は私にそれを伝えようとする。
「では、スプンタ・マンユはどこに?」
「蜘蛛の糸(うち)に居るよ。あたしたちはそこまでしか言えない」
キーロックでもされているのか、小さく首を振るばかり。
胸の前で組まれた細い指が、かすかに震えた。
「キクは、あたしたちの目と耳をもってるの。コトも」
「コト?」
「あたし、コトも好きじゃない……怖いから……」
賢者は、どうやらあの男一人ではないらしい。
どちらにしても、いずれは会う相手だろう。
「他には?」
「ヨキ。でも、ヨキはねー……」
そこで言葉を止めて、私の手を取る。
そして、指先で掌に文字を。
『ヨキは、アールマティの防人と一緒に居るよ。ヨキは怖くないから、好き』と。
ぎゅっと瞑った瞳。
余程、聞かれたくないことなのだろう。
「賢者は、何人ですか?」
「三人。蜘蛛の糸にいけば会えるけど……」
会いたくない、そう伝えてくる小さな手。
「キクに会ったら、アランに二度と会えなくなっちゃうから」
彼女の予感は、おそらく的中する。
賢者を討たない限り、私たちに完全なる安定は保証されないのだから。
「でも、今日は防人はお休みしていいのよ。疲れたでしょ?」
眼鏡を後手に隠して、にこにこと笑う。
「あたし、ちょっと出かけて来るねー」
「マナ!!」
「大丈夫よーちゃんと帰ってこれるから」
ぱたん、と閉じる扉と残された甘い香り。
(いやでも、身体を休めろってことですか……)
ベッドの上に無造作に身体を投げ出して。
誘われるまま、眠りに落ちた。





昔から、眼鏡と身長が自分にとって大きなコンプレックスだった。
どれだけ筋力を鍛えても、体格差の前には全てが無になってしまう。
古代文字の研究をしながら、古武術を密かに体得する日々。
いつか、見返してやろう。そんな気持が重なる毎日。
そして、深まる赤き血の文明に対する想い。
いつかこの世界の全てを見てみたい。いつしかそう思うようになった。
昼は研究、夜は秘密の訓練。
そうやって私は鍛錬を重ねた。
誰にも負けない強さを。あの日もそう願っていた。
私の村を機械の群れが襲撃した日。
前日から滞在していた防人は先頭に立ち、必死に機械達と戦っていた。
もちろん、私たちも武器を手に機械の群れと対峙した。
けれども、力の差は歴然としていて何人もの友が砂の上に倒れていった。
右手に走る激痛。
命運も尽きた。いっそ潔く死んでやろう。そんなことが頭をよぎる。
(いや……生きていたい……生きて、この世界の全てを……この目に!!)
「その願い、受け止めた」
「!?」
「私の名はウォフ・マナフ。お前を次の防人に決めた」
静かに耳に響く声。
身体を包み込む光と、一瞬にして消えて行く傷。
「さぁ、その手を伸ばして」
震える手を、支えるかのように暖かな光が生まれる。
何かが触れる感触と、機械の悲鳴。
後ろから抱きしめられて、思わず体が強張る。
素肌に直接感じるぬくもりと、懐かしいような香り。
(これが……護神像……)
青白い光に包まれて、その核は目にすることが出来ないほど眩しい。
(私が……防人……面白い話だ……)
このほの暗い想いをも、全て見つめて防人に選んだのであれば。
「アラン・イームズ……ずいぶんと心に気持を溜め込んでいるね」
「………………」
「一番奥の願い事を、引き受けさせてもらうよ」
その声は、なぜか幼いようにも聞こえて。
振り返って確かめることを躊躇させた。





(…………?…………)
額に何かが触れる感覚で目が覚める。
「よかった。怖い顔して寝てたから、具合悪いのかと思ったの」
「いえ……昔のことを少し思いだしてました」
彼女は、私の一番奥の願いを受け入れると言っていた。
「マナ」
「なぁに?」
「君が、私と出逢ったときに……どんな願いが見えたんですか?」
熟れた果実を手で二つに割って、その半分を私の手に。
「もう、誰も失いたくない。アランはそう、あたしを呼んだのよ」
「他にもあったでしょう?もっと……色々と……」
人間の男として、それなりの野心も欲望も抱いて生きて来た。
「あたしが見たのは、それだけよ。アラン」
全てを知って、全てを受け入れてくれる相手など、いったいどれだけ居るのだろう。
素知らぬふりで、彼女はただ微笑むだけ。
「人間の願いの根本に、悪いことなんてないのよー」
「……マナフ……」
「半分こ。おいしーよ。それに、綺麗な色」
指先についた果汁を舐め取る舌先。
「綺麗な想いがなかったら、こんなに甘くなんてならないと思うの」
善なる意思の名を持つ少女は、人間を信じる道を選んだ。
私は、人間を信じることが彼女に比べれば出来ていない。
自分を含めて人間は、誰かを裏切る生き物だからだ。
「アランは、人間が嫌い?」
心細さを抱いて、君に出会った。
このまま、君の中に取りこまれても構わない。
「君が思うような男じゃないんですよ……」
怖いのは。
軽蔑、嫌悪、異物感、喪失、そして――――別離。
「あたしが知ってるのは、優しいキスをくれるアランだけよ」
背中を抱いてくる細い腕。
震える手で、同じように抱きしめる。
柔らかい胸のくれる安定。
鼓動がくれる安心。
「君を愛してる……どこにも……行かないで……っ…」
噛み殺してきた感情が、君を傷つけてしまわないように。
「行かないよ。あたしはずっとアランのそばに居る」
そっと頬を包み込む手。
まるで、初めてのような触れるだけのキス。
このキスを、生涯忘れることは無いだろう。
「泣かないで」
生まれて初めて、誰かの腕の中で涙をこぼした。
「ううん……泣いてもいいのー……アラン、良い子ねー……」
彼女と同じ場所にある、防人であることの証明が痛む。
私たちは出逢うべくして出逢った。
例えそれが第三者によって予め仕組まれたものでも。
この運命を、憎むことなどない。
「もう一度……キスしてくれますか?」
優しさを紡いで、織り上げた真白の羽のように。
夢と体温を分かち合える相手が存在することの幸福を。
誰かを信じられるというこの事実。
全て、君がくれたものなのだから。





真夜中が、少しだけ顔をそらした時間にそっと外へと抜け出す。
離れてしまわないように、しっかりと手を繋いで。
飲み込まれそうな月を二人で見上げて。
「綺麗ねー……」
長く伸びた髪を、風に泳がせる。
指の隙間をさらさらとすり抜けて、どこかに消えてしまいそうな儚さ。
「お月様は、あたしとアランが生まれる前からずっとあそこに居るのねー……」
彼女よりも悠久の時間を過ごしてきた球体。
どれだけの恋物語を見つめてきたのだろうか。
「でも、ひとりぼっちで寂しそう……手を繋ぐ人がいないよー……」
「そうですね……だからこそ、月は美しいのかもしれません」
美しさと引き換えに、月は孤独を選んだ。
古の人間が物語った月の女神の悲恋は今も変わらずに伝え残されている。
「お月様も、お日様もひとりぼっち……」
きゅ、と少しだけ指先に力が入る。
細い肩を抱き寄せて、ただ、二人で月を見上げた。
私が防人としての使命を終えるとき、彼女はこの月と同じように孤独を感じてくれるのだろうか。
彼女に取り込まれ、共に生きるとしてもこの手で抱きしめることも出来ない。
「マナ……私の願いを、叶えてくれますか?」
美しさよりも、手にしたいものは。
「なぁに?」
「君を、人間にしたいのです。赤い血の神の力で」
「あたしを……人間に?」
ざわつく風が、私達を包む込む。
「一緒に老いて、死にたい」
「…………あたし、たくさんの命も飲み込んできたのよー……」
俯かずに、生きるために。
この力が誰かを守るためのものならば、他ならぬ君を守りたい。
「これから先も、ずっとそれが君を苦しめる。因果を此処で……断ち切りたいのです」
今度は、私が彼女を抱きしめる番だ。
「一人にはしない。私も……一人にはなりたくないんです……」
「……人間になったら、どうやって生きれば良いのかな……」
閉じた瞳。
縋るように背中を抱く腕。
「毎日、砂漠を歩いて……流れ星の落ちる場所を探しましょう」
「楽しそうね……あたしにも血が流れるのねー……」
君と二人で、孤独を分け合って。
書き綴る日々がきっと幸福。
「あたしも、アランをあっためられるようになる?」
「ええ……」
「そう……嬉しい……」
この月に、何も望みはしないように。ただそこに在るだけで良いと思えるように。
二人で、ゆっくりと時間を重ねて生きていたい。
愛するだけでも、愛されるだけでもなく。
等価値で未来を見つめたいから。
「……誓いの、キスを……」
本当の幸せは、二人で割れるものだということも君が教えてくれた。
「……うん……」
指先がフレームに触れて、そっと外して。
静かに、静かに、唇を重ねた。
目を閉じて、この世界でただ二人きり。
たった一つの真実を、見つけられた。




「アラン、あっちの方で煙が出てる」
今日も私たちは砂の上を歩く。
並ぶ足跡は二つ、想いは一つ。
本当の幸せは、目に映ることは無く傍にいつもある。
「救援信号ですね」
「お仕事、お仕事♪」
人間形態から、護神像の姿へと変わっても、私達が一緒に居ると言うこの事実には変わりは無い。
(参の村……確か、宝石が採れるところだったはず……)
あの細い指を彩る指輪を選んで。
左手の第四指を、飾りたい。
「アラン?」
「何でも在りません。さぁ、行きましょうか」





遠回りでも、今こうして手をつなげれば。
きっとそれが『幸福』の定義。




               BACK




23:42 2005/02/06




PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル