◆不思議な杏◆






姫昌の息子の一人は崑崙の道士。名は雷震子という。
彼の修行を請け負ったのは雲中子。
崑崙では太乙同様に研究班に所属している。
「おいこら!お前また俺の翼改造しただろう!!」
「師匠に向かってお前とはいけない子だね」
紅を付け直し、雲中子は弟子の声を背に文献を広げている。
「夢の中まで強くなりたいって言ったくせに。私はそれを叶えただけだよ」
道衣に大きな帽子が彼女のトレードマーク。
帽子から下がる房は日によって色が違う。今日は薄い紅色だ。
「まったく、少しは静かに出来ないのか?」
「お前が余計なことばっかりするからだろ」
さすがに思うところがあったのか雲中子は弟子のほうを見やった。
道衣に押さえつけられて苦しそうな胸。
すらりと伸びた腕に形の良い爪と指先。
切りそろえられた黒髪に少しだけつりあがった大きな目。
年のころは二十代半ばだろうか。
「ああ、そうだ。そこに太乙から貰った杏があるから勝手に食べてなさい。私は忙しいからね」
「太乙さんが?」
「ああ、道行が育てたものの分け物らしいけれどね。腹の足しにはなるだろう?」
この師匠は時々酷く優しい声で話す。
だから、彼は毎度毎度騙されるのだ。
「んじゃまぁ、ご馳走になるか」
雷震子が美味そうに手をつけるのを見て雲中子はうふふと笑った。
「なんてね、それは私が作った杏だよ」
「!!!???」
「師匠をお前呼ばわりしたんだから、覚悟しなさい」
「てめ〜〜〜〜っ!!!!」
雷と爆風を雲中子は傘をくるくるとまわして消し去ってしまう。
「何なんだよ!!なんで俺に胸なんか出来てんだ!!??」
「いつもいつも人の安眠を妨害して、乗っかるだけ乗っかってさっさと寝て……少しは私の気持ちを思い知るがいい」
そうなのだ。この弟子はこともあろうか師匠に夜這いをかける。
年頃の雷震子にとって雲中子の身体は魅惑的で。
豊満な胸と締まった腰が恋しくなるのだ。
「さっさと解毒剤作りやがれ!!」
「言っただろう?私の気持ちを思い知れと」
雲中子は笑った。
「誰かに抱かれない限り、効果は消えないよ」







今更ながらに騙されやすい自分の性格を反省しながら彼は空を飛ぶ。
「はぁ……どうしろって言うんだよ」
柔らかい胸は触れるものとばかり思っていた。
それが今や自分の身体にあるのだ。
頼りなく、小さな身体を抱きしめながらちょっとした丘に降りて座り込む。
「おや、先客か?」
「本当ですね。珍しいこともありますね、あなた」
どう見ても不釣合いな夫婦。
「オメー、どこのやつだ?」
赤精が雷震子を見る。
「……なんで裸なんだ?」
「その……」
雷震子は掻い摘んで二人に事情を話す。
眼前の褐色の美女は本当は男なのだという。
「とにかく、うちに来い。紫苑、オメーの服貸してやれや」
「はい」
少し小さめの上着だが、なんとか身体を覆うくらいには間に合った。
しかし問題はどうやって元に戻るかだ。
師匠の悪魔のような言葉が頭の中でぐるぐると回る。
「お茶でも飲んで、一息つきましょう」
「なんなら飯でも食ってくか?」
「いや、いい……」
長く伸びた黒髪は柔らかく波打つ。
「雲中子もなぁ、変わり者だからなー。でも、あれでも結構いいやつなんだけどな」
「お薬とか、よく作って下さいますしね」
「あいつの話はもういいや……聞いてるだけで頭が痛くなってくる」
雷震子はその翼をはためかせ再び空の人になる。
その姿が小さくなるまで二人は空を見上げていた。
「雲中子の愛情表現はちょーっとばかり、曲がってるんだ」
「そうなんですか」
「あれはあれで弟子は可愛がるほうだしな」
やれやれと赤精は皮肉めいた笑みを浮かべた。







かつて太公望は太乙真人、道徳真君、雲中子の三人を色物仙人三人組と現した。
この三人は同期の仙人。
なにかと仲が良い。太乙と雲中子は同じ研究班でもある。
「太乙、うちの子を見なかったかい?」
「いや、見ないけども。お茶でもどうだい」
「先客ありか。たまには寄らせてもらおうかな」
先にやってきて寛いでいた道徳と普賢の向かいに座る。
「おう、雲中子じゃないか。久しぶりだな」
「久しぶりだね、道徳。普賢も元気そうで何より」
雲中子は籠に入った杏を皿の上に盛る。
それは何気ない行為で他意もなにもなかった。ごくごく習慣的な行動。
「太乙、うちの子を見たら……」
茶を入れるついでに雲中子は席を外した。
「杏?色艶もいいな」
お互い一つ取って口をつける。
「甘いな」
「そうだね」
指先に付いた果肉を舐め取る仕草に道徳は見とれる。
「……道徳?何か変だよ……」
「え……あ!!??何だ!!??」
普賢の手がおもむろに道徳の道衣をめくり上げる。
「な、なんで俺が女に!?」
「え、あ、嘘!?なんでボクが……!?」
同じようにたくし上げられて、お互いが悲鳴を上げた。
短髪黒髪の健康的な美少女。
灰白の髪を持つ知性的な少年。いや、中性的なといおうか。
お互いの顔をまじまじと見つめあい、ため息をつく。
「あ、食べたの?それね、性別が逆転する杏なの」
呑気に茶に口をつけて雲中子はさらりと言った。
その襟首を掴んで道徳が詰め寄る。
「さっさと解毒剤つくれこの外道がァッ!!」
「まぁ一寸待ってよ。ちゃんと作るから」
「早めに頼んでもいい?」
それでも普賢はいつもと変わらない。少し諦めたような表情だ。
雲中子は満足そうに笑った。






西岐城の軍師殿、太公望の隣で雷震子はいきさつを話した。
太公望も困ったように笑って、あやす様に雷震子の肩を叩く。
「して、どうするかのう……」
「どうするって……」
腕組みをしたまま、太公望は思案顔。
「何時までもそのままでいるわけにもいくまいて…覚悟を決めるか?」
ぶんぶんと首を振る。
まがいなりにも自分は男なのだ。同性にそんなことをされるなんて冗談じゃない。
「今のおぬしなら相手もわんさかやってくるだろうて」
「それ以外でなんとかならねぇものかな」
「わしは雲中子ではないからのう」
太公望は自分の街着を雷震子に差し出す。
「なんだ?」
「着ろ。その格好では発情期の連中に犯されるからのう」
「は、発情期!?」
「この城には万年発情期のような輩が三人ほどおるでのう……」
はぁとため息をつく。太公望も同じ女。
「相手はよく選ばんといかんぞ」
渡された服に袖を通す。自分の使う櫛で雷震子の髪を梳いていく。
艶のある、美しい髪だ。
柔らかな波は一層華を添える。褐色の肌に織り成す黒髪の艶やかさ。
「太公望、暇なんだけど……」
「発」
「小兄」
言いかけた言葉が止まる。どうやら少女が義弟の雷震子だとは気付かないようだ。
「その、太公望の知り合いか?」
「おぬしの弟の雷震子じゃよ」
「だって雷震子は男だぞ。この子は……女の子じゃねぇか」
発は品定めでもするかのように雷震子の全身を見回した。
「この際発でもよいか」
「ちょっと待てよ!小兄は……」
「そうか、ならばわしが選ぶぞ。軍師命令じゃ。さっさと元に戻ってくれ」
そう言うや否や、太公望は誰かを呼びつけた。
呼ばれたのはヨウゼンと天化。二人とも雷震子を見つめて顔を見合わせる。
「さぁ、好きに選べ。わしはこれ以上面倒は抱えたくないのだ」
太公望は三人人に大まかな話しをした。
顔を見合わせて、三人とも思案顔。元はあの雷震子だという。
「これはまた……雲中子さまも罪なことを」
ちらりと見てくるのはヨウゼン。
「俺っちもあの人には弟子入りしなくてよかったさ」
咥え煙草は天化。
「まぁ、可愛いってのは事実だな」
笑うのは発。
「さて、雷震子。どれがいいか選べ。おぬしの戦力が無いのは痛いからのう」
打神鞭片手に太公望は三人の男を一人ずつ指していく。
「師叔、お言葉ですが僕は師叔の命でもこれはお断りさせていただきます」
「雷震子、よかったのう。一番しつこいのが辞退すると言うておる」
太公望の言葉にヨウゼンの顔が曇る。
(そ、そんな風に思われていたのか……)
三尖刀を支えに肩を落とす。
「ヨウゼンさん、しつこいさ?」
「君に言われたくないね」
太公望をはさんで言い合う男二人。こめかみの辺りを押さえて苦笑を浮かべている。
「まぁ、天化もやや粗暴なところもあるし……ここは一つ遊び人の名を持つ発に頼むとするか」
ぽんと手を叩き、太公望は椅子に座った。
そして言い合う天化とヨウゼンを無いものとして軍書に再び目を通し始めた。
「なぁ、やばいだろ。一応俺とは兄弟に当たるんだぜ」
「血縁上では近親には当たらんよ。早く戻してやれ。あれではあやつが不憫じゃ」
「お前に言われるとショックがでかいな……いいのかよ」
「……良い、悪いの問題でもなかろう。ならばわしが嫌だといえばいいのか?雷震子をそのままにしておけというのか?」
発の胸元を軽く掴む手。
「わし個人の感情よりも、今は軍師としての立場がある……」
「……分かった。その代わり今度じっくりと付き合ってもらうからな」
「すまぬ。女の扱いに関してはおぬしが一番信用できる」
雷震子を抱き上げ立ち去る発を見送りながら、太公望は肩を竦めた。
残された二人は未だに言い争いをしている。
(まぁ、あれで発は女には優しいからのう……)






雷震子を寝台に下ろして、道衣の紐を解いていく。
「小兄!ちょっと待てっ!!」
「待つも何もお前も元に戻りたいんだろ?」
手は休むことなく、胸のさらしを解いた。形の良い乳房が露になる。
下穿に手をかけて取り去ると褐色の裸体が目に美しい。
「それにあれだぜ?女は男より十倍いいって言うぞ」
「……マジかよ……」
「試してみるだけでも、いーんじゃねぇの?」
「い、一回だけだぞ。小兄」
自分のことを兄と呼ぶこの少女。どうして弟に見ることが出来ようか。
手に収めるには少し足りない乳房を噛んで、発は指先を下げていく。
細い筋肉で形作られた肢体は、太公望とはまた違う感触。
感触を楽しむかのように発は舌先で乳房を愛撫する。
「…っ…ふ……」
自分の嬌声に驚く。同じような声を師である雲中子も上げることはあった。
軽く噛むと、身体がびくんと反応する。
指先は誰の侵入も許したことの無い秘所を撫で摩り、先端を入り口に沈ませていく。
少しだけ濡れた中指で肉芽を擦ると、雷震子の身体が弓なりになる。
「…あっ!!」
嬲る指は休むことなく攻め立て、それに応じるように体液が腿を伝う。
(やべ……こいつ可愛いかも……)
快感を認めることを拒むような表情が発の暗い心を刺激した。
今目前に居るのはかつての弟ではなく、哀れな少女。
それも、とびきり極上の処女である。
「!!」
唇を奪われて、舌を絡ませてくる兄に彼女の表情が固まった。
(まずい……小兄本気になってんじゃんか!!)
押さえつけられて尚も口を吸われて。
離れるときには力は奪われ、唇の端から涎が零れた。
「…雷子……」
耳朶を噛まれて、そのまま舌で舐められて、微妙な刺激に身体は従順に反応する。
発の指はまるで踊るように愛撫していき、そのたびに意思に反して嬌声が上がった。
(…俺よか…絶対上手い、小兄……)
自分が女になって初めて自分の身勝手な行動に気づかされる。
おそらくこの兄が雲中子を抱けば、彼女は自分の相手などもうしないだろう。
「あ……あんっ!!!」
内側をくっと押されて知る女の身体の快楽。
男の身では知りえぬような感覚に翻弄される。
濡れた指が敏感な突起を責め上げて、追い込んでいく。
舌先は小さな乳首を嬲りながら時折吸い上げる。
「!!!!!」
初めての絶頂は声にもならなくて、全身の力抜けて頭が真っ白になるのを覚えた。
だらりと四肢を投げ出して、虚ろになる瞳。
「…雷子、こっからが本番だぜ?」
その言葉に我に返る。
「…小兄、本気だろ……」
「何言ってんだよ、俺は可愛い弟のためを思ってだな……」
自分の上に乗る兄は心にも無いことを並べてくる。
(あれだ……兄って言われるのもありだよな……)
雷震子は義弟、血族には当たらない。
「まぁ、覚悟決めろ。俺もここで止めろって言われても止められねーし」
先程とは違う、軽く触れるだけの甘い接吻。
女ならきっとこうされれば嬉しいという行為をこの兄は自然体でするのだ。
「…小兄、いつもこんな感じなのか?」
「んー、まぁ、そうだな」
「小兄の相手は幸せだよな……」
雷震子は己を振り返る。少しだけ、悲しそうな顔で。
「でもよ……」
自嘲気味に笑う兄は小さく『俺の惚れてる女は心はくれないんだ』と呟いた。
それが誰なのかを口にすることは兄を傷つける行為でしかない。
彼女は在りし日の自分の父親に心を未だ縛られている。
「俺……元に戻ったらあいつに謝んないと……」
口付けてくる兄に、雷震子はそんなことを言った。
「惚れた女には頭下げんのも必要だぜ、雷子」
膝を折られて、濡れたそこに男が侵入してくる。
「ちょ、ちょっと待て!小兄!!」
「お前も男なんだからわかるだろ、待てって言われてこの状態ではいそうですかと待てるか?」
「痛いのは嫌なんだよ!」
「まぁ、痛いのは最初だけらしいから」
その手を取って指先を舐めて、自分の首にかけさせる。
「捕まってろ。爪立ててもかまわねーから」
細い腰を抱き寄せて、一気に奥まで突き上げる。
「〜〜〜〜〜〜!!!!」
鈍い痛みと刺すような感覚。圧迫感と重くなる下腹部にこの身体が女体だということを痛感する。
何かに縋りたいような感覚に広い兄の背を抱きしめる。
果たして自分は雲中子にこんな風に優しくできてただろうか?
(謝んなきゃ……師匠を傷つけてばっかりだった……)
なんだかんだ言ってもいつも自分を受け入れてくれた。
優しい言葉と、暖かさをくれた。
女の身体は不思議だ。すべてを受け入れて、包み込む。
「〜〜〜〜〜っ!!」
痛みと、それ以外の感覚が混ざり合うころ、彼女は思考も意識も放棄した。





「なんで元にもどんねーんだよ!!」
涙を浮かべてそんなことを言う弟の姿に発は意味深に笑う。
「ま、駄目なら駄目で俺が面倒見てやるから」
「っくしょ〜〜〜!!!」


軍師殿の太公望は雲中子と対面する。
「久しぶりだのう、雲中子」
「太公望、うちの子は……」
「今頃、発が元に戻しておる頃合だろうて」
書き終えた書面を巻きながら太公望は少しさめてきた茶に口をつけた。
「…あれは嘘……ああでも言えば少しはあの子も反省するかと思って……」
「……雲中子……しかし……」
「あの子に少しでいいから、私の気持ちを知ってほしかっただけなんだ。いつも乗っかるだけ乗っかって…」
腕組みしながら雲中子はため息をこぼした。
「これが解毒剤。飲めばすぐに元に戻る」
「なら、呼んでこよう」
慣れた足取りで太公望は発の部屋に向かう。
扉を軽く叩くと苦笑した発と出くわした。
「雷震子は?」
「どっぷり落ち込んでる」
「おぬしが酷いことをしたのではないのか?」
「な!俺はお前にするよか優しくしたつもりだぜ」
太公望が眉をひそめる。
(あ、やばい……呂望、怒ってる……)
少しきつめの視線を送りながら、太公望は口を開いた。
「まぁよい。雷震子、雲中子が来たぞ。おぬしを戻すためにな」
「本当かよ!?これで元に戻れるぜ!!」
意気揚々と軍師殿に入り、彼は師匠と対面した。
当然のようについてきた発も弟の師を見てほぅと見とれる。
「太公望、これは?」
「雲中子の兄の発じゃ。いや、武王と言うべきか」
「姫家の先代によく似ているな。はじめまして、私は雲中子と申す者。それの師匠にあたるが……」
雲中子はつかつかと進んで雷震子の鼻をきゅっと摘んだ。
「なにすんだよ!」
「どれだけ私が心配したか分かるか」
「なんだよ、俺のことなんかどうでもいいんだろ!いつもいつも変なもんばっか食わせるくせに!」
顔をあわせればいつものように憎まれ口を叩いてしまう。
雲中子は少し悲しそうな顔をして、小さな瓶を渡してきた。
「解毒剤だ。しばらくは帰ってこずともよいぞ」
「…………」
「雷子、私はお前をどうでもいいと思ったことはただの一度も無いよ……」
そう言う後姿は、細くて、一人の女性だった。
「綺麗なお師匠じゃねーか」
「……スパルタなんだよ。腰に下げてる鞭で雷と爆風を操るんだ、あいつ」
蓋を開けて、少し甘い薬を飲み干すと慣れ親しんだ男の身体。
雲中子は何か大事なことを言うとき、自分のことを『雷子』と呼ぶ。
それは父親や、兄弟たちが呼んでいた愛称。
自分の背を抱きながら呼ぶその声が好きだった。
雲中子は早々と崑崙に帰ってしまった。
その後を追うべく、雷震子は空に消える。
「発」
「ん?」
「しばらくはわしの寝室に来るな」
「何でだよ」
「粗暴に扱われるのは好きではないからのう」
ふいと外を向く太公望の機嫌を直すまでに、三日ほど要したのは大声ではいえない事実。
そして雷震子は少しだけ、雲中子に接する態度が変わったと言う。








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