◆災難の雨◆
「悟浄、この先ってさぁ、牛魔王ってのが居るんだろ?」
如意棒を肩に乗せ、悟空が呟く。
「綺麗なねーちゃんだといいよな」
それに答えるのは玄奘三蔵。煙管を咥えて、こつんと悟空の頭を小突いた。
「馬鹿猿。魔王ってんだから男に決まってんだろ」
「なんだ。男かよ。三蔵みたいなのだったら良かったのに」
口を尖らせて、悟空は空を仰ぐ。
「三蔵、そろそろ暗くなってきましたね。どこかに宿でも取りますか?」
「こんな山ん中にそんな上等なものがあるとも思えないけどな」
「俺は別に外でやるのもOKよ。背中痛いとかだったら三蔵ちゃんが俺に乗ればいいだけ」
今度は杓丈で悟浄の頭を数度叩く。
じゃらじゃらと封魔の印が刻まれたそれは彼らにとっては忌むべきものだ。
「痛っっっテェ!!!三蔵ちゃんおれそっちの趣味は無いのよ」
「おい、お前らこの河童川に返して来い」
頭上の冠を下ろすと、さらさらと金栗の髪が泳ぐ。
「この先に寺院があるはずですよ。高名なる三蔵法師ならば宿なら容易いのではないのですか?」
「まぁハチの言うことで当たりだな。野宿は避けたいし」
「まぁな三蔵ちゃんの身体に痕つけていいのは俺だけだしィ」
「悟浄、今のは聞き捨てなりませんね。三蔵は皆の共有財産ですよ」
ばちばちと目線で火花を散らしている二人を無視して、三蔵は前に進む。
日も沈みかけ、あたりには夜の帳が下りつつあった。
「虫に刺されんのも嫌だからな。害虫二匹は置いてくか」
「ヤッリィ!んじゃ三蔵今日は俺とね」
褐色の肌に金の髪。
気まぐれで封印を解いた妖怪は自分に付き従う。
想像した以上に、騒がしい未来。
「悟空、そろそろあいつら止めて来い。どっちかが死ぬぞ」
「相討ちだったらおもしれーのに」
笑うとかすかに見える牙。沈む夕日が影を伸ばした。
「腐った死体をつれて歩く趣味は無いからな」
琥珀の太陽は沈んで、闇の優しい手が頬を撫でる。
「本当だ。あの二人殺しても死なねぇーもん」
女僧の細い指先が少年のそれに重なる。
静かに握り返して歩く速さをあわせた。
八戒の言うとおりに少し進んだところに小さな寺院はあった。
辺境の地によもや玄奘三蔵が宿を求めるとは誰も予想しなかったことらしく、僧侶たちは挙って彼女を取り囲んだ。
「御仏のお導き……三蔵様がこのような地においでなさるとは」
「こちらこそ、お心遣いいたみいります」
深々と頭を下げる。
その姿は普段目にする三蔵のそれとはまったく別で、まさに高僧とでも言うべきだった。
「三蔵って演技派だよな。ハチ」
「まったくですね。あの人僧侶やめても食べていけますよ」
ひそひそと耳打ちし合い、三蔵の後に付く。
「何にしろ、虫がいないだけでもいいな」
肩に掛かった袈裟を外し、杓丈を壁に掛ける。
「お前らは別室。久々にゆっくり寝かせてもらうぞ」
非難轟々の三人を部屋から追い出し、三蔵は一枚ずつ法衣を落としていく。
(しかし、疲れた……あいつら体力だけは無尽蔵だな……)
疲れた身体は暖かい湯船に沈めた。
(あいつらと一緒だとゆっくり風呂にも入れないからな……)
借り物の夜着に身を包む。
形の良い乳房と、括れた腰。結んだ帯と張り付く布地がその線をあらわにする。
女犯を禁ず。
それが僧侶たるものに課せられた戒律の一つ。
「さ、三蔵様!?」
「なんだ?私に何か付いてるか?」
まるで目のやり場に困るとばかりに若い僧侶は目を伏せる。
はだけた裾からはちらりと白い腿が覗く。
「その……」
「ウブだねぇ〜、まぁそそるっちゃそそる格好だけどな」
「俺はこーゆーのも好きだよ。裸よりか綺麗じゃん」
「誘いの美学もありますからねぇ」
八戒が三蔵の手に愛用の煙管を手渡す。
「忘れ物ですよ、三蔵」
「お前のとこに在ったのか」
軽く咥えると、若い僧侶は唖然とした顔で三蔵と三人を見つめた。
「さ、三蔵様。僧侶は……」
「禁止事項いっぱいあったような気もするけど……三大禁欲は守ってるから」
「ハチ、三大禁欲って何?」
悟空が隣の八戒を見上げた。少しばかし背が足りないのを彼は気にしたりもする。
「殺さず、肉を食わず、女犯を禁ず……ですよね、三蔵」
煙を吐き出し小さくうなずく。
「それって生きてくのがつまんねーっておもわねぇのか?」
「俺だったら耐えらんねぇな……目の前に三蔵ちゃん居るのに指咥えてろってものさぁ」
「でも、三蔵妖怪は殺しまくってんじゃん。肉だって食ってるし」
「まぁ、性別的に女関係はシロだよな……シロだと思いたい」
「まぁ、クロならそれはそれで面白いじゃないですか」
蚊帳の外で三蔵はため息をついた。
「すまんな、馬鹿しかいなくて」
「いえ……その……」
「?」
「袷を……」
真っ赤になるのを見ながら三蔵はやれやれと首を振った。
今宵の月は下弦。妖怪たちの好む色。
足元に転がる酒瓶と、だらりと投げ出された身体。
(なんか……喉痛いな……飲みすぎたか……)
当然禁酒も言い渡されている僧院に酒などあるわけも無く、持参していた老酒の紛い物を一人で呷った。
酔いが染み渡る感触は心地良く、窓の外の月をぼんやりと見上げて。
だらけた身体を起こして、水を求めて部屋を出る。
板張りの回廊の感触が素足に冷たい。
(………?何だ……)
流れてくる冷気はゆっくりと妖気に変わる。
「!!」
おもむろに現れた白い塊が三蔵の身体を拘束していく。
(しまった!!私としたことが……!!)
酒のせいもあって何も持たずに丸腰で出歩いたことを後悔した。
塊からは無数の触手が伸びて三蔵の夜着を落としていく。
筆のように細いものからは繊毛が伸び、首筋を這い回り、まるで感触を楽しむかのように絡みつく。
「〜〜〜〜〜っ!!!」
経文を口にしようとした瞬間、口中に一際太いものが入り込み声すら出ない。
(っくしょ……役立たずの馬鹿共っ!!!)
数本の触手は乳房を揉むように這い回りながら締め上げる。
腿に絡み、ぬるりと内側を這い上がり、内部へと入り込んでくる。
(何で……こんなにバケモンにばっかり好かれるんだよっ!!)
湿った感触と共に進入され、身体が蠢く。
全身をぬめった蛭が這い回るような怖気と寒気。
「っ……!!……」
押し上げられるように動き回り、先割れした細い繊毛はその周辺を舐めるように撫でていく。
「……っ……ぅ……」
腕の封印を外そうにも指まで拘束されて身動きが取れない。
びくびくと反応するのを楽しむかのように濡れた触手は後ろへの侵入も開始していく。
「!!!!」
ぶんぶんと頭を振って拒絶しようとしても、相手は人間ではない。
肉ではなく、三蔵の僧侶としての気を吸い取るのが目的なのだ。
一番手っ取り早い方法。妖怪の思考は単純なことが多い。
薄皮一枚通じて、前後を犯されながら何とかして口中の触手を外そうとする。
「…っ……ぁ!!」
こぼれるのは小さな悲鳴だけ。
闇の中、月だけが赤黒く照らしている。
舌先に絡まった繊毛が、情欲の接吻でも交わすかのように妖しく動く。
陰唇にはなおも入り込もうとする触手が無数に群がっている。
太く疣だらけの一本を咥えこんで、これ以上の余裕はないと振られる細い首。
膣内に吐き出される体液と零れ落ちる半透明の愛液。
終わらない陵辱にただ身体だけが熱くなった。
「おサルちゃん、こんな時間にどこ行くの?」
扉に手をかけようとしたところで悟浄に阻まれる。
「悟浄こそなんでこんなとこに居るんだよ」
「俺は愛しの三蔵ちゃんが一人寝は寂しーかなと思って」
「気が合うな。俺もだよ」
ぽきぽきと指を鳴らす。大抵こういうときは力の勝負だ。
「なぁ、いっそ三人ってのはどうだ?多分あいつ酒飲んでると思うから行けるかも知れねぇぞ」
「それも……いいかも」
興味深げに悟空も賛同。
「どうせなら僕も入れてくれませんか?」
同じ穴の狢。同属の本能。
もっと単純に女が欲しいという欲求。
「さーんぞ……っていないし」
「まさか若い坊主漁りにいったってのはナシ……だよな」
「いくら三蔵でもそこまでは無いと思いますよ」
何も持たずに、姿だけが無い。
煙草中毒の女が煙管を置いての外出など到底ありえない。
「……違う、三蔵の気配がする。あっちだ」
回廊の奥深くを悟空が指差す。
その方向に進みながら三人はそれぞれの愛用の武器を手にした。
「わーお、本番中?」
「これまた……」
「ムカツクね」
何度も犯されてぐったりとした身体を、触手は休むことなく攻め立てる。
「俺の開発した三蔵ちゃんに」
鎖鎌を軽く振りながら悟浄。
「順番からいったら今夜は俺のだったんだけどな、三蔵」
如意棒を肩に乗せて悟空。
「開発は僕も加担してると自負してますけど?」
長剣を鞘から取り出して八戒。
『下等生物が俺のオンナにさわんじゃねぇよ!!』
三人同時に飛び出し、次々に触手をなぎ払っていく。
切った端から再び生えて三蔵の身体に絡み付こうとする。
「しつこいのは三蔵ちゃん、嫌いなのよ」
飛び散る体液を拭いながら、手を伸ばしてずるりと引き抜く。
「悟空!!!」
後ろで応戦していた悟空に三蔵を投げ渡す。
「こいつは俺とハチでなんとかする!!お前は三蔵を風呂にでもぶち込んで来い!!」
「了解。んじゃ行きますか」
半分意識の無い身体を抱えて、身軽に触手の群れをかわしていく。
その姿を見送ると二人は陣を取り直した。
「人のもんに手ぇ出したときってのは大概オシオキが待ってんだよな」
「目には目を。三蔵の場合でしたら……」
「まぁ、一言で終わるだろうな」
男二人、力では負けない。
飛び出た言葉も見事に揃った。
『さっさと死ね』
「三蔵、大丈夫か?」
「……気持ち悪い……」
口元を押さえて、咳き込む。どろりとした白濁液がこぼれた。
ぼたぼたと吐き出しす背中を摩ると小さく『すまない』と呟かれる。
「怪我とかしてないか?」
「それは大丈夫だ……食われる前にお前らがきたから」
手を伸ばして、少し端の切れた唇にちゅっ…と重ねた。
「……まっず……同属の味がする」
「そういやお前も妖怪だったな……」
僧衣を身に纏い、左腕の絹地を解く。
「あれは借り物だ。本体は別にあるだろ。ここいらは昔から百鬼の出る場所だからな」
夜露の散った庭先の小さな石を割ると古びた髑髏が一つ。
ゆらゆらと立ち上り、人の形を成していく。
「悟空、とりあえず守ってくれ」
「了解。やっぱオンナ守ってこそのオトコだよな〜」
小さく印を結んで、経文を口にする。
(消えやがれ……下衆が……)
突き出した左手が魂を砕く。
「任務完了。戻って寝るぞ」
「三蔵、待って」
自分の上着を女に被せて、そっと手を引く。
「立ってんのも辛いだろ?風呂入って体あっためてほーがいいぜ」
「……そうだな、お前の言葉が正しい」
旅の始まりから二人で並んで歩いてきた。
だからこそ分かり合える部分もある。
完全なる理解など、釈迦如来にさえ不可能なこと。
分かり合えずとも重なる部分を抱けば、それだけで何かが変わるから。
翌朝、寺院を跡にしようとして一行は和尚に呼び止められた。
面倒そうに頭を掻く男三人と、煙管を咥えた女。
「また機会がございましたら……」
「おい、ジジイ……自分の寺にバケモン宿してるのもわかんねぇ位もうろくしたか?
まさか私が来るまで待っていたとかぬかすなよ。僧侶ならそれなりの仕事位しろ」
振り返ることなく声だけで返す。
例え女僧でも『玄奘三蔵』の名を持つものはこの世で彼女一人だけ。
「……………」
「欲しけりゃ三蔵の称号くらいくれてやる。お前らが三蔵として成り得るならな」
その名に相応しいように、自分に恥じないように。
ただ、生きるだけ。
茨の道ならば華麗に踊って見せればいい。
飛び散る血飛沫も美しさに変えてしまえるから。
「あの……三蔵様」
まだ幼さの残る僧侶見習いの少年が歩み出る。
「いつか、僕も貴女を追って天竺へ参ります。どうかご無事で」
その言葉に女は煙管を静かに下ろす。
少しだけ屈んで、その薄い唇に自分のそれを重ねた。
「!!」
掠めるだけの優しい口付け。
「昔から約束のある別れのときは、これと決まっているからな。先に進ませてもらうぞ」
「はい!!」
まだ始まったばかりのこの厄介な旅。
摩訶不思議な妖怪たちと織り成す物語。
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23:53 2005/11/05