◆指先で確かめて◆





「と、言うわけでお前たちとは別室で休ませてもらうぞ」
女の目線の先には、身包みを剥がれた男が三人。
一枚の金貨に、女は小さな接吻をして笑う。
「さて、これで旨い酒でも飲んでくるか」
「は〜〜い!!三蔵さん。僧侶はお酒飲んじゃいけないと思いまぁ〜〜す」
「文句があるのか?」
呪符を指先で挟んで、女は男三人を見る。
「ありません……」
この女僧の酒好きは、半端なものではない。
一人で店の造酒全てを空けた過去を持つほどだ。
下心を手土産に、菩薩連中が酒宴に誘えば逆に潰す始末。
その身体のどこに、流し込まれているのかは誰にもわからない。





「物珍しいな。女僧とは」
白銀の髪を一つに縛り、男は三蔵に視線を向けた。
見たところ、三十も半ば。男盛りもいい所のはず。
「浮かない顔をしてらっしゃる。どうかなされたか?」
杯から唇が離れて、同じように目線を返す。
「無能な部下に、呆れ果てて……一人こうしている有様だ」
「そうか……御気持ち、痛いほどにわかります。私も使えぬ部下を抱えて……」
「なんと!それは御苦労をなさったことでしょう。貴女様の名は……失礼、私は……」
静かに女の手を取って、男は呟く。
「九天……いや、聞仲とお呼びくだされ」
「聞仲殿か……私は玄奘三蔵と申す。天竺への途中でして」
「玄奘三蔵……貴女が……」
男は、女を鑑定するようなまなざしで見つめた。
妖怪を引き連れて、天竺を目指す女僧。
天界の住人で彼女を知らないものなど居ない。
九環の錫杖に煙管。栗金の髪と赤い瞳。
「居た、三蔵ど……御館様!?斯様なところで何を……」
「何だ、二郎神か。その分だと普賢も付いてそうだな」
二郎神の影から、普賢菩薩がひょっこりと顔を出す。
天界の生ぬるい空気は嫌いだと、人間界を好む稀有な菩薩たち。
「もちろん来てるよ。三蔵ちゃんに逢いたかったんだもん」
「……馬鹿が雁首揃えて何をしにきた」
「だって、桜綺麗なんだよ?三蔵と一緒に御酒飲んだらもっと綺麗だろうなーって
 俺は思ったわけ。そしたらね、ジロが勝手に付いてきて……」
見れば手には酒徳利。
一足先に一杯引っ掛けていたらしい。
「うふふふふふ、聞仲さぁん。三蔵ちゃん、ナンパしてたのぉ?」
元々、怖い物知らずの普賢菩薩は寄った勢いも手伝って、男の肩をばしばしと叩く。
「普賢!!」
「うへへへへ……俺様、これでも普賢菩薩さまよぉ?民衆救っちゃうってぇーの」
かつん、と煙管で普賢菩薩を諌めたのは女僧。
ため息を噛み砕いて、飲み込んでは笑う。
「鶏国の酒は、美味しいねぇ。うへへ……眠くなってきちゃった」
「普賢、吐くなよ。お前この間の李塔天の宴席で吐いたろ。あの後、大変だったんだ」
「吐くときは、ジロに向かって行くから無問題。俺、女の子には優しいもん」
女の細い身体に抱き付いて、肩口に顔を埋める。
程なくして聞こえてくるのは、小さな寝息。
「いつから呑んでたんだ。お前たち」
「あー……夜明けよりは遅いころに……」
口篭る二郎神に、三蔵はくすくすと笑う。
いつだって、普賢菩薩が何かをしでかせばそのとばっちりは二郎神に来るのだ。
認め合っているが故に、切れない縁。
「御館様は、なぜに人間界に?」
「馬鹿共の始末書を書くのに、うんざりしてきたからだ」
ため息が玻璃に落ちて、その色を変える。
「俺と、普賢……でしょうか?」
「李塔の娘の那咤と炳霊もだ」
並び出る名前は、天界きっての問題児ばかり。
無論、その中に普賢菩薩と二郎神も含まれている。
「那咤公主か。最近見てませんね」
普賢菩薩を三蔵から引き離して、二郎神は印を結ぶ。
光の輪が幾重も生まれ、青年を包んでいく。
「先に帰ってくれ、普賢」
首をこきり、と回して同じように二郎神もため息を付いた。
「御館様、呑み直しませんか?」
「お前は、そちらの御仁と呑みたいのだろう?私とは嫌でもこの先呑まねばならんが、
 彼女とはそう滅多には相伴も出来まい」
「……はい。御気持ち、受け取らせていただきます」
「従者は、私が足止めしよう。三蔵殿、顕聖は不器用だが悪い男ではない。私にとっても
 息子のような男だ。心根の良さは証明しよう」
それぞれが愛する酒宴の形。
苦労症の二郎神のために、たまには御膳立てをしてやろうと思っての行動だ。
「さ、三蔵殿……桜でも、見に行きませんか?」
伸ばされた手に、重なる女の小さな掌。
しっかりと受け取って、ゆっくりと足を踏み出す。
小さなくなる陰と、足音。
笑うあう声に、男は小さく笑みを浮かべた。





指先で感じる温かさに、鼓動が早くなる。
「どうかなされたか?二郎神」
「いや……三蔵殿とこうして歩くことが出来るとは、思っても無かったというか……」
照れくさそうに笑って、指を絡めなおす。
予想したよりも、ずっと細い指先。
「そうか?」
こうして並ぶ女が、居並ぶ妖怪を薙ぎ倒してきたとは俄かには信じがたい。
しかし、平頂山の双子妖怪を打破したとう話は、瞬きするよりも早く天界中を駆け巡った。
天軍ですら手を焼いた双子を討ったのは、女僧が率いる妖怪三匹。
その話は、当然軍師のひとりである二郎神にも伝わってきた。
「一度、貴女とこうして歩いてみたかった」
夜桜は、どこか優しく悲しい色。
「苦労症の二郎神……か?」
「できれば、顕聖と呼んでもらえれば……」
顕聖二郎神、それが彼の名前だ。
余程親しい間で無い限り、その名で呼ばせる事は無い。
「切りたてか?この髪は」
「邪魔になった。面倒なので、自分で刈ればこの有様だ」
指先が頬に触れて、静かに離れる。
「いや、悪くないと思うぞ。顕聖の顔がよく見える」
薄明かりの中を歩くのは、ほんのりと心を甘くしてくれるから。
ぎこちない指先も、すこしだけ勇気を持てる。
「なぜ、目を合わせぬ?顕聖」
「……女の扱いは得意じゃない。いつも、粗雑だと言われてしまう」
「そうか?そんなこともないと思うが……」
はらり、と舞い落ちる薄紅の花。
「ど、何処かに腰を落ち着けて……」
「ならば、あそこが良い。いけるだろう?貴方なら」
女が指すのは、見事な枝振りのそこ。
「貴方が、そこで良いなら……」
逸る心を押さえて、震える手で肩を抱く。
大地を蹴って、男は桜の迷宮へと飛んだ。





足の下に広がる薄紅の海と、埋もれそうな儚い匂い。
うっとりと目を閉じて、三蔵は男の肩に身体を預ける。
細い首と、さわさわと揺れる柔らかな金の髪。
「さ、三蔵殿…………」
「私も、たまにはこうして花を堪能したいんだ。なのに、あの馬鹿共が……」
ゆっくりと瞼が開いて、赫玉が男を捕らえた。
「こうして……」
二郎神の手を取って、自分の体を抱かせる。
「抱くくらいの度胸もないか?天軍の猛者が」
その言葉に、男は女を後ろから抱き締めた。
幹に凭れ、女が落下してしまわないようにしっかりと。
掌で感じる確かな温かさと、心音。
これが、玄奘三蔵という人間。
「顕聖」
ゆっくりと、男の方に身体を向けて手を伸ばす。
刀傷をなぞる指と、肩口に触れる唇。
「私が、何のために天竺に行くか、わかるか?」
「経文を…………」
「建前はな。私が何者であるかを知るためだ」
彼女は、自分が何者であるかを知らない。
どれだけ人間だと言い張っても、それが本当であるとは限らないのだ。
辛うじて『三蔵』とう名が自分を守ってくれる。
妖怪に対して寛大なわけではない。自分が人間である証明すらないのに、妖怪を責める事が
どうしてできようか。
「父上も、母上も、私のこの目がなかったらならば私を御傍に置いてくれたのだろうか……?」
光明法師亡き後、彼女は一人で生きて来た。
そして、彼女の信頼を勝ち得たのは三匹の妖怪だったのだから。
「自分が誰なのかを知ってから、死にたい」
それすらも、叶わないかもしれない。
「貴女は…………昔、俺たちと一緒に居た。けれど、貴女はそれを知らない」
「?」
「金蝉、それが貴女の名前だ」
ざわざわと、風が枝葉を掠めていく。
「……金……蝉……」
男は静かに頷く。
心のどこかでは理解しようとしていた。
それでも、自分が人間でありたいと願っていた。
「けれど、それさえも遥か昔の話だ。今の貴女は玄奘三蔵、それに変わりは無い」
この身体は、父の肉と母の骨でこの世に産み落とされた。
自分の本性が何であれ、自分は自分だと言い聞かせて来たのに。
それなのに、酷く動揺してしまう。
「そうだな…………私は、私だ」
「三蔵殿は、俺たち天界の住人にも、妖怪にも、人間にも隔てが無い。それはきっと
 貴女が貴女で居ようとするからなんだろう。腑抜けの二郎神に言えた事ではないが」
武神は、ただ不器用なだけで。
彼女はただ、その心に触れただけ。
「その……三蔵殿の沈んだ顔は、できれば何とかしたいと思っている……」
女は時折、脆くなる。
意図せぬそれは、男を魅了して捕りこもうとする天然の罠。
「風邪を引いてしまう。降りましょう」
立ち上がろうとする男の上着の裾を、細い指が掴む。
指先が伝えてきた小さな言葉。
ここに居たい、まだ降りたくは無い、と。
武神も僧侶も捨て去って、今だけはこうしてこの花の匂いに溺れてしまおう。
「その…………」
「顕聖」
「あ…………」
躊躇いがちに手を伸ばして、しっかりと抱き締める。
「俺は間違い無くあの母の血を引いている」
彼の母は、人間の男に恋に落ちて彼を産んだ。
「貴女が……好きだ……」
「私は、顕聖の気持ちをいつか裏切るかもしれない」
平頂山で出会った牛魔王と言う男の言葉が頭を巡る。
人間にも妖怪にも、天界の住人にもなれないこの曖昧で半端な身体。
「貴女を思う事は、俺が勝手にすることだから」
「私は顕聖に仇を成すかもしれない」
「そうなったら、そうなったときに考えさせてもらう。貴女のいう通り、俺は器用じゃない」
赤い瞳がゆっくりと細まって、小さな笑みを浮かべる。
この満開の桜でさえも、彼女を引き立てるための演出に思えた。
「……三蔵殿……」
不安定な気持ちを、抱き締めあって。
静かに、静かに口唇を重ねた。
本の僅かな時間なのに。
この一瞬が永遠に思えた。







「鵜国は、花と酒の美味い国らしい」
対を成す銀と金の髪。
夜の明かりを受けて、どこか淫靡に美しい。
「詳しいな」
煙草に火を点けて、煙を吸い込む。
「俺じゃない。普賢が」
「大方そんなところだろう。菩薩は暇人が多そうだ」
先ほどまでのしおらしさは欠片も見せず、女はけらけらと笑った。
絡ませた指先。
まだ、胸の動悸は治まる気配は無い。
「しかし、どうにもこの国にはバケモノが多いな」
「確かに……人間に混ざっては居るが……」
ちりり、と羽蟲が灯に飛び込んで悲鳴を上げる。
屋台で簪を選ぶ娘に混ざって、腸腑を溢した妖怪がけたけたと笑うこの街。
かつん、と煙管で頭を打てば、どろり…腐った脳が地面に零れ落ちた。
素知らぬ振りで印を結び、二郎神が魂魄ごと幽界へと強制送還。
「失礼、御髪に羽蟲がついてましたので」
小さく頭を下げて立ち去る娘を見ながら、ひらら…と手を振って。
何気なしに、少女が見つめていた簪に視線を移した。
「三蔵殿、簪は嫌いなのか?」
「嫌いではないが、生憎と挿すだけの髪が無い」
襟足まで短く切り揃えられた栗金の艶やかな髪。
僧でなければ、傾国の力を得る事も出来ただろう。
「ならば、これは?」
細やかな細工の施された指輪と、耳飾達。
どれもこれでも、女の目を奪うには十分すぎた。
「こっちは?それとも、こっちのほうが……」
「忙しない男だな、顕聖。それでは仙女たちに逃げられてしまうのも納得だ」
「貴女が、逃げなければ俺はそれで良いから」
選んだのは、簡素な銀の指輪。
それを、彼女の右手の第三指にそっと飾った。
「親父、同じ物をくれ」
「さ、三蔵殿!?」
「貰いっ放しは好きじゃない。対等で居たいからな」
同じ場所を飾った銀の指輪。夜灯を受けてくすくすと笑う。
灰銀の髪の男を引き連れる、金の髪の女僧。
大帝国の一角になら、こんな二人が居てもおかしくは無い。
「……顕聖、あれは……?」
人ではない何かを見つめて、二人は首を傾げる。
とぼとぼと歩く一人の男の姿。
しかし、その衣服と帝冠の豪華さはそのあたりの幽鬼とはまったく世界が違っていた。
「おい、おっさん。何をしている?」
「…………そなたら、わしが見えるのか?」
「しけたツラして、歩いてるのはな」
「三蔵殿、これは……鵜国の帝冠では……」
二郎神の言葉に、男は安堵したかのように涙をこぼした。
「わしは、この国の王。三年前に宰相だった男……いや、妖怪に身体を乗っ取られて……」
「顕聖、腑抜けとはこーいうおっさんのことを言うんだと思うぞ、私は」
いつの間にか買い込んだ鼈甲の飴細工。
ころころと口中で転がして、女は猫のように目を細めた。
「運がよかったな。この男は顕聖二郎神。天帝の甥にあたる」
「な、なんと!!天界の御方でございましたか!!」
「こちらは玄奘三蔵殿だ。大塘帝国の光明法師から三蔵を引き継いでいる」
鵜国王は、ふたりの言葉に目を白黒させるばかり。
「ああ……どうか御助けを……明後日に、身体を乗っ取られて丁度三年になります……」
三年たてば、どんな高僧でも元の身体の魂を戻す事は出来ない。
そのぎりぎりに、三蔵は鵜国へと来てしまったのだ。
「…………いいだろう。お前の依頼、受けよう」
「ああ……ありがたや……」
「ただし、私はタダ働きはしない主義だ。その代金はきっちりもらうぞ」
ここは鵜国、遊楽の国。
悪童達が、望む物を全て与えてくれる。
「まずは、お前を身体に戻してからだな」
「三蔵殿……」
「ゆっくりと、朝まで計画を立てるぞ、顕聖。お前にも助けてもらわねばならん」
悪戯気に片目を閉じて、女は男の手を引いて小路に消えていく。
まだまだ、朝の足音は遥か遠く。
(天界の雄神……悪いが早速、力に成ってもらうぞ。それと……普賢菩薩……)




行きは良い酔いこの宵闇。
帰りは両手にされこうべ。
ここは甘い香りの闇小路。
心を酔わす桜小路。





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0:26 2005/04/21
      

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