◆九頭の化け物――歳末大決算――◆
馬鹿馬鹿しいと呟いて女は煙管に手を伸ばした。
信じられないような話だって彼女のまでは平凡に終わってしまう。
妖怪に守られる僧侶などは前代未聞だろう。
「まあ……私も対外のことでは驚かんからな」
栗金の髪をかき上げる姿。
「確かに、三蔵ちゃんは那咤ちゃんがオカマでも菩薩連中がエロの塊でも猿が行き成り
成長しても牛のおっさんが強くても、まったく動じなかった」
「なので、普通なら異様に見えるこの景色もいつものものとそう変わらないんでしょうね」
大都会だというのに、夥しい数の僧侶が皆、鎖に繋がれる姿。
何も見なかったかのように女はそのまま進み行く。
「待ってください!!あなた方は大唐帝国から来たのでしょう!?夕べ、皆で夢を見たんです!!」
「助けてほしくば出すものは出せ。旅は何かと物入りだ」
振り返らずに放たれる声。
男三人を従えた金髪の女僧がくると菩薩は夕べ、夢で告げた。
菩薩という言葉に三蔵は首を傾げる。
相手が普賢菩薩ならばここぞと自分に恩を売りにくるはずだからだ。
「普賢菩薩か?それとも、二郎神か?」
「お二人です!!」
「歳末代決算大売出しで忙しいということか……」
暴れまわる妖怪たちを封じるために普賢は東に、二郎神は北に。
那咤公主は神軍と父兄を従えて南へと進軍していた。
「三蔵、西ががら空きじゃん」
「馬鹿ですね。西は……僕たちが進むだけで十分でしょう。歳末代決算レベルには」
八戒の声に悟空はふん、と頷いた。
「今、切れてるものは何だ?」
「酒」
「煙草」
「お菓子ですね」
男三人の声が揃う。
「しかも全部三蔵の!!」
「請け負った。猿、河童、猪、連中を解いてやれ」
僧侶たちがこんな災難にあい始めたのは三年前のこと。
それまでは隣国に引けをとらぬ祭賽国。
国王も仏法を手厚く信心し、栄華は益々と誰もが信じてた。
金光寺はその名の如く輝き、祈りは途絶えることなく天へと向かっていた。
そう、あの日までは。
三年前の運命の日、血の雨が降り注ぎ金光寺はその光を失ったのだ。
国王は人外の出来事は僧侶たちが魔物を呼び出したからだと激昂し、以来僧侶たちは
今日に至るまでに迫害されることとなったのだ。
「非常識に慣れてないってのも悲惨だねぇ」
清酒を飲み干しながら四人はまじまじと頷いた。
「その点、三蔵なんかすごいですからね。菩薩だろうが天帝の甥だろうが妖怪だろうが
男は選び放題ですから」
「猪…………剃髪、というのも面白そうだな?ん?」
その言葉に今度は悟空が笑い転げる。
「八戒全部剃っちゃえよ!!うひゃはははははははははっっっ!!」
愉快愉快と笑う三人と塞ぎ込む青年のその対となる姿。
「まぁ、濡れ衣ってわけだな」
「濡れ衣は女だからいいんだよな。こう、ぴったりとして透けてる感じが」
酒も回り始めたのか悟浄がべたべたと三蔵の体を撫で回す。
「八戒」
「御意」
手馴れた動作で悟浄を縛り上げて脳天に決まる蹴り一発。
こんな行為も彼らにとっては日常茶飯事だ。
「悟空」
「あん?」
「ちょっと外の党の上を見て来い。怪しいものがいたら……早いな、もう行ったか」
三蔵が再び杯に唇を当てたか当てぬかの間に炸裂する爆音。
ぱらら…と埃が落ちてきて女は眉間に皺を寄せた。
「さーんぞーお!!なんかいたぞ!!」
「酒癖……こいつらそういえば最悪だったな……久しく飲まないせいか忘れてたな……」
悟空に首を締め上げられた化け物は息も絶え絶え。
助けを求めるように三蔵に視線を向けた。
「お前らが血の雨を降らせたのか?」
「へい…………」
見目秀麗なる女僧の笑みに妖怪はころん、と心を奪われてしまう。
どうせならば酒の雨でも降らせればいいのと女はため息。
袈裟をなびかせてぐっと化け物に顔を寄せた。
「何のためにだ?」
「へい……われらは乱石山碧波潭の万聖龍王の部下です。竜王の一人娘さまがいるんですが……
まぁ、別嬪さんですがちょっとわがままでして……婿様がいるのですが婿様が血の雨を降らせて
こんどは公主様が王母娘娘の九葉霊芝草を盗みに行ってきまして……」
その言葉に一同の血の気が引いていく。
西王母は那咤公主の遠縁にあたる天上の神。
「そういや、那咤が最近泥棒が多くて困るってこないだ言ってたな」
王母と懇意な間の那咤公主は孫悟空の親友。
例え天上の記憶を失っていても那咤は変わらずに接してくれるのだ。
「どれくらい別嬪さんよ」
悟浄の言葉に妖怪は浅黒い肌を高揚させた。
「それはもう……花のように愛らしいお方です」
「んじゃ、三蔵とだったらどっちがタイプ?」
ぱっと輝く猫目に光。
「そちらのお坊様です!!」
「大したことねぇな」
国王にまずは事情釈明と一向は王城へと足を向けた。
大唐帝国の玄奘三蔵の名は伊達ではなくすんなりと面会の許可は下りた。
「なんと、女性であったか!!」
好色そうな国王は嘗め回すように三蔵を見定める。
袈裟の上からでもわかるその体つきは妖怪からも人間からも狙われる一品。
「かの国にはこのような高僧、しかも飛び切りの美女というのに……わが国の僧侶どもは
我を欺くのだ」
女の手が中年男のぶよぶよのそれに重なる。
「何を……国王。僧侶たちは濡れ衣でございます。血の雨は妖怪の仕業。そもそも殺業を禁じられた
我らがどうやって血の雨を降らそうというのでしょうか?」
息がかかるほど近くでささやくその声に、国王はあえなく陥落。
うんうん、と頷いて三蔵の手を握り返した。
「しかるに、どうすればいいのだ?」
「簡単なこと。私と下僕で化け物を退治いたしましょう」
にこり。鬼の首さえもその笑みで切り落とす。
「何ゆえ旅路は物入りです。どうか御慈悲を」
零れる花の微笑は男の胸を射抜く。
二つ返事の国王にもう一度微笑んで。
「契約完了だな」
「了解、三蔵」
九頭の妖怪が大都を荒らしてからというもの荒廃は進んだ。
それを封じる僧侶たちをを排除したのだから妖怪たちはやりたい放題。
加えて歳末代決算期間では天界の住人も小さな国までは面倒見切れない状態だ。
乱石山碧波潭では三蔵一行の奇襲に右往左往。
九環錫杖で頭を一撃で砕かれた妖怪を抱えて門兵が竜宮へと駆け込んだ。
「龍王様ーーーーーっっ!!」
暴れまわる三蔵一行に竜王は顔面蒼白。
わなわなと震えるその肩を青年の手がぽん、と叩いた。
「はじめまして。僕は猪八戒と言います。あそこの錫杖持ってあばれてるのは名高い
らしい玄奘三蔵。で、今あそこの集団を叩き切ったのは孫悟空。俗に言う斉天大聖
ですね。で、あそこのなんかロン毛で厭らしいそうな顔してるのが沙悟浄。通称エロガッパ。
こんな感じですね、自己紹介としては」
「うわぁぁぁああああああああっっっ!!」
猪八戒は別名、天蓬元帥。その名を知らないものは少ないだろう。
卒倒する竜王に走りよったのは少年。
「父上!!しっかりと!!」
亜麻色の髪に柔らかそうな肌。一見すれば少女のような彼がこの竜王の娘婿、九頭不馬。
錯乱状態から覚醒したのか九頭龍尾、大暴れ。
八方から攻撃を仕掛けてもどこかの顔がそれを受け止めて飲み込んでしまう。
「なんとも珍しくグロい妖怪ですね」
「八戒!!見ろよこれすっげーの!!食えるかな!!」
宝物庫を漁っていた悟空がのんびりとそんなことを言い出す。
九頭竜の攻撃など風のようだといわんばかりに四人は再度挟み撃ち。
「ちょ、ちょっとあんたら何やってんの!!人ん家で!!」
万聖公主の声に男三人が一斉に振り返る。
そしてその姿を見て一斉に踵を返した。
「どこが別嬪だ!!マッシブボディの超兄貴じゃねぇか!!」
「ゴラ!!九頭竜!!お前どんな趣味してんだゴラァァァァァアアアアア!!」
「金角だってあんな男っぽくなかったぜ!!」
総攻撃で哀れ九頭竜は元の姿に。駆け寄る妻の姿に男三人は吐き気を催すほど。
「うっさい!!あたしらはこれでも恋愛結婚なんだから!!」
今度は万聖公主と三人の一騎打ち。
しかしこの公主、婿よりもはるかに強く彼が婿養子になった理由が激しく納得できるほどだ。
九頭竜とて三下妖怪ではない。
演舞会ではその剣技を認められ、妖怪榜に名を連ねるのだから。
竜宮が破壊しつくされそうな勢いでの大乱闘に三蔵は首をこきり、と鳴らす。
(歳末大決算とやらはそろそろ終わらんのだろうかな)
「終わったよん、三蔵っ」
耳元に吹きかけられる甘い息。
「お・ま・た・せ。いや〜、ジロちゃんと二人でもう、遠くまで行ってきたよぉ。
三蔵に会いたかったなぁ。あ、お土産もちゃんと持って……」
普賢菩薩の胸倉を掴む細腕。
「気色悪い挨拶はやめろ」
「三蔵から離れろ!!普賢!!」
巨大な金の弓を携えたのは美丈夫の次郎神。
黒髪鮮やかになびかせてその首を射抜かんとばかりに睨みを聞かせる。
「なんじゃ?賑やかじゃな♪」
金輪の上にちょこんと座ったのは那咤公主。
遠征を終えてその足で愛しい男の下へと駆けつけたといったところ。
「普賢、顕聖、那咤公主。歳末大決算の仕上げにかかってくれぬか?」
女の指が大乱闘の砂煙を指す。
「三蔵ちゃんのおねだりなら何だってきいたげるっ」
「あなたの頼みを、俺が断る理由など」
「何じゃ?あれを片付けたら悟浄の隣で茶を飲んでもいいのか?」
各々が武器を手にそこを見据える。
「歳末大決算!!お邪魔しまぁ〜〜〜〜〜っす!!」
天界の問題児三人が相手ではさすがの万聖公主も太刀打ちできない。
ついでだと普賢菩薩は宿敵の猪八戒にも一撃を。
二郎神の金の矢がまとめてあたりを一掃した。
国王の誤解も無事に解き、金光寺は復興の道をたどることになる。
「本当に皆様には動お礼を言ったらよいか……」
何度も何度も深く頭を下げる僧侶に三蔵は笑いをこらえ切れない。
「お前、夢で菩薩に聞いたんだったな?」
「はい!!」
傍らの普賢菩薩に視線を移す。
「だとよ」
「だってぇ、時間なかったんだもん。んで、ジロちゃんとこのわんこに二人乗りして
ここまで来てぇ……」
二人の会話に僧侶は目を白黒とさせる。
「この男が普賢菩薩だ。そして、こっちが顕聖二郎神君。そこで飴を舐めているのが
三壇海会那咤公主だ。いずれも天界の……歳末大決算組か?くくく……」
荷造りをする八戒が笑い、如意金箍棒の手入れをする悟空がきしし…と。
「九葉霊芝草はすこしあればいいじゃろう?残りはママに儂が返しておくぞ」
そう、どんな事情があっても絶えず彼女の周りには誰かがいて。
彼女の痛みを誰かが一緒に受け止めてくれる。
世界に選ばれてしまった玄奘三蔵という女。
「せっかくだから大決算ついでにぱーっと飲んじゃおうよ!!三蔵ちゃんっ!!」
春うらら。菩薩も人も妖怪も。
花を愛でながら一時を甘受すればいい。
「さんせーい!!普賢もたまにいいこというな!!」
旅はまだまだ果てしなく。
宵の席で金光寺は新たに龍伏寺と名を菩薩に変えられた。
たわいもない一日を菩薩も妖怪も楽しめる。
そんな夢のような日があってもいいじゃないと。
「これでも菩薩だし、それなりに人の世に尽くしてんだけどねぇ」
酔いつぶれた屍累々。
三蔵法師に寄りかかり、菩薩は小さく愚痴をこぼした。
「何か足りんのか?」
「みんなの幸せ」
閉じた瞳と鼓膜に浸透する、少しだけ高い声。
どこか懐かしく感じるのはきっと幻。
「三蔵ちゃん」
「ん?」
「一個お願い。膝貸して」
ごろん、と寝転んで女の膝の上に頭を乗せる。
濃紺の髪に触れる指先。優しく撫で摩るのは女の性。
「疲れたぁ……誰も俺の味方なんていないんだもん。俺、いーっつも一人ぼっち。
一人で八万の民救って、慈愛飛ばして……あーあ、やんなっちゃった」
けれども、その八万の民には彼女も含まれていて。
少しでもその道行きに光が燈ればと願わずにはいられない。
「三蔵ちゃん、俺……頑張るよぉ……三蔵ちゃんとこうしてたいから」
不遜な態度の普賢菩薩からは想像もつかないような弱気。
「一体……こいつらは私の何がいいのか……」
それでも、この喧騒は嫌いではなくて。
いつまでも派手に手を鳴らしながら進み行くこの道行きも。
菩薩も人も妖怪も、区別なく同じ光を受けて。
「三蔵」
「どうした?」
「がんばった普賢さんにちゅーして、ちゅー」
いたずらに唇を指して、視線を重ねた。
「目、瞑っちゃお♪」
「馬鹿男が」
掠めるように触れる唇に、思わず目を開く。
「閉じるといったのはお前だろう?」
「や…………思ってもみなかった…………」
君を守ろうと思う気持ちが時々揺らぐけれども。
「やっぱ、恋人と接吻(キス)すんのはいいもんだねぇ……うん……」
それをまたつなぎ止めてくれるのも君だから離れられない。
「お前はよくやってるだろう?だからこそ、太陽は再び昇る」
「…………うん…………」
それが当たり前だと思っていた。
誰にほめられることもなく、だからこそ彼はひとりを選んだ。
「泣くな、菩薩だろうが」
「だって、誰も俺のことなんか褒めてくれないもん……当たり前だってしかさ……
誰も、俺の存在なんか無視してるんだもん……」
「お前の代わりなど、だれもいないだろう?唯一無二の普賢菩薩だ。八万の民を救っても
まだ有り余る慈愛だろう?」
人になりたいなどと願ったことはない。きっとこれからも。
けれども。
人のように彼女の隣に居たいと願わない日はないだろう。
「三蔵」
「?」
「好き。本気で奪うって決めた。お前を光明法師から」
彼女の心は先立った男に今も奪われたまま。
その傷は菩薩の力をもってしても癒すことはできない。
癒されることを望まず。消すことを望まないその傷口。
「馬鹿なことを……」
「本気だ。俺は負けない」
男の手が女の頬に触れて、ぐっと引き寄せる。
濃密の一歩手前の刺激的な接吻。
「絶対に負けない」
「……………………」
「邪魔者は蹴散らす。どんな手段を使っても。お前を天竺まで行かせてやるよ」
宣戦布告は各々に届く。
愛用の武器を磨いて、互いの首を狙いあうように。
たった一人の女をめぐる、世界絵巻の美しさ。
「正々堂々とやってやりますよ」
「勝手にしろ」
「この普賢様に惚れさせてみせます。ちょっと覚悟しといてね。俺だって好きな子のためなら
頑張っちゃうんだからさ」
まだ果てない旅路。
それでも歩くことをまだ嫌だと思えないのだから。
23:08 2008/04/09