◆骸遊戯――命数――◆




口元を押さえて青い顔をする妹と、その背を擦る男の姿に金角は目を細める。
「銀華、僕はちょっと出かけてくるよ。紅、薬はそこの棚にあるから。なにかあったらいつでも呼んで」
ひらひらと手を振り、金角の姿は煙のように消えてしまう。
同じ顔でも能力は兄のほうが数段上で、妹のように感情で暴走することも少ない。
笑顔という無表情で腹の底は読ませないのだ。
その心中は同じ血を持つ銀角でさえも図ることは難しいほど。
金の瞳は猫のそれのようで、光を受けて翠にも変わる。
中性的な身体は好色な妖精、妖魔に狙われるほどの一品だ。
それをかわす事が出来たのは、彼の実力とその血の成せる業。
口元の笑みが耐えぬところは、そこらの菩薩よりも肝が据わっていた。





巨岩の上で金角はそっと目を閉じる。
その細い首にそっとまわされる白すぎる指先。
同じように重ねるとその指は瞬時に白骨と化す。
「御免ね。君たちに触られる程、不自由はしてないんだ」
霊穴の上で印を結び、己の妖気を高めるための瞑想。
(銀華……君は生き延びなきゃいけないんだ。子供のためにも、紅のためにも)
銀角同様に、金角もまた己の身体の異変に気が付いていた。
ただし、彼の場合は彼女とはまったく違った結果だったが。
血液の腐る感触は、毎晩彼を苛む。痛みにはもう慣れてしまい、今は己の身体の腐敗を止めるのが精一杯だった。
(僕のこの手は、何が出来るのだろう……)
平頂山の主として、一帯の妖怪たちを纏め上げ出来る限りのことはしてきた。
無意味に人間を襲うことを禁じ、理解ある村民たちと協定を結んだことさえあった。
先にそれを破棄したのは人間。
怒り狂う銀角とは対照的に金角は静かに目を閉じていた。
そして、ある晩にたった一人で一つの村を跡形もなく消滅させたのだ。
そこには元から何もなかったかのように。
埃を払いながら金角は小さく呟く。「約束は、守るためにある」と。
(僕は、君が選んだ相手が彼で良かったと思うよ。銀華)
幼い日、泣いてばかりいた妹を背負って帰ったあの小道。
手を引きながら歩いた野山。
その全てが彼にとっては宝物なのだから。






霞の掛かるほど遠い日の出来事だった。
「鉄扇公主様。御子息さまに面会を」
単身乗り込んできたのは金圭童子。茶会の席で目をかけたあの美しい少年だった。
「うちの馬鹿息子が何かしたのかい?まったくあの子はあの人に似て……」
艶めく黒髪は結い上げられ、うなじが目に眩しい。
切れ長の目と知性的な眉。
目尻には赤の化粧。外見だけならばまだ二十歳前後の女は真っ赤な唇でため息をついた。
「まぁ、いいわ。紅!!!お客さんよ。早く来なさい!!!」
言われてのそのそと姿を現したのは息子の紅孩児。
寝起きなのか跳ねた後頭部に金角は眉を顰めた。
「あ〜〜〜?……っと、あ!!!金圭童子!!!」
「こんにちは、紅孩児」
近寄ってくる紅孩児の喉元に細身の長剣を突きつけて金角は穏やかに笑う。
「妹を、泣かせたね?」
「ちょ……ちょっと待て!!まずは俺の話も聞けって!!」
「泣かせたね、紅孩児」
唇だけは微笑んで、金角の瞳には静かな殺気。
妖怪たちが恐れるのは妹の銀角、そして天界の主たちが頭を悩ませるのがこの兄である金角だった。
「誰であろうと、銀華を泣かせる奴は僕が許さない」
金角の剣を素手で受け止めながら紅孩児はその顔をまじまじと見つめた。
見れば見るほどに、銀角と輪郭が重なる。
双子なのだから容姿が似ているのは当然なのだが、それ以上に何かがあるのだ。
「かーちゃんが居ちゃ邪魔だろ?俺の部屋で話つけようぜ」
言われるままに金角は紅孩児の自室に付いて行く。
出された椅子に座り、真向かいには件の男。
「妹が、あれからずっと塞ぎこんでいてね。園遊会までは服やら宝玉やらを選ぶのに夢中になっていたのに。
 紅孩児、君……妹に何かしたね?」
金色の瞳がゆっくりと翠に変わっていく。
それは相手に対して攻撃の念があるということの意思表示。
少女と見紛う顔立ちは瞬時に妖気を纏って一層艶やかになる。
伸びた耳、口元からは細い牙が覗く。
「焔天大帝さまと公主様の血を引くその肉、さぞかし美味しいだろうね」
ここで金角と一戦交えれば確実に銀角は自分のことを敵と認定する。
しかし、ここで金角を交わすことは容易ではない。
(どうしたらいいもんだ?ああ……俺はただ銀華と仲良くなりないだけなんだけど……)
あれこれと迷っている紅孩児を、金角はじっと見つめた。
これは彼の引いた策の一つ。
どちちらを選んでも金角は紅孩児の喉元を噛み切るつもりなのだ。
それ以外の選択肢を見つける――――それが金角が彼に掛けた試験だった。
悲喜交々、紆余曲折を得て三人は互いを認め合う関係になることと。
この騒がしい日々が榮江淫に続くものだと信じた、午後の暖かさ。
それを誰一人として、生涯忘れることはないだろうと呟いた。






目の前の世界の美しさは、作られたものではなくありのままのそれ。
延命治療は受けずに、ありのままの死を受け入れようと独りで決めた。
「金角」
振り向けばそこに立つのは隻眼の男。
黒髪を一つに結わえ、無精髭と僅かな雀斑。
「独師兄……どうしてここへ?」
「決まってんだろうが。俺がお前を好きだからよ。まぁ、ストーカーって奴か?違うか……はは」
となりに座って独角児は金角の手を取る。
「いい加減よぉ、男で居るのも止めた方がいいんじゃないのか?妖力かなり使うだろ」
「………………………」
それは、二人が産まれた日のことだった。
母は二つの命を生み出し、目を閉じた。その子に身体を食われて。
産み落とされたのは二人の嬰児。愛らしい女児二人。
しかし、双子の女は凶とされ一方を殺めることが通例とされてきた。
だが、妻の面影を抱く愛娘のどちらを殺めることができるだろう。
先に産まれた姉を金角と名付け女禍の薬を与えて男として育てることを決めたのだ。
そうすればどちらも失うことなく在れると。
「いや、俺だって驚いたさ。お前が妖体になったときは。金華娘々」
「その名は、誰も知りません。僕は、金圭童子。平頂山の主です」
子供にするように、男の手が金角の頭を撫でる。
染み着いた煙草の匂い。金角は静かに目を閉じた。
光に包まれて、ゆっくりとその姿が変わっていく。
透ける様な金の髪。同じように光る瞳。
儚げな少女がそこには佇んでいた。
「止めない。お前が死ぬって決めたことは。止めたいけどな、本心を言えば」
そっと頬に掛かる手。
「止めたって、聞きやしないだろう?金華」
「独師兄……」
ゆらゆらと揺れる水面は、金角の心のようで。
「残りの時間、俺にくれ。お前がしようとしていることは……止めないから」
一石を投じればすべたが壊れてしまうような気がした。
外套の中に抱いてしまえば、その身全てを隠してしまえるほどの小ささ。
「……一つだけ、お願いがあります……独角児様……」
「?」
「妹を……銀華だけは……腹の中に紅の子供が。何卒、お力を」
見上げてくる瞳。
死を見つめて、地に還る者。
新たな命を生み出すもの。
命は、絶えず回り続けるのだから。
「…………任せろ。何が何でもあいつらの面倒は見る……」
ぎりぎりと唇を噛むことしか出来ない自分。
ただ、抱きしめてその不安を拭ってやりたかった。





小さな錠剤を取り出して、金角をそれを噛み砕く。
「面倒なことに、首突っ込んでんだな」
金角が対峙するのは八戒。四人の中で一番行動パターンが読めない男である。
「何か考えてるのか?」
手招きして、抱き寄せる。膝の上に乗せて、小さな額に唇を落とした。
薄い前髪を指で分けて、ぺろ…と舐め上げる。
「ありません。僕は、もう一人……孫悟空も相手しなければなりませんから」
袷を解けば、形のいい碗形の胸が二つ顔を出す。
指を沈めればその柔らかさと、寄せられる眉に唇が綻ぶだけ。
「そりゃ無茶だな。金華一人で野郎二人……その身体じゃ無理だ」
「無理でも、やらなければなりません。平頂山の主として」
背中を抱けば、男が下になって少女が上の構図になる。
そのまま手を滑らせて、小さな臀部を揉み抱けば縋るように敷布を細い指が握った。
「……ぁ……ん……」
「女一人に、男二人ってのは……まぁ、いいんだが、よくねぇよな」
手を伸ばして、男の髪を解けばそのままぐっと抱かれて。
「きゃ……ッ!……」
ばさ、と夜着を脱がされて思わず胸を手で隠す。
「いやさ、俺……お前のそういうところ大好きよ。なんつーか、慣れてないって感じでさ」
組敷かれても、金角は目を逸らすことなく男を見上げる。
同じ顔の姉妹は、中身はまるで違っていて他人の様でもあった。
「ん!!」
ちゅぷ…と乳首を吸われて、ぎゅっと閉じられる瞳。
かりり、と歯を立てられてびくんと細い肩が震えた。
銀角とは対照的に金角の身体には無数の刀傷がある。
妹を守るために剣を取り、歯向かう者は全て切り捨ててきたのだ。
優麗なる剣舞の達人。美貌と強さを兼ね備えた美少年は鉄扇公主のお気に入り。
いや、天界の者ですら虜にする少年を誰が嫌うことが出来ただろうか。
「傷だらけだ。無茶ばっかしやがって……」
舌先が一筋大きな傷を舐め上げる。
「兄様も……右の目が……」
手を伸ばしてそっと眼帯の上からその傷をなぞった。
「外して。兄様」
言われてそれを外して床に打ち捨てる。魔力封じの眼帯は、独角児の妖体を押さえるもの。
伸びた耳と、僅かに吊り上がった黒い瞳。
愛しげに少女は微笑んで、男の広い背中を優しく抱きしめた。
黄褐色の肌と白絹の肌が重なり合う。
「あ!!や……ぁ……ッ!」
舌先はゆっくりと傷を確かめながらちろりと這うように下がっていく。
細い腰をするりと撫でられるだけでびくつく身体。
「や!!……んぅ…!…あぁ……」
とろり…濡れた秘所を舌は味わうように舐め上げる。
まるで別の生命体のように内側で蠢く感触に、金角はただ嬌声を上げるしか出来なかった。
指先で突起の顔を出して、ちゅっと吸い付く。
口中で飴でも舐めるかのように転がして、時折甘く歯が立てられる。
「あ!!ああんっ!!…っは…兄……様ぁ…!」
涙交じりの声。押さえるようにして唇を重ねた。
互いの頭をきつく抱いて、貪るように舌を絡めあった。
恐らくこれが最後の逢瀬。
「……っは……」
舌先を繋ぐ糸。断ち切るのが嫌でもう一度唇を重ねた。
掌の中に収まる少し小ぶりな乳房も。
他人を受け入れることを拒んできた細い腰も。
子を宿すことの無かった柔らかな腹部も。
何もかもが数日後には消えてしまう。
「……なぁ、金華よぉ……なんとかして、生きていたいって思わねぇのか?」
頬にそっと触れる唇。
耳元で囁く低い声。優しく、冷たく、愛しい声。
「いずれにせよ、平頂山の主として戦わなければなりません。それがあの三蔵一向、無事で居られ保障は……」
金角は小さく首を横に振った。
それは、引き止めることの出来ない意思。
「…………………………」
ぐっと小さな臀部を抱いて、膝を折る。
片足を担ぐようにして身体を折って、脚を開かせた。
「……息、俺に合わせて……」
言われるままに、呼吸を独角児に合わせる。
「!!!」
ぐっと貫かれて、びくんと腰が跳ねる。
手を滑らせて背と腰を抱かれて、より深く繋がりたいと身体が軋む。
「…ぅあ!!……っは、んっ!!」
繋がった箇所がじりじりと熱く、痛みにも似た奇妙な感覚が金角の体を走る。
「……く…ぅん……!!…兄…様ぁ……」
ぎゅっとしがみ付いてくる細い腕。
自分の中の恐怖を閉じ込めて、何もかもを捨ててただ今は……一人の女でありたかった。
残された時間はあと僅か。
この瞬間だけは甘えて、弱音を吐いて、抱かれて、泣きたい。
「やぁ……ん!!」
親指でくりゅ…と濡れた突起を攻められて、蕩けそうな声が上がる。
きゅん、と摘まれてこぼれる涙。
口元を押さえる手を外して唇を舐め上げる。
妖怪は同族や、同じような強さであればあるほどに相性が良い。
独角児と金角は同じ土の気を持つ。
ましてや一度は義兄弟の契りを交わした間柄だ。
「あぁ…っ!!」
ちゅ…と乳房ごと口中に含まれて、全身が熱くなる。
男を締め上げるようにうねる身体。
そのままぐっと腰を抱くと一層絡まるように締め付けがきつくなっていく。
「……っは……んんっ!!」
ずん!と強く突き上げられて細い喉が仰け反る。
小さな手を取って、その頼りない指を一本ずつ確かめるように舐め上げた。
「兄様……離れたくありません……」
それは、彼女が呟いた最初で最後の小さなわがまま。
自分の命の期限を知ってから、ようやく気が付いた恋だった。
「……ずっと、お慕い申しておりました……」
散り行く花は美しいと誰が言ったのであろう。
その花が美しいのは生命を謳歌して、何もかもを全うしたからこそだと言うのに。
志半ばで、己の運命を受け止めること。
死の恐怖はいつだって彼女を苛んできた。
それを振り切ってこの数ヶ月、一心不乱に修行に明け暮れた。
これ以上、何を彼女に求めるというのだろう。
「馬鹿野郎……もっと早く言えよ……ッ……」
時計が刻む秒針のように、彼女の命の期限もゆっくりと近付いてくる。
仮面の下の素顔は、まだ幼い少女だったのだから。
誰かを慈しみ、無益な殺生を好まない妖怪。
「あ!!あんっ!!」
ぎりぎりまで引き抜いて、最奥まで貫く。
その度に背中にぎゅっとしがみ付いてくる手の感触。
髪の柔らかさも、耳朶の甘さも、首筋が誘う仕草も。
この手の中に閉じ込めてしまいたかった。
「や!!や……ぁ…ん…!!!」
互いの体液が絡まってじゅく、じゅぷ、と淫音を響かせる。
「金華……」
きつく抱き合って一際強くその身体を貫く。
重なった呼吸。
二人で落ちる夜の甘さを抱いて、目を閉じた。







「どっちにしても三対四じゃ分が悪ぃな……」
後ろから金角を抱きしめて、独角児は頭を掻いた。
自分を抱く手を取って、その甲にそっと接吻する。
そのまま頬に当てて、彼女は小さく笑った。
「俺としちゃあ、あの八戒とお前がやりあうのもどうかと思うが……」
「あちらからの指名ですわ。私は八戒と。紅孩児は悟浄、銀華は玄奘」
口元に手を当てて、独角児はふんふんと一人頷く。
「なら、孫悟空は俺だな。これで五分。イーブンな感じになる」
「兄様!!」
「紅孩児にばっかり格好付けさせるわけにはいかねぇからさ」
ちゅ、と額に触れる唇。
「それに、横見て俺が居たほうが安心できるだろ?金華」
「……兄様……」
男の胸に顔を埋めて、金角はそっと瞳を閉じる。
(なぁ、俺はお前を死なせるつもりは無いぞ……俺のやってる研究は……いや。まだいいか)
夜半の月。
さよならと言ってしまえばそこで全てが終わってしまうようで言い出せない。
それでも、いつかはその言葉を言わなければならないと分かっている。
「兄様?」
「出来るだけ、一緒に居ようさな……金華……」
「……はい……」




残時間―――――――五日。





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23:43 2004/03/06

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