◆骸遊戯――悪知恵勝負――◆






じゃらじゃらと部屋の中に響くのは麻雀牌の擦れ合う音。
円卓を囲むのは悪童四人。
それぞれが曰く付きの過去を背負う面々だ。
「さっきからず〜〜〜っっと親、変わってねぇよ」
牌を一つ持って悟空が呟く。
煙管を咥えながら煙を吐くのは玄奘三蔵。
配牌を見ながら眉を寄せる。
「まぁ今のところ俺様の一人勝ちってとこだしね〜〜」
「ムカツク男ですね。その減らず口、すぐに塞いであげますよ」
ぎろりと八戒は悟浄を睨む。
「俺のお口、塞いでいいのは三蔵ちゃんだけ〜」
「じゃあ、その三蔵ちゃんは俺がいただいちゃおうかな」
軽やかな声に四人の目線がその方向に一斉に向けられる。
三蔵の首を優しく抱きながら、男にはニコニコと笑う。
「寂しくてね、逢いに来ちゃった」
「……さっさと離れろ。その首飛ぶぞ」
三人の妖怪はそれぞれの武器を持って男を取り囲む。
紺色の瞳が静かに三人を捕らえた。
「菩薩に勝てると思うなよ?妖怪風情が」
「……菩薩程度に三蔵は渡せませんね」
首元に槍を突きつけて八戒は普賢を見据える。
能力の上ではこの三人が束になってもこの男の頬に傷一つ点けることも不可能に近い。
それでも売られた喧嘩はきっちりと買うのが三蔵一行の流儀だ。
「大体菩薩がこのようなところに何用ですか?」
「ん〜〜〜……房友に逢いにき……」
全て言い終わる前に三蔵は普賢の首を腕でギリギリと締め上げる。
引きつった笑いとひくつくこめかみ。
「……苦し……待って……」
「誰が、誰に逢いに来たって?んん?」
なおも力を入れる。その度に普賢は小さな悲鳴を上げた。
呆然とその姿を見ながら三人はそれぞれ顔を見合わせる。
(なぁ、あれ……本当に普賢菩薩か?バッタモンじゃねぇの?)
(間違いないですよ。本物です。しかし、三蔵……相手が菩薩だろうがなんだろうが容赦ないですね)
(俺も三蔵ちゃんになら締められてもイイ……)
ごきっと派手な音を確認すると三蔵は静かに普賢から身体を離す。
「馬鹿が……面倒なことばかりだ」
こきこきと首を鳴らして、法衣の埃を払う。薄い爪が陽を浴びてきらきらと輝いた。
「三蔵、相手が菩薩だろうと容赦ないですね」
「菩薩だろうが妖怪だろうが馬鹿に変わりは無い。まったく」
その手を取って八戒は静かに囁く。
「普賢菩薩が居るならば恐らく二郎神も居ますね。どうしますか?」
「何も。煙草が切れたから買いに行かせるくらいだ」
真紅の硝子球がにやりと笑う。
薄い唇が浮かべる笑みは彼の人よりも余程菩薩に見えるかもしれない。
その笑みに反する悪女は、相手が菩薩であろうが妖怪であろうが、そして人間であろうがその全てを魅了するだけ。
「顕聖ならまだ来ないよ」
痛そうに首を回しながら普賢が呟く。
手を天にかざして一振りすると光が生まれ、その光が消えるころ普賢は従者風の格好に早変わり。
首には大きめの水晶の飾り。金連鎖に繋がれたそれは彼の中性的な魅力を更に盛り立てる様。
「少しの間だけ、俺も一緒に行こうかな。三蔵のこともっとちゃんと見たいしね」
「それは、死出の道を一人で歩きたいという意味に捉えてもいいですか?」
穏やかな声とは裏腹な八戒の言葉。
「違うだろ?菩薩の肉を御馳走してくれるって事じゃねーの?」
深緑の眼がにやりと笑う。
「俺、男の肉は嫌だな。硬いじゃんか」
手を頭の後ろに組んで、悟空は欠伸をしながら首を回した。
中身の切れた煙管を手に三蔵は四人を見渡す。
「下僕が一人増えるだけのことだ。馬鹿馬鹿しい言い合いはするな」
「俺、好きな子には尽くすほうだよ。三蔵」
赤と対を成す紫紺の瞳。
「それに……今回ばっかりは俺たちにも責任があるからね」
「責任?」
煙管で円を書きながら三蔵が呟く。
「こんくらいは」
「隙間無く指くっついてんじゃんか」
普賢の指を見て、悟空は悟浄のほうを見る。
「お前にしちゃあいいとこ見たな。まぁ……面倒なことは避けて通りたいけどねぇ」
今度はちらりと八戒のほうを。
「ええ。でも、面倒なことは起きる前に目を積んだほうが良くないですか?」
三人の視線は一人の女に注がれて。
「まったくだ」
薄い唇の笑いは、何かの始まりを告げるようだった。






寝台に腰を降ろして、竹櫛で髪を梳く。
月光は彼女の栗金の髪をより艶やかに変える魔法の粉。
「三蔵、起きてますか?」
「ああ」
八戒の声に三蔵は櫛を置く。
「三匹はどうした?」
「麻雀してますよ。普賢菩薩は二人よりも下のようです」
笑いながら八戒は三蔵に小さな袋を手渡した。
かさかさと開けば中にはぎっしりと詰まった焼き栗。
甘い匂いが部屋の中にふんわりと漂う。
「私が食いたいとよく分かったな」
「煙草と甘味が切れると、機嫌が悪くなる。最初に気付いたのは悟空。焼栗の屋台を見つけておいたのは悟浄。
 買いに行ったのが僕です」
皮を外して剥き身を口にする。
ほろほろとした甘い味。
「つまり、新参者なんかには負けないってことですよ。三蔵」
今この瞬間は仲間でも、いつ何時敵になるか分からない相棒たち。
何個か剥いて、三蔵はそれを八戒の掌に載せる。
「?」
「食ってみろ。たまには私に付き合って」
「そうですね。それもいいかもしれません。貴女と口にしたものなんて清酒くらいしかありませんからね」
八戒にしては珍しい、困ったような笑顔。
口にしてその妙な食感と甘さに首を捻る姿に彼女は口元を押さえて笑いを噛み殺す。
「なんだか不思議な味ですねぇ。例えるなら……ああ、年若い女の肉ですね」
「ははは。まだ食いたいと思うか?」
「ええ、貴女限定で」
隣り合わせに座って、男は珍しく女の方に凭れ掛かる。
「どうした?」
「菩薩とは気が合わない……合いたいとも思わないけれども……男の菩薩に用は無いんです」
「本態、出かかってるぞ」
そっと手を伸ばしてその頭を抱く。
青年の姿はゆっくりと歪んで、伸びた耳と青白い肌の一匹の妖怪に変わり始める。
空いた手で煙管をとっていつものように煙を吸う。
「疲れたか?」
「……少しだけ。天界の住人は忌まわしいことしか思い出させない……」
閉じた瞳。いつもよりも鋭く伸びた爪。
普通の女がその過程を見たら悲鳴を上げて逃げるか、その場にへたり込んでしまうかどちらかだろう。
赤い瞳は別段何も変わらないように見つめて、優しく抱き寄せる。
「……貴女みたいな人間が多かったら、きっと僕たち(妖怪)との関係も変わっていた……」
「そうか?見境無く喧嘩を吹っ掛けてくる奴ばっかりじゃ、世も末だろう?」
妖怪であろうとも、天界の菩薩であろうとも彼女の前では全て一固体に戻る。
分け隔てなく接するのはある意味本当の慈悲なのかもしれない。
そんな大層なものではないと、彼女はいつものように煙管片手に皮肉めいた笑みを浮かべる。
「先は長いんだ。焦らずに行こうぜ」
「ええ……」
肩を寄せ合って、只二人。
この空間で呼吸を合わせるもの良いもの。
「ついでだ、本体見せてみろ」
「え……」
「聖人君子の真似事は疲れるだろ?私もだ」
窓を開けて風を取り込む。
月光は妖怪の姿をその下に余すことなく晒す魔性の粉。
「外に出ないか?」
夜着の裾を風が悪戯にたくし上げる。
「ここ、二階ですよ?」
「飛べるだろ?」
人間携帯を維持するにはそれ相応の妖力が消費される。
本来の姿になったほうが何かと有利なのだ。
半妖のこの姿。
完全体ではないにしろ、宙を舞う位は造作なかった。
それに外に出るには件の三人の居る部屋の前を通らねばならない。
いざこざは出来れば避けたい状況だ。
普賢菩薩が絡んでいるのならばことが拗れるのは必至だから。
「ちゃんと掴まっててください」
「お前が私を落とさないようにすればいいだけだ」
不遜な態度にも、もう慣れてしまった。
「そうですね。行きますよ」




巨大な月を背負いながら、二つの影が浮かび上がる。
感じる風は少しだけ冷たい。
あたりを見渡して選んだのは大木の枝。
「良い場所だな」
月光は八戒の姿をゆっくりと変えていく。
碧眼は歪んで錆びた紅に。黒髪は白銀に。
頭蓋をぐるりと囲むように伸びた角。
「まぁ、その爪だけは切れ」
言われて彼は苦笑しながら伸びた爪を切り落とす。
自分と同じか、それ以上生きてきたであろう樹木。
「その方が良いぞ。私の好みだ」
「普通の女なら逃げるか、叫んで失神するのにな」
房事の最中、うっかり人間形態が解けてしまったことも何度かあった。
そのときの女たちはいまや彼の肉となっている。
いや、すでに死滅した細胞として処理されたかもしれない。
「あははははッ!!それではまるで私が普通の女ではないようだな」
素足をぶらりと揺らして笑う三蔵の声が響く。
栗金の髪は月光の下、まるで銀のようで。
赤い瞳も、自分と同じようにしか思えなかった。
「まぁ、普通ではないかも知れん。それでも……極力普通でありたいとは思う」
懐から袋を取り出して、かり…と焼栗を口にする。
「あんた、妖怪を従者にしてるって天界じゃいい笑いものになってるらしいぞ」
「心外だな。焼栗の美味さも、苺の甘さも、餡蜜の芸術性もわからんような連中に私の下僕を馬鹿にする
 資格などないと思うが。お前等を馬鹿にしていいのは私だけだ」
二個目を放り込んで口を動かす。
甘いものにめっぽう弱いこの女僧はけらけらと笑って。
「変わりモンだ」
「お前もだろう?」
三個目を口にして、そのまま三蔵は男の唇にそれを重ねた。
口移しで入り込んできたそれを咀嚼して、八戒は苦笑する。
「甘いだろ?」
「ああ……滅茶苦茶に」
「でも、私が食ったのはそれ程甘くは無かった」
ざらざらと膝の上に広げて、一つ一つを小さな指がなぞっていく。
「なぁ、ハチ。私たちはこの栗と同じだ」
同じように焼いても、大小違えば味は異なってくる。
同じ栗でも、完全に同じ物など無いのだ。
均等に与えられた魂は、人も、妖怪も、菩薩もみな同じ。
違うのはその道を自分でどう選ぶかということだけ。
「笑ってやれ。甘味の良さも分からぬ菩薩風情に何が出来ると」
「……そうだな……」
こぼれそうになる涙。堪えても、奥から湧き上がる。
それは涙だけではなく、知りえなかったはずの感情。
「甘いのは、栗じゃなくてあんただ」
幹にも垂れて目を閉じる女を抱き寄せる。
「私を食いたいならば食えばいい。ただし、天竺に着いてからだ。それまでは私の命令に従え。約束は破らない主義だ。
 天竺に着いたら好きにしろ。あの二人と分けても、お前一人でも」
腕の中に居るのは柔らかく、甘い香りの極上の肉。
それでしかなかったはずなのに。
自分でも制御しきれない何かがあった。
「どうかしたのか?」
怪訝な顔。
そっと頬に手を伸ばして触れるだけの接吻をした。
考えても、触れるだけの行為は初めてで。
柄にも無く鼓動が早くなるのを感じた。
「……あんたが、好きだ。これもあいつらの計算の中に入るのか?」
「連中にそこまで頭は無いだろう?悪知恵合戦ならお前のほうがずっと勝ってる」
同じ色の瞳。
同族であってくれたらと思う儚い願い。
「惚れたか?」
「完敗した。悔しいけど……俺の負け」
くしゃくしゃと男の髪を撫でる指先。
「そうか。それは残念だな」
そのまま胸に顔を埋めると、その指がそっと抱いてくる。
「覚えてないけれども、母親ってこんな感じなのか?」
「さぁな。私にも分からん。母親って生き物は」
「……あんたも知らないんだよな」
柔らかい胸の感触も、何度も味わった筈だった。
同じように抱かれても、今までとは違う甘さ。
胸を締める付ける何か。
ただ過ぎるだけの時間の心地よさ。
「この地に来てから面白い話を聞いた。一つは普賢から。もう一つは水辺の妖精からの依頼だ」
「それを俺に話す理由は?」
「さぁな。悪知恵効かせて自分で考えろ」
笑う月と女。
「双子の妖怪だと。面白そうだ」
「報酬は期待できないんだろ?」
「前金で貰った」
ちゃら…と胸の谷間から引き出したのは輝石の首飾り。
「売ればいい金額にもなるが……お前なら分かるよな?」
「破邪の石か?」
「馬鹿。こんだけ綺麗なものを何が楽しくて他人に譲らねばならん。これは私のものだ」
小さく「普通のオンナの様だろう?」と付け加えて。
笑い声が二つ。
月明りに溶けていく。
「明日、街の重鎮と話をつける。妖精が困り果てるのに人間がそうでないはずがないからな。口下手な私に
 代わって弁の立つ男が居るから助かるよ」
にこにこと笑って、彼女は男の額に唇を落とす。
「そりゃどうも」
「焼栗、食うか?」
「そうだな。天竺に着くまであんたが食えないんだから。甘い物で我慢するか」
ほろほろと甘い焼栗。
「面倒な依頼だ。双子妖怪……どうも嫌な予感がする」
「前金もらったからにはやらなきゃなんねぇんだ。菩薩でもなんでもあんたの下僕だろ?好きに使えよ」
「そのつもりだ。ただ……」
「?」
「煙草が切れて苛々する。それをどうにかしたいのだが、この街には私の愛煙が無い」
代わりだといわんばかりに三蔵は栗を口に入れる。
「いい機会だ。煙草止めな、三蔵法師さん」
「難しい注文だ」



素足に触れる風。
もう少しだけ、このまま時間を過ごしたかった。



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