◆年々歳々花相似、年年歳歳妖相違◆
「大分、でかくなってきたなー。どっちだ、どっち?」
顔と不釣合いの膨れた腹を摩るのは男の手。
浅黒く焼けた肌色と、対になる様な白絹の肌。
「産まれてくるまで、分からないよ。紅」
「あーもう、早く出て来いや」
体全体がどことなく丸みを帯びて、目は猫目に。
「あー、名前が迷う!!どうしろってんだよ!!」
「迷ってもいいけど、変な名前は付けないでね」
銀の髪を、ゆっくりと櫛が滑り行く。
その手を取って男は自分の頬に当てた。
「銀華、いい親父になれるように俺、がんばるから」
その言葉を裏付けるように、彼ここ数ヶ月、夜中には必ず戻ってくるようになった。
時折、酒の席に誘われても以前のように遊び呆けることも無い。
たまには宵を愛でろといっても、帰ってくるほどだ。
「父さまも、母さまも」
「ん?俺んちの?」
「そう。私を大事にしてくれる」
件の二人にとっても待望の初孫だ。
何だかんだと理由をつけては、新居へとやってくる。
「それよりも、金角は…………」
病に冒された双子の姉は、独角児の率いる薬師たちに委ねられ、面会も叶わない。
どちらにしろ、妊婦である銀閣にいい状況ではないのは明白だ。
「金角は……大丈夫だ。兄貴付いてるし、兄貴の薬師たちみんな頭良いし」
「……うん……」
欠けた身体の痛みは、どれだけ離れても伝わってくる。
双子とは、一つの魂を二つに分けて生まれてくるものなのだから。
同じ顔を持つ、二人の女。
「銀華は、ちゃんと食って、元気な子供を産んで、それを俺と一緒にあの二人に見せに行く。
それがお前のすること」
それでも、銀角は以前のように人間を食らうことは無くなった。
喉の飢えは石榴で飲み込む。
唇を赤く染める果汁は血液に似ていて、安定をくれる。
飲み下して、飢えを凌いで、腹の子供ために歌うのだ。
「お前に良く似た娘だろーな」
「女子(おなご)は父親に似るのを知らないのか?」
言葉尻も柔らかく、伸びた髪は上等な織物の様。
悪鬼と言われた姿は微塵も無い。
「紅、外に行きたい」
手を取って、窓辺に連れて行く。
ここ数ヶ月、銀閣は邸宅から出ることが無かった。
正確には、紅孩児がそれをさせなかったのだ。
平頂山の主として、その名は知られすぎている。
そして、それに付随するように彼女恨むものも少なからず居るのだ。
それが彼女が身重だと知って、色めき立たないはずがない。
「ダメ。ここで我慢しろ。ほしいものがあれば俺に言って」
解かれた髪と、素面は彼女の幼さを表に出してしまう。
「たまには私も外に出たい」
「危ないから、ダメ」
「紅」
「………………」
伸びた角は隠しようが無い。加えて、見事な銀の髪。
細い身体に腹だけが突き出た姿。
「雪、降るだろ。風邪引くから、ここに居て」
「……やー……」
ぽろぽろと零れる涙。
幽閉生活は、世界から色を奪ってしまう。
「外に行きたい……」
「………………」
抱き寄せて、こつん、と額を合わせる。
「どうしても、外に行きたい?」
「うん」
「…………どうしても?」
こくん、と頷く小さな顔。
「分かった。一日だけだぞ、銀華。俺の傍から離れないで」
連れ立って降り立ったのは西の都。
男は易者風情の人間の姿に。女は目深に帽子を被って、その角を隠した。
久々に見る外界に、銀角の瞳がきょろきょろと動く。
「紅。おかしくは無いか?」
「全然。さて、どうすっか?銀華」
手を繋いで、離れないようにして人間の中に紛れ込む。
膨らんだ腹を摩る女と、それを目を細めて眺める男。
並ぶ姿は初々しい夫婦にしか見えない。
その二人が揃って天界議録に名を連ねる妖怪だとは、誰にも分からないだろう。
「腹減った?何か食うか」
「喉が渇いた」
居並ぶ露店の一つに立ち寄って、手に取ったのは熟れた杏。
「いい塩梅じゃろ?」
「美味そうだ。もっと赤いのは無い?」
「杏は緋が一番じゃて。赤では鬼も食わんよ」
老婆の手からそれを受け取り、女の手に持たせる。
「銀華、どーぞ」
「ありがとう」
節くれた指に銀色の貨幣を握らせる。
「お釣りが追いつかないさね」
「いらねーよ、ばーちゃん。もう一個貰っても良いか?」
小さな杏は種を残して銀角の胃の中に。
緋色の杏は鬼も虜にしてしまう。
「一籠もっていきんしゃ。それでもお釣りがわんさとでるよ」
「あんがと。遠慮なくそーする」
「娘さんも、腹にややが居るのじゃろ?杏は赤子にも良い。良い子が生まれるさ」
果肉の付いた指先を一舐めして、少女はすい、と前に出る。
「御婆様、杏、美味しゅう御座いました。この杏ならばきっと鬼もころり、と
落ちるでしょうね」
その言葉に紅孩児は必死に笑いを堪えた。
自分たちがその『鬼』なのだから。
「胎の子も、満足しております」
唇しか見えなくても。
その言葉を彼女が心から発していることは、誰の目にも明らかだった。
「いい旦那さんじゃないか。御前さまを大事にしとる」
「ええ。お陰で甘やかしてもらってますわ」
「良い子を産むんだよ。子は、世の鎹じゃて」
皺だらけの笑顔に、同じように笑う唇。
「ありがとう、御婆様」
白絹の手に触れる、罅割れた指。
「大事にするんだよ。冬を越えれば、生まれるのじゃろ?」
「はい。桜の頃に」
がさついた手の優しさ。
それは、人間がただの食物ではないと彼女に伝えてくる。
子を成し、親となることに。
人も妖しも変わりは無いのだから。
彼女にとって、人間は一種の栄養摂取元だった。
それが変わり始めたのは件の女僧と出会ってからだ。
「親父!!それとそれも!!それから、そっちも!!」
色取り取りの水晶と宝玉。
妖怪にとってはそれらも大事な栄養である。
妊娠中であれば殊更、いいものを食らう必要があるのだ。
「紅。もう良いよ。そんなに食べられない」
「馬鹿言え、栄養取んなきゃガキに逆に食われるんだぞ」
人間にとって二人の会話は意味不明のものだ。
銀角の制止を振り切って、紅孩児は次から次に宝玉を選んでいく。
なにせ王子様は金銭感覚というものが無い。
妖怪にそれを求めるほうが、難しいことだろう。
「……?あれは……」
辻の端でけらら、と笑う猫幽鬼。
訝しげな顔で彼女はそれを見つめた。
「こら。何をしている」
首根っこを捕まえれば。
「げげ。銀華娘々!!」
「ここはお前たちのような幽鬼の居る場所ではないだろう?」
空いた手には杏の籠。甘い匂いが立ち込める。
「うわ。吐きそうな匂い。どうしたのさ、あんただって人間を食いに来たんだろう?」
「およし。あいにくと今は満腹だ」
飢えが無いわけではないが、人間を食いたいという気持ちでもない。
「皺皺の婆でも食うか。けけけ」
するり、と抜け出しそれは風に姿を変える。
「!!」
その先には、先ほどの老婆が居るのだ。
「お止めなさい!!」
落下する籠の音で、男はようやく事態を察する。
ばくり、と口を開いて頭から丸呑みしようと、幽鬼は老婆の上に。
「お止めと言っただろう?」
「うげ……っ…!!」
首筋に突き刺さる二本の牙。
そのまま引きちぎると、幽鬼の身体はぼとりと二つに分かれた。
ざわつきはやがて敵意に変わり、銀角を取り囲む男たちの手には光る武器。
(……面倒なことに……)
「馬鹿はどけっっ!!」
男たちを蹴散らして、紅孩児は銀角の肩を抱いた。
「銀華、帰ろう。身体に障る」
「……うん……」
自分たちは迫害されるものなのだから。
妖怪は狩られる側。どれだけ彼と彼女が強くとも、受け入れられることは無いのだ。
「お待ちなされ」
その声に、銀角はゆっくりと振り返る。
「お姿を、お見せください」
静かに帽子を外す。
ばさりと落ちる美しい白銀の髪。
「平頂山の銀角さまであったか……ああ、御労しゅうございます……」
「?」
「金角さまと銀角さまのお陰で、私の村は救われました」
二人が平頂山の主として健在だった頃。
悪戯に領地に踏む込む妖怪を一掃し、近辺を守ってきた。
それは結果的に山賊や夜盗をも遠ざけていたのだ。
「そちらのお方も、名の在る方なのでしょう。銀角さまがお選びになられた」
「……私が、怖くないの?私は人間を食らうのよ」
「人間は、人間を殺します。銀角さまは我らを守ってくださった。親の無い
私の命は、あなた様に守っていただいたのです。生きながらえて、親となり、
今は孫も曾孫もおります。銀角さま……あなた様を恐れる必要は、何があろうと……」
震える老婆の手を取って、同じように目線を重ねる。
「ありがとう、私……人間が少しだけ好きになれたのよ……」
それでも、これ以上ここに留まれば。
今度は彼女が迫害されるのだ。
「私の、お友達になってくれる?」
「銀角さま……」
「杏、美味しかったわ。ありがとう。こんなに美味しいの、初めて食べた」
籠を拾って、男の隣に並ぶ。
そして、その次の瞬間にはもう二人の姿は無かった。
織機に糸を掛けて、紡ぐ色は緋。
一目一目、掛け違えないように指先が踊る。
「それ、俺の?俺の?」
「違う。この子の」
あの日以来、彼女は人間を食らうことを禁じた。
代わりに色の良い杏を口にするのだ。
「もうじき無くなっちゃうから」
「わーってる。また、あのばーちゃんの杏が良いんだろ?」
「うん」
その度に、紅孩児は籠一杯の杏を取りに走る。
それで銀角が穏やかに笑っていられるなら、と。
「行って来る」
男を見送って、織機から手を離す。
長めに作った布地で、二人分の肩掛けを付くるのが本当の目的だ。
それを言ってしまえば、天界までも昇って戻ってこないような男が相手。
口を開くわけには行かない。
(あ……雪……)
掌で溶ける真白のそれ。
くすくすと笑う銀角の前を過ぎ去る一つの影。
(あら……美味しそう。紅に何か作ってやろうか)
手を伸ばして、消えかかった雪精をがしり、と掴む。
伸びた耳は兎と同じで、真っ赤な目でこちらを見つめてくる。
「嫌ーー!!妖怪なんかに食べられるなんて屈辱的で嫌ーー!!」
下級とはいえ、雪精も天界の住人だ。
「安心をし。私が美味しく味付けてやるから」
「嫌ーーーーっっ!!!」
じたばたと暴れる雪精の首をごきり、と折ってそのまま厨房へと向かう。
二人だけの暮らしを満喫するために、童女は一人も置かないことにしている。
手際よく皮を剥いで、胡椒と塩で下味を。
からりと素揚げにしてその上から野菜を混ぜたとろとろの餡を乗せた。
(杏も来るし……夕食はこれでいいね)
耳の上で結わえた銀の髪。
ふわりふわりと優しく揺れる。
次々と作り上げて、見る間に卓上は料理で埋まってしまった。
「たっだいま〜〜〜〜〜、あ?なんか美味そうな飯!!」
「取れたてだから、美味しいよ」
「飯♪」
取り分けて、差し出せばあっというまに平らげてしまう。
口の端に付いた欠片を優しく取る指先。
「付いてる」
「あ、うん……」
以前よりも、ずっと穏やかで女らしくなったと男は笑う。
杏と宝玉を糧にして、少女の胎は随分と膨らんできた。
「雪が綺麗。最初の雪だわ」
手を取って、並んで窓辺に立つ。
この雪が溶ける頃、二人の間にはもう一つ小さな命がやってくるのだ。
「銀華」
少しだけ屈んで、額に唇を当てる。
前よりも、ずっと近くなった二人の距離。
「愛してる。今までも、これからもずっと」
「……馬鹿……」
「かーわいい。ちっちゃくて、かーいい俺の銀華」
この腕に抱かれることも嫌だとは思わなくなった。
不思議な安心感と、温かさ。
「紅、私とこの子を……守ってくれる?」
「おう。俺はいい親父になるぜ」
「あ……」
「ど、どした?」
男の手を取って、そっと自分の腹に導く。
「今、蹴ったの。ほら、お父様の手よ」
反応するように、掌に感じる振動。
「やん、今日は凄く元気。機嫌が良いみたい」
「うわーーーー!!名前考えなきゃなんねーんだった!!」
「騒がしいお父様ね。でも、素敵なお父様よ」
めぐり来る季節に、変わりは無いけれども。
その色は、一度たりとも同じものは無い。
君が隣に居てくれるだけで、すべてに色が溢れていく。
「銀華、もっと言って!!もっと!!」
「騒がしい男だな。耳は良いんだ。静かにしろ」
「銀華〜〜〜〜〜っっ」
騒がしい二人に騒がしい季節。
年年歳歳花相似、年年歳歳『妖』相違―――――。
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0:48 2004/12/13