◆恋心、夢見がちに成り得る夕暮れ。君の隣で◆
照らす日差しはじりじりと暑く、袈裟と法衣が身体に纏わりつく。
汗で濡れた肌に張り付くそれの感触は決していいものではない。
「悟空、私はちょっとそこの川で水浴びをしてくる。荷物番だけ頼むぞ」
「うあ〜〜?俺、昼寝したい……」
「そうか、永遠に覚めぬ昼寝でもさせてやろうか?」
赤い硝子玉の瞳が悟空の瞳を捕らた。
「荷物番させていただきます……」
「わかりゃいーんだ、わかりゃ」
玄奘三蔵と言う名のこの女。見た目こそ僧侶としても通じるが中身はまったく持って違うという毒婦。
その気になれば一国の諸侯や王侯でも落城させること出来るだろう。
そして、人ならざる物から永遠に愛される宿命。
(三蔵って全っっ然、坊主に見えねぇ……ってか坊主ってもっと大人しいもんだろ……?)
悟空がぼやくのも至極当然だった。
この三蔵と来たら僧侶の戒律からは程遠いような女なのだから。
相手が妖怪であれば間髪いれずに滅殺するし、食事の時でも平気で肉を食らう。
酒と煙草は切らせば怒りを買うことは必死。
そして何よりも、女僧の『三蔵』などは前代未聞のものなのだから。
栗金色の髪に、夕日を写し取ったような赤い瞳。
異国人にも似たような風貌。
(わっかんねーよ……三蔵って何者なんだぁ?)
うとうとと彼女の数珠の入った袱紗を抱きながら目を閉じる。
(あ〜〜……やべぇ……眠くなってきた……)
「!!!!」
後ろから濡れた乳房を鷲掴みにされて三蔵は振り返る。
「おお!!やっぱし美人!イイ身体してても不細工だと俺、イケないクチなのよ」
一人で勝手な理屈を展開させながら男はうんうん、と頷いている。
(……チッ……これもバケモノか……)
ぱしん!とその手を払いのけて、腕組みをしながら彼女は男と向かい合う。
「見たところこの川の主と思えるが……私に何の用だ?」
「大した度胸だな。俺に食われるとは思わないのか?」
水濡れの美丈夫は手を伸ばして三蔵の額に触れる。
「美味そうだよな、お前」
ニヤニヤと笑う男の額に同じように三蔵も手を伸ばす。
その指がつつつ…と走った瞬間に男は悲鳴を上げた。
「うぎゃぁぁぁぁッッッ!!!何すんだこのアマァッ!!!」
「手を離せ。話はそれからだ、河童」
「ほえ?俺が河童だとよく分かったね」
「水の中に居るのは水霊獣か河童の類と決まっているだろうが」
細い背中を目で追う。
器用に水を払って三蔵は法衣を身につけ、あっというまに僧侶の姿に。
「女の坊主ってのも珍しいな」
「そうか?たまには良かろう?」
正面から向かい合い、三蔵は煙管片手ににやりと笑う。
「さて、河童。名前を聞こうか」
「沙 悟浄」
「ほう……沙の姓を持つのならばおいそれと河童扱いするわけにもいかんな」
薄い唇と、金色の煙管。
僧衣がなければそのあたりの娼館で客を取っていてもおかしくはない。
「いや、どうせなら悟浄って読んでくれるとうれしーんだけどな」
「私は玄奘三蔵と申すもの、天竺への旅の途中だ」
その名を聞いて悟浄は目を見開く。
僧侶たちの中でも高位に称される『玄奘三蔵』の名を持つと言うのだ。
「あ、アンタが三蔵!?オンナだろっ!?」
「ああ、どういうわけか私が選ばれた。まぁ……鬱陶しいが仕方あるまい」
少しだけ釣り上がり気味の瞳。
その色は錆びた銅を含んだ血の色。
「さて、見たところ暇なようだな。出来ればここから出る方法を教えてもらえればありがたいんだが」
「……俺も一緒に行っちゃおうかな。天竺」
意味深な笑い方で悟浄は三蔵の唇から煙管を奪う。
「もしかしたら御馳走にありつけるかもしれないでしょ?三蔵ちゃん」
「河童なら胡瓜でも食えばいいだろうが」
赤い瞳がちらりと見据えてくる。
「それにこの当たり一体がお前の管轄だろう?おいそれと連れ出すわけには行かない」
管轄するべき主が消えればその座を狙って妖怪、霊獣入り乱れての戦が起きる。
それだけならばまだいいが、その魂胆の結果は水害や日照という形で民草にも降りかかるのだ。
それ相応の強さのあるものが統括することで戦乱を抑えるのは人も妖怪も同じらしい。
「兄貴、素直に言ったらいいんじゃないんですか?一目惚れしたって」
水面から姿を現したのは同じように水に属する精霊。
長く伸びた耳は変形してまるで魚の鰓の様にも見える。
「兄貴が前に同じように消えたのは確か…托塔李天王の奥方……ああ、あの蛇女」
「言うなよ、それ。俺も結構ショックだったんだからよ〜」
同じように水浴びをする女の美しさに見とれて寝所を共にしたまではよかった。
朝方目覚めてふと見やれば鱗と伸びた爪。
伸びた牙に食われる前にそそくさと逃げ帰る有様。
妖女はあのナタ太子と恵岸行者を産み落としたこ竜の女。
「この人は無類の女好きで。悪い方ではないのですが、なんとも」
「それは十分に悪童だな。まぁいい。見たところお前もそこそこの妖気はあるようだが」
「へへ……兄貴を短期間なら貸し出し(レンタル)しますぜ。その代わりに……」
精霊はそっと自分の左腕を伸ばす。
幾重にも絡んだ女の骨。
「これ、取ってくれませんか?あなたならできるはずです」
そっと触れるとまるで砂糖を砕くように骨はさらさらと崩れて水に溶けていった。
「兄貴の巻き添え食らうのは真っ平です。さ、早めに荷物まとめて行ってきてくださいね!」
嫌がる悟空は三蔵の一喝で渋々ながら悟浄の同行を認める。
互いを「河童」「猿」と貶し合いながらも、この二人の息は合うことが多い。
一気呵成に攻める傾向のある悟空に対して攻守の均衡の取れた悟浄。
三蔵はどちらといえば後方支援。
いくら高僧といえども、生身の人間である彼女を前線に出すのは得策ではない。
そんな悟浄を迎えて最初の冬。
肌に感じる風は冷たく、吐く息を白に変えていた。
「痛ってぇ!!!もうちょっと優しくできねぇモン?三蔵ちゃん」
傷口に薬を塗りこみながら三蔵はぎろりと悟浄を睨む。
「女であればどれでも見境なく飛びつくからだ。阿保が」
「ヤキモチ?かぁわい……」
ぼたぼたと液薬をかけると再度悲鳴が上がる。
「馬鹿も休み休み言え。殺すぞ」
「十分反省しました。しっかしさ……あの猿は何モンよ」
余程疲れたのか悟空は隣室で爆睡。たいした怪我もなく悟浄とは対照的だ。
「斉天大聖といえば……お前には通じるであろう?」
「……嘘だろ?あのガキが?」
天界を追われた斉天大聖は二郎神の策略で五行山に封印されたとは風には聞いていた。
しかしながらその姿を見たものはほんの少数。
よもやあの子供がそうとはだれも思わなかった。
ましてや三蔵の従者の一人になっていようなどと。
「まぁ、俺と縁があるのは三蔵ちゃん……いや、江流童子って呼んだ方がいい?」
「……………」
どれだけ沈めようとしても、喰らおうとしても、まるで何かに守られているかのように赤子は籠と共に流されていく。
その籠を拾ったのは一人の僧侶。
彼は赤子に江流と名付け、僧として育て上げる。
「普通の化けモンなら……食えないだろうけど、俺ならいけるかもな」
「私を食ってどうする?」
「まぁ、強くはなれんだろうけども俺はそれには興味ナシ」
伸ばされた手が顎先をくいと上げる。
「食わせてくれんの?」
「天竺とやらに着いたらな。すきにするがいい」
ガラス玉を埋め込んだような赤の赫。
ほんの少しだけ開いた唇に、悟浄のそれが重なる。
「……何のつもりだ」
「俺は、美人に弱いって知ってんでしょ。こんだけ頑張ってんだからさご褒美の一つくらい出てもいいじゃん」
法衣に手をかけて、一枚ずつ落としていく。
あの日に見たよりもずっと細く、白い身体。
「ヤらせてよ。この先ずっと一緒に居るために」
「……………」
再度重ねた唇は、先刻よりもずっと重く、甘い。
入り込んでくる舌先を受けながらぼんやりと宙を見上げる。
「余計なとこは見ないで、俺だけ見てて」
上向きの胸が、ぷるんと揺れて指先がゆっくりと沈んでいく。
ほんの少し噛んだだけでも赤く滲む人間の柔肌。
脆くて、小さな、弱い生き物。
「……っ……」
背中を抱かれて、喉元に口付けられる。ちゅ…と離れては、恋しいのかすぐにまた。
肌着も全部剥ぎ取って目にしたのはあの日に見たよりもずっと艶かしい肌。
悟浄の頭を抱くようにすれば、鎖骨からゆっくりと唇が下がっていく。
「……っは……」
張りある乳房を優しく掴んでぴちゃ、と舐めあげる。
「我慢しないで、声上げて」
胸に顔を沈めて、男の指先はゆっくりと下がっていく。
しっとりとした肌に触れて、その感触を確かめる。
人間の身体、四肢、指先、爪。
何もかもが本来は食料としてのものでしかないはずだった。
「!」
内腿をさわさわと撫で摩っていた指を、静かにその入口に沿わせる。
「なっ……!止めろっ!!」
柔らかい腹を甘く噛み、括れた腰を押さえつけていく。
ちゅく、と入り込んでくる指に身体は強張って、拒絶しようと収縮する。
「いいから黙ってな。俺がリードしてやっからさ、三蔵ちゃん」
片目をぱちりと閉じて悟浄は笑う。
「……っふ……」
ぴちゃ、と重なる唇。入り込んでくる舌が口腔を甘く嬲っていく。
顎先、鎖骨、舐めあげながら唇はそちこちに自分の痕跡を残す。
まっさらな布地を染め上げていくように。
「!!!」
唇全体を使って赤く熟れた突起を吸い上げる。
赤と白の交差する視界。
「ぅあ!!や……ッ!!」
味わったことなどない感覚に、身体は震えて男の指を奥へと導いく。
かりり…甘くそこを噛まれてびくりと身体が跳ね上がる。
「―――――――――ッッッ!!!!」
真白に炸裂する意識。細切れになった視界。
「……ぅ……」
「ちょっと慣れとかないと、後がキツイよ?」
ちゅるり抜いた指先を、赤い舌が舐める。
「……?」
漠然としか知らない行為。
脚を割られて入り込んでくる男の身体にびくりと肩が揺れた。
「……や……ッ……」
力の抜け切った腕で押し返そうとしても叶わず、その腕の中に抱かれてしまう。
自分の力の無さ、そしてこの身が女なのだと知らされるのだ。
(意外と可愛いとこあんじゃねぇの……)
この腕の中で震えるのは噂に名高い玄奘三蔵の名を持つ小さな女。
栗金の髪を小さく振って涙を堪える姿。
(今まで誰も手ェ付けられねぇのが分かるぜ……大した代モンだ)
高尚過ぎるものには触れられないのと同じように、この女もだそうだった。
同族の人間では触れることの出来ない気品。
その赤き瞳は何もかもを跳ね除け、平伏させるだけの力を持つ。
川流れの子供と揶揄されても、そんな半端な言葉程度では彼女の心に触れることは出来ない。
人と交わることの出来ない女。
人と身体を契る事の出来ない少女。
それ故に彼女は玄奘三蔵の名を得ることが出来たのだ。
「……力だけ、抜いて。江流……」
ぐっと膝を折られて、その先端が押し当てられる。
「…嫌……ッ!」
入り込んでくる異物をまるで拒絶するかのように、内壁は狭くきつい。
(やべ……俺のほうが先にヤられそ……)
ゆっくりと沈めるたびに小さな悲鳴を殺す唇。
乾いてカラカラのそれをぺろ、と舐める。
「……ぅ……や!!!嫌ッッ!!!」
ぐっと突き上げられて暴れ出す四肢。両手を一掴みにして自分の背中に回させる。
「引っ掻いても、何しても構わないから……江流」
腰を抱かれて最奥まで一気に突き上げられる。
「!!!!!」
半開きの口から零れるのは荒い息と押し殺した声。
重みと鋭さの交互した痛みが彼女の身体を支配していく。
「あ!……ッ!!」
ぼろぼろと零れる涙に、悪戯半分に誘った胸がちくりと痛む。
(大事にすっからさ……天竺だろうが地獄だろうが嫌でも付いていくから……)
汗で張り付いた前髪をそっと払って、形のいい額に唇を当てる。
しがみ付く様に背中に回された手。
小さな爪がくっ…と食い込む。
「……江流……」
潤んだ紅の瞳。
腰を進めるたびにぎっとその目が閉じる。
(大事なモン貰った責任はきっちり取るから。俺はどこまでも付いてく、アンタの行くとこなら)
汗ばんだ身体を絡ませて。二人分の体重を受けた寝台がぎしぎしと音を立てる。
柔らかい乳房を噛んで、転がすように唇を使う。
「……ひ……ぅ…ん!……」
腰から手を上下に滑らせて細い背中と小さな双丘を抱き寄せて一際強く繋ぎとめる。
「……っ……悪ぃ、先にイかせて……」
ぎゅっと抱きしめて小さな身体に己を吐き出す。
「!!」
注ぎ込まれる感触と背を走る感覚に彼女はただ涙を零した。
「そんなに怒んなくてもいいじゃねーの」
触れそうとする手をぱしんと払いのける。
鈍く痛む腰とどうしようもなく重い身体を抱きしめながら三蔵は悟浄に背を向けていた。
「でも、俺って好運(ラッキー)だわ、アンタの最初の男になれたんだから」
「私の人生における最大の汚点だな」
キッと睨んでくる真っ赤な眼。
「アンタ、小指一本欠けてんだな」
上掛けから覗く足首を悟浄は優しく撫で摩る。
三蔵の左足の小指は中程から綺麗に欠けていた。
あたかも生れ落ちた時からそうだったかのように。
「痛かったろ?こんな……」
「私が、私だと分かるために。死ねば只の肉槐だ。三蔵の名も、妖怪も区別は無い……」
その足首にそっと接吻する。
「天竺だろうが、地獄だろうがアンタが行くとこなら何処までも行いていく。例えアンタが嫌だって言っても。
アンタの隣でこの細い腰抱いて、きっちり守ってやるよ」
それは、素直ではない彼の告白。
「荷物持ちはもういるから、差し詰めお前は下僕ってとこだな」
のろのろと身体を起こして壁に背を当てる。
「そんなとこじゃ身体冷やすぜ?」
抱き寄せられて三蔵は訝しげに悟浄の顔を見上げた。
「何をにやけている。気色の悪い」
「いやん、三蔵ちゃんったら。俺、今……幸せの絶頂なんだからぁ」
手を伸ばして愛用の煙管を取って火を点ける。
立ち込める匂いと上がる紫の煙。
「そういや、この左腕の布は何なのよ?」
その言葉に三蔵はしゅるりとそれを解いていく。
肩口の下から肘の近くまで彫り込まれた破邪の呪文。
弱い妖怪は彼女の身体に触れるだけで消し飛ばれるその威力。
悟空と出会うまで三蔵が無事だったのはこれも理由の一つに上げられた。
「物騒だな……女の体に何てことすんだか……」
「直に触ればお前でも無事ではないだろうな。光明法師の珠玉の作だ」
「嫌な名前だな」
三蔵の手から煙管を取って口に咥える。
「ああ、そうだろうな……」
窓の枠が括った夜空。
黒紺の闇を裂く様に、真白な雪が静かに降り積もる。
罪で爛れたこの身体。
いっそこの雪のように、生まれ直すことが出来たなら……。
「さ、三蔵ちゃん?俺なんか悪いこと言った?」
はらはらと零れ落ちる涙。
指先で払ってそれが涙だと自覚する。
(ああ……まだ涙は出るのか……)
罪を背負い、贖罪のために生きることを宿命付けられたこの身体。
他人に何かを命じられることなど好きではなかった。
赤い瞳は罪人の眼。
人間ではなく、もっと他の生き物。
(贖罪のためになど誰が生きてやるものか……私は……死ぬまで私一人のものだ……)
砂漠の荒野に倒れようとも、妖怪に喰われ様とも。
最後の最後まで自分自身で選んでみせる。
行くべき道は、己の足で。
誰に命じられることもなく、最後まで笑ってみせると。
「あ、それとも俺があんまりいい男だから嬉しくて?」
こつん、と煙管で悟浄の額を叩く。
「調子に乗るな。この色魔河童が」
「うわ、酷い言い方」
「桃色河童のほうが良かったか?」
いつも通りに笑う瞳にほっと悟浄は胸をなでおろす。
「雪降ってんじゃん」
「ああ……綺麗だな」
「まるで俺らを祝福してるみたい……でっ!!」
ぎゅっと頬を抓られて思わず悲鳴を上げる。
「明日の朝に積もったら面倒だ。馬鹿馬鹿しい」
上掛けに包まって三蔵は静かに目を閉じた。
思い出すのはまだ何も知らずに師の下で笑っていられたあの日々。
ただ、与えられた時間を甘受していればよかった。
「寝つきイイのね、三蔵ちゃんって……」
そっと身体を寄せて小さな背中を抱きしめる。
長い睫、小さな鼻、薄い唇。
(パーツが全部小さいのかねぇ、この人)
細い身体は頼りなく、僧侶だとは思えない。
子供のように折られた指先が、やけに愛しく思えた。
「……師匠……」
小さく呟く声。
只一人、彼女が縋って泣くことのできる男。
その存在に胸が痛む。
(見たことも無い坊主に嫉妬してどうすんだよ……勝ち目ねぇだろ、俺……)
ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、沸いた考えを蹴り飛ばす。
「……私は……ここに居ても良いのですか……」
「…………………」
自分の居場所を探し続けて、彼女は前に進み行く。
その行く手に何があろうとも振り返ることなく。
安らぎに身を寄せることもせず、苦行だろうと、何だろうと皮肉めいた笑みで一蹴するのだ。
「……なぁ、天竺ってとこ行ったら俺みたいなバケモンでもさ、それなりになれるんだろ?」
三蔵の髪を優しく梳いて、悟浄は呟く。
「俺じゃ、あんたの居場所にはなれねぇのかなァ……三蔵……」
火遊びは大火傷ではなく、この身全てを焼き尽くした。
酒、煙草、博打が好きな三蔵法師は自信に満ちた赤い眼で自分を捕らえた。
縋るように抱きついて、涙を零した江流という女も、紅の瞳で自分を見つめた。
「どうしましょうかねぇ……この悟浄サマが本気で人間に惚れちゃいましたよ……」
しんしんと音も無く雪はただ降りしきる。
人にも妖怪にも、この真白の雪は同じように景色を変えてくれた。
冬の肌寒さは、人肌を恋しくさせる麻薬。
その麻薬以上に、この女は自分を侵蝕した。
(覚悟決めろ、俺。この先は仲間(バケモノ)と戦ってくんだぞ)
寒さに震えた肩を抱いて目を閉じる。
(惚れた女のために一生賭けたってイイじゃねぇか……俺らしくてさ……)
積もった雪に三蔵はやれやれと頭を振る。
「随分と積もったもんだ。雪ダルマの一つでも作れそうだな」
曇った窓を指で拭って外をじっと見つめる。
「三蔵ちゃんでもそんな遊びしたわけ?」
「昔な。本当に昔のことだ」
法衣を身に付けて身支度を調える。
もう少しだけ、先に進みたいのが本心だから。
「……何をしている」
敷布を抱きしめる悟浄を怪訝そうな顔が覗き込む。
「決まってんじゃん、記念に持って帰るに。俺の宝モンよ?」
「………この……エロガッパがァッッ!!!」
九環の錫杖を振り回して三蔵は悟浄を追いかける。
「そんなに走れるくらいに元気があるんだったらもう一回くらいやっときゃ良かった」
「!!」
言われてその場にへたへたと座り込む。
「あ、あれ?三蔵ちゃん……?」
ずきずきと痛む四肢。重い胎。
「とっとと運べ!下僕ッ!!」
「はぁ〜〜〜〜い」
春の訪れはまだ遠くても人生の春を迎えた男が一人。
面倒なことが増えたと頭を抱える女が一人。
世界は今日も回り続ける。
BACK