◆絢爛たる死者を裁くもの◆








「こんにちは……太上老君はおいでですか?」
引き戸の影からひょん、と顔を出す少年の姿。
「いえ……老子はちょっと外出中でして。して、何のご用でしょうか?」
傍仕えの仙人たちが少年を招き入れる。
館の主である老子は不在だがその間を任された普賢菩薩が今日の持ち回りだ。
「普賢菩薩様がおいでになってますので。ささ、こちらへ」
「え……はい……」
おどおどと入ってくる姿。
見たところまだ十五、六歳の幼さが残る。
黒衣装束の所々に結ばれた紅白の束帯。胸に飾られた鏡面の美しさ。
短く切られた栗色の髪はふわりと揺れて柔らかさをそれだけで知らしめるほど。
少女のようなたおやかな少年は静かに席に着く。
「御客さん?」
「はい、なので普賢様に」
「ああ。良いけども」
通されて鎮座する少年の姿に普賢は目を瞬かせた。
栗色の髪に銀色の瞳。それは花のようにたおやかだと聞いていた存在。
「これはこれは……閻魔が珍しい」
「ええ。老君にお話が……」
閻魔という言葉に周囲がざわめく。
幽冥教主の下につく裁判官たちの俗称の閻魔たちは滅多なことでは表に現れない。
まして、こんな子供が閻魔だとは誰が思うだろうか。
「普段は夜しかお会いしませんからね」
それでも彼もまた悠久の時を過ごすもの。
その心眼で相手を見抜き信賞必罰と判断を下す存在。
菩薩が民を救うならば閻魔閻羅は民を裁くもの。
罪に対しての罰を与えそれを消化したならばるぎ次の段階に進めるように。
「最近は亡者がやけに多くて困りますね」
出された花茶を口にしながら閻魔はそんなことを呟く。
人の生死は大まかに老子が取り忌めることも多い。
不慮の事故を考慮してもなお多いと冥府ではそれこそ不眠不休の裁判が行われていた。
「これでは幽冥教主様も過労で倒れてしまいます」
美貌の亡霊教主は一度は御目に掛かりたい幻の存在。
しかし余程の重要項目でなければ表に出ることはない重鎮であることもまた確か。
「えらい別嬪さんだってな」
「はい。それはそれは美しく面白い御方です」
にこり、と笑えば季節外れの花まで満開になってしまう。
生と死の関わらない存在として冥府を取り仕切る郷愁の噂は様々に。
「御目に掛かりたいもんだ」
「普賢様なら死ねばお会いできますよ?」
「それじゃ意味ねぇだろ。死んじまったら別嬪さんに裁かれる側になる。俺はこのままに
 逢いに来たいってだけさ。流石に教主に手を着けるほど馬鹿じゃない」
浮き名の多い菩薩でもその力を認めるときは殊勝になる。
「男に手を出す趣味も無いしな」
「教主は無性です。どちらになりどちらにもならない」
「遊び放題ってことか。得な人生だ」
「いえいえ。教主殿から御出になることはありません。精々歌を詠まれる程度のお休みしか」
幻想を纏う葬儀の猛者は猛ことなく静かに過ごす。
「どうやったら逢えんのかね」
「死ねば逢えます」
「堂々巡り、あきらめるのも肝心か。まあ、本命がいるから浮つくなってことか」
件の女僧は西を目指す。
妖怪を引き連れながら己の真実だけを求めて。
それは誰にも決められない定まった道筋。
そこから外れるための力を追い求める旅でもあった。





「悟空」
一仕事終えたといった表情で三蔵が手招きをする。
陽に焼けたことなどないようなその肌は妖怪たちが好む柔らかさ。
「たまに思うんだが、お前が一番純粋な妖怪だな」
「何で急に?」
「人と妖怪の境界が緩んできてる……まあ、大したことはないだろうけども」
伸びた金髪を指先に絡ませて何時ものように紫煙を燻らせる姿。
すらりとした背中は幾分がたくましくなっただろうか?
今の彼女は自分で自分を守るだけの強さを持つまでに至った。
「早めに寝ておけ。あのお姫様使って釣り上げるぞ」
「現金うはうは?」
「おまえ強い相手と殺りあいたいだろう?ちょうど良いのを釣り上げてやる」
その瞳が少しだえ歪んだことに誰が気付いただろう?
彼女は人であって人ではなくかといって人でないものの中に埋没することも許されない。
「それはそれとこれはこれっ!!」
歪んだ空間からにゅるり、と突き出る細い手。
「おまえが玄奘三蔵かい?」
その隙間から聞こえてくる声は何とも言えない奇妙さがあった。
少年と少女を混ぜ合わせた猫のような異形の音色。
「人に聞く前に先に名乗れ」
「おお失礼。んではそちらに」
割れた二股の猫の尾はまさしく凶兆の黒猫そのもの。
金色の瞳がぎょろ、と蠢く。
「金魚とか食うか?」
「あれま失礼な猿の子。このわちきに金魚なぞ」
真っ赤な鉤爪、真っ赤な長衣。胸に刻まれた悲願の花は黒の刺繍。
「わちきは閻魔楼閣の使者。紅猫と申す。そこな玄奘三蔵に話があってきたが……ふぅん、ここは
 死臭が酷い。冥府ですらこんないやなにおいなどないというに」
取り出した緋扇に描かれた揚羽蝶。
ふわり、と飛び出し辺りを往復しだす。
「すげー、絵が出てきてら」
「妖気や仙気が強ければあれくらいできるようになるな。あれも……化け物だ」
棍棒の先端に付いた鉄球の重さは見た目よりもはるかなもの。
瑠璃玉美しい仕置きの道具を操る姿は流石は冥界の住人というべきか。
「まったく……こんな空気の悪い所にあのお方を使わすことなどできませんがなー」
空中に椅子でもあるかのように優雅に座る姿。
「おまえたちがさっさとあの妖怪を始末しないからこんな面倒なことに」
「ほう。黄袍怪が不都合か」
「おかげで予定外の死人がわんさかだ。それと……余計なことは考えないほうがいいぞえ?
 次の転生の輪に彼人が乗れなくなる」
にやり、と横に歪む薄い唇。
彼人はただ一人彼女を絶対的に縛る存在。
「わちきの上におられるは魂を管轄する御方」
「幽明教主の首でも締めれば問題はないか?」
「できるものならばやってみろ。天人崩れが」
瑠璃玉が女の鼻先寸前でぴたり、と止まった。
「誰であろうと教主様と蓮華様を愚弄することは許さぬ」
聞き出したかったのはその名前。
それがわかれば対等に渡り合うだけの材料になる。
名前は言霊、その筋を見抜くもの。
だからこそ彼女は川流れの名から玄奘三蔵として変貌を遂げたのだ。
「ほほう。今の閻魔はそんな名前か」
「……似ても焼いても食う気に成れない女だっ!!」
ぶん!と一振りすればそれだけでガラスでも割ったかのように空気が破片と化して落下する。
「おまえの勝手な事情で決着付けたいならそれなりの場所くらい準備してやる!!とっとと
 黄袍怪のやつをぶち倒せ!!」
「これこれ、そんな下品な言葉遣いは感心できませんよ」
鈴を転がしたような可憐な声。
空間が静に歪んで現れる影はその存在感(プレッシャー)だけで息をのむほど。
透き通る栗金の神に柔らかな頬。
黒衣に結ばれた紅紐がその幼さを強めてしまう。
「蓮華様!!」
あわてて膝をつくさまに相手が何者なのかを知る。
「お初にお目に掛かります、今生の玄奘」
踏み出すたびに生まれる死蝶の姿。
触れれば瞬時のその命は冥府へと送られてしまう。
「閻魔と言えば分りやすいでしょうか」
「そうだな。この頭の悪い奴にもわかるように言ってくれ」
「わかりました。余り馬鹿な行動をとると減点対象ですよ?」
左手を一振りすれば握られる虹色の鉄球棒。
混沌たる世界の欠片を閉じ込めたそれは彼のためのだけの悔悟の棒だ。
「それと、そこで聞き耳立てている御二方。あなた方も目に余るならば減点対象です。
 御理解していただけましたか?」
くい、と冠を直してにこりと笑う。
「うーん、俺、何の減点?」
「次に生れる時用です。まあ、あなたの場合は性根は悪くないので審判の時は有利かもしれませんが」
まだ十代も前半に見える最高裁判官は悪戯気に片目を閉じた。
「まあ、地獄で逢いましょう」
「逢いたくねぇ場所だな」
「それとも、自分が浄土にいけるとでも?いずれにしろ私は彼岸の法廷で御待ちするだけですね、ふふ」
この少年があらゆる罪を裁くのだから世も末とは言ったもの。
「へえ、まあいっか。でも、お前綺麗な顔してんのな」
唇に笑みを絶やさぬ閻魔の姿など誰が想像するだろうか。
眉間にしわを寄せた羅漢を思えどもたおやかな少年のこの姿。
「誉められてるのかな?ありがとう」
悔悟棒を一振りすれば生まれる星屑の光たち。
「誉められたからそれをあげる。使いようによっては面白いからね」
「蓮華様!!」
「紅猫、あとこれを」
しゅる、と腕に巻きつく漢紐を解いて従者に手渡す。
閻魔である蓮華が直に相手に触れることは許されない。
触れるだけで過去の道も未来の罪もすべてを白に還してしまうのだから。
「玄奘。これを持っていけば黄袍怪の姫君の記憶操作は解けますよ」
鬼をも打ち据える閻魔羅漢の鍼紐。
妖怪なのまやかしなど一溜りもないだろう。
「ではのちに、地獄で逢いましょうね」





「三蔵ちゃああぁぁああんっっ!!なんでマジで閻魔何か引っかけてんの!?」
「鬱陶しい河童だな」
「だ・か・ら!!ここ開けて!!」
不躾に開く扉。
そこに立っていたのは少年のような短髪の女の姿だった。
「ど……どうしたわけ……」
「気分転換だ」
転がりこむようにして這いこみ扉を閉める。
冠布を使えば彼女の変貌など誰にもわからないだろうが、僧侶の品格よりも野性味のほうが勝ってしまう。
紅色の瞳はまるで魔物のように輝き月さえも撃ち落とせそう。
「おかしいか?」
上目で窺うように尋ねられてぶんぶんと顔を力いっぱい振る。
「そうか。なら問題はないな」
細身の体躯に合わせれば少年に見紛うかも知れない。
「叩きのめすぞ、あの妖怪」
床に散らばる金髪と転がる鋏。
彼女はどんな思いで己の髪に刃物を入れたのだろう。
閻魔は地獄で待つと彼女に確かに告げたのだ。
たとえ彼女が天人であろうと何であろうと、行きつく先は自分たちと同じ。
「……あーあ、こんなにばさばさに切っちゃダメだって。俺が切りなおしてあげる♪」
「?」
「ほらほら、座って」
椅子に座らせて彼女の後ろに男は立つ。
粗野ではなくどうせならば猛禽類の美しさにしてしまえばいいと。
「元が綺麗だから何しても良いんだろうけども」
「下らん御世辞など……」
「地獄だってきっとそれなりに楽しいよん。俺と一緒だし」
「ますます嫌になってきた……」
「うわ、それって酷い」
切りそろえて軽く髪を払う。
彼の少しだけ冷たい手が頬に触れた。
「閻魔(ガキ)が言ってた彼人って三蔵ちゃんの大事な人なんだろ?」
「…………そうだな。正確には本物の三蔵法師だ。私はあの人が死んだからその名を継いだだけで
 まだ事実の三蔵ではないからな」
「いやいやいや。十分。少なくとも妖怪からはかなり信仰されてるって」
道理が合わないならば相手が神であれども立ち向かう集団。
両手が頬を包んでそっと上を向かせる。
重なる視線と掛かる息。
「よほど閻魔連中よりも裁きは正確だぜ?」
触れ合う唇と溶け合う夜。
「どいつもこいつもくだらないことばかりだ」
「そのくだらないことにも命張っちゃうもんね。それが男ってもんさ」
「…………そういうものなのか?」
思いもしない言葉に今度は彼が驚く。
「まあまかせなって。あのお姫さまもこのお姫様もまとめて助けましょう!!」





酸漿の灯りを頼りに進むは冥府の道。
「蓮華様、亡者の森の奥になど……」
髑髏の敷き詰められた畦道を歩けば死に烏の声が不気味で心地よい。
所詮は彼も地獄の住人なのだ。
「仕方ないでしょう。彼人はこの奥に住むんですから」
「で、誰に御逢いになるのでござりましょう」
「光明三蔵ですっ!!私もあの僧侶に興味を持ちました!!その師匠ならばさぞかし破天荒
 で大馬鹿なのではないでしょうか。面白い話をもちかえれば教主様も少しは退屈しのぎになるでしょうし」
さも良いことを思いついたと手をぱちん、と打つ姿。
地獄の仕事はいつも単調で退屈ばかりが増えていく。
ことに教主ともなれば滅多に動かない分にそれは顕著だ。
「わちき、教主様にお会いしたことがないのですが」
「それはそれは御綺麗な方ですよ。御会いするたびに背後を取られないようにするのが大変」
かつんかつん、と木靴が鳴る。
「はあ……」
「本当に御綺麗で学もあり、尊敬すべき方なのですが……男色なのですよねぇ……ほら、代々三蔵って
 綺麗な男が多いでしょう?だったら丁度良いし」
「なんとなく話が読めましたわぁ……」
閻魔楼閣にふらりと遊びに来てはセクハラ三昧の教主に多少の鬱陶しさが絡まり彼は打って出たのだ。
「私、女性にしか興味はないんですよ」
「ふつうはそうですよ……」
「普通じゃないから教主って勤まるんですよっ。老子や菩薩連中だってみんな変人と変態しかいませんし」
煮ても焼いても炒めても、この閻魔はそう簡単には食えない。
「さ、あっちはきっとはりきって妖怪退治をしてくれますよっ。私たちはこっちを片付けましょうね」








15:10 2009/07/28

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