◆人恋し神様◆
「おぬし、死相が出ておるぞ。おぬしもじゃ」
道すがら老女に急にそんなことを言われて顔を見合せたのは二人の青年。
一人は八万の民を救う役目を担う普賢菩薩、もう一方は天帝の甥の二郎神。
「ジロちゃん、骨は拾ってあげるから安心して火炎地獄で焼かれていいよ」
「ゆっくり眠れ普賢。業火に処されればお前の沸いた脳も少しはましになる」
そんな会話をしたころ合いだろうか。
彗星のごとく勢いよく落下してくる一筋の光。
「普賢ーーーーっっ!!」
「ん?何?何?誰?」
受け止めきるのが男の心意気と青年は渾身の力でその物体を抱きとめる。
「那咤ちゃん」
「じい様から預かりものじゃ!!」
埃を払って揚げ巻きの武人は書状を菩薩に手渡す。
「那咤ちゃんはどっかいくの?」
「儂は今から妖怪退治じゃ」
「へぇ、誰を?」
風火輪を脚に絡ませ少女は牙を覗かせてにんまりと笑う。
「独角児と呼ばれる男じゃ。相手に不足はなかろう」
一通り目を通して普賢はそれを二郎神に手渡した。
読み進めれば眉をひそめ首を二度ばかり横に振る姿。
「那咤ちゃん、俺も行くよ。この案件、俺よりもジロちゃんの方が相性がいい」
刀身を使うことが不得手な普賢菩薩は決定打に欠けるという欠点を持つ。
故に武力の矛となる二郎神と組まされることが多いのだ。
しかし、武神の名を持つこの那咤公主とてその強さは引けを取らない。
破壊力だけを見るならば天界でもトップクラスに平気で並ぶだろう。
「火尖鎗も風火輪も、俺が少し強くできるよ」
「そうか。紅骸児という妖怪もついでにやらねばらぬのだ。普賢がいれば少しは早く
帰れる。兄上があまり遅くなると暴れだすのだ」
「木叉は心配性だからね」
少女の肩を抱いて普賢も同じように笑う。
「じゃ、そういうことで!!」
書簡から転がり落ちてきた香木を抱いて青年は女僧を探して道を進む。
ここ、宝象国に三蔵一行がいることは確かなのだから。
(しかし、二十八宿を野放しにするなど……老子、いつまでも弥勒と遊んでるからですよ)
頼まれれば断ることのできない体質は損なものだ。
良いように使われるのにその報いは少ない。
まして天帝の甥ならば慈悲を持ってそれを笑みとせよといわれるほど。
そしてその女僧は国王と歓談中だったのだから。
「しかしながらそなたの娘、どこぞの男と一緒になってるぞ」
「なんですとーーーー!!」
「しかも、その男……妖怪縁者を引き連れております」
出されたブタの丸焼を頬張りながら一行は老酒を煽る。
魅惑的な赤眼の女は唇を親指でなぞって笑った。
「この国は討伐令をせるのは国王がただ一人……」
美貌の女僧の頼みを断ることは菩薩連中でも不可能に近い。
その結果、難なく彼女は討伐令を引っさげて道を戻るのだ。
「三蔵殿」
「どうした顕聖。死相が出てるぞ」
「あなたにもそういわれてしまった。とうとう俺も死ぬのだろうか」
がっくりと肩を落とす美丈夫に冗談だと女は笑う。
そもそもこの女のそばにいれば閻魔連中も十王裁判を投げ出してしまうだろう。
血生臭いではすまない金蝉の甘い罠。
「実はこの国に二十八宿の一人がいるというのだが……あなたならばそれが見分けられる
と俺は思ったんだが……怪しいものなど見なかったか?」
「変わった妖怪なら見たぞ」
袈裟を翻して女は片目を閉じた。
「面白そうなことを噛んでるな、顕聖」
中指に輝く指輪。
(ああ、身に付けてくれているのだな……)
「美味い酒が出るなら、私も手伝わなくも無いぞ」
「変わった妖怪……二十八宿は転生をするからなぁ……」
困ったように頭を掻く姿が妙に可愛らしい。
その格好にくすくすと笑う濡れた唇。
「随分と可愛い神様もいるものだ」
「可愛い、ですか……」
「相方が居ないようだが?」
「ああ、普賢なら那咤と一緒に独角児の討伐に行ったから」
歩きながらも何だからと酒家の中に入り込む。
無尽蔵の酒蔵を内臓にでも入れてるかのように彼女は次々に瓶を空にする。
宝象国に来てからろくに酒も飲めなかったと。
「独角児はそこそこ強いぞ。何よりもあれが囲う金角の強さ」
ぱきん、と揚げ立ての魚を齧る。
独角児と金角は五行からみれば組み合わせてはいけない二人だった。
手負いの少女もそろそろ戦線に復帰できる頃合。
妹の銀角のほうが華もあるせいか名は通るがその強さは金角のほうが本物であるように。
「なので、今のうちに那咤が討伐に行くんです」
「女には女か」
「はい。那咤もあれで武神ですから」
茹でたての白湯麺を啜る神などどこに存在するだろうか。
半分人間の彼は彼女と居るときが安らげる瞬間だった。
「聞仲殿はお元気か?」
「御館さまは何かとお忙しい。この間も閻魔連中と庭先で戦って遊んでられたな」
こんな笑みを見せるなど天界の住人が見ればきっと驚くだろう。
甘く流れる時間にただしあわせを感じるように。
包帯の巻かれた細い足首。
水面に張った薄い氷をつま先でそっと割る。
「冷たい」
水中に泳ぐのはひらひらの赤い金魚。
おやつ代わりに食してしまうせいでだいぶ数は減ってしまった。
「金華、どこだ?薬の時間だぞ」
「はい」
ふわふわの黒の上着をはためかせて少女は邸宅へと戻っていく。
「何だ?」
掌の中でじっとうずくまる雪精の姿。
ふわふわの起毛はやわらかく赤い瞳が愛らしい。
「どうでしょうか?」
「ああ、かわい……」
言い終わる前に笑う唇。
「おいしいそうですね、兄様」
「……そうだな……」
腐っても金角は大妖怪、栄養価値の高い精霊は一口で飲み込んでしまえる。
「でも、可愛いです。食べないで家の中に入れてもいいですか?」
鼠によく似た精霊は気性もおとなしく愛玩するにはもってこいだった。
何よりも金角は男として過ごしてきたせいか、女らしさがいささか足りないのも事実。
「飼うのはいいけど、ちゃんと世話しろよ」
「はいっ」
少女の手を引いて回廊を歩く。
決められた時間の投薬は彼女の体を維持するのにまだ必要な行為だった。
錠剤を噛み砕いて飲み込む姿が痛々しい。
「早く外に出たいです」
「そうだな、銀華ちゃんにも逢いてぇだろうし……」
「猪八戒をぶち殺すためです」
口を開けば物騒な言葉が出るのは金角のほう。
余程に独角児のほうがロマンチストだろう。
ふわふわの裾が広がる部屋服も、少し伸びた美しい金髪も。
「セクハラ大王は俺が殺るから、まずは体をちゃんと治してだな……」
額に触れる唇に少女の指が男の上着をぎゅっと握る。
「ん?どうした?」
「兄様、このまま聞いてください。決して視線は上げないで」
「あ?」
「菩薩が一匹、蛇の子が一匹。この近くに隠れております。兄様の首を刈りに来たと
呟いてます。どっちもあまり美味しくない……」
不自然に離れるのもなんだと男は金角の体を抱きしめる。
同じように少女も独角児の背を抱いた。
「俺の首?」
「薬師となれば邪魔になることも多いのでしょう。おそらくは私を殺しに来た」
耳に触れる唇に擽ったそうに金角は身を捩った。
男性変化を解除して以来、その妖気は完全に解除されている。
元々強い彼女はさらにその力を増幅させたのだ。
「困りました。私、まだ死にたくありません」
そのまま少女を抱き上げて寝台へと運びそっと下ろす。
上着を剥ぎ取ればそちこちに残る傷跡。
「俺だってまだ死にたくねぇよ。お前とやりてぇことが山とあんだからよ」
「気配が消えました。様子見でしょうか?」
この地に彼女の亡骸を封じればほとんどの妖怪を排除することができる。
強過ぎた妖は必要のない死に狙われるように。
「腹減ったか?」
こくんと頷く姿。
「ほれ」
瑠璃玉を転がせばそれを手にして一瞬で噛み砕いてしまう。
刹那に変わる双眸は紫となり金によく映える。
「んっんっん〜♪こりゃ一度姐さんとこ行くか。なんかありそうだしな」
「鉄扇公主さまでございますか?」
指先の欠片を舐めとる舌先。
「兄貴にも話は入れてた方がいいだろうしよ」
「ならば私も!!」
先の戦い以来彼女は館の外に滅多に出ることはない。
八卦空間の中に存在する鉄扇公主の邸宅はある意味安全区域に当たる。
彼にとって苦手とする十王連中も彼女にとっては所詮は食糧。
「ああ。けど、風邪ひかねぇようにあったけぇ格好してだな」
ふわふわの飾りのついた厚手の上着。
膝まで包み込む編上げの靴は深い朱色。
「んじゃついでに帽子も」
悪戯に兎の耳の付いたそれを被せる。
「兄さま、早く早く!!」
「………………………」
どこからどうみても大妖怪は見えないその姿。
「うわー、犯罪的な可愛さですね。うんうん、俺がロリコンのレッテル貼られるのも仕方
ないわなあ、これは」
交差する菱形の柄は赤と薄紅。
「ほれ、手袋も」
「はい」
元々の妖怪としての資質に加えた人工的な武器。
望めば彼女は己の肉体そのものを起爆にすることも可能だ。
手首についたくしゅくしゅの丸い球。手袋とは角も愛らしいものだと。
「んじゃ、行きますかねぇ」
「はーい」
妖怪の棲む国は、人には見えない物が右往左往。
黄袍怪の裏に存在する西海竜王は三蔵にとっては忌むべき存在だった。
「顕聖」
「三蔵殿……」
足元を転がる髑髏を一つ蹴り上げる。
「その三尖刀、貸してはもらえぬだろうか?」
仇討はきっと彼は望まない。
それでも腕に刻まれた憎悪を消せるのならば。
「いくらあなたでもこれは使えない」
「別に、それは刺し貫くだけが芸ではないだろうに。ちょっと命日には間に合わなかったが
一匹ボコりたい妖怪がいるもんでな」
紫煙に揺らめく薄笑い。
赤に混ざる黒紫は妖艶で彼女が人からゆっくりと離脱するのを助長しているかのよう。
「ゆかいな人だった。あの人が本物の三蔵法師。私はただ継承したにすぎない」
幼い日を彩った恋しい人。
胸の中の感情はいつまでも燻ったまま癒える予感がない。
「三尖刀は神殺しの異名をもつだろう?妖怪一匹斬るのに問題はないはずだ」
「それでも、あなたは人間だ。いくら俺たちに近くても無事には終わらない。三尖刀は
あなたを内側から殺していくことになる」
天神の武具は人には転じて毒となる。
「望むところだ。そんなものでくたばるほど私は弱くない」
玄奘三蔵の名を持ち、妖怪を従える女の姿。
人恋しいと思うのは秋の葉を愛でる天神のみに。
「わかった。ならば、俺があなたの武具になる。それならば同じことだ」
「仮にも天帝の甥御が人間一人のために許されるのか?」
交わす視線に込められた小さな挑発。
受けて立つのは男ゆえに。
「俺も結局は男だ。普賢もいないことだし、自由はあるはずだ」
「あれはお前の監視役なのか?」
「逆だ。俺が普賢を監視している。今回は那咤とどこかへ行ってるが……」
落ちる葉のように、魂は静かに降り積もる。
妖怪も人間もそうは変わらないだろう。
人と妖怪と天神の境界に座する女の眼差し。
血よりも赤い紅は獲物を一撃で仕留めてしまうように。
「誰を狙うつもりだ?」
「天地の精霊、西海龍王」
楼閣に住まう物を無きものにしたいと彼女は呟く。
復讐は少女をかくも艶やかな女に染め上げた。
「大した獲物だ」
「止めないのか?」
「叔父が手を焼いている。それだけで理由は十分だろう?」
「天神公認でブッ飛ばせるのなら、私に非はないな」
手を差し伸べたのは神ではなく。
あいまいな存在の彼女だった。
確かなことはただ一つ。
蛍火のような短い生を、彼女は進むということだけ。
10:36 2008/12/13