◆客星の沈まぬ夜◆






「初心に戻ってみたんだけども」
手作りの桜餅が鎮座する重箱。
歓声を上げる周囲に対して道徳真君は一点を見つめていた。
「コーチどうしたさ?」
「道徳様?」
顎の下に手を当てて、二度ばかり首を振る。
「普賢、何が混入されてるんだ?」
神を欺きさらには神にもなれそうな笑みで少女が輝く。
「やだ、何も入ってないよ」
「天化、お前から行け」
躊躇せずに一番手前のそれを口にした瞬間少年が倒れた。
白黒する眼と混同し始める意識。
「天化君!?」
青年が揺さぶれば僅かに反応するものの、立ち上げる余力はない。
「ヨウゼン、食ってみろ」
「今のを見てそんなことを言うんですか!?」
「ああ、言うぞ。食え」
喉元に突き付けられる宝剣には従うしかない。
誰しも生き残るためには犠牲が必要だ。
(天化君はくじ運がいいから、当てちゃったんだろうな)
端から二個目を取って口にする。
甘い小豆餡とほろほろとした食感の米餅。
(うん、おいし……)
ぷつり、と糸でも切れるかのようにそこで彼の意識は途絶えてしまう。
まだまだ他人を見抜く眼力が少ないからだと男は呟いた。
「じゃ、道徳も」
「普賢……この二十四個の中であたりは何個だ?」
「全部バラバラに入れてるよ」
「まあ良いけどな。入ってないのはこれだけだ」
のんびりと桜餅をぱくつく姿。
隣に座って眺める花の美しさににこにこと笑う少女。
男の腕に自分のそれを絡ませて肩を寄せる。
「んで何を入れたんだ?」
「それがわからないんだ。太乙の所から持ってきたから」
その笑顔は国さえも傾けるような柔らかさ。
知らなくても良いことも世の中にはあるのだ。
「綺麗だねぇ……邪魔者は沈んだし、ゆっくりとお花を見れるね」
何気ない一言に隠された真意。
彼女は彼を二人でこの花を愛でたかったのだ。
どちらかといえば彼女は一人でいることが多い。
「……ごめん……賑やかなほうが良いかって……」
「今は静かだよ?」
浮かぶ光の輪さえもほんのり薄紅色。
「桜には死体が似合うからいいよね、ふふ」





つぶれた二人は置き去りにても許される暖かさ。
それでも夕刻になれば蕩けそうな太陽とは裏腹に肌寒い。
まだ少しかさつく掌。
「道徳、手貸して」
いわれるまま左手を出せば小さな種たち。
閉じめた春の気配を解き放てば咲き乱れるであろう。
「ぎゅーってして。中の油がかさかさ治してくれるよ」
「そんなに酷いか?」
紫陽花の枝葉ももう少ししたら剪定しなければならない。
その名を冠したこの洞府が最も美しく彩られる季節。
雨は嫌いだと呟く彼と雨に染まる花を愛でる彼女。
この恋を知ってから季節も雨も少しだけ違ったようにさえ思えてきた。
夕焼けを映した銀色の瞳は茜に染まり、古の魔物にもどこか似ている。
ゆっくりと彼の心をむしばんでいく感情に気付かせたのは他ならないこの少女だった。
「道徳のところは良い樹が多いよね。土地も悪くないし」
「俺が世話するとなんでか枯れるんだ」
「加減だろうけどね。でも……育て方は悪くないよ。きっと……」
それは弟子にも同じなんだろうね、と言いかけて飲み込む。
「どうした?」
「ううん。お月見したいなぁ……」
彼の肩に体を預けてそんなことを呟けばそっと抱いてくる腕。
この世界で時間は流れて神になり、いつかは星に手が届くのだろうか。
おとぎ話のような甘いだけの恋ではないけれども、彼がかけがえのない存在であることに
変わりなどはやはりなくて。
この人に幸せをあげたいと思うのにどうしてだろう、小さな意地悪と我儘を繰り返す。
「我がまま言う子は嫌い?」
見上げてくる大きな瞳。
「いいや。溜め込むよりかずっと好きだ」
「月まで飛べる?」
「おう。どこまでもいけるぞ」





真夜中の少し過ぎたころに抜け出せば風は少しだけまだ暖かい。
素足に絡まる青草の匂いは春そのもの。
銀髪を掻き上げる細い指先、肌を照らす月灯篭。
夜着ではなく薄紫の長着を纏って悪戯に差した日傘。
月明かりは人を狂わるからとその光を閉じ込めるべく選んだ魔除けの傘。
「今夜は随分と豪奢だな」
細い首に巻かれた真っ赤な束帯。
「せっかく月まで飛んでくるから、たまには良いでしょう?」
長着の下に重ねた袷の白さがちらちらと輝く。
銀紫の刺繍は月下美人、いっそ彼岸まででも飛んで行けそうなこの思い。
その小さな手を取って大地を蹴る。
舞いあがる二人の影が月に踊った。
眠り眠らぬ真夜中過ぎに東の国はその手を広げる。
吹き付ける風の香りさえも緑色の季節は憂鬱な何かを消してくれるよう。
凶兆とされる客星の光を閉じ込めるための灯篭を手にすれば烏天狗たちがざわめく。
「何に使うんだそんなもん」
朧な光の粉をまき散らしながら輝く星明かり。
「恋の呪術にでも使おうかな?」
「必要ないだろ」
「どうかな?もしかしたら他の誰かに使うかもしれない」
二人きりで殺し合うには似合いすぎる月の夜。
客星は人の心までも狂わせて人としての性を呼び起こす。
切り裂くように変化していく空気と月狂光。
まるで椅子にでも座るかのように月を背にして少女は手を伸ばした。
「あなたもボクも……気持に胡坐を掻いちゃいけない」
藍色交じりの彼の瞳。
どの星にも存在しない唯一つの色。
「そんな物騒なものを持ってるとな……本当に殺っちまうぞ」
狂うならば一人よりも二人が良い。
「客星の明るすぎる夜は人の世も戦乱を巻き起こすからな」
「?」
「お前が持ってるその光だ。暇つぶしには良いだろうけども……」
そっと取り上げて中を窺い見る。
何百年か前に見た懐かしい過去の光がそこには確かに存在していた。
生まれた瞬間に死することを定められた星の祈り。
人はそれに願いを結びつけ神の名をかたり仙人はそれを叶える。
人を辞め人を捨て人の願いを叶え人に憎まれる存在。
「あ!!」
取りだした灯りを左手で握り潰す。
砕けた欠片たちはきらきらと煌めきながら地上へと降り注いでいく。
それはさながら流星の雨のような美しさ。
「お前が恋の呪術に使うってのが本気だったら、明日からあっちも大混乱だ」
「?」
「客星の光は術者の使い方一つだからな。もしかしたらあの迷惑な王さまが太公望相手に
 とんでもないことをしでかすかもしれない」
指先に残った一欠片だけの光。
それをそっと少女の髪に。
「飾る分にゃ綺麗でいいんだけどな」
彼の手をそっと取って唇に押し当てる。
小さな舌先が指先を舐め上げれば口中に広がる僅かな痺れ。
「食えるもんじゃねぇぞ。そんな良いもんでもない」
「お星様って美味しいものじゃないんだね」
前垂に刻まれた紫陽花と流星。
「恋の呪術なんざ成功しないから受け継がれてるんだ。そんな口伝秘術なんざ一代で
 終わらせる方がいい。まあ、女はそういうのが好きな生き物なんだろうけど……」
そのままの君が十分綺麗だと言えればいいのに。
どうしてかそんな言葉ではないものを放ってしまう。
この明るすぎる客星の輝く夜ならば。
全て星のせいにして浮かされたことにしてしえばいいだろうか。
「……ん……」
触れ合う唇と抱きしめられる背中。
「俺に呪術は効かないぞ。これ以上お前どう狂わせられればいいんだか」
「他の誰にも視線が行かないように」
息がかかるほど近い距離で重なる視線。
「その黒い眼が赤く変わるくらい」
「誰か殺したら染まるけどな。それじゃ駄目だろ」
「殺伐としてのはあまり好きじゃないんだけど……でも……」
胸に顔を埋めて上着をきゅっと掴む指。
その爪がほんのりと光るように染められているのも彼のために。
「あなたは剣を持つのが一番かっこいいからなぁ……」
長い長い夜の真中、小休止は夜鳴鳥。
羽虫も夜雀も二人だけのために囀ることだってあるかもしれない。
「そりゃ剣士にとっちゃ最高の褒め言葉だな」
「だからみんなあなたに見惚れるんだ」
爪も耳飾りも彼だけに誂えたものだということに気がつけば。
「俺もな、この虫みたいに絡んでくるのを叩き落とすのが日課でなぁ」
どちらも一番に大事だとうことなんかわかりきっているのに。
「長い人生の伴侶は決まってるんだ。ほかに望んじゃ贅沢だって言い聞かせてる」
「そうだね……だからもう少しくっついても良い?」
星を長椅子に変えて二人だけのための月を見つめて。
気持ちを確かめるようにそっと手を重ねた。





入山したての仙道候補生はまだ仙人の多くを知らない。
それは指標にも通じることで名前だけは聞くもののどんな容姿かなどは知られてはいなかった。
ゆるりと編み上げた巻き毛、艶やかな煙管。
羽衣を纏った仙女は天尊位を持つ指標の一人。
滅多なことでは動かない大法師位を除けば以下に天尊、真人、真君と続く。
「普賢は子供から好かれるからのう」
ぱちん、と碁石を打ち付ける指先。
「だから俺も大変なんだ」
並ぶ碁石を見つめて頭を掻く。
酒と紫陽花を賭けた勝負は今のところ彼女の方が部が高い。
「名前だけでは女子(おなご)だとはわからんからな」
「!?」
「これで先頃の紫陽花は儂のものかな。ほほほ」
腕組みして碁盤を睨んでみても良案は思い浮かばない。
「紫陽花が駄目ならば忘却の恒星でも持ってくるがいい」
できれば自慢の花は、恋人と一番最初にみたいもの。
「なんだそりゃ」
「普賢に聞けばいい。そろそろ頃合いだ」
理由を付けて今度は夜空で逢引しても良い季節。
雨も霰も嵐も槍も核融合でもなんのその。
「んじゃ、そっちで。でも、何に使うんだそんなもの」
「星の光なぞ恋愛成就にしか使えん」
「……道行でもそんなこと考えんだな……」
「臨時執行(バイト)じゃ」
「そんなとこだよな。了解」
「して、お前の自慢の恋人じゃが……まだ仙籍にも入っておらん人間に絡まれておるのう……」
額に手を当てて、遠くを見るような姿。
良い終わる前に彼は飛び出していく。
「忙しない男だ」
冷えた烏龍茶を茶器に入れて入ってくる影。
「しっしょー、その就業先はどこなんですか?」
「普賢じゃ」
「……………………」
器を受取ってぐい、と飲み干す。
「気をつけよ。女は意外と諦めぬぞ?」
「道徳さんも大変だ」
ちら、と視線だけが笑う。
「だからお前は甲斐性無しだ」
「ええっ!?そりゃ参りますよ!!」
愛弟子の手をそっと取る。
外れ者同士の師弟と言われても彼女はやはり彼にとって大事で。
「韋護」
少し甘い瞳で見つめられれば閉じ込めたはずの恋心が疼いてしまう。
「お……俺も忘却の恒星取りに行ってきます……」
「何に使う?爆薬でも作るのか?」
「まさか。恋愛成就ですよ」
わしゃわしゃと男の黒髪を撫でる細い指。
「まあ、死なぬようにな。そう簡単に取れるものでもない」
「へ?」
「道徳なら普段から鍛えてあるからな。そう簡単には死なんだろう」
煮ても焼いても食えないのはまさしく恋。
煮ずに焼かずに食すのがまさしく恋。
「止めぬがな」
「んじゃ、師匠と一緒に」
「気が向けばな」





眠り眠れぬ真夜中過ぎ。
恋人達は星を追う。





18:36 2009/05/03

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