会津の澄んだ秋空に

 


鶴ケ城が開城し、私たちの戦いは終わった。
鳥羽伏見から江戸へ。そして甲府。そこで近藤さんたちとは別れてこの会津へ。後に江戸から転戦してきた土方さんと合流。更に北へと転戦する土方さんとも別れ、残った僅か十数名の隊士と供に続けた戦いの日々も、遂に終わった。
この先、新選組の名を背負って戦うことは、きっと、もう、ない。

「ははは、戦い抜いたぞ! やったな、桜庭!」

斎藤さんは高らかに笑った。どうしたんだろう。この常の斎藤さんらしからぬ喜び方は。
疑問はけれど、すぐに消えた。
だって、私も嬉しい。斎藤さんが生き抜いてくれた。そして運良く、私も隣りに立っていられる。
あの如来堂の戦い前夜、叱責され、戦い抜くことを求められた。きっとそのお蔭だと思う。
あなたのお蔭で玉砕の道を選ぶことなく、最後まで戦い抜くことができました。ありがとう、斎藤さん。

感慨に耽ったのも束の間、斎藤さんが言葉を継いだ。

「俺はこの時をずっと待っていた」

私も待っていましたよ。
──ううん。本当は考えられなかったのかもしれない。
戦いが終わったら、という考えが脳裏を過ったこともないと言ったら嘘になる。けれど、戦いの終わった時代に生きる自分を、どうしても想像できなかった。
何をしたら良いのだろう。
刀を置いたら、私はどうやって生きたら良いのだろう。
でも、たぶん。きっと大丈夫。
斎藤さんが一緒にいてくれますよね?
迷ったり悩んだりしても、斎藤さんが一緒に居て、まだ見えない道を照らしてくれますよね?

「今こそあの時の返事を聞かせてくれ」

……えーと、斎藤さん?

「どうなんだ…? 早く聞かせてくれ」

今更返事を聞かせろと言われましても。
解ってなかったんですね,斎藤さん……

でも、私の返事を待つ斎藤さんは、目をキラキラさせて、とても可愛い──ような気がする。
まるでお母さんのおやつを待ち構える子供のようで。
斎藤さんにこんなこと思うなんて失礼かもって思うけど……やっぱり可愛い。
知らずに微笑みが漏れた。

なのに。

「やはり…俺ではダメなのか」

悄気てしまった斎藤さんは、雨に降られた仔犬が耳も尻尾も垂れているようで、やっぱり可愛い。

「そうか…それなら仕方がない。ここは潔くおまえのことを…」

勝手に独り合点して結論を出してしまった斎藤さんに、私は続きを言わせず口づけた。

「大好きですよ、斎藤さん」

目を瞠った斎藤さんは、憮然として、それから破顔した。
きっと、最上の笑顔。
私にだけ見せてくれた、私だけしか知らない笑顔。
そう思うと益々愛しさは募る。どんどんどんどん募って行く。

──でも。

「……あの、斎藤さん? いつまで笑っているんですか?」
少しだけ心配になってきた。斎藤さんの珍しい高笑いがずっと続いてるだなんて、やっぱり少し……怖い。
「止まらないのだから仕方ない。おまえは嬉しい時に笑いが零れないのか?」
笑うのは当然だ、と言わんばかりに笑い続ける斎藤さんに、どうしたらいいのか判らなくなる。
「喜んでもらえて私も嬉しいです。でも、笑いやんでください!」
怖いから。とは付け加えずに、必死で訴えた。
「そうか。おまえも嬉しいか」
更に笑顔。問題はそこじゃないんですってば!
「嬉しいです。嬉しいですけど……ヒギャア!!!」

思わず悲鳴を上げてしまった。なんとなれば、いきなり抱き上げられたから。

「なっ……さっっ!」

何するんですか斎藤さん!
叫びたくても言葉が出ない。
腰、私の腰に斎藤さんの手が! むしろお尻の下に腕が!! 膝の裏を抱えているもう一方の手はともかく!
暴れて降ろして欲しくても、頭から落ちるんじゃないかと思うと怖くてできない。そもそも凄い力で暴れたくらいじゃ放してくれそうにない。

「斎藤さん! みんな見てます〜っ」
共に鶴ケ城開城を迎えた新選組隊士の生き残りや会津藩士達が、こちらを見ている。皆一様に口を開けている。唖然としているのだろう。気持ちは判る。判るから、誰か助けて……
「お互い好き合っているんだ。誰に憚ることがある」
そんな、涼しい声で堂々と……憚ってください、お願いします!
「憚る必要はなくても恥ずかしいんです! お願いだから降ろして下さい〜」
「おまえは俺が恥ずかしいのか?」
落ちないよう必死で首にしがみついているから、表情は見えないけれど、判る。シュンとしている。
「そんなことは言ってません!」
「そうか!」
晴れ晴れとした声で、また大笑いを始めてしまう。
「人に見られるのが恥ずかしいんです!」
斎藤さんに通じるようにと、簡潔に理由を告げた。
判ってくれた! 斎藤さんは一つ、大きく頷いた。
なのに、降ろしてくれない。それどころか、そのまま歩き始めてしまった。

「さ、斎藤さん!?」
「人目につかないところへ行けば良いのだろう?」
ち、違う! そうじゃな〜いっ!
「斎藤さん、お願いだから話を聞いてください〜」
必死の言葉が通じたのか、斎藤さんは歩みを止めた。
が。

「一だ」
「……はい?」

何を突然言い出したのか理解できない。
「俺の名前は一だ」
知ってます。知ってますけど……それがどうしたんですか?
首を傾げていたら、理解しない私がもどかしいのか、斎藤さんは溜息をついた。

「夫婦(めおと)同士が、姓で呼ぶのはおかしいだろう」

ああ。名前で呼んで欲しいという意味です……か…………ぇえええっ!!!???
「さささささささ斎藤さん!?」
ガバリと身を起こした勢いで、のけ反ってしまう。
「気をつけろ」
斎藤さんが頭を支えてくれる。けれど膝の裏に添えられていた手が外されてしまったので、今度は足が不安定に……
「ありがとうございます。でも、降ろして下さい!!」
「嫌だ」
即答ですか。って、そうじゃなくて!

「とにかく! これじゃ落ち着いて話もできません。まずは降ろして下さい。それから一つ一つゆっくり落ち着いて話し合って問題を解決して行きましょう、斎藤さん」
再び斎藤さんの首にしがみつきつつ、必死で訴えた。
しかし斎藤さんは聞く耳を持たないようだ。
「問題などないだろう。それともおまえは、俺と夫婦になるのは嫌か?」
またしょんぼりと、仔犬が耳を垂れている姿が思い浮かぶ口調で斎藤さんは言った。
「違います! そうじゃなくて、だから、話が飛びすぎなんです〜」
いきなり夫婦って、段階を二つや三つ飛ばしていると言うか……
「今後のこととかゆっくり考えたいし、とにかく降ろしてくださいってば、斎藤さん」
「今後のこと? おまえは俺と夫婦になるんだ。何か問題があるか?」
「そうじゃなくて!」

もうこうなったら強行突破。ジタバタと手足を振り回して飛び降りることにした。 だけど。

「暴れるな。危ないだろう」

斎藤さんは涼しい声のまま、今度は私を肩に担ぎ上げてしまった。まるで米俵になった気分。

「さ、斎藤さん!?」
「一だ」
わ、判りました。名前で呼べばいいんでしょう、呼べば!
「一さん!」
満足げに頷いた斎藤さんは、再び笑い出した。
こんなによく笑う人だったのか……

「降〜ろ〜し〜て〜〜〜」
私を担いだまま歩き始めた斎藤さんは、降ろしてくれる気はまったくないようだ。必死で手足をバタつかせ、目の前にある斎藤さんの背中を叩いてみたけれど、この体勢では最早飛び降りることもままならない。
「お願い、助けて!!」
最後の手段。遠巻きに見ていた仲間たちに助けを求めた。
顔を見合わせた二人の隊士が歩み出てくれた。
「斎藤さん。桜庭も困ってますから」
斎藤さんの歩みが止まる。
ありがとう。持つべきものは、やっぱり仲間!

──しかし。
「邪魔立てする気か?」
一瞬にして、周囲の気温が下がった気がする。
顔は見えないけれど、判る。今、斎藤さんは、目の前にいる隊士を刺すような視線で見据えている。一睨みで敵を竦ませるあの眼で。
「じ、邪魔だなんてとんでもない!」
「どうぞ、お進みください。あ、足下お気をつけて」
「俺は良い仲間を持った」
頷いて斎藤さんは再び歩き出した。
「うわーん、裏切者〜〜!」
頼りにならない仲間を、涙目で睨みつけた。
「すまん、桜庭。けど、俺達に斎藤さんを止められる筈が……」
判ってる、判ってるけど〜
スタスタと歩みを進める斎藤さん。遠ざかる仲間を、それでも縋る目で見つめた。

「お達者で〜」
「お幸せに〜」
笑顔で手を振っている。
最後の望みは断たれてしまった……

「よし、仲間のためにも、幸せになろう。な。鈴花」

弾む斎藤さんの声。
私だって嬉しいけど、でも、でも……どうなっちゃうの、私!?

「誰か〜〜た〜す〜け〜て〜〜〜!!」

応える者のない私の叫びは、ただ、会津の澄んだ秋空に吸い込まれた──

 


「あとがき」という名の言い訳。
こんなネタが、ヤケに長くなってしまいました。すみません。
しかも本来書きたかったネタは、この続きになります。
(あまりに長すぎたので、分けることにしました)

尚、会津藩降伏の日が、晴れていたかどうかは知りません。
御存知の方は教えてください。m(_ _)m

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