その時 そばに いること。
| 愛することに疲れた。 そう茶化すように言って、彼は笑うことにも疲れたように目を閉じた。 バカですね。 思わず口に出た台詞を、やはり彼は口端だけをあげて返答とした。 バカですよ。 それが気に食わなくて、駄目押しとばかりに続ける。 彼は黙った。 黙るしかなかったんだろう。 手を口元にあてると、小刻みに震えて横を向いた。 雨が、彼の躰を強く叩く。 強く。それはあまりに強く降り注ぐから。 へたをしたら、彼は穴だらけになってしまうんじゃないかと不安になったほどだ。 見ていられなくて、傘を差し出す。 自分の体が濡れたけれど、穴は空かないから。 こんな雨ごときに、傷つけられたりしないから。 街中。アスファルトの上。 ボロボロになって寝転ぶ。 顔は腫れあがり、口端は紫色だ。 血は、雨によって流れ。色を失う。 こんな男を見るのは何も今が初めてじゃない。 「雨の中、寝転がってたら鼻に雨が入りませんか?」 「入る。――でも、あちこち痛くて起き上がれねえんだ」 「手、貸しましょうか。有料ですけど」 「へ…っ。つか笑わせるなよ。あちこち痛いんだってば…放っておいてくれていい」 「今更へこまないで下さいよ。選んでいるのはあなたです」 「きっついな…」 仕方ないと、いう風を装って手を差し出せば、意外にも敏い彼はそれを振り払った。 先ほどまでの軽い口調は一変。 堅く、震える。 「放っておいてくれ。なんで…なんでお前がいんだよ」 「そういう…巡り合わせなんですよ」 そうだ、そういう巡り合わせなんだ。 彼には心から愛している女がいる。 だが、その女は彼を愛していない。 焦がれ、焼かれ。 たった一人の女を渇望する彼なのに。 そのたった一人は、決して彼の腕に全てを委ねることはない。 ありふれた話だ。 愛した者が、自分を愛するという。 それは些細な願いなのに、必ず叶うということはない。 「いい加減、諦めればいいじゃないですか。彼女は…あなたのものにはならないんですから」 「オレの…ものにしたいわけじゃない。幸せになって欲しいだけだ」 「幸せの基準なんてそれぞれですよ。そんな――相手の男に殴られて…あなたは殴り返しもしない」 「殴ったら、テニス部に迷惑をかけるからな」 「充分迷惑ですよ。ウチの高校のエースが、そんなにケガをして。――お願いですから、起きてください。ケガの手当てをしましょう?」 「―――おまえは…。本当になんでこんなみっともない場面にばかり現れるんだ」 「みっともないっていう自覚はあったんですね」 「おまえにはだけは、見られたくねえんだよ。だから…だから放っておいてくれっ」 「他の女じゃダメなんですか。…あなたもてるでしょう」 「――――………」 雨に濡れた顔。 どこからどこまでが、彼の涙なんだろう。 「バカだって、わかってる」 「ええ、バカですよ」 あなたの良さを知らず。あなたを傷つける。 あの女こそが大バカだ。 ふっと、彼の目がこちらを映して、丸くなった。 「おまえ――濡れてんじゃん。オレなんかに傘さしたって意味ねえよ。風邪ひく前に、行ってくれよ」 優しいあなた。 強くて優しいから、あなたはいつも、泣くことさえ満足にできないでいる。 「今日、何月何日だか知ってますか?」 「え?」 「可哀想に、一年に一回の逢瀬を、空の住人はできずにいるんですよ。そして、色々な人が願いこめた短冊も無効になってしまう」 「……ああ、今日は…そうか」 「だから、泣いていい日なんです。泣いてください」 彼の、初めて会った時からに比べ、ずいぶん精悍さを増した頬を、そっと掌で撫でた。 「出会えなかった、叶うことのなかった恋人達を思って」 「嫌味かよ」 「―――ふふ、そんな不貞腐れないでください。寮に戻りましょう? 短冊まだ余ってたはずですから」 「雨だぜ。叶わないんだろう?」 「ですから、晴れますようにって」 「おまえ、妙に優しい。オレ、そんなにカッコ悪いかよ」 「僕はね。知ってます。知ってますから」 答えになっていないのを承知で、 伝わることのないのを承知で――― それでも声に出して、彼に向けた。 温度の上がる言葉。 熱を、雨が流さないよう祈りながら。 「――知ってますから」 彼―――赤澤はむくりと起き上がると、どしゃぶりの中。挑むように、大股で歩き出す。 「赤澤」 濡れたシャツに浮かぶ肩甲骨。がっしりとした肩幅。 堅いラインの肘に、擦り剥いている箇所を発見して、なんともいえない怒りが込みあがってきた。 足が止まった。 「――なんで、おまえを好きにならなかったんだろうな」 「僕は男ですから」 「世の中って、うまくいかねえな」 「だから――年に一回しか出会えない恋人同士にまで、願いを押し付けるんですよ」 振り返る。はにかむ姿は少年のようだ。 「おまえ、短冊になんて書くんだ?」 願いを聞かれて、息がつまった。 瞬間、脳裏に浮かんだのは、あなたの―――… 「観月…? なんだよ。教えてくんないのかよ」 慌てて、笑って誤魔化す。 ―――泣いてしまいそうで、言葉にならなかったからだ。 遠くの空で、うっすらと青が覗いていた。 |
一応七夕ネタです。
観月の片思い話になるのかな。
けっこうこういうのに萌えるタチです。
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