意を決するまでのかなりの時間がかかってしまい、幸村が己の陣地に戻った時は、借物競争も終盤で丁度真田が参加していた。
 陣地ではほのかが一生懸命応援している。

「ほのか」

 名を呼べば振り返り、兄の姿を見つけて大きく手を振った。

「おにいちゃん、お帰り」
「ただいま」
「もう花嫁さんじゃないんだね。ほのか近くで見たかった」
「勘弁してくれ」
「弦ちゃんも、周おにいちゃんもキレイだって云ってたよ」
「……周おにいちゃん?」
「央くんと一緒に見てたの。央くんのイトコのおにいちゃんなんだって」
「い、一緒に見てたのか…」
「だいじょうぶだよ、おにいちゃん。周おにいちゃんがちゃんと写真に撮ってくれたから!」

 ピシリ、とどこかにヒビが入る。ブリキの人形のごとく、首を巡らし不二のいるだろう場所で止めた。

 現在彼は『借物競争』に出場している手塚を撮ることに集中している。その背後に回ってどつき、カメラを奪えるかどうか真剣に画策してみた。

 男の足が突如、視界を邪魔する。

「真田?」

 目の前に立っていたのは真田で、幸村は驚く。競技の最中ではないのだろうか。そこまで思考が働いたところで、彼の右手にお題の書かれているらしい紙が握られていたことに気づいた。
 真田は真剣な面差しに、朱を散らして握り緊めていた紙を目の前で開く。幸村兄妹はそれに注目した。

『愛する家族(ひと)』

 思わず読み上げた幸村は瞠目する。

「全部同じお題だったのだ。す…すまない、幸村」
「え? え??」

 幸村は理解するまでに時間がかった。血が沸騰したように、体中が熱くなる。真田が手を差し出した。

「――ほのかちゃん借りるぞ! 怒るなよ!」
「―――――は?」

 云うやいなや、真田はほのかの手を取り走り出す。ほのかも楽しそうにそれに続いた。

 ぽかん、と見送るはめになった幸村は現実に立ち返り、己の勘違いに羞恥のあまり倒れかける。実際片手をシートに着いて、ぐったりと脱力してしまった。

(オ…オレのアホ……)

 愛するひと、と書かれて自分が選ばれる訳がないのだ。しかもお遊びに借物競争で。
 そうと理解していても、連れてかれた妹の、その自然な立場が羨ましかった。

(5歳の妹に嫉妬するほど、オレは情けない男に成り下がったか…)

 もう泣けるやら笑えるやら。ぼんやりと競技に目をやれば、真田はほのかの歩幅に合わせてゆっくりと走っていった。それを風のように追い越していく者達がいる。

「……何やってるんだ、あの二人は」

 手を繋いで走り、真田達を抜き去ったのは手塚と不二だった。

「お題なんだったんだろう。…って、全部同じお題だって云ってなかったか」

 ここにきて幸村の脳味噌がフル回転した。素早くハンディカムを持つと、手塚と不二のゴール姿を映す。もちろん、妹と真田も撮ったが、

「これで五分だよ。不二…」

 暗い笑みを浮かべる幸村であった。


 ゴールテープを切った不二は、混乱しながらも一位をとったことにとりあえず満足する。しかし、と眉を顰めた。

「手塚……」
「な、なんだ」
「なんで僕なわけ。紙になんて書かれてあったのさ」
「う…」

 詰まる手塚に、思い切り嫌な予感がする。ゴールしたあとに待たされる場所では、審判達が「仲がよろしいですね」「羨ましいです」などなど温かい声をかけられたことにも起因した。
 子供の足のせいで、手塚達よりも遅れてゴールした真田とほのかが二人の隣に並ぶ。

「手塚、卑怯だぞ」
「お前だって同じようなものだろう」

 真田の台詞に、不二は耐え切れず問い質した。

「ねえ、一体なんて書いてあったのさ」

 苦味潰した顔をする手塚だったが、じっとりと睨まれたので渋々不二に紙を渡す。書かれた文字を見て、不二の目がテンになった。

「な…ななな、なんでこれで僕を連れてくるわけ!」
「家族がここにいないのだから仕方ないだろうが。テニス部員といえば家族も一緒だ」
「わけわかんないよっ? だったらせめて央連れていけば良かったじゃないか! 真田みたいに!」

 そこではっと、危険を感じた不二は赤組陣営に顔を向ける。案の定幸村が、遠くからでもわかる満面の笑顔で手を振ってきた。

「頭が回らなかったのだ。大体、央は男だし」
「僕も男だよ!」
「見た目的には誤魔化しがきく」

 ボディブローが手塚の腹部に決まった。

(あれはけっこう痛いのだよな。オレも幸村にやられた事があるが…)

 悶絶する手塚に、真田は同情した。

「夫婦喧嘩は犬も食わないんだよ」

 無邪気にほのかが、得意気に真田に教える。

「おばあちゃんがよく云うの」

 手塚と不二が、表情を引き攣らせたまま固まった。真田はほのかを横抱きにして逃げた。


「手塚の天然ボケっ!」
「自然でけっこうなことではないか!」

 怒り冷め遣らぬ不二が、大股で陣地に戻る。と、そこには央の姿が無かった。荷物だけが置いてあり、その付近を捜すも目当ての子供の姿はない。隣に陣取っていた高梨が、他の奥方と歓談しているところを、不二が「すみません」と央の行方について訊いてみた。

「央くんなら、荷物見ててください。って礼儀正しく頼んでったあとにトイレに行くって云ってたわよ。あ、ちゃんと防犯ブザー持っていかせたからね」
「ありがとうございます」
「防犯ブザー?」

 二人の話が終るのを待ち、手塚が問う。

「チカン撃退用のヤツとかだよ。あの大きな音が鳴って危険を回りに知らせるの」
「それくらいは知っているが、運動会で子供が持っているようなものなのか」
「今の子供の殆どは持ってるよ。小学生の集団とかで見たことない? ランドセルの横からぶら下がってるじゃない。色々物騒な世の中だからね。ここ数年で一気に常識になったみたいだよ。今日みたいな運動会でもさ、誰が入ってきてるかわからないから。とりあえず門のところに交代で見張りの人が立ってるみたいだけど」
「そうか…では、央を迎えに行ってくる」
「ん? そうかい?」
「ああ」
「じゃあ携帯持ってってね」

 手塚はバッグの中から自分の携帯を取り出すと、ポケットに入れて立ち上がった。

 グラウンド内では老人会のメンバーが派手な衣装で踊っている。会場に大音量で『マツケンサンバ』が流れていた。

(お年よりが元気なのはよいことだ)

 それらをあとにしながら、手塚は運動会のために開放されている唯一の校舎内に入った。トイレを覗くが、子供の姿はない。入れ違いになったのかと出たところで、壁に背を預けて立っていた幸村と出くわした。

「やあ、手塚。さっきは一位おめでとう」
「………何してるんだ」
「妹待ってるんだよ。まさか中に入れないだろう」
「そうか。ところで央を見なかったか?」
「央くん? いや、見てないけどどうしたの」
「トイレに行くと云っていなくなったらしいのだが、いなかったのだ。ここの他にも開放されているトイレはあるか?」
「んーあとは職員室のほうだと思うけど。でもそっちは役員が使ってるみたいだから。入れ違いになったんじゃないのかい」
「そうだな。確かめてみる」

 携帯を取り出し、不二の番号にかける。

 ほのかがトイレから出てきた。

「手は洗って、ちゃんと拭いたか」
「うん」
「じゃあ手塚、オレ達は…」

 携帯をさっさと切った手塚の表情から、央の行方が依然とわからないことが知れる。

「……帰ってないんだ、央くん」
「ああ、どこかで友人と喋っているだけかもしれんがな。少し捜してくる」
「オレも帰りがてら探しながら行くよ」
「見つけたら戻るよう伝えてくれ」
「わかった」

 軽く頷き、ほのかを連れて別れようとした時だ。校庭側の四棟の校舎と三棟の校舎を結ぶ渡り廊下の向こうで、腕章をつけた実行委員会の男達が走っていくのが見えた。東門から校庭に向かったようだ。

「なにかあったのかな」

 幸村は手塚と一緒に、東門に続く道に出る。そこでアナウンスが流れ、騒動の理由がわかった。

『ただいまの防犯ブザーの音は、間違って鳴ってしまったとの事です。なんでもありませんので、お静まりくださーい』

「グランドで誰か防犯ブザー鳴らしちゃったんだね。けっこう簡単に鳴るから」
「だから校庭に集まっていったのか」
「みたい。人騒がせだね」
「…おにいちゃん。もうブザーは鳴ってないんだよね」
「え? そうだと思うけど…ってほのか」

 ほのかがいきなり走り出した。東門の方へ一直線と駆けてゆく。幸村と手塚は慌ててそのあとを追った。ほのかは枝だらけの桜並木を走り抜けると、黒い東門の外へ躊躇無く出て行く。先達ての騒ぎで見張り役の委員は誰もいなかった。
 小学校は住宅街に囲まれている場所にあり、目の前の道路は広いが人気が無い。車の通りも少ない場所だ。そうでなければ小学生の通学路には指定されない。普段ならば登下校時、東門から出て右手にある十字路には緑のおばさんが立っているところだが、祝日なのでもちろんいなかった。東門を出たところで、幸村と手塚はほのかの駆け出した理由を知る。防犯ブザーの音が鳴り響いていたのだ。そこに向かってほのかは走っており、ブザーの元は央だった。ブザーを握り緊めている央と、それを取り上げようとしている男とでもみ合っている。手塚はぎょっとした。

 ブザー音は相変わらず鳴り響いているが、今回地域の住民が学校内に集まっている上、運動会の音楽が邪魔して屋内にいる者には聞こえていないようだった。

「央くーん!」

 ほのかが叫ぶ。男は少女に気づき、舌打ちをしたようだ。一般的などこでも見かけるような服装の男であったが、シャツから見え隠れするところに蜘蛛のタトゥーが彫ってあった。二十代半ばの若者だ。その背後にはもう一人、こちらは背広を着ている。中年の男で、ぐったりとした男を背負うようにして運ぼうとしていた。遠目でも充分異常な事態であることがわかる。

 十字路の路肩に車が停めてあり、そこに連れ込もうとしているようだった。

「ほうっておけ!」

 背広の男が鋭く命じる。央から防犯ブザーを取り上げようとしていた男は、苛立たしげに央の体を横に放り投げた。ほのかが受け止めようとして、一緒に転がる。

 手塚の心臓が跳ねた。

 同時に、風が――横を駆け抜ける。

 幸村が疾風のごとくスピードを加速したのだ。見事な健脚だった。しかも、子供に気をとられている男の後頭部に、素早く、そして鋭利な蹴りが炸裂。その一連の動作はあまりにも滑らかで無駄がなく。男は多分何もわからないまま地面とキスをした。

「ウチの妹に何しやがるっ!」

 憤怒の形相。どんと、足を広げ踏みしめた地面。

 楚々と微笑む姿の印象が強い幸村の、あまりの豹変振りに手塚はメガネがずり落ちそうになった。
 しかしそんな古典的なボケを悠長にしている場合ではない。
 地面に顔面を擦りつけるハメになった男は、血だらけになった顔を痛みと怒りで歪めながら立ち上がろうとした。

「てんめぇー! ブチ殺すぞオラァ―っ!」

 普通の人間ならば睨まれるだけで萎縮してしまいそうな眼光と恫喝だった。しかし幸村はいつもと変わらず、婉然とした様子を崩さない。それらをつまらないものでも見るかのような冷静さで、飛び掛ってきた男をよけると相手の二の腕あたりを掴んだ。

 男の悲鳴が住宅街に響き渡る。

 手塚はもう一人の男。背広姿の男が入墨の若者を見捨てて、車へと向かっていることに注視していたので何が起こったかはわからなかった。が、男の悲鳴に掻き消されることなく、央の「陽くんのおとうさんが連れてかれちゃう!」といった哀願が耳に届き。手塚は咄嗟に、背広の男は背負っている太陽の父親という人物に手を伸ばした。力をいれて引っ張る。

「何をやっているんだ!」
「邪魔をすんじゃねえっ」

 太陽の父親を引っぺがそうとすると、背広の男が見計らって力を抜いた。手塚にどっしりと男の体重がかかり、よろける。代わって身軽になった背広の男は、手塚に殴りかかった。

(すまない…っ)

 心の中で謝りながら、太陽の父親を横に投げ出し、殴りかかってきた男の腕を取ると、体を反転させ懐に入る。そのまま腰に力を入れて、払い腰。男は一回転をし、地面に背中から叩きつけられる。コンクリートということもあり、手塚は頭が打ち付けられる瞬間引っ張り上げはしたが、腰と肘をしたたかに打ち付けたようでこちらも絶叫が上がった。苦悶の表情で七転八倒する。運が悪ければ骨にヒビでも入ったかもしれない。

「…手塚って柔道でもやってたの?」

 のんびりとした声をかけられ、手塚は振り返る。急いで央の無事を確認すると、その隣で妹についたジャリを払っている幸村がいた。

 入墨の若い男は、ガードレールに背を預けるようにしてぐったりと弛緩している。

「こ…殺したのか」
「妹の前で物騒なこと云わないでくれ。ちょっと落としただけだよ」

 心外だと眉を顰められた。

「ところで詰めが甘い」

 幸村はつかつかと、未だ悶絶している背広の男のもとに行くと、その首からネクタイを抜き去り、腕を後ろの纏め、それできっちりと括る。腕にヒビが入っているのかもしれないのだから、男の醜い絶叫は絶えることなく空気を震わせた。
「クソガキ…っ」

 憎々しげに、吐き捨てる。

「おじさん達が何をしようとしてても、オレには関係ないよ。でもね、大事な妹にケガをさせられそうになったらオレは許さない。あなたにもそんな大切なひとはいないんですか?」

 潔癖で清廉な双眸。少なくとも向けられた男はそう感じた。こんな状況で、まっすぐにそう問う青年が、酷く美しく眩しかった。

「妹を守るのは兄の使命なんですよ。だってその為に先に産まれたんですから」

 物怖じせず微笑む幸村の、その胆の座り具合はいっそ見事なもので、男は威嚇を止めた。

「だいじょうぶ?」
「痛いの?」

 子供達二人は、地面に投げ出された友達の父親を気にかけている。

 手塚も放り投げた手前、責任を感じ様態を窺った。腕を肩に回し、上体を持ち上げる。
 顔を改めて見て驚く。不精ヒゲに覆われた顔は、殴られたあとも痛々しく憔悴しきっていた。まだ三十代に入ったばかりとは思うが、たった数時間でえらく年をとってしまった。そのように感じられた。うっすらと落ち窪んだ目が開く。

「す…みません。小学校は…」

 第一声があまりに意表をつき、手塚は戸惑った。頭でも打ってしまったのだろうか。

「そこですけど」
「太陽に…太陽にひと目合わせてください。お願いします。お願いします」

 手塚を、自分を連れ去ろうとしている男達と間違えているようだった。すがりつきながら、目にはうっすらと涙が盛り上がっている。手塚はますます窮した。

「あの…あなたを連れ去ろうとした人たちとは違います。オレ達はあなたを助けたんです。今、救急車と警察を呼びますから」
「その前に…! その前にひと目でいいんです! 二度ともう会いませんからっ」

 話がまったく見えない。

「手塚、人を呼んできて。オレは警察と救急車に連絡入れるから」

 横から幸村が口を挟んだ。手塚は泣きながら訴える男から目を離し、「ああ、わかった」答えると、ガードレールにそっと背を齎せかける。「…っ」苦痛にしばしうめくと、父親は大きく息を吐いた。見えない箇所に大きなケガを負っているようだ。

 手塚はとにかく人を呼ぶことが先決と、学校へと向かい踵を返す。

 幸村は手塚の背を見届けると、大きく溜め息。携帯でまず真田にかけた。

「…あ、真田? お願いがあるんだけど。…うん。ごめん、ちょっとよくわからない騒動に巻き込まれて。――あ、うん。大した事…あるかなあ。怒らないでよ。とにかくこっちもよくわからないんだから。うん。でね、太陽くんを連れて来て欲しいんだ。東門にいるから。うん。来て…早く。警察…にはこれから連絡…え? ええ? そうなの?」

 なにやら電話口で驚いているほのかの兄をよそに、央はぐったりとしてしまった太陽の父親の手をそっと取る。

「あのね、おじちゃん。陽くんね。ずっとずっとずーっとおとうさん来るの待ってたんだよ。陽くん、おとうさん大好きなんだって」
「そんなに待たせて……悪い…父親だ…」
「ううん。おじちゃん、ちゃんと来たじゃない」
「うん…会いたかったら」

 潤んだ目が、央を捕らえた。自分の息子と重ね合わせているのかもしれない。

「ねえ、央くん。なんで学校の外に出たの?」

 ほのかが心配そうに訊いた。

「あのね、陽くんがね。おとうさん、学校の場所がわからないかもしれないから、外で待ってるって云ったの。でも、おかあさんがダメだって云ったからいけないって、だからぼくが代わりに見てきてあげるよって」
「そうなんだ。でも、ひとりで出たら危ないよ」
「うん…。ほのかちゃん転んじゃったね。ごめんね」
「べつにケガないよ」

 その間に兄の電話が終了したのか、携帯をしまうと二人のもとにきた。

「二人とも、弦ちゃんが来たらすぐに運動会に戻るからね。立って」

 子供達を立たせると、幸村は幼い妹にはわからない微妙な表情で父親を見た。二人を男から離すと、幸村は改めて男の側に一人で寄り膝をつく。

「―――子供が望んだわけでもないのに、二度と会わないだなんて云わないで下さい。会わなくとも、あなたが父親であることに代わりはないんですから。そのようなことを云えば、傷つくのは子供ですよ。捨てられた、そう思わせないでください」

 ほのかには兄が何を伝えたいのかわからなかった。しかし太陽の父親が力無く俯いたことで、彼には伝わったのだろうことを知る。

 間をおかずして、東門からたくさんの大人達が出て来た。
 その中、太陽が顔を真っ赤にして一直線に駆けてくる。

「おとうさん―――っ!」

 ほのかや央には一切気づかない様子で、一心不乱に父親に泣気縋った。

「おとうさん! おとうさん! おとうさん!」

 わあ、と声を上げて泣く。小さな息子の体を力強く抱き閉め、父親も涙声で「ごめん…ごめんな」と何度も謝っていた。
 こちらはゆっくりとした足取りであったが、太陽の母親も一緒に来ていた。頬を涙で濡らしている。

 咽び震えながら、夫に同じく縋りついた。

 ほのかと央には何がなんだかわからない。それでも、家族が全員揃ったのだ。多分、きっと、太陽は喜んでいるに違いない。

 二人の肩にそっと手が乗せられる。幸村だ。

「行こうか」

 促され、二人は学校へと歩みはじめる。何人もの大人と擦れ違い。大人達は背後で暴力を振るってきた恐い男達を引っ立てているようだった。確認することはできない。何故なら背後にはぴったりと兄が立ち塞がっているので、振り返っても「ダメだよ」と優しく拒まれるからだ。

 門にはむっつりとした顔の真田と、心配そうな不二。そして手塚が待っていた。

「……危険なことをするな」
「ごめん」

 ほのかが今まで聞いたこともないような、恐い声を真田が出した。兄がしゅんと項垂れる。

「でも、妹を守るためだし」
「わかっている。お前の側にいなかったオレが悪いんだ」
「……ずるいよ、真田。そう云われたら反省しなきゃいけないじゃないか」

 真田の大きな手が、兄の髪をくしゃりと撫でた。下から覗いていたほのかは、兄の顔がほんのりと紅く染まった変化に気づく。なんとなく羨ましくて、肩に回されていた兄の手をぎゅっと掴んだ。真田は幸村の背を抱き、そのまま三人で会場に戻る。

 リレーに参加する選手は集まるようにといったアナウンスが流れていた。


 央は親友の家族の異変を肌で感じており、幾度も心配そうに背後を振り返っていた。しかし、体が一気に宙に浮き、目を見開く。

「心配かけないでよね、央」

 そこには少しだけ双眸を潤ませた、大好きなイトコのお兄ちゃんの顔があった。凄く心配をしていてくれたのだと、子供心にもわかった。

「ごめんね、周おにいちゃん」

 抱き上げられたまま、ぎゅっとその頭に抱きつく。

「リレー始まっちゃうよ。頑張ろうね、央」
「うん」

 不二に抱っこされたまま、央は前を行くほのか達同様、会場へと戻った。

 










 

 その後、運動会は中断されることもなく。何事もなかったようにプログラムを消化していった。
 救急車はどうやら音を消して来たようで、参加者達の殆どが知らない内に、事は収拾したようだった。パトカーもしかり。そもそも覆面パトカーで来ていた刑事達が、そのまま去っていったのだから騒ぎにはならない。

 幸村はぼんやりと閉会式のアナウンスに耳を傾けていた。隣には真田が立っている。その横顔に視線を向けた。

「…なんだ」
「お疲れさま。おかげで赤組優勝したよ」
「――決定打は仮装の得点だ」
「ま…まあ、それは企画の勝利ってヤツってことで…」

 リレーは僅差で真田が勝ったが、次点が手塚だったので点数的にはそんなに青組と離れなかったのだ。好評だったのが赤組の仮装――花嫁行列で、これは娘を持つ父親の圧倒的支持を得、高得点が加算されていた。

 かなり衝撃的な場面を目撃してしまったであろう、央とほのかだが、そのような素振りは微塵も表に出さず。残りの競技をこなした。さすが幸村と不二の血筋といったところか。真田と手塚は密かに感心したものだ。央も力を出し切って走り抜け、その年代では一番でバトンを次に渡している。

「――ねえ、なんで刑事さん達が会場にいたんだ? 真田はなんで知ってた?」

 不思議に思っていたことを、意を決して訊いてみた。真田は困ったように、幸村を見つめる。

「オレもよくは知らない。ただ、ここを張っていた刑事が知り合いだったんだ。偶然遭遇した。それだけだ」
「……太陽くんのお父さん。たいしたことないといいけどね」
「そうだな…。ずっと行方不明だったらしい。どうやら太陽くんの父親を警察に渡したくなかった者達が監禁していたようだ」
「……え」
「その中。あの男は逃げ出し、ここまで来たんだろうな。家族に会いに」
「………」

 ほのかに聞こえないよう、小声での会話だった。「ママ!」と、ほのかが閉会式を終えたあかりを呼んだところで途切れる。

「ご苦労様。真田くんもありがとうね。おかげで勝てたわよ〜。町内会長が凄い喜んでたわ。これで秋祭りの御輿出しの順が一番だって」

 どうやら影では色々な賭けが行われていたらしい。陽気に笑う母親に、真田は「良かったですね」と答えていた。

「ウチで晩御飯も食べてらっしゃいよ」
「いえ、申し訳無いのですが、このあと用事があるので」

 丁寧に事態を申し出る。

「母さん、ちょっと」

 幸村が母の手を取り、距離を取った。そこでこそこそと耳打ちをする。勝利に笑顔だった母親の顔が、一変して険しいものへとなった。

「…大丈夫なの?」
「まあ、後日呼び出されるかもしれないけど」
「あんた、やりすぎてないでしょうねえ。やりすぎも罪になるのよ?」
「心得てますとも」

 なにやら物騒な会話だけ風にのって耳に届いてしまい、真田はほのかにわざとらしく「今日は勝ててよかったな」と話かけた。

「うん。…でも、太陽くんだいじょうぶかな?」

 ずっと心残りだったのだろう。ほのかの問いかけに答えられるだけの情報をもたない真田は「すまない」と肩を掴んだ。ほのかはなすがまま、頭を真田の躰に寄せる。

 子供なりに何か大変なことが起きていると、勘付いているのかもしれない。

「ねえ、弦ちゃん」
「なんだ?」
「あのね、さっきね。恐い男の人にほのかが転ばされたちゃった時、おにいちゃん。ほのかを守るためにおにいちゃんとして産まれたって云ったの。んで、恐い男のひとやっつけちゃったの」
「そうか」
「さっき、いってたけど。弦ちゃんは、おにいちゃんの側にいてね。ほのか、おにいちゃん守れないから、だからおにいちゃん守ってね」
「―――いるよ」

 掴んだ手に力を込めた。

「ずっと、いるよ」

 

 





 数日して――、

 大蔵省金融検査部の検査官2名が、大手銀行からの収賄容疑で逮捕された事件が紙面とニュースを一色に染め上げた。。収賄容疑の内容は、銀行からの接待の見返りとし、業務に関わる検査情報を提供し本来指摘すべき不正融資の見逃しを行っていたというものである。いわゆる『金融スキャンダル』は大蔵省のOBである道路公団理事に続いて現職の官僚も逮捕されるという事態にまで広がった。
 容疑のかかったOBの中には、現議員も含まれており、その摘発に検察庁は慎重に操作を続けているという。

 その記事一部に、太陽の父親の名を見つけた。

 不二が央の両親に電話をし、それとなく訊いたところ、太陽は母親の実家に引っ越したとのことで、親友と離れてしまった央が酷く落ち込んでいるということだった。

 しかし電話口でかわってもらったところ、央は健気にも元気な声を出し、不二に云った。

『陽くんと離れて寂しいけど、でも陽くん。おとうさんにあの時あえて凄くうれしかったって云ってた。おとうさん、お仕事で遠くに行かなきゃいけなかったんだって。今はおかあさんと一緒におとうさんが帰ってくるの待つって』

 まだ幼いから、父親がどのような状態にいるのかわからないのだろう。そのまま父を、まっすぐな気持ちで待っていられるのかどうかは不二にはわからない。それでも、泣き叫ぶ息子を愛しいと抱きしめた。あの温もりが太陽から消えることはないことを、祈った。

 運動会が終ったのち、手塚が不二に呟いた言葉が耳に残る。

 ―――父がオレとの約束を破らなければならなかった時。何がそんなに悲しかったのかを思い出した。自分よりも大事なことがあるのかと、疑ったから怒ったのだ。オレは父が、仕事にとられることに嫉妬するほど好きだったらしい。

 成長する過程で忘れてしまいがちな、父親への思い。

 母親へと向かう感情とは似ているようで、まったく違う。

「ねえ、央。来年の運動会はおとうさんと一緒に参加できるといいね」

『うん! でも、周おにいちゃんも、手塚さんも大好きだよ』


 ありがとう。

 きっと手塚に伝えるよ。

 また、一緒に遊ぼうね。

 

 不二はそう約束し。
 真田と幸村、そしてほのかちゃんも誘おうよ。と、提言した。
 央はとても喜び、元気よく『絶対だよ?』と念を押した。
 今、不二の手元には運動会の写真が現像してある。幸村の撮ったものと交換するのもやぶさかではない。

 受話器の向こう側、央はとても無邪気な声で「おやすみなさい」と電話を切った。

 

 






















い…胃が痛いです。
まったくもって小説が書けなくなった。
そんな中ムリヤリ書いたらこんな話になりました。
相変わらずテニスとまったく関係ない。
そういや、幸村は恐くて自分の仮装についての
コメントを真田に聞いてません。
真田は似合ってたなんて云っちゃダメだと思ってるので
やはり口にしません。






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