隠された言葉
それはもはやケンカ腰に近かった。 傲慢な態度。怒りに吊りあがる眦。 挑発的に歪む唇。 そこから発せられる、きつい言葉の数々。 全てが刺すように、自分の体を容赦無く切りつけていく。 最初はただ混乱した。 一体自分の何がそんなに彼を怒らせたのか、まったくわからなかったからだ。 だが黙って聞き流すには、己の矜持が許さない罵倒の数々に、困惑していた感情は、いつしか怒りに塗り変わっていく。 聞き流せばいいのだ。わかっているのだが、やるせない。 彼は時々、情緒が不安定になる。 普段の穏やかさが嘘のように、まるで満ち潮と引き潮の海のように、まったく違った一面を持ち合わせ。
『―――今まではこうじゃなかった。全部…全部、オレの中から消えた時間のせいだ。返してくれ。あの時間を、戻してくれ』 ちょっとしたことで噴き上がり、吐き出すだけ吐き出すと、今度はそんな自分に嫌悪するのか、わざと自分を傷つけるように嘆き蔑む。 夏の終り。厳しい残暑の熱気が、汗となって肌を不快にさせた。沸き上がる怒りを、暑さのせいにしてぐっと耐える。 手術が無事に終り、部活では監督として皆を指導している彼だが、リハビリも兼ねてテニスクラブでラケットを振り始めた頃から、思うようにいかない自分の体に苛立ちを募らせるようになった。 始めの頃はなんと言えばいいのかわからず。気休めにしかならないとわかっていても励ましては、相手を落ち着かせようと必死になったものだが、それらは全て彼を追い詰めるだけに終った。 『そんな事はない』 『お前は悪くない』 『大丈夫だ―――幸村』 幸村は、そこら辺に落ちているゴミ屑を見るかのように、言葉の数々に軽蔑を表す。 その度にオレは己の不甲斐無さに傷つき、ボロボロになった。 どうして幸村は、オレに対して怒りをぶつけてくるのだろう。 オレでなくてもいいではないか。 オレなんかよりも、適した助言ができる者は他にいる。 そんな不満さえ幸村は見透かし、少しずつ少しずつふり幅は広くなり、収集がつかなくなっていくようだった。 他のメンバーの前では、いつも通り。泰然とした態度を崩さない。誰に対しても平等に、優しく微笑む。 ――時間を返してくれ…っ。 そう、理不尽にも嘆く彼を、他の者は想像することさえ難しいだろう。 正直、変わった――と思った。 王者と呼ばれる立海大附属の部長。 中学テニス界、屈指の名プレイヤー。 彼はいつも、風格に彩られ。その肩をそびやかすものはなにもなかった。まっすぐと前を見据えた双眸は、決して揺らぐことなく。その磐石たる足もとに、オレは何度もひれ伏す思いだった。 彼が、病に倒れるまでは。 動かない躰。無意味に通り過ぎる、長い時間。 彼を置いて進んでゆく、同年代の少年達。 些細なことから、どうしようもないことまで。 ひとつずつ。ひとつずつ。 崩れていったのは、彼のなんなのか。 表情からは自信が消え、まるで晒されているように笑う。 原色豊かだった世界がじょじょに色褪せ、モノクロームになってゆくように、彼の周囲は激変した。 誰も気づかないのだろうか。 彼の瞳から消える情熱に。 誰も知らないのだろうか。 密かに震える、指先を。 「お前は何も知らなくせに、訳知り顔でいる」 ふいに、耳に厳しく刺さる。 「正しいお前から見れば、オレは侮蔑の対象か。それとも哀れみの対象か」 もうやめてくれ。 オレはお前からそんな言葉を聞きたくない。 自分の価値を貶めないでくれ。 お前は誰よりも高い場所で、誰よりも輝いていたじゃないか。 「またそんな眼で見る。オレが変わったのがそんなに信じられないか。そして眼を逸らすんだ、オレから。この、今のオレからっ! だったら見るな! 近づくなっ! お前が欲していた、お前が一目を置いていたテニスプレイヤーの幸村精市はもういないんだっ!」 「――諦めるな」 「諦めてなんかいない。だがな、今のオレが、お前の…っ」 強く、拳で胸を押された。 「お前の所まで行くのに、どれだけ時間と自分のプライドをすり減らすのか、お前はまったくわかってないっ。苦しいんだよ。苦しいのに…お前は、以前のオレの幻影ばかりを追いかける。お前の、お前の所まで行くのに……オレは……っ」 「見ている。今のお前を見ている。オレは待つ。いつまでも…」 右頬に灼熱感が走る。鈍い音とともに、火花が散るかのように、瞼の裏がチカチカと点滅した。 「そんな言葉が欲しいんじゃない…。お前は――何もわかってない。お前はオレの何も見ていなかった」 苛烈さを増す双眸のふちが、怒りのためにか朱に染まる。白い肌にそれは艶かしくもよく映えた。 何かが頭の中に浮かぶ前に、その彩に目を奪われる。 「帰ってくれ…。大体、オレが今日のスクールを休んだからってわざわざ家にまで来るな。迷惑だ」 感情的になったために弾む息を、幸村はむりやり飲み込んだようだ。咽元が上下する。睫が伏せられ、足元を見ていた。 つられて足もとを見れば、上がりかまちにスリッパも履かずにいる、骨ばった素足が視界に入る。踏みしめるように、指が曲がった。
―――気づけば、手が出ていた。 彼の胸元を鷲掴み、壁に叩きつける。 痛みに一瞬顔が歪み、次いで驚愕に見開かれた。 「――ならば、お前はオレの何をわかっている」 「………」 「お前は一体何をオレに期待しているんだ。オレがお前を侮蔑すれば満足か? 落胆し、見放せばいいのか?」 怒りや、悲しみや、そんな全てが混ざっては渦をまく。 息さえかかるような近く。幸村は挑むように、オレの目を覗き込んだ。 「壊す度胸もないヤツが何を言うんだ」 「そうか――壊せば満足か」 逃げられまいと、靴のまま廊下に上がると、そのまま幸村の体を床に乱暴に倒した。体重をかけて、圧し掛かり相手の動きを封じる。 口が「なに」と開いたが、声を発する前に塞いでしまった。唇が強く合わされる。弾力を確かめる余裕などない。 息を呑む。その隙に舌を突っ込んだので、大分苦しかったに違いない。腕が宙で何度かもがくと、強い力で背を叩いてきた。だが、二の腕しか動かせない体勢で叩かれても、威力はない。 もがく腕を掴むと、床に縫いとめる。 「――んっ! んっ…」 激しい息のやりとりが、二人の間を埋める。初めて知る、他人の舌の柔らかに背を泡立たせた。あまりに動くので、捕らえようと吸い込む。そのまま噛み切ってやろうかと、本気で考えた時に、腕から逃げた幸村の手が頬に爪を立てた。 チリつく痛みに、顔を離す。 どちらのものかもわからない唾液に、幸村の唇は濡れ、見たこともないほど紅く色づいていた。 薄い膜に覆われた双黒が、揺れる。 「――なにを…」 「人を呼べばいい。家に居る家族でも、玄関の外の他人でも」 「……」 「オレを突き出せばいいんだ。オレのプライドをくれてやる」 「さ…っ! ちょ…っ!」 うねるような黒髪が、汗のために首筋に張り付いていた。それを唇でよけると、びくりと咽元が顫動する。首筋に噛み付けば、小さな悲鳴が上がった。 「や…! やめ…。いない! 今ウチには誰もいないんだよ!」 「だったらもっと叫べ! 暴れて、オレから逃げてみろっ! オレを軽蔑すればいい。お前がお前自身に向けるよりも、もっと激しく。――お前がお前を壊すぐらいなら、オレが壊してやる」 「―――っ」 感情の蓋がはずれ、中から煮だったものが体中を駆け巡る。熱に浮かされるまま、シャツを一気に顔まで巻くり上げて、脱がした。圧し掛かる男を退けようとして、引っ張る髪から指を外させる。頭上に纏め上げて衣服で拘束した。 陸揚げされた魚のように、白い胸と腹が跳ねる。 触れた肌は、ひんやりと冷たかった。幸村は半裸にされた羞恥に耐え切れないのか、瞼をぎゅっと閉じてしまっている。 頭の中はまるでスコールだ。激しい雨で目隠しされている気分だった。なのに、自分でも驚くほどに、優しく指は彼の肌をなぞる。 幸村の吐息に熱いものを感じるのは、自分がそうだからだろうか。ためらいなく、彼の下半身に手を伸ばした。 あとはただ、がむしゃらに彼の息が上がるところを捜し当てては満足した。 何度も小さい声で「真田」と繰り返していたようだが、それに気づくのは全てが終ったあとだ。 体を傷つけるつもりはなかった。 だから、ただ手を動かし、彼が吐精するのを待ち。満足した。 莫迦げた話だか、手を汚したものを見て。初めて彼が自分と同じ性を持つ者なのだと自覚する。 彼の感じただろう快感を想像しては、熱が上がった。 ――微かに漏れる。嗚咽が耳に届くまでは…。 バイクの音が、家の前で止まる。ポストに夕刊が投函されたのだろう。ガチャリと、玄関ホールにまで響いた。 慌てて躰を離す。 廊下に横たわり、涙で顔を濡らすその全貌を―― ようやっと現実として、受け止めた。 背筋が凍りつく。 おかしいほどに、手が震えた。 その震えた手を伸ばせば、幸村の体はあからさまに恐怖を表しびくりと身を竦める。 凍りつく感情を、あえて動かさず。その腕を拘束していた衣服を解いた。 すぐさま、幸村は起き上がると乱された下肢を整え、壁に張り付いて小さくなった。 唾液を飲み込もうとして、うまくいかない。それほど咽が渇いていたことを知る。 沈黙と静寂。 それらを破ったのは、唐突に降り出した夕立だった。 「―――オレは……」 そこから先が続かない。 幸村が、ふいに強くこちらを見た。 「―――オレは…お前が………」 言葉は、空を劈く雷鳴によって、隠された。 |
tt
頼まれてというか、物々交換というか(笑)
Hさんがお描きになった絵が見たくて(←微妙に伏せ切れてない)
その絵に合わせて書いた話なんですよ。
別に内容エロってわけでもないんですけど、微妙〜。しかも幸村恐い(笑)
この話は私の書いているシリーズとはまったく関係ありません。
そこを混同なさらないで下さると助かります。
本当は出すつもりなかったんですが(退かれるのもヤだし)
更新してなかったので…断腸の思いで(笑)
つーか大分文書変えてしまった・・・・・