そしてボク途方れる。











 

 

 

『丸井、好きな子って誰だよ?』

 

 そう好きな子がいて当たり前のように、訊かれる度に困ってしまう。

 大体この手の会話は小学校高学年あたりになったら、自然と出てきていたものではあるが。中学に入った途端に、あやふやだったり想像の域だったりしたものが、明確な形を伴って、自分を圧迫してきた。

 『心』に『身体』が追いついてないのか、『身体』に『心』が追いつかないのか。

 にわかに『性』に対して、生々しい憧れを抱く年代になったんだなあ、とは教科書が教えてくれるから知ってはいるのだけど。誰もが同じスピードで成長していくわけではない。

『好きな子って、今はいない』

 そう答えるが精一杯の意地。

 確かに小学校の時に気になる女の子はいたけれど、それだけで、具体的に何かしたいとか、常に一緒にいたいとかというビジョンがあったわけではないから。きっと、アイドル見て可愛いなあ〜って思うのと同じ類の感情だったなんじゃないかな、とは振り返っての感想。

 でも素直にそんなことを口にするもんなら、一斉に『お子ちゃま』とか『ガキだなあ』とかバカにされるのだ。

 同年代に言われるのは本当にムカつく。

 大体、巨乳のグラビア見たって「デカイなあ。重くないのかなあ」としか感想は無い。クラスメイトが『ぐっとくるよな』とか『やべぇ』とか…。何がヤバイんだよ。って、突込みたくなるのをメチャクチャ我慢して皆に合わせて笑ってたりする。

 『好きな子』の話を聞いていると、グラマーだとか、清楚とか、可愛いとか、その辺の趣味の違いはわかるんだけど。付き合って、一緒に帰って、遊びにいって。キスして、隙あらば脱童貞。

 そこまで行くと、少しばかり退いてしまう自分がいるのだ。

 正直、女の子ってわからない。

 可愛い、というよりは『なんか野郎よりしっかりしているよな』という尊敬とかの方が大きいかもしれない。

 しかもシビアで現実的だと思う。

 わからないのがいけないのかも知れないって考えて。中学二年に上がる前の春休みに、告白してくれた子とデートしてみたりもした。

 テニスで有名な学校で、レギュラーなオレはけっこうもてるのだ。可愛いとか言われるのがたまに傷だけども。

 その子はいわゆる『女の子』って感じで可愛かった。自分よりも小さかったし、優しそうだったから「まあ、いいか」って気持ちで付き合ってみたんだけど。

 結果は―――速攻でサヨウナラされて終った。

 デートに行こうと誘われて、「どこに行きたい?」って尋ねたら「どこでもいいよ」と言われて、まず困った。普通、誘ったほうが行き場所決めないか?

 でもどうやら、男女となるとそうなるらしい。そこで悩みに悩んで『中華街、飲茶食べ放題に行きたい』と――つい、本当に自分が行きたい場所を言ってしまった。月末で最終だったんだよね。友達誘って行こうと計画立ててたんだけど、そこ以外行きたい場所もなかったし。

 誘った瞬間。ちょっとだけ「………」無言で返されたけど、結局は「いいよ」ってことになった。

 そこまでは良かった――気がする。

 中華街の門前で待ち合わせをしていて、合流した途端にやはり目を丸くされた。曰く「可愛い格好してるね」だった。

 その日、着ていったのはベージュ色の手編みベルト付きジャケット。赤いレース編のマフラー。黒のジーンズにハーフブーツ。実はブーツは女物。――確かに可愛い格好かもしれないという自覚はあった。

 そしてそれは自分の趣味ではない。

 ちゃんと理由がある。

 何故かオレを見て少しばかり不貞腐れた女の子に、慌てて説明をした。

 ウチは父親が某有名国産ブランドの服飾メーカーに務めていて、母親がデザイナーだったのである。母親は子供を三人産んで、子育てのために退職したのだが、彼女のささやかな夢が子供に自分の作った服を着せるということだった。

 勿論、着せ甲斐のある女の子希望で。

 だがしかし、世の中そんなに甘くない。三人も頑張ったのに、結局男しか産まれてこなかった。残念がった彼女は、それならもう男の子でもいいや、と自分好みの服を作っては着せているのだ。

『自分の着たい服は自分が稼いだ金で、お買いなさい。すね齧ってる身で拒否権はありません。どうせその内、ママの服なんか着なくなっちゃうんだから。今だけでもわがまま聞いてよ!』

 長男はいつでも、母の玩具となるのが常である。

 夜なべして型紙から服を作り上げる母を見て、そんな女の子みたいな服着れない、とは突っ張れなかった。

 おかげで小学校時代から、女子にはとても羨ましがられていた過去を持つ。女の子と間違われるなんて日常茶飯事で、そこはもう諦めた。

 説明すると、彼女は「ふうん」とだけ。愛想笑いみたいに返された。

「二人でいると、なんか女の子同士みたいだよね」

 なんて答えていいのやら。

 ここは笑うべきか、怒るべきか。困惑していると、とても間の悪いことに、男二人が寄って来たのだ。
 高校生だか、大学生だか。よくわからない、普通の男二人がそれはにこやかに、

「君達可愛いね、二人だけで来たの?」

 と話かけてきた。

 基本的にこっちは男女なわけだから、一体なんの用件だろうかと首を傾げていると、隣の子は『可愛い』と言われて満更でもないようで会話を始めてしまった。
 相手の背が高くて、雑誌から抜け出てきたような格好なのも、理由のひとつだろう。
 気さくな男達だったので、こっちも普通に男として暫く話しをしていたら「一緒に飯食わない? 奢るよ」と、誘われて。思わず「え? マジ?」なんて喜んでしまったのが悪かった。

「……アンタ、男でしょ」

 冷たい視線に、冷たい口調。

「え? 男〜?」

 ―――そこで、オレ達はスピード破局。

 

 情けない。あまりに情けない振られ方に、暫くは本気で落ち込んだ。仕方ないじゃないか。まさか、ナンパだったなんて思わなかったんだからさ。
 翌日から、その子に言い振り回されたらどうしよう。なんてビクつきもしてしまった。
 やっぱり…ねえ。カッコ悪いじゃん。 

 だけどそれは杞憂に終って、噂になることはなかった。まあ、その子にとっても苦い思い出になってしまったのかもしれない。

 結論。

 やはり、女の子はわからない。

 と、いうより女の子との付き合い方がわからない。
 男のほうが一緒にいて楽しいし、話に困ることもない。
 男だらけの家庭で育ったためかもしれないが、そしたらもう仕方のないのことだ。

 女の子との会話は難しい。大体、好きなテニスの話をしても、途中で「意味不明」と投げられる。少女達は自分の興味ある話題を出されることが当たり前だと思っているのだ。それ以外は「つまらない」で終り。あとはサバザバとした女の子なんて、はっきり言って男扱いされていないと感じるし、でもそういう子だからこそ構えないで付き合えるってのもある。

 『愛』とか『恋』なんて、言葉でしかわからない。

 胸が熱くなるとか、夢中になるとか。
 それってテニスでしか感じないよ。ああ、テニスが恋人ってカッコイイかも。
 大体テニスの仲間達というほうが、そんな恋愛話をしているより絶対楽しいし。

 あ、そうか。そういや、こいつ等と居る時って不思議と女の子の話ってしたことないなあ。

 この間、クラスメイトの一人に『テニス部って大人〜、みたいなのが多いよな。やっぱ彼女とか余裕でいんだろ?』って訊かれて、まったく答えられなかった。
 多分いねえと思う。って返答したら『嘘つくなよ』と真顔で切りかえされて、ムッとした。

 どうも近頃、クラスメイトでも合わないヤツがでてきた。みんなとワイワイするのが好きだから、けっこう中心に居ることが多いけど、それってやっぱりたまに疲れちゃうかも。

 そんな時は、独特な雰囲気でクラスに溶け込んで、信頼されているけど、馴れ合いはしないっていう他のテニス部仲間が羨ましくなる。

 テニス仲間でもレギュラー陣限定。ヤツ等は、独特だ。ある意味、女の話をする級友達よりも、全然大人だと感じる。

 ジュニアのテニス大会から知っている、現部長。幸村なんかは、おっとりしていて、世情に疎いように見えて、中身はとんでもなくしっかりしている。まあ、しっかりしてなきゃ、この王者立海で部長なんかできないけどさ。
 身長が高いから、男だってわかるけど。オレよりも女みたいな顔をしてて、しかも凄い美人だ。同性に言う台詞じゃなけど、幸村なら許されると思う。あの顔で微笑まれたりしたら、男だってドキドキしちゃうぞ。
 だけど、中身は鬼。コート場では、まさに鬼だよ。何度泣かされたことかわからない。
 毅然としてて、カッコ良くて。

 きっと教室で、あいつにグラビア見せて『巨乳どうよ?』なんて訊けるヤツはいねえだろうな。

 幸村の蔑視の表情は、雪女もかくやってやつだもん。

 副部長の真田なんて論外。
『たるんどる!』って一括されて終りだろう。

 こっちは中学生? って本気で確認しちゃうぐらい。大人通り越して親父だ。しかも厳格。星一徹って感じ。
 ちょっとでもお茶らけたもんなら、拳が飛んでくる。オレも何度か殴られたけど、容赦ねえんだ。だけど、純情でウブだから、いっつもギリギリの所で、揶揄っちまう。ある意味、オレが性的なことで尻込みしない、貴重な男だ。

 そして、強いと思う。面と向かって言えないけど、尊敬してんだ。きっと、真田は早く童貞捨てなきゃカッコ悪い。なんて焦ったりしない。流されない。頑として、信念を貫ける。

 そうか。真田と幸村はそんな所がとても似ているんだな。

 立海テニス部を担う、二人。
 困ったところもあるけど、やっぱカッコイイ。
 うん。
 一年の頃から知っているけれど、この二人は並ぶとなんというかしっくりというか、しっとりというか。墨の部分と白の部分だけで、世界を作り出す水墨画みたいな感じ。

 オレと幸村も『親友』って言っていいぐらい、仲いいけどそれともなんか違う気がするんだ。

 そんな二人の出会いは爆笑もので、だからこそ幸村が真田を揶揄う時に、けっこう『そういうネタ』を使うことに疑問を持たなかった。むしろ、真田の慌てふためきぶりが面白くて、推奨してたぐらいだ。
 オレも一緒になって軽口を叩くこともあるし。

 でも…ふっと。ある時、オレは幸村の眼差しの意味に、気づいた。その意味を具体的に問われても困るんだけど、ただ、あれって。

 疑問を抱いたのは、梅雨の時期。部活の無い日だった。

 放課後、教師に呼び出しをくらって、遅くなった時。人気の無い廊下を歩いて、鞄を取りに教室に戻った。そこで、通りかかった教室の中に真田と幸村だけが居た。

 まだ残っていたのか、と中を覗くと、どうやら真田が日直だったらしく日誌を書いていて、それを幸村が待っていたらしく。

 机にむかい、黙々と仕事を終らそうとしている真田。
 雨が降る窓枠にもたれかかり、立っている幸村。

 二人の間に会話はなかったけれど、そこだけまるで時間の流れが緩やかになったような雰囲気があった。
 声をかけるのを躊躇わせる、何かがあったのだ。
 自分は確かにあの時、声をかけることによって二人の間に流れる空気を壊すことを恐れた。

 幸村は窓の外を見る。

 そして、ゆっくりと真田に視線を移した。

 ただ、それだけの仕草がいやに艶めいて見える。

 ――ドキリとした。

 なんでだか、わからないけれど。

 真田の知らないところで、真田を見つめる。その面差しは、今まで一度も見たことのない顔だった。

 慌てて、だけど静かにその場を離れた。

 見てはいけないものを、見た気分だった。

 

 未だに、あの表情の意味がわからない。

 それでも、思いの丈が募る。感情が雄弁に溢れ出す。

 まるでひっそりと隠すように書かれた恋愛小説の一場面を、垣間見てしまった後ろめたさはなんだろうか。

 まさか、とは思う。でも、と否定する。

 そんな悩みは、自分には不似合いだし。自分が勝手に答えを出す事でもないのはわかっていた。

 

 












 

 

(それでも、やっぱ気になるんだよなあ。まさか、あの幸村が…)

「……丸井君、聞いてるんですか?」

「お前なあ…面倒になったなら、さっさと帰るに限るがぞ」

 両側から見下ろされる形で、矢継ぎ早に批難され思考の渕から戻った。

「面倒? なにが」

 まだまだ寒い日が続くので、全員学校指定のコートを着用している。ショートとロングと選べるのだが、両脇に立つ二人はロングを愛用していた。丸井は、ショートだ。基本的に男子はロング、女子はショートとなっているのだが、男子といえども中学生からロングを着て似合う者など限られている。

「なにがって…だから、男にチョコ貰いに行くことがじゃ」

 心底嫌そうな顔で返されて、丸井は眼を丸くした。

「ああ、それか。いいじゃん、別に。相手はあとちょっとで卒業だしさ」

「卒業するからって、泣きつかれたんですね。まったく、そんなこと言ったって高等部なんか同じ敷地内じゃないですか」

「そらそうだけどよう」

 今度は柳生が苦味潰したように、愁眉を寄せる。そんなに嫌なら別に付き合わなくてもいいのに、とは思うのだが、口に出したら倍になって返ってきそうなので取り敢えず黙った。

「本当に君の食い意地には困ったものです。大体女子には充分貰ったのでしょう?」

「うっせーな。だったら、ヒロシが買ってくれよー! 三粒五百円!」

「ご冗談。男がこの時期にチョコなんか買えますか」

「あははは! 案外店員にサービスされるかもしれんのう」

「だったら仁王君行ってらっしゃい。止めませんから」

「金出してくれんなら、行ってやるぞ」

「んだよー! タダだからいいんじゃねえか!」

「タダより高いモンは無かよ」

 震えがくるような寒さの中。三人は丸井が呼び出されたという、体育館裏へと向かった。

(本当はなぁ〜、チョコはどうでもいいんだけどさ)

 こっそりと、丸井は嘆息を漏らす。

 ただ、知りたかったのだ。男が男に抱く好意とはなんだ? と。その感情の正体を。
 この世は男も女も半々だ。学校内だって、右見ても左見ても、必ず女がいる。にも、関わらずどうして男なんぞに惚れるのか。

 女に惚れたことさえ無い丸井には、まったくもって未知の世界だった。

「……なあ。お前等って彼女いたりするの?」

「唐突じゃのう」

「なんですかいきなり。いたらこの日に、こんな所にまで付き合うわけないでしょう」

「胸張っていうことでもないがなあ」

 一応ちょっとばかり緊張して訊いてみたのだが、あっさりと二人に否定されて、丸井は安堵してしまった。なにやら僻みっぽいな、オレ。と、思わなくもなかったが、やはり友達が誰かのモノになるっていうのは、寂しい気がしたのだ。思わず照れ笑いで、そんな不安を誤魔化してしまった。

「そっか! な〜んだ。噂と違うんだな。じゃあ、まだチューとかその先とかも全然まだなんだ!」

「――――…………」

「――――…………」

「………」

 しーん。

 沈黙が曇天の下に広がる。

「なんでいきなり黙ってんだ?」

「―――………いえ」

「別に」

 柳生と仁王。顔を見上げれば、不自然極まりなく逸らされた。

 途端、胸の底からふつふつと何か得たいの知れない疑念が湧きあがってくる。決して鈍いほうではない丸井は、顔を思い切り顰めると、

「お前等なんて不潔だぁぁああ――っ!」

 ダッシュで走り去った。

 二人は思わず見届ける。

「――……お前さんの沈黙の意味はどっちじゃ」

「仁王君こそ」

「つーかな。丸井はキスもしたことなかか」

「意外に純情でしたね」

「お前にだけは言われたくないと思うぞ〜」

 どことなく気まずく、二人は心持ち早足で体育館裏へと急いだ。

 



 

 ――それでも、走っていった丸井に追いつく訳もなく。二人が辿り付いた頃は、告白の真最中であった。

「……来てくれたってことは…ちょっとは期待していいってことかな?」

 相手は元美術部の先輩だった。身長は丸井より頭ひとつ分高い。やはり元テニス部の先輩と友人だった男だ。何度か喋った覚えはあった。

「って…言うか。なんでオレなんすか? 先輩なら彼女とか簡単に作れると思いますけど…」

 文化部にありがちで、ひょろっとしている体躯は否めないが、風貌は決して悪く無い。

「うーん。なんでって言われると…困るんだけど。そうだな。確かに、凄い迷ったよ。やっぱ普通じゃないってのはわかってるし。正直――自分を確かめたかったのかもしれない。ここで、君が来なければ…そうだよなあ、普通じゃないよなあって納得して。普通に高校で彼女作ろうかって思ってたから…」

「う…。じゃあ、その悪いことしちゃいました! ごめんなさい!」

 かーっと頭に血が上った。怒りのためじゃない、羞恥のためだ。

 自分の幼さと浅はかさに気づいたのである。

「そ…その、オレ…っ」

 相手の本気に対してなんと、軽々しい気持ちで出向いたものか。

 必死で頭を下げる丸井に、全てを察したのか、相手がそっと笑ったのがわかった。そして、目の前にキレイに包装された箱を出される。

「はい」

「えっと…もらえません。ごめんなさい……」

 ばつ悪く俯くと、その手を捕まれて驚いた。

「貰ってよ。恥ずかしい思いして買ったんだし。持ってても虚しいだけだからね」

「……先輩」

 顔を上げれば、どこか吹っ切れたような表情に、二度びっくりした。

「外国だとね。普通は男があげるものなんだって。まあ、日本でそう言っても仕方ないけど。気持ち悪いかもしれないけど…君を好きになって良かったと思うし。来てくれて、ありがとうって…思ってる」

 チョコを受け取ってしまうと、困惑を隠し切れない丸井の前に、今度は手が差し伸べられる。おずおずと、握った。

「来年も、テニス部優勝しろよ。応援してるから」

「はい」

 握られた手に力が込められる。いつから待っていたのか、その冷たさは氷のようだった。いや、緊張のためかもしれない、と思い至る。

 次の瞬間。

 丸井は凄い力で抱き寄せられた。ぎゅうっと腕の中に閉じ込められたのは、やはり数瞬。温かくはない。コートの冷たさだけが、頬に残る。

 驚嘆していると、「ごめんね」離れた男は、細く笑った。

 手にチョコレートを残したまま、先輩は立ち去る。丸井は声もなく、ただ立ち尽くすしかできなかった。

(――あの人は、男を好きなる自分を許せたんだな)

 いいことなのか、余計なことだったのか。

 丸井に推し量る術はない。ただ、寂寞としたものが胸を締めつけるだけだ。

 たった数分だけの、自分にとっては短く苦く。相手にとってはあっさりと終った恋。その残骸だけが、手元に残されたのだ。

「大丈夫ですか、丸井君」

「助けたほうが良かったか?」

 体育館の横から、柳生と丸井が心配そうに出て来た。

「ううん…なんか、こう……」

 そこで言葉に詰まる。

 思いの丈を伝える語彙が見当たらなかったのだ。
 むっつりと黙り込んでしまった丸井に、二人は困惑する。
 遠目だったために、何を喋っていたかまではわからなかった。よほどのことが無い限り、力でどうにかなるような柔な少年でないことを熟知していたため、静観することを選んだのだが。

「なにか、酷いこと言われましたか?」

「だから、止めればよかったんじゃ」

 柳生と違い、呆れたような態度の仁王だが、その実人一倍面倒見の良いことは、短くも濃い付き合いでわかっている。

 二人に優しく気遣われて、丸井は益々窮した。

「ちげーよ…。オレ、情けない…。ガキだなあって…」

「ガキじゃろう。中二やぞ、まだ」

 頭をポンと仁王に叩かれる。

「うん」

「さて、用は済んだのですから、帰りましょう? 雪でも降ってきそうな寒さですよ」

 反対側からは、肩に手を置かれた。

 丸井は悄然としながら、二人にまた挟まれる形で、校門へと歩き出す。

「あ、言った矢先に降りだしましたね」

 下を向いていたために気づくのが遅れた。慌てて見上げれば、確かに白いものが落ちてくる。

「わ! 雪だ!」

 歓喜の声を上げると丸井は手を精一杯伸ばした。
 さらさらと、羽毛のような雪が、次から次へと天から降ってくる。それは丸井の動きに揺れるように舞い、地に吸い込まれていった。

「うわー! オレ今年初めて見たぜっ。弟ドモも気づいたかなあ〜! すんげえはしゃいでそう!」

「――目に見えるようじゃのう」

「起伏の激しい人です」

 前を飛ぶように行く少年の後ろで、同じ年とは思えないほど老成した台詞を二人は口にした。

「まあ、落ち込まれているよりかは、全然いいですけど」

「雪様々じゃ」

 苦笑を漏らされたのも知らず、丸井は先を急く。が、いきなり回れ右をして、二人に突進してくると、両腕でがっしり掴み歩道の横へと強引に連れ込んだ。

「なんですか?」

「…しっ! 幸村と真田がいる!」

「―――!」

 校門までの道沿い、植えられている桜の樹の後ろに、苦しくも隠れる。丸井は息を殺して、前方を見た。
 強くなってきた雪に、小さな音が吸われて消えるのか、けっこう近い距離なのにも関わらず、幸村と真田は気づかない。
 三人はこそこそと喋り始めた。

(ふう〜。危なかったぜ。ここで見つかったら命は無い気がする)

(先ほど散々ヤられましたからねえ)

(でも、なんか幸村の機嫌は直っとりゃせんか?)

 仁王の指摘どおり、幸村は子供のようにはしゃいでいて、真田に窘められていた。珍しい光景を目の当たりとし、三人は唖然とする。出るタイミングを、確実に逃した。

 しかも、その次に続く真田の行動。

(うわ〜! なんで真田ってば幸村にチョコあげてんのっ?)

 唖然の次は愕然と忙しい。
 目の前の、世にも奇妙な現象に、三人は寒さのために凍りついた。

「あの、真田。今日ってなんの日か知ってる?」

 やはり幸村も驚いたのだろう。そんな声が聞こえた。

「それが…先ほどまでまったく知らなかったのだ。まさか二月十四日にそんな意味があるなどと…」

 問いに対して真田は照れ臭そうに、帽子を被りなおしたりしている。

(えー! ババババレンタイを知らなかったんかーっ!)

(落ち着きたまえ! 丸井君!)

(柳生、眼鏡曇ってるぞ!)

 幸村は突っ込むことなく、冷静に尋ねた。

「先ほど…って、誰になんて聞いたんだ」

「うむ。下駄箱にあったチョコレートの箱の持ち主だ。貰う理由が無いと言ったら、その女生徒――実は、先日不貞の輩に囲まれている所を助けた先輩でな。『お礼』だって言うのだ」

「そんなことあったんだ。で、バレンタインって言うのはどういう日だって教えて貰ったわけ?」

「前々から気になってはいたのだ。この時期になると、何故か皆チョコレートを持っていたり、あげたりしているのは知っていたのでな。しかし自分には関係の無いことだと思っていた。それで、先輩に尋ねてみたのだ。この時期のチョコレートには一体なんの意味があるんですか? とな」

「―――はあ」

(チョコを渡した女生徒が浮かばれませんねえ)

(さすが、ラストサムライじゃのう〜)

「そしたら、こう教えて貰った。お世話になった人に、ありがとうの気持ちを込めて送るものだ――と」

(そりゃ、本人前にして『愛の告白する日です』なんて言えねっつーの)

(同情いたします)

(……うっ…っぶ! つ…ツボった…っ!)

(ここで笑ったら今日が命日ですよ、仁王君)

(じゃが…っ! あの真田の乙女ヅラ〜っ!)

(わ…笑ったら…ぶっ。し、つれい、です…ヨ!)

「そのような行事があるとは知らなかった」

 横で腹を抱えて笑いを堪えている二人に、丸井は冷めたような視線を送る。先ほどのこともあり、笑う気にはとてもなれなかった。

 ――先輩も恥ずかしい思いしたって言ってたけど…。真田も凄いなあ。バレンタイン知らなくても、恥ずかしかったと思うんだけど。チョコ買ったんだ。幸村のために……。

「だから、オレに?」

「うむ。その…」

 真田が恥ずかしそうに俯いていた。丸井はどちらかというと、幸村が気になって仕方なく。目を凝らして、その表情を窺った。

「ありがとうの、気持ちを込めて」

「―――――っ」

「どうした、幸村? その、迷惑だったか」

 今度は幸村のほうが俯く。
 固唾を飲んで、丸井は知らず樹に縋る形で立っていた。

 真田の前だと、幸村は違う顔になる。

 真田の前だけ、幸村は違う表情をする。

 その帽子のツバを、手で掴んで下に引いた。取られまいと、無意識に頭を下げる真田の、太い首に力いっぱい抱きつく。

 柳生も、仁王も。

 もう、笑ったりなんかしてなかった。

「幸村?」

「あり…が…」

 雪はボタン雪へといつの間にか移り変わり、降り注ぐ。まるで、二人を覆い隠すように。

 ――やっぱり。

 何がとは、不確定すぎて言えないけれど。

 やっぱり――と、丸井は漠然とした答えを出した。


「――!」

 唐突に、体を背後から抱き上げられる。腰に回された腕で持ち上げると、そのまま踵を返されて、方向転換させられた。

「裏門から、帰りましょう」

「じゃな」

 持ち上げたのは仁王だった。柳生は丸井の荷物を奪っている。

 二人の姿は視界から消え、もう見えない。あの場面の続きを知ることもないだろう。


 愛とか恋とかわからない。

 他人なら尚更だ。

 でも、それでも――。





 

(なんで、泣きたくなるんだろう)














 感情の名前を『切ない』と知るのは、もうちょっとあとのことだった。






























■■もうしわけなーい。
 読みたい!って方がメールでたくさんきましたので
 アップしてみました。今後はもうちょっと間を置いてからアップとか
 本に入れるとかしてきますので、許して下さい。
 一応コピー本買って下さった方にも楽しんで貰えるよう
 続編…だけどなんでかブン太視点を書いてみました。
 ブン太が何思ってるかなんて初めて書いたけど
 どうにも乙女ですねえ。まいったまいった。
 でもこういうタイプほど、のちのち恋愛とか女性に
 対してシビアな男になりそうです。
 まだまだ中学生。悩んで学んでなお話でした。
 どうでもいいが、やはり恋愛話って私向かないですね。
 しかも一人称って苦手なんすよ・・・とほほ。

 またもやこれだけ読むとカップリングが謎な話と
 なってしまった(笑)
 一応、ヒロブンなんです。一応。
 まあ、でも恋愛色は薄いかな。三人で漫才してるのが理想かも。

 もっと裏話。赤也はジャッカルにたかって、只今ミスド
 で、チョコレートドーナツ食ってます。





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