幸村くんと真田くん 1
| 新緑香るような風が吹く四月。 桜は雨のように散り、変わって緑が視界を縁取りはじめる。 広大な敷地を誇る立海大附属も、教育の一環とあちこちに木々が植えられ、この季節は目に見えて鮮やかだ。 そして新入生を迎えた学び舎も、どことなく浮き足立ち生徒達も賑わいをみせる。 ひとつ階級が上がり、初めて後輩ができた者。最高学年になった者。着慣れぬ制服に居心地悪くしている者。 四月だからこそ流れる、初々しい雰囲気が中等部敷地内に満ちていた。 それまでは好きな恰好をしていた小学生が、真新しい制服に身を包めば、最初の頃はどうしても押し着せの印象がつくというもの。 皺の少ないスラックスに、光沢のあるブレザー。成長期まっただ中ということで、大概が大きめのものを着ているので、誰の目にも新入生と在校生の違いは顕著にわかる。 ――が、そのような中で浮く自分の存在を、真田弦一郎は入学式以来ひしひしと身に染みて感じていた。 制服は勿論ピカピカだ。そして伸び盛りを考慮して、少しばかり大きめのものを着ている。 にも関わらず―― 『何故だ…何故先輩と間違われるのだ! そして何故一年同士なのに敬語を使われねばならんのだ!』 もやもやとした憤りを表に出すなどと、未熟なことはしない。だが溜まる一方の不満の解決の仕方がまったくわからなかった。 もくもくと放課後、生徒溢れる渡り廊下を足早に行けば、誰もが避けて通る。 それさえも腹立たしく感じた。 真田は数週間前に入学式をすませたばかりの、右も左もわからぬ新入生だ。 しかし、周囲はどうもそうは見てくれず。教室でも一人異質な空気を発し、回りからは敬遠され気味であった。 そればかりか、声をかけてくる者は皆敬語な上、女性徒は恐がって遠巻きにするだけ。外見はともかく、中身はナイーブさを残す十二歳の少年にとってその扱いは身を搾られるように辛い。 そう、外見はともかく。―――その外見が真田の悩みの種であった。 一年にしては高い身長は、少数とは言えども他にいるから良い。 問題は体格にある。この年の少年ならば縦の成長に横がついていけずに、ひょろりとした者が多い中、真田は肩幅も広く重心も下にあり見るからに落ち着いている。醸し出す雰囲気も軽薄さとは無縁。容姿は決して悪いほうではないのだが、形容に相応しい言葉がるとすれば『いかめつい』だろう。 家族や親戚からは「しっかりしていて頼もしいな」と、誉められていてもきっと世間では違う風に取られるのだ。 それに拍車をかけるのが家柄である。ただでさえ由緒ある家で、厳格な両親のもと育った真田は、跡取息子として常に人の上に立つよう教育されてきた。 無闇に頭を下げず。軽薄に笑わず。常に『男』として生きよ。 戦争時代を生き抜いた、厳しい祖父の口癖そのままに、真田は成長した。それに刃向かうことや、疑問に思うことなど許されなかった。 例え隠れた趣味が、詩集を読んでは感動に涙し、絵本を読んでは涙することだとしてもだ。自分以外に目撃されなければそれでよいのである。 だがその二面性こそが真田にとっては苦痛であった。 常に厳しくあれ、奢ることなかれ。と、育ったのだから、愛想を振り撒くことなどしたこともない。 おかげで常にむっつりと、しかめっ面を崩すことなくいるため、同年代の少年少女は恐れるのだ。 そこで、孤高であることを当たり前と受け止めるほどの豪胆さが備わっていれば問題は無いのだが、金子みすずを愛する繊細さが、それを痛みと感じてしまうのである。 同じ年の従姉妹だけがそんな真田を唯一わかって認めてくれるのが、なによりの救いではあるが、問題解決にはならない。落ち込んでいた所、「これでも一緒に読んでリフレッシュしなよ」と、少女漫画を持ってきてくれたのが昨日のことで、始めは「読めるか、こんなもの!」と息巻き拒否したのだが、読むと以外と面白くて二人でのめりこんでいた。 解決にはならいないが、ちょっとだけ浮上できた真田である。 可愛い少女と、カッコ良い青年の純愛漫画は、読後に思わず溜め息が出るほど素晴らしいものであった。 『やはり…中学生ともなれば、初恋などという甘美な気分も味わいたいものだ。そして、し…親友を作りたい……』 気分は『友達百人できるかな』な真田である。 小学生時代は『殿様』などという仇名をつけられ、やはり敬遠され続けてきたという苦い過去があるのだ。誰も自分を知らぬ学校に入り心機一転。 とにかく『親友』と『初恋』は必須項目であった。 厳しく育ったために、小学生ごときがに恋慕の情などに目覚めるのは早い、と己を戒めてきた結果、真田はいまだ『初恋』というものを感じたことがない。 そこで、ふっと昨夜の従姉妹の忠告を思い出した。 『弦ちゃん何部入るの〜。やっぱ剣道部? 女の子にもてないよー。立海ってさテニスで有名じゃん。いっそ入ってみたら?』 歩みを止める。 部活動勧誘が盛んなこの時期に、真田はどの部からもお誘いがなかった。何故なら剣道部の顧問が既に真田の家柄素性を知っており、剣道部に入るものだと他部を牽制しているからだと、風の噂で聞いている。 そして現に今、真田は放課後剣道部顧問の所に行くようにと呼び出され、向かっている最中だ。 思案に暮れていると、いきなり横を通り抜けようとした生徒が足を滑らせて ドン――と、ぶつかってきた。 びっくりしながらも、傾いだ相手の体を胸で受け止める。 「あ、すみません!」 「ぬ…いや、大丈夫か?」 焦って頭を下げようとする、小柄な生徒の動きが不自然に止まった。 それを訝しく思った真田だが、すぐにその理由に気づいた。 ブレザーのボタンに相手の髪が絡みついてしまっているのである。それが引き攣って痛いのだろう。ヘタに動けず、相手は困っているようであった。 見下ろせば艶やかな黒髪がうねるように伸びている。 見慣れぬジャージは何処かの部特性のものだろう。一瞬性別はどちらだと迷ったが、行きずりの人間なのだから関係ないと思い直す。 「今、外すから待ってくれ」 とりあえず親切心は忘れてはいけない。真田は離れるに離れられない生徒を慮って、その頭手で留めた。 「本当にすみません…そそっかしくて…」 恥ずかしいのだろう、少しだけ小さくなった声と恐縮した態度に好感を覚えたが、やはり敬語を使われてしまったことはショックであった。 まあ、顔が見えない状況で、この長身と低音とくれば先輩と思われても仕方ないないのだろう。相手が既に部に所属しているようなので先輩かな、とは気づいたが、むしろ敬語を使うのは自分だということにまで気が回らなかった。 何名かの身知らぬ生徒が、じろじろと眺めながら横を通る。相手が女性徒であるならば、不本意な噂が流れるかもしれないと思い、真田は無骨な手つきで髪を外そうと必死になった。 あまり他人の髪など触る機会は無い。 だから、触れたときに、しっとりとした絹糸のような感触を指で感じた時、ドキリとした。 『ぬっ。まずい、女性徒であったか。これはイカン』 これまで女性との免疫を培っていない真田は焦った。確かに従姉妹とは仲が良いが、あれは真田の中では『家族』の部類に入っているので、女を感じたことなど皆無なのである。 そんな彼が、女性徒を胸に抱くという形は、想像しただけで頭に血が上るほどの羞恥であった。 当然、焦れば焦るほど、酷く絡みついた髪の毛は取れない。 その必死な様子を察したのか、女性徒は困ったように顔だけを真田に向けた。 「あの…無理なら切ってもいいですよ?」 「―――――△〇×▼◇$¥!」 頭から雷撃を受けたかのような衝撃を受け、固まる。 例えるならば、銃弾一発胸狙い撃ち。 走馬灯のように、昨夜読んだ少女漫画の一説が、真田の頭を嵐の如く駆け抜けた。 ジュテーム・ジュテーム・おお、君を愛さずにはいられない……。 要はとんでもなく相手の容貌が見目麗しく。真田にとって“はえぬき””どまんなか”だったのである。 お米大好き、日本男児真田弦一郎。 瞬間湯沸し気のごとく顔を真っ赤にした相手に、当たり前だが不自然な体制のままで待っている女性徒は困って「あの…?」と尋ねる。 黒真珠のような双眸に見つめられ、我に返った真田は思わず相手の両肩を掴んで突き放した。 「うわああぁぁぁああ――っ!」 「痛っ!」 当然だが相手の髪の毛は抜かれるはめになる。しかも数本を一気に抜かれたのだから、その痛みは尋常でない。 咄嗟にこめかみの部分を手で覆った相手に、真田はめぐるましく顔色を変える。 「すすすすす、すまん! 本当にすまん! 髪が…っ!」 ガタイの良い男が顔面蒼白でおたつく姿が、女性徒の痛みを上回り呆気の取られる。しまいには、拝むように腰を九十度きっかりに曲げて謝り倒すものだから、思わず吹き出してしまった。 「いえ…もとはといえばこちらの不注意ですから、気になさらないでください」 穏やかに喋る口調は容貌そのままで、真田の胸は先ほどから乱れ太鼓のように荒れ狂っている。 「いや! 髪は女の命というではないか…っ! これは取り返しのつかぬことをした。オレは一体どうやって償えばいいのか…っ! せ…責任を…」 「はい? え、ちょっと待って下さい」 「うわあっ、こんなに抜けてしまっているーっ!」 己の胸元を見て、真田はショックのために雄叫びを上げた。 なんてこったい。 昔見たアニメ、ポパイが肩を上げて真田を責める(気がした) そして連鎖して、頭の中には『責任』の文字がでかでかと圧し掛かる。 彼は一気に飛躍した。 ―――飛躍しすぎた。 「け…結婚してください!」 「………」 ぽかーん、と、口を開ける以外に、一体女性徒はどう返せようか。 「責任は取る! 幸せにする! だから結婚を前提にお付き合い…っ」 「あの…ちょ、ちょっと待ってよ」 怒涛の展開についていけず、一人で爆走する真田を宥めるように、女性徒は両てのひらを振った。 「なんでいきなり結婚? っていうかね。責任で結婚っていうのは早過ぎない? お互いのことなにも知らない状態で、無闇に男が口にする台詞ではないよね」 このひとは美しくないだけでなく、聡明だ。 ゆっくりと噛んで含むように喋る愛しい人に、真田は見惚れた。 「……立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花…」 「あの…話を聞いてる?」 「あなたのためにあるような言葉です。一目惚れしました。どうか付き合ってください」 「…………」 衝撃たる恋の来訪に、真田は熱に浮かされて、普段からは考えられないほどの情熱さに踊った。踊ったあまりに口に出た台詞は、これ以降夜毎寝る前に思い出しては首を吊りたくなるほどの、一世一代の口説き文句であった。 ふっと、相手の瞳が光ったことを、この時の真田は気づけない。 「幸せにしてくれるの?」 「します」 「頼みごととか、して欲しいこととか、してくれる?」 「します!」 「裏切らない?」 「とんでもない!」 「何があっても?」 「男に二言はありません!」 かの人はそれはそれは美しく花開くような笑みを浮かべてくれた。それだけでのぼせ上がった真田は、相手の名も学年も聞くことさえ忘れいてる。 最初に名前は聞いておくべきだったのだ。 「君は一年の真田君だよね。この間のスポーツテストで凄い測定を叩きだしていた」 「知って…いるのか?」 「一年の間じゃ有名だもの。真田君」 同学年なのかとようやっと知った真田は、そこで相手が既にどこかに入部してジャージまで着用していることに疑問を抱く。 最初からどの部に入るのかを心に決めているものならば、さっさと仮入部をしている時期ではある。が――ジャージを支給されているということは、もう本入部をしているということだろう。 何か運動で優秀なひとなのかもしれない。 何部なのか尋ねようとした時に、ひらり、と一枚紙を差し出された。 「はい。じゃあ、これに名前書いてね」 「名前?」 受け取ってみればそれは入部届。 ―――硬球庭球部、とある。 「テニス部なのか? 君は」 「そうだよ。真田君入ろうね。付き合うのなら同じ部の人がいいんだ」 「テニス…やったことがないのだが……」 「でもあれだけ運動神経いいんだもの、大丈夫だよ。それにつきっきりで一から教えるし。真田君なら絶対強くなるよ。保証する」 保証までされてしまった。 真田は困惑する。 今まさに剣道部に入ろうとしている矢先なのだ。迷いを隠せない。 「ね? 真田君。一緒にテニスやろう」 「……う……」 そっと、手を包まれてもたれた。じっと見つめられる。 「それとも…もう約束反故なのかな……?」 顔は笑っている。笑っているのだが――何故かヒヤリとしたものが真田の背を奮わせた。 「いや、男に二言は無い。入部しよう」 「ありがとう。嬉しいな」 しかし、やはり交通事故のような初恋が、F1真っ青の速さで成就したのだ。自然、真田の表情もだらしなく弛むといもの。 春だ。素晴らしい春が来たのだ! BGMは勿論ビバルディ『春』である。 じーん、と感動に浸っている所、横合いから「こほん」と咳払いが聞こえて、ここが渡り廊下の真中ということを今更ながらに思い出した。 純情少年真田は、途端恥ずかしくなって相手の手を振り解く。 「――真田、テニス部に入るのか」 「うおっ…お、同じクラスの柳だよな…」 回りを見たら、恋人と同じジャージを着た同級生が、間近に立っていたのには驚愕した。身長が真田とそう変わらない柳は、同じクラスの中でも目立つ存在なので顔と名前ぐらいは知っている。 だが、話たことはこれまで無い。気まずい思いに、真田は苦味潰した。 「いつから見てた……」 恐る恐る問えば、柳はとても涼しい口調で「初めから」と答えるではないか。 ――ゴン。 近くの壁に己の頭をぶつけた真田である。 「幸村、顧問が呼んでたぞ。早く行ったほうがいい」 「わかった。すまないな、待たせてしまったようで」 「いいや、中々興味深かったぞ。よいデーターが取れた」 「何に使うのさ」 いやにフレンドリーな様子の二人に、真田は首を傾げた。 そして今更―――本当に今更ながらに恋人の物言いが、決して女らしくないことに気づく。 立ち尽くす真田に、二人の視線が注がれた。 「真田君。オレの名前まだ言ってなかったね。幸村精市って言うんだ。これからよろしくね」 それはもう、夢見るほど美しい完璧なまでの笑顔での自己紹介。 真田は危うくその名前を聞き流すところだった。 「―――幸村…せい…いち?」 「ああ」 「お…男らしい、名前だな」 「長男だからね。真田君は?」 「オレが次男だが……」 「そうか、将来は君が婿入りって形になるかもね。オレを幸せにしてくれるんでしょ? 頑張ってね」 「話が済んだのなら、そろそろ行かないと本当にマズイぞ」 「そうだね、柳。じゃ、真田君、それに名前書いたらテニス部顧問に渡してくれる? きっと喜ぶだろうなあ。これでオレ達の代は安泰だ」 「ナイスだな。丁度学年に七人レギュラー候補が揃ったわけだ」 二人は何もおかしなことなど無いかのごとく、去っていった。 残された真田に一体なにができようか。 とりあえず、大きな間違いを犯してしまったことだけは――なんとなくだが理解できた。 ―――――――――――――――――――――――― 間違っている気がしないでもない真田幸村(?)です。 ああ、いいんです。私の萌所が人と違うのは知ってますから…… これは始め4コマネタとして考えたものでした。よくもまあSSになったなあ。 あー真田が読んでた少女漫画は『伯爵令嬢』ですヨ。『王家の紋章』描いているひとの漫画ね。迷作です。←誤字にあらず。 |