シーソーゲーム 最終話
![]()
|
意識はところどころで切れているが、気を失うほどじゃない。 深司は混乱から逸早く脱出すると、目まぐるしく脳味噌を動かし状況を把握しようと必死になった。 少年の尾行にも厭きた頃合に、突然背後にいた森が倒れた。 何事かとそちらに目をやった途端、今度は背中でバチリ、と何かが弾け、体中を痺れが走り抜けたのだ。己の中のブレーカーが落ちたかのように、一瞬にして目の前が真っ暗になった。 しかし思考が停止することはなかったのが幸いだ。 躰全体が重く、感覚は鈍いが、頭だけは妙に冷めていて意識はあった。 (どうやら攫われたらしいけど……オレだってそんなに軽くないよ。いつまでも引き摺れるわけないじゃん) その予想はすぐに的中した。何かの開閉音とともに、ドサリと荷物の如く下ろされる。感触は固いが、地面ではない。足先が入り口に引っかかっている。 (―――車の中だ) そこまでして疲れきったのか、深司を下ろした男は、自分に覆い被さるように腕を立てたままの姿勢で、しばし荒い呼吸を繰り返していた。 男が躰を離し、退く。 (――――動け!) 渾身の力を込めて、足を蹴り上げた。 「――――ぐっ!」 折った膝が、車内後部座席から出ようとしてた男の腹に当たる。 「ちくしょうっ!」 しかし予想よりも車内の奥に寝かせられていたために、威力は浅かった。男は退くよりも突進することを選び、躰全体で抑え込まれる。揉み合う形になったが、体重をかけて圧し掛かられれば、下にいる深司は圧倒的に不利だった。 「大人しくしろ…っ!」 男が恫喝する。ポケットから黒い物を取り出し、もつれ合いながらも、必死にそのスイッチを押そうとしているのがわかった。深司は頭を持ち上げ頭突きをすると、くわ〜んと耳鳴りと一緒に気が遠くなった。が、なんとか動きを止めた男の手を振り払う。目の端に捕らえたその物体はスタンガンではないか? 深司は必死でそれを払うと、運転席の床まで滑って落ちた。 「この野郎っ!」 ぼやけていた視界がやっとクリアになってきた。目の前で歯噛みしている、必死な形相の男。 「あん時のチカン!」 数日前の出来事だ。早々忘れることのできない顔に、深司は仰天した。 「お前のせいで…っ。お前のせいでオレの人生に汚点がついた!」 なにやらとんでもなく間抜けな返事だなあ、とわかってはいるのだが、その最中も力対力の対決は続いているのだ。深司は上からくる圧迫感に必死に抵抗しながらも、足をばたつかせている。 ここに連れ込まれるまで、さほど距離はなかったはずだ。暫く問答すれば、残っていた仲間が見つけてくれる。そう、自分を叱咤して、深司は口を開いた。 「なんで許せないからって…っ、局部丸出しで…触らせ…ようと…すんの…!」 理不尽極まりない理由をのたまうと、男は猛然と学生服を脱がしにかかった。 (全裸? 全裸って…靴下も脱がしてくれるのか? 面倒臭がって靴下だけ身につけてたら………) 身悶えるような熱が、胸の奥から湧き上がった。 「末代までの恥――――っ!」 「ぐおぉぉおおお―――っ!」 カッ! と、不二何某の如く開眼すると、火事場の馬鹿力効果を最大限出力。腕を男の下から引っこ抜くと、その襟首を交差させて持ち、捩じり上げた。 「―――だいたいさあ、さっきから大人しく聞いてれば易居たい放題、バカじゃない? ってかバカでしょ!」 下からの攻撃とはいえ、深司の握力は半端じゃない。怒り沸騰の今なら尚更だろう。 「もしや過去、中学時代にこっぴどく女性徒の虐めにあっていたの? だとすれば当時の同級生に復讐すればよいことだし。イイ大人がわざわざ抵抗もできない女子中学生狙って、何を威張ってんのさ。しかも汚いモン触らせてさ、悦ってんのはわかってるんだよ。変態って言うのはアンタみたいなのが言うんであって、そんなアンタに変態呼ばわりされるほどの侮辱ってないよね。ないよな……」 ギリギリギリ。 「ひ! 死…死ぬ…」 少年の、あまりに静か声音に男はぞっとした。本当に殺されるかもしれない―――恐怖に気を失いかける。 「すみ…すみませ……」 息苦しさと恐怖で男はボロボロと泣き出した。思わず深司は腕の力を弛ませる。情けからではない、涙が自分にかかってきて気持ち悪かったのだ。 「―――!」 隙を見逃さなかった男は、涙を撒き散らしながら運転席の方へと身を乗り出す。深司は舌打ちをすると、その腹にしがみついた。 反動でドアが閉まる。二人してまた狭い車内でもみ合った。 「ゲホゲホ! って言うか! もう帰っていいから! 見逃してよ、オレのことはあ!」 ――――森が倒されていることを最早忘れ去っている深司だった。
もみ合っていたお陰で聞き取り難かったが、確かに名を呼ばれた。誰かが来てくれた、と深司の緊張がどっと解ける。 「深司…っ」 反対側は開いていると教えようと、窓の方を見上げ、心臓が止まった。 「――――え、たち…」
なにかがフロントガラスにぶつけられています。 ガチャーン! なんだかどっか割られちゃいました。 「ぎゃーっ! まだローンが! ローンがあああっ!」 男、蒼白。そして瀕死。 「……ご臨終です。ちーん」 ゴロン。男は運転席の下に落ちた。 「深司! 深司!」 切羽詰まった様子の外の人物に無事を知らせるべく、慌てて身を起こし、ドアを開いた。 「こっち、開いてます。橘さん……」 外に出れば、どっからもってきたのか鉄パイプ片手に、我等が誇る不動峰中学テニス部部長が鬼気迫る姿で立っている。 ―――なんで橘さんがここに居るんだろう。 車を見れば見事にベコベコ。族の奇襲にあったがごとし。 ―――ああ、橘さん。ワイルド……。 アキラが居たら速攻で「違うだろ!」と突っ込むところだ。 思わず見惚れていたところ、つかつかと橘が迫ってきた。むっつりとしている表情は、語りきれない怒りで満ち溢れている。 「橘さん……」 唖然として見上げた表情は、辛そうに歪められている。強い悔恨は部員を守りきれなかった己への責め。 どっと、一気に深司の胸にも色々なものが溢れ出した。 「橘さん! 恐かった…っ」 しかも遠くから重なるのはパトカーの音なのだが、この状況から救い出してくれるのならば何でもよいとばかりに、到着を待ちわびるのだった。 警察が到着するまでの間。 二人だけの世界を築き上げた橘と深司を遠巻きに、不動峰と山吹の面々がいたりした。 「――――橘さん呼んだの誰だよ」 内村、石田、アキラ、桜井、最後に森。 本来なら深司の無事を喜び駆けよりたい場面なのだが、どうにも割って入れぬ雰囲気に足踏みしている。 「うう…深司め…おいしいどこ取りしやがって〜! 大体こっからだと良く見えなかったけど、犯人とっくに倒されてなかったか?」 たしなめた常識人石田に、暗く森が食ってかかる。どうやら橘に心配してもらっていない己の存在に傷ついているようだ。 「―――なあなあ…それ以上の恐怖…オレ達も味わうのかなあ」 「あああ…味わう…な」 桜井はくっと涙を飲み、内村は肩を落とす。石田は諦め、森は脱力した。 「なんか…凄いことになってるね。不動峰……」 壁に寄りかかっている千石に、無駄と知りつつも問い詰めた南だがやはり無駄に終った。 「でもいいんじゃない? なんかハッピーエンドっぽいし」 かわい子ぶる千石に東方が鳥肌を立てる。そんな先輩方を眺め、太一は大きく息をついた。 「―――千石先輩。どうでもいいですけど、さっきのテニスボール拾ってくださいね」 その隣では亜久津が珍しく残っており、まじまじと橘を眺めていた。 「不動峰、中々やるじゃねーの」 伸びをして去ろうとした千石を、びっくりして止める。 「なに?」 「ちくしょーっ! だから部長なんてヤだって言ったんだよ!」 泣きながら橘のもとへと駆ける南を、千石は手を振って見送る。東方は心の底から自分が選ばれなくて良かった、と相方には悪いが安堵した。 「………なにかな。じ〜っと見つめてきて」 「千石先輩。ボール拾ったら皆でジョナサンに行きましょうね。ボクお腹空きました」 「ぜ…全員の飯おごるの? オレ……」 「ええ、ええ、部活の先輩にセーラー服姿を強要されて、写真まで撮られたって噂が流れても、ボクは堪えるです」 「――――ジョナサンでお願いします」 東方と亜久津は賞賛の拍手を後輩に送ったのだった。
二日後。 不動峰中学の校庭では黒ジャージの集団が既に何周かもわからない走りこみをさせられていた。 だが走っているテニス部員はそんな希望溢れる走り込みをしているわけではなく。 「オイ! 気合入れて走れ!」 と、部長の叱咤が飛んでくるのだ。 「うう〜青学名物かっての〜」 どちらかと言えば長距離が苦手な桜井と内村が、泣きながら部長の怒りが解けるのを待っている。石田はそんな二人を励ました。 事の顛末を理解した橘は、原因が妹ということもあり、一番最初に皆に頭を下げて謝罪した。が、すぐに無謀な計画を立て、尚且つ実行したメンバーへのお説教も忘れなかった。 そして首謀者であるアキラと深司には殊のほかきつい雷が落ちたようである。いつもなら先陣を切って騒がしい二人だが、事件後からは神妙な態度を崩さなかった。 「なあ、橘さん。昨日わざわざ山吹行って、千石さんと試合してきたんだって?」 森がそっと隣を走っている石田に尋ねる。 「ああ、そうらしいな…オレ達の騒動に巻き込んだお詫びも兼ねてきたらしい」 一同はそれを聞いてシュンと項垂れた。 「悪かったなあーっ! どうーせオレが全部悪いようーだ!」 そうなのである。警察に捕まった男は、よほど恐い目にあったのか、洗いざらい自白したのだ。余罪は面白ほどでてきた。 曰く。 実際は、男は辛抱強く深司が一人になるのを、物陰に隠れて伺っていたらしいのだが、いっこうに帰る素振りも見せずにウロウロしていたので強硬手段に出たらしい。 なにはともあれ、複数で帰っていたことが良かった。 「自分達が探し当てた時には既にボコボコでした。付近でけたたましいバイクの音があったので、多分そいつ等のせいじゃないでしょうか」 「橘さんて…なんて言うか色々と凄い人だよな」 内村と森が乾いた笑みを浮べた時。 「深司…橘さんに怒られたのはショックかもしれないけどさ…元気出せよ」 「なんだ? 深司」 汗を拭きながら、石田が耳を傾けた。皆もなにごとか、と深司に注目して、アキラもわざわざ振り向く。 「―――オレ…」 「うん」 「橘さんに恋したかも―――」 全員がドリフごけした。 「何やってんだー! おまえ等あ!」 不動峰に、新しい波乱の幕開けを告げるかのように 橘の怒声は蒼穹に響いたのだった。 |