赤澤は感動してしまった。

 この触り心地、このなめらかさ。

「こんな風になるなんて…っ」

 朝から雄叫びをあげてしまいそうなほど、それは赤澤にとって衝撃的な変化だった。





 ――よくある風景――





「赤澤がおかしい」

 そう嫌そうに呟いた観月に、木更津は「いつもの事じゃない」とそっけなく返す。

「そりゃいつものことですよ。そんないつもを見慣れている僕がおかしいって云うんですから、おかしいんです」

「なるほど。そりゃおかしいね」

「人の話聞く気ありますか。ありませんね。それでは、さようなら」

「あー待った待った。聞きます。聞く気あります。毎日、つぶさに赤澤を観察なさっている観月さんの、観察報告。心して伺います」

「どうして木更津は素直な物云いができないだ」

「知りたいなあ〜、もうとっても知りたいの。観月お姉さま」

「性転換した覚えはありませんよ。……あなたと話してても疲れますね」

「だから、無視してさっさと進めばいいんだよ。変なところで突込みの鬼だよね」

「誰も漫才なんかしたくありません。それよりもですね…ああ、なんだかどうでもよくなってきました」

「どうでもよくならないでよ。修正します。赤澤の何が変だって?」

「……朝から、イヤに上機嫌なんですよ」

「今夜のメニューカレーだっけ?」

「そうですけど、さっき学食でもカレー食ってましたよ。2食続けてカレーだなんて信じられません」

「赤澤なら、カツカレー・コロッケカレー・メンチカツカレー・クリームコロッケカレー・ハンバーグコロッケカレー・海の幸カレー・野菜カレー・カレーうどん・カレーそば・カレーラーメンと一週間食い続けていられるよ」

「は、まさか。いくら赤澤でも」

「いや、夏休みやってみたって。自慢気に云われから」

「……1メートル以内に近づくのは止めておこう…」

「うん。オレもさすがに、近づきたくなかった。心なし、色も濃くなったような」

「関係ないでしょうけど、ありそうですよね」

「赤澤だからね」

 二人はぞっと、身を竦めた。

「んで、上機嫌がどうしたの?」

「ニヤニヤ笑って近づいてきたあげくに、それはもう憎らしい程清々しい顔で『オレ、いつもと違わねえ?』とか抜かしてきたんです」

「なんて答えたの?」

「バカさに磨きかがかかってますね。と…」

「それで?」

「…思い返しても腹立たしいんですが。『マタマタ〜わかるだろ? 昨日と違う。今朝のオレ』と…それはもう、語尾にハートマーク付けて」

 ―――観月の、赤澤の口真似も、かなりきっついよ…。

 思ったが、とりあえず木更津は黙っている。

「それで?」

「耐えられず、通りがかった裕太クンに押し付けて逃げました」

「酷い先輩だよね」

「この間、なんの説明もなしに『小梅ちゃん』を裕太クンに食べさせて、泣かせたのはどこのどなたでしたっけ」

「いやあーあれはナイスリアクションだったよね!」

 甘いのが大好きな裕太に、木更津が嬉々としてあげた飴は、周囲は甘いが、噛めば中から梅肉が出てくるもので、何も知らずに「この味好きっす」と喜んでいた少年の末路はまさしくお笑いでいうところの王道だった。
 一通り無慈悲な先輩達に爆笑されつつも、意地だったのか育ちがいいからかはわからないが吐き捨てることなく、飲み込んだのは姿は天晴で――なおも爆笑の渦の中心となっていた。

 当の本人は多少涙目になりながらも。暫く上顎がひりついていたらしく、始終口をもごつかせていたのを観月は思い出す。

「男ってなんで酸っぱいのダメなんだろうね」

「僕は平気ですけど。木更津もダメなんですか? あんな飴持ってて」

「あれはなんかクセになるんだよね。基本的に酢の物はキライだなあ」

「美味しいのに。まあ、でも酢の物にミカン入ってるのは邪道だと思います」

「え…っ。オレ、小学校の時。唯一ミカンだけ食ってたよ」

「邪道ですね」

「えー。じゃあ、酢豚のパイナップルは」

「邪道」

「峠の釜飯のアンズ」

「それはアリです」

「……基準がわからない」

「だって釜飯って味が単調だから、途中で飽きるんですよ」

「えーだからってアンズ有り? オレやだよ。酸っぱいじゃん」

「やはり酸っぱいのが苦手なんですね」

「じゃあ、なんで酢豚のパイナップルはダメなわけ?」

「あれは甘いじゃないですか」

「そうかなあ」

「――おまえ等、中庭で何真剣に話し込んでんの?」


 噂をすれば影。には、少しばかり時機を外して赤澤が現れた。傍らには金田と裕太がいる。


「キミ達こそ、学年が違うのによくいつも一緒にいるよね」

 半ば感心したように、木更津が問う。赤澤は訳知り顔で頷いた。

「人望の差だな」

「同学年に友達いないんだね、赤澤」

「寂しいキャラにしてくれんなよ。さっき食堂で会ったんだよ。んで、おまえ等は何をマジメに話しあってたんだ。同学年同志さぞや高尚な話なんだろうがよ」

「うん。一週間カレーを食い続けた赤澤の近くには寄らないようにしようってね…」

「あ、そうでした。ちょっと、風上に立たないでくださいよ」

 木更津と観月。二人に敬遠されて、赤澤は目を丸くする。
 そして、

「い…一週間?」

「マジっすか…」

 金田と裕太も、さっと身を退いた。

「んだよ! 誰だって夢はあんだろ!? 今だからこそ叶えてみたい。そんな甘酸っぱい夢がよ! それを実現して何が悪いよ!」

「だから、甘酸っぱいじゃなくて、カレーでしょう」

「もうちょっと別に甘酸っぱい夢持ったほうが健全だと思うけど。カレーじゃねえ」

「味覚おかしくなってんじゃないですか?」

「そもそもあるのかな。くすくす」


 観月、木更津といったルドルフ毒舌ペアは容赦というものがない。気弱な者なら引篭もりになってもおかしくないほど、ぽんぽんと交互に云いたい放題だ。

 傍で聞いている裕太と金田のほうがひやひやとする。

 だが、我等がルドルフの部長がそんなことで、へこたれるわけがなかった。

「おまえ等ってロマンねえーなー」

「ロマンときましたか」

「さすがだね。赤澤。カレーにロマンを見つける男」

「今度から略してカレーマンでいいんじゃないですか?」

「カレーパンマンと被るだろうが!」

「はあ、被るのはイヤなんですね」


 金田と裕太は果たして突っ込んでいいのかどうかを迷う。大概、いつも迷ったままで、いつのまにか先輩たちは、追いつこうとも背中さえ見せないほどカッ飛ばしていくのだが。

(オレ達も、三年になったらあれくらい、好き勝手云えるようになるのかなあー)

(なりたいんだ、裕太)

 影で苦悩する後輩たちであった。

「それよりもよ。観月捜してたんだぜー! 朝はいきなりいなくなるしさ!」

「なんですか、一体」

 機嫌もよく、赤澤が笑った。

「木更津もさ。オレ、いつもとちょっと違わねえ?」

「いつもと?」

 そう、と赤澤は尚も嬉しそうに笑う。

 観月と木更津は顔を見合わせた。

「顔を洗ってない」

「歯を磨いてない」

「宿題忘れた」

「それはいつもですよ。反対に、忘れ物を何もしなかった」

「男に告られた」

「それは良かったですね、赤澤。お幸せに」


 後輩二人が耳を塞ぎたい衝動を必死で抑えているのだが、赤澤は平然と「違うってー」と答えている。


「揃いも揃っておまえ等節穴! そんなじゃ女にモテねえぞ! ………」

 ふっと、マジメな顔に戻った赤澤は木更津に近づくと、その頭に手を差し込んだ。これには、さすがの木更津も仰天する。

「なに…っ」

「お前、何使ってんだ?」

「はあ?」

「だから、髪」

「髪?」

 滅多にない、赤澤との急接近に顔をひくつかせながら、じりじりと後退した。


「お前サラサラじゃん」

「石鹸と、酢を薄めて流すだけだよ」

「なんで酢!?」

「アルカリと酸性。んなことより、いい加減離してよ」

「なあなあ観月」

 今度はくるりと方向転換し、観月に近寄る。観月はあからさまに警戒して、一定の距離を保ちつつ逃げた。

「なんですか」

「オレってさ、今日ちょーサラサラだろ?」

「なにが」

「だからー髪」

 まるでCMモデルのように、肩まである髪を掻きあげた。

 瞬間。

 その場にいた全員の時間が止まる。


「やはりカレー」

「カレーのせいか」

「恐いな、カレー」


「カレーと髪となんか関係あるのかよ」

 心底不思議そうに、ひそひそと語り合う三人を見てから、赤澤は観月の手を強引に取った。


「ひい! な、何をするんですか!」

「あのさ、昨日な。クラスの女子に流さないで使うトリートメント貰ったんだよ。最初はベタベタしてて、気持ち悪いと思ったんだけどよ。朝起きたらびっくりした! すげえーの。マジでサラサラなんだぜ」

「わ…わかったらか手を離してください! 何しやがんですか!」

「だから、触ってみろって!」

「男の髪なんか触りたいわけないだろう! 気持ち悪い!」


 互いに手を引っ張りあう形になって、中間で震えながら止まっている。


「んだよ。別に男でも女でも変わりねえだろう!」


 ―――あるよなあ。

 と、後輩二人は思ったが、止めに入る度胸はなかった。


「えい!」

「ぎゃ!」

 
 観月の手が赤澤の髪に触れたわけではない。反対だ。


「何するんだ! バカ澤!」

「ほら、別に男の髪だって別に…。あれ、お前見た目と違って柔らかいんだな。髪質」

「ぐちゃぐちゃにするな!」

「なあなあ、オレも触ってみろって。絶対びっくりするって」

 顔を至近距離で覗き込まれて、観月はびくりとする。
 テニスをやっているだけあって、赤澤の手はえらく大きく。小さな頭を両手ですっぽりと包み込めるほどだ。
 完全に頭を固定されてしまい、渋々と手を伸ばした。

「いてぇっ!」

 髪に手を突っ込むと、ぐいっと後ろに引っ張る。仰け反るようにして、赤澤が離れた。

「確かに。でも、まだ甘いですよ。真の滑らかさは、日々のブラッシングにより培われるものですからね」

「わかった。ごめんなさい。離してください」

「髪は急所なんですから。無闇に人に触らせないことをお薦めしますよ。ハゲてかまわないなら、存分に撫でてもらいなさい」

 指を広げると、髪はさらりとその隙間から零れる。赤澤は涙目になって、自分の頭を抑えた。


「ちぇ。オレだって触らせる人間くらい選ぶぞ」

「でもさ、赤澤。それ以上伸ばすつもり?」

 傍観していた木更津が口を挟んだ。

「んー伸ばさねえよ。暑い時に、後ろに纏められるくらいで丁度いいんだ」

「不精だね」

「そのわりには、髪質に拘るんですね」

「うるせえな。単に、手触りに感動しただけだっつの。女の子ってみんなこれくらいなのかなあ。あ、でも観月も木更津もさわり心地はよかったぜ」


 誉められた二人が、心底嫌そうに顔を顰めた時。


「話は聞かせてもらっただーね! 赤澤。今、オレはお前に挑戦状を叩きつける!」

 何故か、中庭にかかる渡り廊下から、颯爽と柳沢が出てきた。

「キューティクルなら負けないだーね。みよ、この輝かんばかりの、触り心地抜群な前髪を!」


 五時間目を告げる鐘が鳴った。

 全員、さっさと校舎に戻っていく。


「あ! 待つだーね! 勝負するだーね! 赤澤!」



 大事なのは髪質ではなくて、容姿であることに改めて気づいた赤澤だった。


 
 












 日記にあったヤツです。
 ってか酔っ払って書いてて、半ば何書いたわからん状態で
 アップしてました。ちょっと直しました。
 何を一体書こうと思ったのかは、本人が(酔って)覚えて無いので永遠の謎です。








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