き み の て の ひ ら










 云ってはいけない言葉がある。

 それは随分前から形をなし、少しずつ、少しずつ重さを増していった。

 重さが増すほどに、眩暈にも似た感覚に襲われ、背筋が冷たく凍る。

 ダメだ。
 ここで止めよう。
 これ以上、求めてはいけない。

 彼の姿。
 彼の声。
 彼の笑顔。

 全てを凍らせてしまえればいいのに。
 時を止めてしまえればいいのに。

 今日のきみよりも、明日のきみを。

 求める。動きだす。手を伸ばす――。


 伸ばしたところで、我に返るのだ。
 決して届くことのない、距離に気づいて。





「千石! お前、今日こそはちゃんと部活に出ろよ!」

 肩をぐいっと掴まれて、オレは固まった。背後から覗き込む相手に、一瞬戸惑うも即座に笑顔の仮面をつける。
授業が終わり、部活が始まるまでの移動時間。
 いつもなら見つかる前に逃げられていたのに、今日に限ってHRが長引いてしまったため掴まってしまった。
 舌打ちしたいのを堪えて、振り返る。

「酷いなー南くん。まるでオレがいっつも部活ズル休みしてるみたいじゃん」

「してるみたい、じゃなくて。してる、だろうが」

 責任感の強さが面立ちによく出ている南は、眉を顰めてオレを睨んだ。

「部活には出てないけどさ。別にテニスをさぼってるわけじゃないよ」

「当たり前だ。全国間近で遊び歩いてるエースなんていない」

「だったら見逃してよ。とりあえず、伴ジイに呼び出しくらうまではさ」

「伴ジイの考えはオレにはわからないよ。でもな、エースが出てこなきゃ部活の士気に関わるんだよ!」

「士気だなんて。部長が上げるもんなじゃないの? 悪いけど、オレは今自分のことで手一杯だよ」

 色々な意味でね。

 南は実直な男なので、面白いほど考えが顔に出る。オレを気遣う気持ちと、テニス部を支えていかなければならない責任感。ないまぜになった表情で、改めてオレの前に立った。

「お前の邪魔をするつもりはない。お前が部活意外で頑張っているのも…知ってるよ。だから、今まで見守ってたつもりだ」

「だったら……」

「それが、お前のためになるならな」

「……どーゆこと」

 些かむっとして返す。
 地区大会、関東大会で二年生に負け続けたオレは、これ以上恥は晒すまいと、新生千石清純を目指してひとり体力作りに励んでいた。持ち前の、人見知り皆無な性格をいかし、他校に出向いては練習試合をしたりと、南のお株を奪う地味さで特訓の毎日だ。確かに個人で他校生相手に練習試合は、ばれれば問題になることかもしれない。それでもストリートテニスコートなどを使用したりと、細心の注意を払っているつもりだ。

 南の今の一言は、それら全てを否定されたようなものだった。

「お前の……」

 と、南は嘆息を漏らす。

「お前の頑張る場所、踏ん張る場所はここだろう。最初は気分転換に外に出るのもいいかもしれないとは思ったけどさ…。これ以上はダメだ。このままじゃ逃げているのと一緒だ」

「な…!」

 逃げる!? このオレが…!?

 男にとって『逃げる』は禁句だろう。プライドをえらく刺激されて、腹が立った。

「誰が…っ」

「逃げてるよ。お前を必要としているのは、ここだ。ここなんだ。ここ以外のどこで、お前は強くなろうとする気なんだよ」

「確かに、オレは山吹のために強くなろうと思ってるよ。だけど、オレはオレのためにも強くなりたいんだ。その方法を南に咎められる筋合いはないんじゃないの?」

「違う…違うぞ。千石」

「何が違うんだよ。わけわからないよ。確かに部活動なんだから、部活に出ないのは悪いとは思ってるよ。でも、強くなりたいんだ。もう…負けたくないんだよ」

 ここまで云わなきゃダメか。いつもヘラヘラしているように装っているけど、オレけっこうプライド高いんだよ。しかも…お前相手にこんな情けないグチは吐きたくない。
 居た堪れなくなり、逃げようと背を向けた。

「待てよ」

 腕を取られる。
 振り払うのは簡単だ。相手だってさして力を入れていない。なのに――払えない自分の弱さに唾棄したくなる。

「違うんだ…千石。オレが云いたいのは……」

「なんだよ!」

 射抜くかのようにまっすぐと、真摯な眼差しを注がれた。

「千石を必要としているんだ。オレが、山吹テニス部が」

 かすかな微笑を、口元に浮べてオレの目を覗き込む。

「お前がいないと、しまんねぇんだよ」




 ―――ずるい。

 怒りと羞恥、それを覆い尽くす隠しようない喜び。南はぴたりとオレに視線を合わせて動かさない。しばし、にらみ合いが続いた。
 
 南はわかっている。わかっていて、わざと折れている。
 
 オレはひとつ息を吐くと口を開いた。胸が熱い。へたをすると唇が震えてしまう。

「し…かたないなあ。そんなに云うんなら、部活に出るよ、南。オレがいないとダメだなんてさ。そんな口説き文句云われちゃね」

「よし。行こう」

 南はそれは嬉しそうに笑うと、オレの手を強引に取った。

 ちょっと、もう逃げないよ。
 逃げるわけないじゃない。
 だから、手を離してよ。
 おかしいよ、手を繋いで一緒に部活に行くなんてさ…。

 手を―――、





 テニスコートまでの距離。
 オレは無言で、繋いだ手ばかりを見ていた。


 なんで、南にはなんでもかんでもお見通しなんだろう。


 オレは恐かった。

 彼等に、南に―――期待を裏切りつづけたことにより、見放されることが、諦められることが何より恐かった。

 恐かったんだ。
 夜中に突然飛び起きるほど。
 唐突に物に当たってしまうほど。

 ラケットを握るたび。
 コートに立つたび。

 南に見つめられるたび―――。



「オレは、臆病だ」

 小さく、弱音を吐いてみた。
 南なら、受け止めてくれるのがわかっているから。

 優しい南はやっぱり、オレの弱音を聞かなかったふりして、それでも――握った手に力を込めてくれた。


 きみに出会うまで、オレは必死になること、努力すること、身に過ぎたものを必死になって望むことがかっこ悪いことだと思ってた。

『一番かっこ悪いのは、できっこないからって諦めることだ』

 いつだったか、そう云いきったきみの声、表情が今でも胸に焼き付いている。



 ああ、ダメだ。
 今日よりも、明日。
 明日よりも、またその先。


 諦めきれないじゃないか。





















相変わらず千南千となると謎なモンを書きますね、私。はいはい、イチローくんに捧ぐ。
最初ギャグにしようと思ったのに妙にシリアスになっちまった。
すまぬ。今までの自分の書いた千南千のSS読み返したら南視点が多かったので千石視点にしてみた。

題名はまっきーの曲から。好きなんだ、この曲。

いつか誰かになにかを伝える日が来るように……






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