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むかしむかし、あるところに慎也という大変裕福な『寝屋の長者』と呼ばれている男が住んでいました。
長者の屋敷はその村一番の広さを誇るほど、とても立派なものでした。
年頃になると隣村の長者の娘、淳を娶り。それは仲睦まじく暮らしておりました。二人の夫婦仲は大変よく、幸せな毎日を過ごしていましたが、どうしたわけか子宝には恵まれませんでした。
「あれだよねー。励みすぎてもデキにくいっていうじゃん」
「生々しいこと言うのは止めるだーね!」
「でもさー。正直このままじゃ、跡取もできないよ。困ったね。どうする、離縁しとく?」
「ば! バカ言うんじゃないだーね! 別に子供が欲しくて淳と結婚したわけじゃないだーね!」
「慎也……」
こうしていつまでたっても新婚熱々な二人でしたが、やはり子供は欲しいところ。
悩んだ挙句、大和の国初瀬寺の観音様にお参りを続けました。
そんなある晩。枕下に観音様がお立ちになり「お前は女の子を授かるが、子の幸せを願うのならば鉢を頭に被せて育てなさい」とお告げを下しました。
不思議な夢から覚めた時、枕下には鉢がひとつ。
何も知らない慎也が仰天したのは、言うまでもありません。
「な…なんだーね! この鉢は!? 一体どこの誰がっ」
「うーん。観音様っていうか、こう…どこぞの部長のような大仏様な気がしないでもないけど、本気らしいなあ」
「本気?」
「オレさあ、子供がデキてるらしいよ」
「え?」
「んで、女の子なんだって」
「ぎゃー! オレってば産まれるまで知りたくない派だーね!」
「しょうがないじゃん。そうお告げきちゃったんだから。んでもって、これを頭に被せて育てろと…」
「――は? お、女の子なのに、鉢被せるだーね?」
「不憫な子だねえ。でも、ま。大仏様に幸せ保証されたんだからいいんじゃない?」
それから十月十日経ち、美しい満月の夜。見事に玉のような女児が授かりました。
淳はその子に『観月』と名付け、お告げのとおりに鉢を被せて大切に育てました。
「母上」
「なにかなー」
「どーして、僕は鉢を頭に被ってなきゃいけないんですか?」
「いや、最初は冗談で被せてみたんだけど、一度被せたら頭蓋骨にピッタリフィット。外せなくなっちゃってさ。もう、運命と思って諦めるしかないよね」
「淳は悪くないだーね!」
「えーい、このノホホン夫婦が! おかげでボクは自分の顔も知らないんですよ!?」
「大丈夫〜。下から覗いたらけっこうイケてるから」
「鼻の穴しか見えないと思うんですけどねえ〜」
「うん。だから綺麗な鼻の穴だったよ」
「――――………」
そんな忍耐と根性の年月を経て、観月が十三歳の誕生日を迎えた時です。
母、淳が病に倒れました。
観月はそれは懸命に看病をし、毎日観音様にお祈りをしに行きました。しかし中々よくなりません。
「さすがにちょっとお茶らけている場合じゃないですよね。大丈夫ですか、母上。傷は浅いですよ!」
「ごほごほ! すまないねえ、こんな体で」
「それは言わない約束よ、おっかつぁん!」
「…山形だっけか、そういやこの話」
「んだず。…んだどもすっだらごとはどうでもいいべした! って何言わすんですか。母上!」
「―――ってかごめんよ、観月」
苦しそうに、淳は息を細く吐きだします。これが最後と悟ったかのごとく、震える手で娘の手を握りました。
「母上!」
「実は、鉢を被せるのって、あとでも良かったんだよねえ。被せるの早すぎた」
「このアホーっ!!」
その言葉を最後に、淳は息を引き取りました。
「ってか、もっとアホーっ!!」
「うわあーん! 淳ってば、オレに一言も無しだーね!」
「どうして最後の最後でボケるんですかっ! 母上!」
「愛が…愛が見えないだーね」
「えーい、後ろでメソメソするな、鬱陶しい!」
「娘の愛も見えないだーね!」
「――そんな…っ。これからは二人で頑張らなきゃいけないんですから。悲しいこと言わないで下さいよ、父上……」
「み…観月! やっぱり子供は女の子に限るだーね!」
「父上っ!」
「観月―っ! …ぐえふっ!」
「軽々しく抱きつかないでください」
抉るような右フックが慎也のボディに決まりました。
その容姿のごとくアヒルのように鳴くと、そのまま果て。
喧々囂々と、二人は淳の死を悲しみました。
――が、舌の根も乾かないうちそのままに。慎也はさっさと後添いを貰いました。
名前は亮。亡くなった妻の双子の片割れです。顔は鏡に映したようにそっくりで、笑い方もそっくりでした。
「だからって普通、速攻で再婚しますか!? 何考えてんだ、おまえはー!」
娘は当たり前ですがブチ切れ、家庭内の暴力の日々です。
「だって寂しかったんだもーん!」
「モン、じゃないっ! お前がやっても気色悪いだけだっ!」
「あいでででで……っ!」
「くすくす。見事にチョークスリーパーホールドが入ってるよね」
「ほら! 母上も化けてでてきたじゃないですか!」
「ベタだよね」
「チョークスリーパーホールドかけている二人は、傍から見たらベッタベタ……ぷっ」
「しかも速攻子供こさえてるし!」
わなわなと震える声の先には、後添いとの間にできました。待望の嫡男。ヒカル(2歳)が、その年の割りには達者な頭で、それこそベタベタな駄洒落を言っては「ぷっ」と笑っています。
「いやだぁあー!! こういうタイプが僕は一番苦手なんです!」
「こらこら、一応血の繋がった弟なんだから」
「弟だけに、おっとっと」
「…ごめん、ヒカル。さすがにお母さんも、フォローできることとできないことがあるよ」
「きーっ!」
「あははは。観月ちゃん〜、パパの顔が生きている人間にとってありえない顔色になってるし」
「むしろさっさと逝って、遺産を寄越しなさい!」
「やや、火曜サスペンスドラマのテーマ曲がどこからか…!?」
「さーどんすべ? …ぷっ」
「苦しいねえ」
生温い家族の団欒でしたが、観月の血圧を上げるだけ上げ。父親の血圧をあわや止まるというところで、家を飛び出しました。
「夕餉までには帰っておいでねー」
「どこの小学生の話じゃあっ!」
「と、…飛び出したはいいものの。箱入りの僕ですからねえ。自活なんてもってのほか。やっぱりもうちょっと我慢して遺産貰うか、金持ち貴族と縁組して貰ったほうが得策ですかねえ」
しかし―――、観月は川岸まで降りると、そこで川面を覗き込み落胆します。
「どうにかなりませんかね、この鉢。神様のお告げだかなんだか知りませんが、はっきり言ってイジメですよ、これ」
幼き頃から鍛えられたためか、はたまた神様の贈り物のためか。不思議とその鉢の重さは感じません。
それでもこの奇妙の姿は村中の噂の的であり、父の後ろ盾がなければ石を投げつけられていただろうことは、観月にだってわかりますし、奇異な目で見られていることも知っています。
「これじゃ貰い手ないですよねえ。容姿よりも心だ、なんてキモイ男だって退きますよ」
父殺し未遂の分際で、心で選んでもらえる自身があるらしい観月は鉢に手をやり、溜め息。
いっそ壊してしまおうか、と何度も考えては、試したのですが、ガンダニウム合金並の鉢にはヒビひとつ入りません。
その時です。後方から「うわあぁあ〜」と、男の叫び声と、土手を何かが転がり落ちてくる音がしました。
あっと思った時には、すでに遅く。
「……!?」
どすん、と背中を強く押され、観月は川の中に落ちてしまいます。
「あわわわわ! 酷いっすよ、赤澤様!」
「ってかお前、人殺しになるぞ!?」
「へ?」
転げてきた男は、自分が何に当たって止まったのかさっぱりわかってない様子で、土手の上を見上げました。赤澤と呼ばれた男が、肌が黒いためにわかりにくいですが、顔を青くして駆け降りてきます。
「裕太! 川、川!」
「なんですか? 川?」
裕太と呼ばれた少年が川を見れば、それは大きな鉢がどんぶらこっこと流れていくではありませんか。
「――でかい鉢ですね」
「下に体がくっついてたからな」
「は? かかか体〜?」
赤澤は上から裕太の体がぶつかった相手を見ていました。着物からして、鉢を被った女人であるのはわかったのですが、果たして妖怪かバケモノか。悩みましたが、このまま見捨てるわけにもいきません。
「金田―! 馬持ってこい! 追いかけて先回りするぞ!」
土手の上で待機していたもう一人の少年がひょっこり、なにごとかと顔を出します。と、赤澤は腰を抜かした裕太の腕を引っ張り、怪奇鉢娘奇跡の大救出を開始したのでした。
ようやっと岸に引き上げられたのは、落下点からかなり流された場所で、観月は息も絶え絶えに咳き込みます。その隣ではやはりびっしょりと濡れて、ぐったりとした赤澤が。そんな二人をおろおろと、金田と裕太が心配してました。
「お前…重い…。つか、鉢が抵抗あって、川から上がるの命がけだぜ」
「ゲホゲホ…っ! や、喧し…っ」
「大丈夫ですか!? お怪我ありませんか?」
噎せる観月の背を、裕太が必死で摩ります。
「ぜーはーぜーはー…、だ、誰のせいだと思ってるんですが! この人殺し!」
「すみませーん! もう、本当にすみませーん!」
「そうだぞ〜、裕太〜」
「突き落とした張本人のクセに、何オレだけ悪者にしてんっすか! むしろオレがアンタに殺されかけたわあっ!」
「や、だからお前の背にな。それはでっかいアブがな?」
「アブを素手で、しかも人の背中で潰そうとしないで下さい!
…? 金田、なんでお前そんな遠くの木からこっち覗いてんだよ」
近くの喬木から、顔半分だけを出してこちらを窺う金田に、裕太は首を傾げました。
「はっ! どっからか聞きなれた、この妖しいテーマソングは!? ってかさっきからそのネタばっかりだぞ!?」
「オレは見た…。代議士家族の裏に回れば、崩壊寸前の家庭の事情を…っ」
「…家政婦は見ちゃった!?」
「赤澤様が蚊を潰したら、血吸ってて、それを裕太の背中で拭いていたのです!」
「なにーっ!?」
「あー。金田の裏切りモノー」
良い子、悪い子、普通の子。揃ったところで、ブチリと切れた音が観月の額からしました。
「喧しいーっ! さっきから聞いてりゃ、蚊だアブだ! そんな情けないことで危うく命落としかけたかと思うと泣けてくるわぁ!」
「だって女の子だもん!」
「今すぐ三途の川に案内してあげますよ!」
「ああ! アームバーが赤澤様の腕に見事に決まったあ!」
観月が茶化す男の腕に関節技を決めました。ギリギリと骨のきしむ音とともに「ぬおおぉぉお!」と赤澤の無様な呻き声が辺りに響きます。
「ロープ! ロープぅう!」
「カウント入ります! ワン・ツー・スリー!」
「おおっと! 鉢かづきさん、マウントポジション取りましたー! これぞ極めというやつですね!?」
「シックス・セブン・エイト・ナイン・テン! カンカンカーン! 勝負つきました! 鉢かつぎ選手の勝利です!」
「金田! 裕太! てめえら…主人を主人とも思ってねえな!?」
「主人とな?」
観月は技を解きました。
「いてぇ…っ。ったく。割に合わねえぜ。でもまあ、悪かったよ。本当に。元気そうでよかった」
腕を摩りつつ座りなおした男と、観月はようやくちゃんと向かい合いました。ただし、鉢の隙間から覗く下ぐらいしか見れないので、足だけです。裸足の足は、健康な小麦色。それだけ見れば、どこの小作人かとバカにしていたのですが……。
(主人というと、それなりに地位や金があるってことか?)
身も蓋も無い感想を抱きつつ、観月はようやく冷静さを取り戻しました。
「んで、その鉢。なんかの呪いか? 取れねーの? まあ、そのおかげで沈まずにアンタが助かったから良かったけど」
「…あなた達はどこの人ですか?」
自分を知らないということは、明らかに同村の住人ではありません。
「オレか〜? オレはここの城主の息子だよ。んで、レフリーしてたのが裕太って言って。実況していたのが、金田っていうオレの従者だ」
あまりにあっさりと教えられた身分に、観月はにわかには信じがたく、素っ頓狂な声を上げました。
「城主の息子〜?」
「おう!」
「あなたが〜?」
「え? なんかすげー不審がられてる?」
「仕方ないですよ。普通、あなたような身分の方があんな所まで、フラフラと出歩きませんて」
げんなりと苦言を呈す裕太に、金田がうんうんと頷きます。
そんな二人の従者の様子を見て、観月は納得しました。
「わかりました。世に言うバカ殿ってヤツなんですね?」
「オ…オレは別に白塗り、おちょぼ口じゃねえぜっ!?」
「この手の黒さで白塗りだったら、逆オオカミじゃないですが」
「そうそう、白い顔を見せて、ヤギのお母さんですよ〜。って、ちげえっ! つーかノリ突込みしなきゃわからないネタすんなよ」
その後ろでは従者達がひそひそと。
「バカ殿だ…」
「やっぱりバカ殿なんだ…っ」
「金田と裕太。お前等、あとで説教部屋行き」
「赤澤教授の総回診ですか!?」
「そう、アメイジングレイスを流しながら…。だから時期ネタはヤメロ! 風化すっから!」
「寒い…北風が身に染みる勢いで寒い…」
「色々なところを恥じて欲しい」
話がいっこうに進みません。
「今はバリバリ初夏だっつーの! ってかもう。鉢の娘さん。アンタを家まで送り届けるよ。どこだ?」
「僕には観月というちゃんとした名前があります」
「あーそらすまんかった。じゃあ、観月さんのおうちはどこですか?」
もう一度絞め技を食らわしてやろうかと、殺意が芽生えましたが、そこは三度の飯より打算が大好き。瞬時に、殿の息子という相手の身分を考慮して、シナリオを作り上げました。
「それが…家には帰れないのです…」
「はい?」
「この鉢は、実の母親に被せられたものなのですが、一度被せたら最後。どうあっても取れません。その母も死に、新しい母親がくればそれは鬼の継母で、男の子を産むと前妻の子はいらないとばかりにイジメられ。とうとう家を追い出されたのです…」
さすがに作りすぎたか? と、ベタな話に内心焦った観月ですが、気づけば赤澤含め三人が男泣き。
「ぬおおぉぉぉぉおおおおお―――っ! なんて可哀想な話なんだあっ!」
「継母さん…鬼や…アンタ鬼や…」
「血の色緑って本当にいるんですね! オレ、人生の厳しさってヤツが見えました!」
「え? ああ…まあ、そうですね」
「金の無いヤツぁオレんとこに来い! オレも無いけど心配すんな!」
「…無かったら意味がないじゃないですか」
「オレは無いけど家はあるから! 今日からウチで下働きとして雇ってもらおう!」
この発言には観月DAIGOSAN★
「し…下働きだあ〜?」
「オレに権力ねえんだもん。そうと決まれば善は急げだ! 早く城に戻ろうぜ。風邪ひいちまう」
「やだなあー! 赤澤様がひくわけないじゃないですかあ〜」
「―――裕太、その心は?」
うっかり裕太が本音を漏らせば、じっとりと主人が睨んできます。慌てて、親友金田が「違うよ! 夏風邪だったらひくんだよ!」とフォロー。
観月は誰かこの3バカトリオを止めてくれと、心から神に祈ったのでした。
次期城主に取り入って、都合よく玉の輿を画策していた観月ですが。そうは問屋がおろしません。
(本当に下働きをさせられるとは…っ。くそ、しくじった)
お嬢様である観月にとって、下働きは屈辱以外のなにものでもありません。何度もさっさと逃げ出してやろう、とは思うのですが、何かといえば赤澤がやってきて「がんばれよ」と応援をしてくるので、大嘘をついた手前中々出奔できずにおりました。
(こうなれば、本当に玉の輿に乗らなきゃ割に合いません)
腹を括り、これも花嫁修業と、観月は真面目に働きました。
元々仕切り癖のある観月は、早々に人員それぞれの性格を把握すると、やり手ババアも真っ青な勢いで使用人を掌握していきます。
それらをこっそり覗き見ていた赤澤は「すげえ…」と、もはや及び腰でした。
「あ! またあなたはこんな所でなに油売ってるんですか!? そんな暇があったら帝王学でも学びなさい! 家柄あっても学がなきゃ本当にバカ殿ですよ!?」
「う…す、すみません」
仮にも主人にむかってズケズケ言う様は、それだけでも一目置かれるというもの。それをやはり隠れて見守っていた裕太と金田は、いくら勉強してくれと懇願しても聞かない赤澤が、観月に尻を叩かれるさまに、いつしか尊敬の眼差しを向けるようになりました。
「すげーな、観月さん」
「うん。カッコいいなあー」
しかし、やはり大誤算な観月です。
(しまったな…。惚れさせようとは思うんだが、どうにもこのノホホンとした男を見ると怒鳴ってしまう)
どうすれば、この掴み所の無い男が手に入るのか。気づけば延々と、赤澤のことを想う夜が続きました。
しかも赤澤の婚約者が近々決まるとかで、城内はその噂で持ちきりです。
なんでもそれは美しく、家柄もしっかりとした姫君で、誰もが心待ちにしている様子。それらを横目で眺めつつ、いつしか観月の中にあった野望は、空気が漏れる風船のように萎んでいきました。
(いい加減面倒になってきました。…家族も心配しているでしょうし、そろそろ潮時かもしれません)
柄にもなく家族を恋しがっているとき、掃除に入った部屋で琴を見つけ、
(よく弾いてましたっけ)
哀愁にかられ手を伸ばしました。
懐かしくも五琴を奏でていますと、人の気配が背後からしまして、驚いて手を止めます。
「あ、止めなくていいぜ。観月は琴もひけるのかー。歌も詠めるし、字もキレイだし。本当にいいところのお姫様なんだな」
「…赤澤。びっくりさせないで下さい」
「悪い、驚かせちまったか」
「あなたは今、湯殿じゃないんですか?」
「もう入ったぜ。その帰りに、綺麗な音が聞こえてきたから…。まあ、お前かなとは思ってたんだけど。やっぱりお前だったな」
「烏の行水ですね」
「そーいうなよー。ちゃんと洗ったぜ?」
そこでもう一度仰天しました。なんと赤澤が鉢の中をのぞきこんできたのです。
「やっぱ影になって見えないや。お前って美人な気がすんだけどな。勿体ねえ」
「…な! なんですか、いきなり! 自分でさえ見たこと無いんですよ? かってな憶測で期待しないでくださいよ!」
鉢の隙間から赤澤の顔を垣間見て、観月は不覚にもトキメイてしまいました。
頭の悪い言動の数々からして、あまり容姿には期待していなかったのですが、ランク付けするなら上の中といった具合です。
それよりも、なによりも。
「あの…赤澤」
「なんだ?」
「最初に訊くべきでした。あなたは…僕が気持ち悪くないんですか?」
「なんで?」
「なんでって…」
こんな醜い鉢かづき。今までで一番の羞恥が、観月を襲います。
城内でも、遺憾なく才能を発揮してきた観月ですが、それでも上の方々に「バケモノ」と罵られ、白眼視されているのを知っています。そして、それが当たり前の反応なのです。
あまりに自然に、赤澤を筆頭に裕太や金田が受け入れてくれたから、それを問うことを今までどうしてもできませんでした。
「さっきも言ったけどよ。琴も弾ける。歌も詠める。字も綺麗。これだけでも、すんごい大したもんなんだぜ? それに頭もいいとくりゃ、尊敬以外なにがあるんだよ」
「なに…って」
「お前、すげー美人。もう、オレわかるもん。外見とか、そんなもんをさ全然気にさせないで、オレを惚れさせちまったんだからよ」
「―――は?」
「こんなこっ恥ずかしい台詞を聞き返すなよ。だから、オレはお前に惚れてんだって。白旗です」
「なに…言ってんですか? 城主の息子であるあなたが、どこの馬の骨ともしれない奇妙な僕に惚れた?」
「おう」
なにやらどっと観月は脱力します。が、それと相反するように、頭がぐるぐると回りました。
(と…当初の目的は達成したってことですよ…ね? でも、怒鳴ってばっかりの僕の、一体どこを惚れたとか抜かすんですか、このトウヘンボクは)
「――変な趣味の方はちょっと」
「なんでお前に惚れたら変な趣味なんだよ」
「鉢頭に被ってるんですよ!?」
「鉢被ってたって、被ってなくったってお前はお前じゃん。…んで、返事は?」
「返事?」
「だから、告白の返事。オレのこと嫌いか?」
「―――……嫌いもなにも…。あなたには婚約者がいるじゃないですか…。――はっ! まさか早くも愛人探してんじゃないでしょうね?」
「残念ながら、オレは本妻ひと筋の男になる予定なんだ」
「じゃあ…からかわないで下さい」
「夫婦になろうぜ、観月」
ふいに手を強く握られ、躰が強張ります。赤澤の顔はもちろん観月には見えません。それでもその声音と、握られた手の温もりから、相手の真摯な気持ちが伝わってきました。
「お前が頷いてくれるなら、オレは明日。親父達に報告する。相談じゃねえ、報告だ」
「赤澤…」
「あー! ちくしょう柄じゃねえ! でも本気の本気だ!」
「あなたは…もう。がさつで、頭悪くて、何も考えてなくて…」
「悪かったな」
「行き当たりばったりの、本当にどうしようもない人ですね」
「で?」
「あなたには僕みたいなしっかり者がついてないといけないんですよ」
赤澤は観月の躰を力一杯、抱き締めました。
ここで、めでたしめでたしと終るには、二人の間には障害が多くあります。
まずは父と母に、婚約を破棄することを伝え。観月を紹介しなければいけません。
降って沸いた騒動に、城内に走った衝撃は生半可なものではありませんでした。
なにせ跡取息子が選んだ女性が、鉢を被ったなんの地位も無い娘なのですから。
城主はむっつりと、二人と対面します。
「うーん。よっしーさあ。どうして、いきなりそんな飯炊き女なんかに嵌っちゃうわけ?」
「よっしー言うんじゃねえ。オレの人生だ、伴侶をオレが決めて何が悪い」
「は…反抗期だよ〜奥さん〜」
「おやおや、困ったねえ」
体格の良い息子のひと睨みで、及び腰になるのは父拓也。すがりついたのは、奥方の佐伯です。
赤澤の対戦相手は、最初から父ではなく。この城の権力を裏で握っている母親でした。
「オレの決心は変わりません」
「そう言われてもね。君はこの先、この城の主となり。町民達を統べていかなきゃならいんだよ。その奥さんもしかるべきだ。君が望むのだから、大した女性なのだろう。しかし、町民達は彼女の奇怪な姿を見て、あらぬ噂を立てるだろうね。人民を不安にさせて、よい城主と言えるのかな?」
(て…手強いですね…)
正論できた佐伯に、観月は内心(これが姑? きっつー)と、時代は変われども永遠のテーマについて思いを巡らせておりました。
「認めさせます。不安になんかさせません」
「――赤澤」
堂々と言い切った赤澤に、観月はこれは気の迷いだと戒めつつも、顔が赤くなるのを止められません。
この時ばかりは、鉢に感謝しました。
「ふーん。そうか…じゃ、見せてもらおうかな」
「見せる?」
「そう。許婚さんと、鉢かづきさんの、吉朗争奪戦。嫁比べバトル」
「――なに言ってんだよ」
「お前の都合の良い方向だけにはいきません。だって、もう許婚さん来てるし」
背後の襖が、見計らったように開き。ぎょっと、赤澤はそちらを見ました。
「ふふ、久し振りだね。佐伯」
「本当に久し振りだね、周助」
そこに上品にも立っていたのは、裕太の姉であり、佐伯の幼馴染でもある周助ではないですか。赤澤は開いた口が塞がりません。
「うわあーっ! すっげーヤダ! てかなんでアンタが出てくるんだ!?」
「酷い言いようだなあ〜。仮にも婚約者に」
「ふ…ふふふふ」
「そこの鉢かぶってる人は何が面白いのかな?」
「不二周助〜っ!」
「うん? 君のような奇怪な知り合いはいないけど…」
「僕だって知りませんよ! しかし…こうなにやら、前世からの因業か、はたまた宿命か。因縁めいた怨みがふつふつと」
「佐伯、彼女は頭がおかしいのかな?」
「おのれ! 愚弄する気ですか、不二周助めえーっ!」
いきり立つ観月を見て、佐伯はにっこりと、
「で、どうするの嫁比べ?」
「受けてたちますとも!」
「周助は?」
「暇じゃないんだけどね。ま、弟が世話になってるって言うし」
「きい! どこまでも小憎らしい言い回ししおってえ〜!」
「お…落ち着け? 観月。嫁比べなんかしなくったっていいんだぜ。オレの気持ちは決まってんだからよ」
「うるさい! 商品は黙って座ってろ!」
「商品……」
さっきまで、オレすげー頑張ってたのに……。
赤澤はいじけ、部屋の隅っこでのの字を書き始めますが、そんなことは知ったこっちゃありません。
「で、勝負とはなんですか?」
「ここは…やはり…」
ごくりと、周助も固唾を飲む中。城主が突如、立ち上がりました。
「ドンドンパフパフー! チキチキ吉朗争奪、羽子板大会―!」
「羽子板とな!?」
「ふ、受けて立つよ」
「ちょこざいな!」
「ルールはいたって簡単です。力の限り打ち、力の限り打ち返す。7回戦で、羽をよりおおく落としたほうの負け。ちなみに、お約束通り、落としたら顔に墨塗ってきまーす」
墨汁を嬉々として城主が磨りはじめます。
「それって鉢はどうするの?」
「鉢って言うな、不二周助!」
「うーん。鉢の下から描いても見えないし。うなじから背にかけて鱗でも描いてこう」
えげつない提案をあっさりとすると、佐伯は楽しそうに手を叩きました。
(…ぜったい、こんな姑ヤなんですけど…)
「おーい金田や。出てきて、審判しておくれ」
「は…はい!」
廊下で待機していた金田が、冷や汗を流して二人の間に立ちますと、一緒に待機していた裕太も泣きそうな顔で部屋の端に座りました。
「み…観月さん…がんばってください!」
「――おや、裕太。姉さんの応援はしてくれないのかい?」
墓穴を掘ったら右に出る者はいない裕太です。その迷惑な声援のために、周助は超本気モードに入ってしまいました。
「んふ。姉はともかく弟は見る目があるっていうことですよ」
「そうかい…。じゃあ、鉢と吉朗君の絆を…断ち切る」
周助、開眼。
一気に張詰めた雰囲気の中。
「では、これより赤澤様争奪戦。羽子板勝負を始めます! 先手、観月さんからです!」
勝負は切って落とされました。
「いきますよ!」
「お手柔らかに」
ドスン。
ガスン。
スギュギューン。
どうすれば羽子板でそのような擬音が出るのか。まったくもって謎な白熱した試合は、どちらも一歩も退きません。
「返せるかい。僕のトリプルカウンター!」
「なんの、丸見えですよ。君の弱点!」
ピキューン。
ボフボフ。
ピュー。
「笛吹くジャガー?」
「なんじゃそら」
「って、赤澤様。どうしてそんなに冷静に試合見てるんですか!」
「だってよう。こうなったら一体誰が止めに入れるっつーんだよ。お前の姉ちゃんだろ? 逝ってこい」
「不吉な漢字使わないで下さいよ」
永遠とも感じられる試合でも、勝敗は必ず決するもの。
「6−5! 不二選手、リーチです!」
「はあはあ、中々やりますね。富士くん(仮)」
「なんの…水木くん(微妙)こそ…っ」
「微妙ってなんですか! 微妙って! って、どこぞの妖怪博士じゃありません!」
「君も勝手に仮名にしないでくれるかな!」
肩で息する二人の一方は、顔に墨を塗られ、一方は背中に墨で鱗が増殖中。
「うーん。いい具合に、小技を効かせてくるね、二人共」
「奥さん〜。オレもう疲れたから、休んでいい?」
まるで他人事のように観戦する夫婦に、さすがに赤澤が立ち上がりました。
「もういい加減にしてくれ! こんな勝負に意味はないだろう!」
怒鳴る赤澤に気を取られたのがいけなかったのです。
「僕に勝つのはまだ早いよ!」
「―――あっ!」
羽がカツンと、鉢に当たりました。そのまま、観月は取り落としてしまいます。
「負け…」
た、と続けようとした時です。
ピキ…ッ。
今まで何をしようとも、傷ひとつ付けられなかった鉢に、一本のヒビが走り――それは、じょじょに広がり。
あっと誰もが口にしたと同時に、パカリと鉢が割れたではありませんか。
「―――わ…割れた…」
「み…づき…?」
するとどうでしょう。滝のような金銀が、割れた鉢から溢れ出したのです。
ですが、当の観月はそんな物には目も暮れず。初めて頬に触れた外気に、恐る恐ると手を伸ばし。顔を摩った途端、両手で覆ってしゃがみ込みました。
どんな容姿をしているのか知らないのです。
身悶えるほどの羞恥心に、どうしようもなく躰が震えました。
「観月…っ」
驚愕冷め遣らぬも、ただ事でない気配を察して、赤澤が駆け寄ります。躰を支えようとすれば、観月は身を捩って逃げました。
「み…見ないでください!」
「なんでだよ。良かったじゃんか! 取れて!」
「ぶ…不細工かもしれません…っ」
「――何言って……」
ああ、そうだよな。赤澤は観月の心情を悟りました。
ぽんぽん、と項垂れる頭を軽く叩くと、苦笑を漏らし。
「最初に言った通りじゃん。お前は美人だってさ」
「う…嘘です!」
「お前、オレの言うことが信じられない?」
顔を覗き込まれ、大きな手が、観月の手にかかり――
ゆっくりと、外せば。不安に揺れる、観月の双眸が「本当に?」と語りかけ。
それに赤澤は、満面の笑みで答えました。
「あーあー。なんかお邪魔様って感じ? 一応僕勝ったけど、これじゃ退くしかないよね」
「ごめんね、周助。ウチのバカ息子が迷惑かけて」
「あの…よー、姉さん。姉さん旦那がいんじゃん…」
「ううー! 赤澤さん、観月さんおめでとうございます! 感動です!」
「ねー。もうオレ休むから。あとなんかあったら、あとで教えてよ金田」
「あ、はい。おやすみなさいです、城主!」
鉢は砕け。財宝も、愛するひとも、ついでに地位と名誉もつかみ取った観月は。
それから末長く、幸福に暮らしましたとさ。
大嘘ついて、実は単なる家出娘。娘の父親との、旦那の壮絶バトルや、それを乗り越えて待っている、新たなる敵。嫁姑の骨肉の争いは――また、別の話ということで…。
とっぴんぱらりのぷう。(←昔話の謎のシメ)
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