花は半開 酒は微酔









 大学に進学して二回目の年が明けた。今年もひとり、マンションで年越しを予定していた観月だが、それは突然の訪問者のせいで見事に覆されるはめになっていた。くつくつと煮立つ鍋を前にして、理不尽な感情が湧き上がってくる。それは背後から上がった爆笑をきっかけに噴火した。

「赤澤! ひとりで酒ばっか飲んでないで、少しは手伝え!」

 ピタリ、と笑いが止む。そして子供みたいに口を尖らせて「え〜」と振り返られた。

「あ、もうそんなに飲んで! しかも缶ビールは飲んだら、捨ててから次のを空けて下さいよ!」

 観月の住む2LDKは、バストイレ別の学生向けにしては、些か身に過ぎた代物だ。6畳を居間に4畳半を寝室にと使用しており、招かざる客は居間のテレビの前で横たわっていた。新年特別番組を見ては、さきほどから笑い声を上げ、酒を飲んでいる。

「大体なんでいきなり来るんですか! 鬱陶しいっ」

 観月に仁王立ちされ、赤澤は渋々と体を起こす。

「だってよう。オレの家族全員飲み会やら、海外旅行やら、仕事やらでいねーんだもん。ひとりは寂しいじゃん」

 別の大学に進学した赤澤は寮生活に慣れていたから寂しいと、ひとり暮らしになった途端に、何かと云えば近所に住んでいる観月の部屋へと転がり込んだ。

「だからって、何もウチに来ることないでしょうが。他に友人がいるでしょう? 正月早々、お前の分の飯まで用意するこっちの身にもなれ」

「他のヤツラは帰省してるよ。柳沢も木更津もそれぞれ実家だし。それにさー、お前といるのが一番楽だし」

「楽をするな。手伝えっ」

「なんか、後ろで鍋吹いてるぞ」

「あ!」

 慌ててキッチンに戻ると、火を消した。

「明日はオレがカレー作ってやっからさ」

「他のものでお願いします」

「なんだよ、オレのカレーは美味いぞ!」

 暢気に嘯かれて、観月はがくりと肩を落とす。確かにカレーが好物とあって、赤澤の腕前は大したものだった。何度も食したことがあるので、それは観月も認めるところである。しかし、

「――あなたの場合、問題なのは味じゃなくて量です。量。あなたに作らせると三日はカレーを食べ続けるはめになるじゃないですか。冗談じゃありません」

「いいじゃねぇか。カツカレー、コロッケカレー、カレーうどんにカレーそば」

「そのネタはもういいです」

「ネタ扱いかよ」

 観月はげんなりしながら、温めたものを皿に移し運んだ。それに白飯と、昨日から用意していた数の子豆、田舎の祖母がつけた野沢菜を並べる。元旦の昼頃やってきた赤澤は、よほど腹が減っていたのか嬉々としてテーブルの前に座りなおした。大晦日の夜は大学のサークル仲間と飲んでいたのを観月は知っている。だからこそ、そのまま友人達の家に泊まり込むものだと思っていたのだ。それが、二日酔いに淀んだ顔で現われたものだから、即座にドアを閉めようとして、足先を突っ込んで阻まれ、押し問答の末現在に至った。

(――多分、昨年はひとりで年越ししたことを僕が喋ったから、気にしたんでしょうけど……)

 観月は相手の優しさにちゃんと気づいている。そして赤澤も、気づいていることを前提で憎たらしい口を叩く観月をわかっていた。

「なあ、観月。これナニ?」

 出されたものを確認した赤澤は、初めて見たのであろう食材を前に訝しげに問われる。戸惑う姿に、少しだけ溜飲が下がった。濃い飴色になるまで煮詰められた魚の切り身に、これまた黒い餡をかけてあるので色合いといい見た目といいグロテスクだ。

「イヤなら食べなくてけっこうですよ」

「え、いや。いただきます。んと、魚だよな? なんの魚だ」

「骨がけっこうあるので気をつけて下さいね」

 自分は芋焼酎のお湯わりを片手に席についた。
 反応を楽しげに待つ観月に気づきながらも、赤澤はそれを口に運ぶ。咀嚼すると、眉間に皺が寄った。

「お口に合いませんでしたか?」

 くすくすと、知らず笑みが漏れる。

「いや、なんというか、予想しなかった歯ごたえだったから驚いた。甘いな」

「御飯とあいますよ」

「うん。なあ、だからなんの魚?」

「鯉ですよ」

「鯉!?」

 ぎょっと目をむく赤澤が面白くて、観月は機嫌よく頷いた。

「ええ、鯉の甘煮です。本来は大晦日に食べるんですけど、実家が多く送ってきたもので、僕もちょっと困ってたんですよね」

「鯉か…。なんで大晦日に鯉食うんだ? オレ初めて食った」

「あっちの風習です。と…いうのも、僕はこっちに来て初めて知ったんですけどね。毎年食べてるものだから、全国の家庭でもそうなんだと思ってました」

「へえ…。そっか、面白いな。あちこちでやっぱ違うもんなんだな。…うん、飯と合う。美味いよ。で、これは何だ?」

「それも、祝い事や正月には欠かさないですね。見た目どおり、豆と数の子です。出汁と塩味のみで、シンプルな食べ物ですよ。そっちは普通にお口に合うと思いますが」

「うん、コレは酒が進むな。この緑の豆って…大豆か?」

「はい。緑豆っていう乾燥したものがあって、それを水で一日戻して煮るんです」

「ふーん。お前、実は料理作れたんだな」

 普段、あまり作らないのを知られているだけに、観月は気色ばんだ。

「失礼ですね。……というか、水で戻すのと、温めただけの物でそう云われても困るんですが」

「あははは! でも、オレ初めての物って嬉しい。今日、ここに来て良かったわ」

 そして赤澤は胃を満たすことに専念し始める。観月も黙って、酒を飲みつつ箸を動かした。
 しばし無言となるも、今更会話がなくなったところで気まずさを感じるような仲ではない。
 時々、骨の多い魚に苦戦する赤澤をみかねて、骨をとってやっては身をほぐしてやったりした。
 赤澤は別段礼を述べるわけでもなく、口に運ぶ。観月も気にせず世話を焼く。それが当たり前の光景となって久しい。


 片付けは赤澤に押し付けて、今度は観月が酒を口にしながらテレビをぼんやり眺めていた。
 洗いものをしている最中に、尻ポケットに入れていた携帯が震え、赤澤は手を拭いて取り出す。メール着信を確認すると、木更津からで、明日渋谷まで出るから初詣に行かないか、とあった。

「なあ、観月。お前、明日用事ないよな〜」

「……ええ」

 小さく答えが返ってきたので、赤澤はシンクに寄りかかったまま『今、観月んちに居るから、明日一緒に行くよ』と送信した。即座に返信がかえってきて、赤澤はその内容にぶっと噴出す。

「なあ、観月」

 携帯を手に部屋に戻ると、観月が慌てて顔を逸らしたのがわかった。

「どうした?」

 具合でも悪くなったのか、と心配して近寄ると、嫌がるように逃げられる。そこでふっと、テレビから有名な歌が流れてきて、そちらに目をやった。
 画面上では、初めてのお使いに成功した、4歳のお姉ちゃんと2歳の弟が母親に抱き締められて泣いている。

「――……まさか、これ見て泣いたのか。お前」

「う、うるさいですねっ。ちょっと、酒で涙腺が弛んでたんです!」

 きっと睨みつけてくる、目元が赤かった。双眸も酔いと涙、両方で潤んでいる。

「別にいいけどよ。そうか、こーゆーのに弱かったんだな」

 ふ〜ん。と、感心していたら耳まで赤くした観月に、二の腕あたりを殴られた。

「恥ずかしがるなよ」

「笑うな!」

「だって、お前可愛いんだもん」

 殴る力が段々と強くなる。さすがに痛みで、赤澤は眉を顰めた。

「痛いって」

 受け止めずに、観月の腕を取って後ろに転がる。

「え、ちょっと」

 一緒になって転がるはめになり、赤澤の上に乗り上げる形になった観月は、起き上がろうともがくも、両腕で拘束されたためにできない。

「放してください!」

「ヤダ」

「幼児みたいに駄々をこねるな!」

 癇癪を起こす観月を逃すまいと、力一杯抱き締めた。しばらく暴れていたが、酒も入っているためかすぐに諦めて脱力する。
 見計らって、頬に音をたてて口づけた。途端、びっくりした観月の上体が跳ねる。

「この酔っ払い!」

「だって観月が可愛いからさー」

「アホ! バカ! 変態!」

 頬に始まり、耳下、頤――最終的に口を塞けば、観月は大人しくなった。じょじょに深く合わせていけば、酒の匂いが口腔に広がっていくが、互いに飲んでいるので気にならない。じっくりと相手の舌を堪能したのちに一度離れると、赤澤は己の唇を舐めた。

「やっぱ芋は独特の匂いがすんな」

「あなたも好きでしょう?」

 挑発るすように鼻で笑われ、赤澤は苦笑する。

「嫌いじゃねぇよ」

 返答を合図に再度唇を合わせると、互いの位置を入れ替え、赤澤は相手の衣服に手をかけ――ぴたりと止めた。

「…?」

 躊躇されたことに気づき、観月は眉をくもらせる。

「どうしました…って、重い!」

 べたりと、体重をかけられ押し潰されたのだ。体重差もあり息苦しい。観月は相手の背中を叩いた。

「重いー!」

「なあ、観月」

「なんですか!」

「あのさ〜、今木更津からメールがあってよ」

「明日の初詣のことでしょう? どうかしたんですか」

「いや、それはいいんだけど」

 がっちりと抑えつけられているので、観月は相手の顔を見ることもできない。「あのな…」と、赤澤が頭だけ起こした。間近で目が合う。いやに真面目な顔付きに、観月は何があったのかと戸惑いを隠せない。

「姫はじめって、実は寿命削るんだって」

「―――は?」

「一発でどれくらい縮むと思う?」

「――――……………」

 問いかけの意味を咀嚼し、行動に起こすのにさほど時間はかからなかった。膝を曲げ、股間を蹴り上げる。

「いでっ!」

 力任せに男を横にどけると、観月は憤怒の表情で蹴飛ばした。

「お…おま、同じ男として、それは、ないだろう」

 悶絶する赤澤に白い目を向けると「お前がバカなことばかり云うからだ。バカ澤、片付けたらさっさと帰れ!」一喝。

「そりゃねえぜ〜。だって、お前が早く死んだら、オレやだもん」

「うるさい! よくもまあ、そんな恥ずかしいことを臆面もなく云えますね。少しは情緒というものを身につけろ!」

「お前を気遣う、この鋼の忍耐力を誉めてくれよ。本来ならさっさと1ラウンドに突入してるっての」

「うるさいうるさいうるさい!」

 羞恥のため地団太を踏む観月に、赤澤は溜め息をついて起き上がると持って来た荷物の中からゴソゴソとある物を取り出した。ドン、と目の前に置く。一升瓶のラベルを確認した途端、観月の目の色が変わった。

「今夜は二人で飲み明かそうぜ」

「――…蓬莱泉純米大吟醸『空』……」

 しばし、考え込むと、もったいぶったように口を開いた。

「やぶさかではありません」

 咳払いをしつつも、表情に喜色が混じっているのは隠しようがない。冷酒用のコップを取りに、観月はキッチンへと身を翻した。

「酒に負けちまったか」

 少々残念に感じるも、バイトが入っている三日まではここに居続ける気でいる赤澤は、さっさと気持ちを切り替えて蓋をあけるのであった。




 翌日、酒の飲みすぎで、どこか気だるい二人を見て、木更津が呆れたように「寿命、どれくらい縮めたわけ?」と問うたのは仕方ないことである。




















 新年早々のSSでした。
赤観に終わり、赤観に始まった年です。
でも考えてみりゃ、赤観だけでの長編って書いてないんですよね。
全部、他の長編にちょこちょこ出てくるって感じで(笑)

ちなみに鯉は決して安いものではありません。
ウチは山形でも山側なので、海がないから鯉が重宝されていたようです。

関西方面ではスーパーで普通に『ハモ』が売ってると聞いて驚いたことがあります。
ちなみにそう云ったら、「なんで売ってないの?」と驚かれた。
地域色=常識 って考えがちですよねー。




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