あなたを思うことに理由なんかないのに――――。








「もう帰るのか」

 そう背中に話しかけられて、観月は無言でシャツを着込んだ。
 薄暗い部屋には、さきほどまで行われていた行為のためか、密かに温い空気に満ちている。
その空気を吸うのもいやで、観月は急いでシャツのボタンを下から止めた。

 返答をしないことに呆れたのか、背中を向けた男がかすかに溜息を漏らす。
 そのかすかな息づかいにでさえ、さきほど身体の中にこれでもかと吹き込まれた熱を煽られ、じんと痺れる指先を嫌悪した。

 舌打ちしたいのをこらえて、震える指を叱咤し首元まできちんとボタンを締める。
 通常の格好に戻ると、安堵できた。ようやくこの異空間から自分だけ抜け出せた気分になるのだ。

 衣擦れの音とともに、男がベッドが立ち上がった気配を察する。振り返るより前に、背後から抱き締められた。
 心音が咽から漏れそうなほどに跳ね上がる。

「まだいろよ」

 耳元に唇が触れるか触れないかのぎりぎりで囁かれ、かっと顔が赤くなるのが自分でもわかった。

「いい加減にしてください…」

 身を捩ってその腕から抜け出そうとするも、おかしなほどに身体に力が入らない。
 これが普段ならば、腹に容赦無い肘鉄をお見舞いしているものを。

「もう帰らないと…」

 いけないから、そう続けようとすると、背後から回った男の手が悪戯に首元まで締めたボタンを外し始めた。

「ちょ…っ。赤澤…!」

「まだ時間あるだろう。泊まっていってもいいじゃねぇか」

「いやですよ。僕が今叔母さん宅に同居しているの知ってて、よくも毎回そういう駄々をこねますよね」

 慌てて男の手を止めようと、その手に自分の手を重ねる。
 出会ってそろそろ4年。最初から自分よりも背が高く体躯も良かった赤澤だが、ここ数年でまたじょじょに身体も雰囲気からも残っていた少年っぽさを削り取っていった。
 その同じ4年の間、自分ではさほど変わっていないとしか思えない己の体躯を後ろから抱き締められると、同じ男だというのにこの差はなんなのだろうといつも不思議に思う。
 嫉みと羨望―――そして、安堵。
 

「駄々こねたいお年頃なんだよ。叔母さんが朝方にならないと帰ってこないのを知っている相手を、それで誤魔化せると思うなよ」

「や…っ」

 いきなり吸血鬼よろしく首筋に歯を立てられて、痛みよりもまずぞくりとした痺れが背骨を伝った。
 つい数十分前まで、散々この男に好き勝手された身体が、己の意思に反してその先の快楽を勝手に期待する。
 自分の浅ましさに嫌悪して、首を竦めた。

 赤澤とこのような関係になったのは高校に進学する少し前からだ。

 観月が自分の成長があまり芳しくないのを安堵するのは、己の成長によってこの男の興味を引かなくなるのを畏れるあまりだということに気づいている。
 だからこそ、この男の腕の中に長くいることが耐えられなかった。
 長くいればいる分だけ、自分はこの男に依存するし、男に飽きられるのが早くなるのではないかと怯えてしまうのだ。



 中等部まではお互いに寮生であったが、高等部に上がると赤澤は寮を出て都内にある自宅のマンションに一人暮らしを始めた。
 元々両親が揃って別のところに単身赴任となってしまった為、義務教育中は寮に入っていただけのことであり、高等部に上がると同時に自宅に戻っただけなのだが、それまでずっと同室で、いつでもどこに居るのか把握できた頃と違ってくると観月の中には奇妙な不安と猜疑が生まれて己を苛んだ。
 それまで確かに、自分は赤澤に度を越した執着心を持っている自覚はあったが、まさかここまでとは――いなくなって初めて思い知らされたのである。


 今はひとりで食事をしているのか。誰かと一緒なのか。どこかに遊びに行って、また変な女に捕まっていやないか――。

 苛立ちが収まらず、情緒不安定な日々が続き。それを気遣った赤澤に、むりやり関係を押し付けた。




「観月――」

 情事の最中にだけ、彼が名前を呼ぶトーンが少しだけ違う。
 それだけで泣きそうになるほど嬉しいのに、観月はあえて首を振って「いやです…」と呟いた。


 自分から始めたことだから。
 自分から強要したことだから。


 少なくとも赤澤がなんの気持ちもなくて、同性を抱ける男だとは思っていない。
 それでもこの胸は女のように柔らかくはないし、腕も脚もただ硬いだけ。

「お前はいつも、なんで終ったあとに泣きそうな顔すんのかな」

「――……」

「今日はもうしないよ。だけど、側にいてくれよ」

「―――赤澤」

 太陽の下で駆け回っている男の腕は焼けて浅黒い。
 本来であれば女を抱き締める腕。この背中から伝わる温もりも、本来なら女に与えられるもの。

「お前さ、オレとすんの嫌い?」

 唐突に直接的な表現で問われて、観月は周章した。
 
 自分から誘って今に至るのに、よくもそのような勘違いができるものである。

 ――まあ、そこがこの男らしいっちゃ、らしいんですけど……。

 途端、なにやら拍子抜けした気分になって、頬が弛んだ。

「バカですね。厭なら死んでもヤらせませんよ」

 首をめぐらして後ろを向く。片手を伸ばしてその髪を引っ張った。
 赤澤は破顔する。

「やっと顔見た。お前さ、毎回処女のように恥らうのもいいけど、たまにはオレに甘えてくれよ。ヘタクソなのかと思っちゃうだろう」

 次の瞬間、容赦無い肘鉄を腹に決めると、悶絶する赤澤をよそに、観月はにっこりと笑った。

「安心して下さい。ヘタクソなんかじゃありませんよ。さすがに綾香さんにご教授願っただけあるんじゃないですか?」

「おま…っ! なに、まだその誤解とけてなかったの!? オレと綾香さんはそんな仲じゃねぇって云ってんじゃん! 二ノ宮さんに殺されるっつの!」

「しまには不二周助にも試してるんでしょ」

「アホか…っ!! なんでオレがあんな大魔人とヤんなきゃいけねーんだよ!」

「手塚くんが云ってたじゃないですが。不二の彼氏だって」

「ありゃ不二が嘯いただけで…んなわけねーだろう。オレ、男ってお前しか勃たねぇぞ?」

 と、蹲っていた赤澤が反撃に出る。
 目の前に立っていた観月の膝の後ろに手を回して自分に引き寄せた。バランスを崩した観月が、赤澤の上に倒れこむ。

「…!?」

 器用に観月の上体を抱きこむと、耳元で「一度試さないと信じないか?」真剣な声音で囁いた。まあ、その場合オレは不二周助に殺されると思うけど、と情けない声で続けたが。

 赤澤の膝上に座るという、不本意な態勢に観月は眉を顰めたが、相手がいっこうに腕の力を緩めないので諦めた。


「ついでに裕太くんにも殺されるんじゃないですか」

「殺されたら泣いてくれる? …と」


 答えの代わりに、観月は己の唇を押し当てて、不穏な言葉を発した赤澤の口を塞いだ。
 しばらく角度を変えて口吻けたのち、観月は自分でも情けない顔をしているだろうなと思いつつ、大人びた、それでもまだ少年ぽさの残る顔を見つめる。

「バカなこと聞かないで下さい」

「最初にバカなことを聞いたのはお前だろうがよ」

「それとは次元が違います」

「あのさ、観月…。何度か云ってると思うんだけど、言葉って大事だと思うんだよな。オレはけっこうお前にちゃんと伝えてると思うんだけど、お前はどうなわけ?」



 好き、愛してる、あなたがいないと生きていけない。


 どんな言葉をこの男が欲しているのか、観月はちゃんとわかっている。
 だが、これまでそれを実現させたことはなかった。

 今回も観月は口吻けることで誤魔化す。
 そして赤澤は誤魔化されてくれる。


 あなたの全てがわかればいい。
 僕の全てを知って欲しくない。


 でもそんなことはできない。
 できなくていい。


 なんて不自由で不器用な―――。


 理由がなければ動けない、喋れない。



 観月は赤澤の背中に腕を回して、瞳を閉じた。























日記に書いてたヤツです。
『エチュード』や『名前のない〜』『WIRDER〜』の世界と一緒です。
 これに入れられなかったけど、観月は高等部2年半ばからある事情により叔母の家で下宿してます。
観月が赤澤を押し倒した(笑)のは高校に入ってからですが、それ以前に「名前のない空を見上げて」で
やっぱり押し倒してるので、だから高校に上がる前から…となってます。
つーかささっさと赤澤と観月のちゃんとした長編を書けって話ですね。

 えーと。直さんに捧ぐ。赤観書く書くいって書いてなかったから。



 

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